作品タイトル不明
己巳の章 しがねえ婚約の情けが仇
翌日、午睡をとっていたベアトリスのところへ、乳母兼家庭教師のヴェラボーメ夫人がメイドの一個連隊を引き連れてあたふたと入ってきた。
「お嬢様、ご起床ください。
畏れ多くもレオポルド・フォン・オーエドゥ王太子殿下がお嬢様をお見舞いにいらっしゃいました。
ご同行のアタリキヨ侯爵家のコーネリア様と、只今応接室でお待ちになっています。
お二人をお待たせしてはいけません。すぐにお仕度をなさってください。
いくら療養中とは言え、王太子殿下にそのような見苦しい姿をお見せしては、公爵家の沽券に関わります」
「え、ええ」
ヴェラボーメ夫人の急襲に叩き起こされたベアトリスは、ろくに答える間もなく鏡台の前に引っ張り出された。
メイドたちが慌ただしく髪を整え、薄化粧を施す横で、ドアからはヴェラボーメ夫人好みの大仰なドレスがワッサワッサと運び込まれる。
その間も、ヴェラボーメ夫人は途切れることなくメイドたちを叱り飛ばし続けていた。
「ああ、気をつけて頂戴。それは高価なドレスなんですからね!」
「急ぐのよ!王太子殿下をお待たせしているんだから」
「ちょっとアナタ!もっと丁寧にできないの?本当にこれだから最近の若いメイドは……」
急げと言われた傍から丁寧にやれと言われ、年若のメイドなどは半泣きでベアトリスの髪を結っている。
ベアトリスはその様子に気付いて胸を痛めたが、彼女自身もヴェラボーメ夫人が怖くてたしなめられなかった。
すっかり空気の悪くなった寝室に、ヴェラボーメ夫人の声だけがキンキンと響く。
ある意味、いつもの公爵家の光景だった。
と、ベアトリスの口が彼女の意思を無視して勝手に動いた。
「おい、バアさん」
「!?」
公爵家ではついぞ耳にしたことのない雑駁な発言に、ヴェラボーメ夫人が驚いたように辺りを見回す。
「おめえだよ、おめえ。
上に立つもんがそうガミガミやかましくちゃァ、下は皆縮こまっちまわァ。
見ろィ、こっちのねぇちゃんなんざ可哀想に震えてやがら。
お前さん、歳も歳なんだからもうちっと落ち着いてドーンと構えたらどうだい」
聞いたこともない口調とスピードでポンポン話すベアトリスに、ヴェラボーメ夫人は呆気にとられた。
やがてそれが「お嬢様が自分に向かって言っているのだ」と理解するに従い、彼女の顔からはみるみる血の気が引いて行く。
そして……
「……アラッ、倒れちまいやがった。しょうがないね年寄りは。
おうっ、皆手を貸してくんな。
床に寝かしとくわけにもいかねェし、取り敢えず寝台に乗せちまおうや」
源太のベアトリスは、目を白黒させているメイドたちの手を借りて、自分のベッドに気を失ったヴェラボーメ夫人を引っ張り上げた。
「ねぇちゃんたち、こっちの重てェ着物はもういいから、客人を連れてきておくんなよ。
折角見舞いに来たってのに、病人が派手に着飾ってお迎えしちゃァ、かえって具合が悪いや。
いいからズイーッと入ってもらいな」
ベアトリスの源太が手を振ると、メイドたちは顔を見合わせ、振り返り振り返り部屋を出ていった。
ベアトリスは寝間着の上にガウンを羽織りながら源太に話しかける。
「もうっ、ゲンチャン!急に出てきてやり過ぎよ」
(へへ、すまねぇすまねぇ。あんまり五月蝿えからつい出張っちまった。
……いけなかったかい?)
