軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

82.愁嘆場

ラリーとの散策を終えたアリエスは、リクハルドの部屋に戻ると、すぐに寝室へ入った。

リクハルドはまだ眠っており、傍にはエルスが控えている。

エルスはアリエスの姿を認めて立ち上がった。

「今日からしばらくはここを閉鎖するわ」

「何か私にできることはございますか?」

「そうね……。毎朝、ここに新鮮な水を用意しておいてくれるかしら?」

「かしこまりました」

アリエスは部屋に入ってくるなり、秘密の小部屋の閉鎖を宣言した。

しかし、エルスは驚くことも疑問を呈することもなく、すぐに受け入れる。

寝室の隅に据えられたテーブルに水差しを置くよう指示すると、その意図も理解してくれたようだった。

フロリスといい、自分は部下に恵まれているとアリエスが考えながら小部屋を片付け、応接間に戻ったとき。

アリーチェが好奇心を隠さず飛びついてきた。――文字通り。

「アリエス様~!」

「離れてください、アリーチェ様」

「照れてるんですねぇ? 聞きましたよ~。南庭園での逢瀬のお話」

「へえ? どなたの?」

「アリエス様のですよ~」

「デマですね」

アリエスはアリーチェの両頬を片手で掴んで唇を尖らせ、それ以上を言わせなかった。

むごむごともがくアリーチェをそのまま引き離す。

「アリエス様、酷いです~」

「酷いのは仕事もせず、噂話に興じているあなたたちでしょう?」

両頬を揉みながら文句を言うアリーチェから、好奇心を隠さず二人を見ていた女官たちに、アリエスはちらりと視線を向けた。

途端に女官二人はそそくさと離れていく。

アリエスとラリーが南庭園を散策していたという話が王子専属の女官たちの耳にも入っているのだから、もうすでに王宮中に広がっているのだろう。

相変わらず暇人ばかりだとアリエスは呆れつつも、この先どう展開するのかと期待もしていた。

そして三日後。

アリエスは再び皆の注目を浴びながら、ラリーと南庭園を通り抜け、薬草の花壇の前で膝をついていた。

「今日もお時間を取っていただき、ありがとうございます」

「いいえ、かまいませんよ。それで、何をお知りになりたいのですか?」

アリエスの呼び出しに応えてくれた礼を言うと、ラリーは柔和な笑みを浮かべて首を横に振る。

それならさっさと本題に入ろうと、アリエスは切り出した。

「ある病気について知りたいのです。ラリーは薬草に詳しいのでしょう? それなら、まだ書物にも載っていないことをご存じではないかと……」

「そうですね……。知っているかもしれませんし、知らないかもしれません。とにかく、病名を聞かないことには答えられませんよ」

「ええ、それはもちろん。ですが、あの……」

アリエスは病名を口にすることをためらったが、ラリーの励ますような笑みを見て口を開いた。

ここはしおらしさが必要な場面である。

ラリーは病名を聞いて驚いたようだったが、すぐに誰のためのものかを察して、丁寧な助言をくれた。

それどころか入手困難な薬の手配をすることまで約束してくれたのだ。

アリエスは微笑みこそしなかったが、明らかに上機嫌でラリーと別れた。

その様子を見ていた者たちは驚きつつもまた噂した。

どうやらクローヤル女史は恋に落ちたようだ、と。

すると、カスペル侯爵――ロレンゾとはどうなっているのかなどと、本人たちを余所にあれこれ話が広がっていった。

いつも以上に話題になったのには理由があるのだ。

「アリエス様~、大丈夫ですかあ?」

「何のことかしら?」

「私の母は面倒くさいですよ~」

「そうですね」

アリーチェと所用で出かけ、王族専用棟へと戻る途中。

向かいからやってくる人物――カスペル前侯爵夫人を目にして、アリーチェが呑気に訊ねた。

しれっと答えたアリエスは、勢いよく向かってくる夫人をまっすぐに見つめる。

「あなたがクローヤル女史ね?」

「はい」

「お母様~、私のことは――」

怒りに満ちた夫人は、怯むことなく返事をしたアリエスの頬をいきなり叩いた。

それにはさすがにアリーチェも驚いたようだ。

