作品タイトル不明
色鉛筆と虹の絵
夕食後、家族の居間で色鉛筆で絵を描いていたクラウディアのもとにふらりと兄がやってきた。
「花や蝶に惹かれて勝手にふらふら歩き回らなかったか?」
昨夜も兄に「花や蝶を見かけてもふらふら行っては駄目だぞ」と子供のような注意をされたのだった。
「今日は公園には行けませんでしたの」
「どうしてだ?」
「お兄様は気づきませんでしたか? 雨がけっこう降っておりましたから」
兄が首をひねる。
「今日は忙しかったからな。正直、外の天気など気にしてはいられなかったな」
兄は本当に一体どこで何をしていたのだろう?
胡乱気(うろんげ) に兄を見てしまう。
「まあ、俺のことはいい」
誤魔化すように兄は言った。それからクラウディアの手元とテーブルの上に乗せてある色鉛筆のセットに視線を向けた。
「それはこの間買ってやった色鉛筆か?」
「はい。これすごく描きやすいのです。お兄様、ありがとうございました!」
「宝石やドレスより画材のほうが喜ぶとは」
呆れたように言っているが、兄の口角は上がっている。
「それで何を描いているんだ?」
「今日、帰りがけに虹を見ましたの。それを描いています」
対面に座っていた兄が立ち上がり、傍に寄ってきた。
絵を見たそうだったので、スケッチブックを兄のほうに向けた。
「今までの色鉛筆とはやはり違うんだな。発色がよく、それなのに柔らかい雰囲気を持っている」
「わかりますか、お兄様! 本当にこの色鉛筆は素晴らしいのです」
兄がわかってくれたのでクラウディアは思わずにこにこと微笑む。
兄も 微笑(わら) い返してくれる。
「いいものが見つかってよかったな」
「はい!」
「それにしてもいい絵だな。それをくれないか?」
「ええ、構いませんよ。完成しましたらお渡ししますね」
「ありがとう。それにしてもそれで完成じゃないのか?」
「ほぼ完成ですが、もう少し手を入れたいので」
「相変わらず凝り性だな」
「もう少し色を入れれば今日見た虹に近づきそうなんです」
手持ちの他の商会の色鉛筆を使えばもっと近づくだろう。
それは部屋に戻ってからになりそうだ。
「そうか。まあ、お前が納得するまで描くといい」
「もちろんそのつもりですわ」
もう少し手を入れればもっとよくなるとわかっていて妥協できるわけがなかった。
クラウディアは再び色鉛筆を握る。
兄が離れていく。
色を乗せていく。
ほんの少し色を乗せるだけで絵が今日見た虹に近づいていく。
それが楽しい。
色を変えて塗り重ねていく。
「それで次のアーネストの休日に仕切り直しか?」
対面に戻った兄が不意に訊いてくる。
クラウディアは手を止めることなく兄に答える。
「いえ。何でも次のアーネスト様のお休みの日には兄妹揃ってお茶会に招待されているそうなんですの」
「そうか」
兄は少し考える様子を見せた。
「明日は無理だが、明後日なら残っている振り替え分で休める。公園に連れて行ってやろうか?」
クラウディアは手を止めて疑いの目でもって兄を見る。
「お兄様、そんなに溜まっているのですか?」
クラウディアが見ている限り、最近の兄がそれほど忙しそうには見えない。今日は忙しかったようだが。
「お前が戻ってくる前が滅茶苦茶忙しくてな、休み返上で働いていた。あの頃はアーネストと同じくらい、下手したらそれ以上に働いていたぞ」
「えっ!?」
アーネスト以上に働いていたとなると、朝早くから夜遅くまで働き詰めということになる。
「疑うならシルヴィアに聞いてみろ」
「別に疑うつもりはありませんが、えっ、お体は大丈夫でしたの?」
それほど忙しかったのならば体調を崩したりはしていないだろうか?
兄は微笑する。
「大丈夫だ」
「よかったです」
「それでどうする?」
「お兄様の手を煩わせることはありませんわ。公園なら一人で行けますわ。キティとマルセルを連れていきますので」
マルセルはクラウディアの専属護衛だ。
領地内を自由に歩き回る条件が必ずキティとマルセルを連れ歩くことだったのだ。王都でもそれは同じはずだ。
ちなみにマルセルはキティの兄である。
「駄目に決まっているだろう」
「何故です?」
「ここが領地でないからだ」
領地ではないから駄目な理由がわからない。
普段買い物だって二人を連れていけば文句など言わないのに、何故?
わかっていないクラウディアに兄が溜め息をついて説明してくれる。
「公園は一種の社交場だぞ?」
つまりクラウディア一人だと力不足ということだろう。
「中には不埒な目的で声を掛けてくる者もいる。供がいるとはいえ令嬢が一人でいればそういう目的かと勘違いする 輩(やから) もいる」
今まで気づかなかった。
そういえば公園に行く時はたいてい兄が一緒に行ってくれていた。
そういう人たちにきちんと対応できるかクラウディアには自信がなかった。
そんな機会などこれまでに一度もない。
クラウディアはしゅんとなる。
「浅慮でした。申し訳ありません」
「そういうことに遭遇していなかったということだな。よかった。それでどうする?」
今日公園に行く予定だったので心はすっかり公園に行く気満々ではある。
だがそのために兄にわざわざ休日の振り替えを使ってもらうのも悪い。
「行きたいのか行きたくないのか、それだけ正直に答えろ。他は何も考えるな」
どうやら兄はクラウディアの思考を読んだようだ。
「どちらだ?」
「……行きたいです」
「わかった。どうせなら弁当持っていくか?」
「ですが、お兄様はいいのですか?」
「何がだ?」
「せっかくのお休みですのに。丸一日潰れてしまいます」
クラウディアは公園に行けばちょっとやそっとでは帰らない自信がある。
ましてやお弁当を持っていったとなると本当に一日中いるだろう。
「のんびりするのも悪くない」
「のんびりできますか?」
「できるさ。クラウディアが夢中になっている隣にいればいいだけだからな」
それなら甘えてもいいかもしれない。
「……お兄様、スケッチブックを持っていっていいですか?」
「ああ、構わないぞ」
「ではお願いします」
兄は壁際に控えている侍女に視線を向ける。
「料理長に弁当を頼んでおいてくれ」
「承知しました」
一礼して侍女が出ていく。
「楽しみです」
クラウディアがそう言えば、兄は嬉しそうに 微笑(わら) った。