「ウーン………………………ちょっぴりスッキリしちゃったっていうのがホントのところね。
おかげであのメイドの子も助けてあげられたし。
でも、これからここにくる人は、この国の王太子殿下だから、無礼があったら大変なの。
さっきみたいなことは控えてくれる?」
(合点承知の助だ。客人の前では大人しくしとくから、安心してくれ)
「お願いね……」
そこへ、ベアトリスの婚約者、レオポルド・フォン・オーエドゥ王太子と親友のコーネリア・アタリキヨ侯爵令嬢が案内されてきた。
貴族学院の帰りらしく、二人とも制服姿である。
金髪碧眼の美男子レオポルドは、明らかに面倒くさそうな顔をしている。
ブルネットにハッキリした顔立ちが美しいコーネリアは、対照的に気遣わしげな表情を浮かべていた。
部屋に入るなりレオポルドはツカツカとベッドに近づき、寝ている人物を見て大声をあげる。
「何ということだ!ベアトリスがまるで老婆のようではないか!」
開いたドアの陰になっていたベアトリスは慌てて進み出て淑女の礼をした。
「王太子殿下、本日はお見舞いありがとう存じます。
僭越ながら、そちらに臥せっているのは私の乳母にございます」
「なんだ、紛らわしい。なぜ乳母が貴様のベッドにいるのだ。見苦しいからどこかにやってしまえ」
犬の子でも追い払うようにシッシッと手を振る王太子に、ベアトリスは慌てて男性使用人を呼んで、意識を失っているヴェラボーメ夫人を運び出させる。
「良かった、元気そうねベアトリス。
公爵閣下がお見舞いを許してくださらないものだから、様子がわからず心配したわ」
コーネリアがベアトリスの手を取る。
「面会謝絶なのだから放っておけばいいと言ったのに、父上が『一度も婚約者を見舞わないのは外聞が悪い』と煩くてな。
ティヤンディ公爵に無理を言って、こうして来てやったのだ。
ふん、そうやってベッドから出ているところを見ると、身体はなんともないようだな。
いつまでも怠けていないでサッサと登校しろ。
貴様が来ないから生徒会の仕事が溜まって仕方がない」
レオポルドは言いたいことを言ってしまうと、「行くぞコーネリア」と部屋を出ていった。
コーネリアは急いでベアトリスに耳打ちをする。
「ごめんね、もう行くわ。
レオ殿下の補佐は私がやるから心配しないで。
いつもの書類仕事は貴女のためにそのまま取ってあるから、休んでいたからって生徒会に居場所が無くなるかもなんて思わなくて大丈夫よ。
それにしても、バルコニーから落ちて大きな怪我一つ無いなんて、本当に運が良かったわね。不思議なくらい」
「ありがとう、コーネリア。心配かけてごめんなさい」
コーネリアは軽くベアトリスを抱擁すると、レオポルドの後を追って急ぎ足で退出した。
慌ただしい来客から解放されて、ベアトリスはホッとため息をつく。
(…………………なんでェ、ありゃ)
源太が不満げな声を出した。
「私の婚約者と、子供の頃からの親友よ」
(フーン。王太子だか明太子だか知らねェが、鼻持ちならねェ野郎じゃねェか。
むやみと威張りくさりやがって、てめえの許婚を何だと思ってやがるんだ。
あんな酢豆腐野郎、おいらなら鳶口に引っ掛けて引きずり回してやるのによ)
「トビグチ?」
(鳶の七つ道具さ。
棒の先にトンビの嘴みてえな形の 金属(かね) が付いてンだ。
その先を材木に引っ掛けて引き寄せたり、火事の時は壁だの天井だののすき間に差し込んでこじ開けたり……)
「火かき棒みたいなものかしら?」
( ……………?
江戸で「火かき棒」といったら、囲炉裏なんかの灰を掻き出すのに使う棒のことだが……
コッチじゃ違うのかい?)
「暖炉の薪を動かしたり、掻き立てて火を調節するときに使う道具よ…………ほら、これ」
ベアトリスは暖炉の方へ行き、火かき棒を手に取ってみせる。
(へぇー。なるほど、確かにコイツは鳶口に似てるねェ。
柄に何だか凝った飾りがついてるが、棒の先に鉤が付いてて、使い勝手は鳶口とあまり変わらねェようだ。
こりゃいいや。今度あの明太子野郎が来たら、コイツに引っ掛けて引きずり回してやろうじゃねェか)
「もう、やめてよゲンチャン!」
ベアトリスは笑いながら源太を止めたが、心の何処かで引きずり回されているレオポルドを見てみたいと思っていることに気づいて、自分で自分に驚いたのだった。