「お母様、やめてくださーい!」

「離しなさい、アリーチェ!」

再び手を振り上げた夫人をアリーチェが止める。

しかし、当のアリエスは逃げもせずに二人のやり取りを静観した。

夫人の付き添いらしい女性はおろおろしているだけ。

やがて騒ぎを聞きつけて、衛兵がやってきた。

「何をなさっているのですか!?」

「無礼者! 衛兵ごときが私に声をかけるなんて!」

衛兵の問いかけに夫人が噛みつく。

野次馬を含めた皆が夫人の剣幕に震え上がったが、アリエスは動じず首を傾げた。

「あら。どのような身分の方でも危険な行動をすれば、衛兵の彼に尋問されるのは当然ではないでしょうか?」

「危険な行動ですって!? 私はあなたのような泥棒猫に制裁を加えているのよ!」

「私は泥棒でも猫でもなく、善良な人間ですが?」

「アリエス様、泥棒猫は例えですよ~」

「冗談よ。この場が和むかと思って」

夫人の言い分に、意味がわからないとばかりにアリエスは答えた。

いつもと変わらないアリエスの態度に、アリーチェも調子を取り戻したらしい。

アリエスの場違いな冗談にアリーチェが笑う。

「善良っていうのが冗談ですか~?」

「アリーチェ様まで面白いことをおっしゃらなくてもよろしいのですよ」

アリエスとアリーチェの気の抜けた会話に、緊迫していた空気が緩む。

だが、夫人だけは変わらず怒りを募らせた。

「アリーチェ! あなたはこの女の味方をする気なの!?」

「え~? 今の会話に味方発言ありました~?」

「なんて馬鹿な子なの?」

すっかりいつものアリーチェだが、夫人はわざとらしく嘆いてみせる。

アリエスは白けた気分で割って入った。

「アリーチェ様が味方云々はともかく、夫人は私のことを敵だと思っていらっしゃるのですか?」

「敵でないなら何なの!? 大切な息子を誑かしたばかりか、今度はラリーまで奪おうとしているのでしょう!?」

「息子さんについては百歩譲っても納得できませんがひとまず置いておくとして、ラリーについてはもっと意味がわかりません。彼には薬草について教えてもらっているだけです。それがどうして夫人の主治医を奪うことになるのです?」

「ラリーは私の主治医を辞めると言ってるのよ!」

「それは夫人と彼の問題であって、私には関係ありませんよね? まさかそれだけのことで、こんな騒ぎを? 私に暴力を振るったのですか?」

信じられないとばかりにアリエスは大げさに驚いてみせた。

周囲の者たちはひそひそと小声で話し始める。

ラリーがカスペル前侯爵夫人の主治医であることは、彼に名乗られたときから気づいていたのでこうなることも予想はしていた。

アリーチェの以前のぼやき方からも今回の噂の内容からも、夫人とラリーが愛人関係にあることは知っていたのだ。

「愁嘆場を演じられるのは勝手ですけど、私を巻きこまないでください」

「何ですって!? あなたって本当に噂通り嫌な女ね!」

「それはどうも」

「――母さん!」

夫人の身分から衛兵も止めることができずにいたが、そこにロレンゾが現れたことで皆がほっと息を吐いた。

誰かがロレンゾを呼びにいったのだろう。

「ロレンゾ! 聞いてちょうだい――!」

「母さん、こんな騒ぎを起こして何を考えているんです? クローヤル女史に謝罪してください」

「あなたまで、こんな女の味方をするつもりなの!?」

「味方も何もないでしょう? 話を聞くに、母さんが全面的に悪いのですから」

すがりつく夫人の両肩を押さえてロレンゾが咎める。

すると、夫人はロレンゾを睨みつけた。

「あなたはこの女に騙されているのよ!」

「クローヤル女史はただの友人ですよ。――クローヤル女史、このたびは大変なご迷惑をおかけして申し訳ありません。改めてお詫びに参りますので、すぐにでもその頬を冷やしてください」

「ええ、大丈夫よ。それではまた」

「覚えていなさいよ! 絶対に許さないわ!」

「お母様、それではごきげんよう」

ロレンゾが冷静なのは、夫人のヒステリックがいつものことだからだろう。

アリエスは金切り声を上げる夫人を残し、アリーチェとともにリクハルドの部屋へと戻ったのだった。