軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

150・そして浄化されたそれは

「ライラ様、立ち合いの為にいらした方々が帰ってしまわれたようですが、本当にこのまま儀式を終了してしまうのですか?」

拝殿の隅で控えていたイーヴォは、とても残念そうに私に尋ねてきた。彼も他の神官達同様、天使に会える事を楽しみにしていた一人である。

「ええ、終わりです」

「そうですか……では聖女様、部屋に戻りましょう。ここに居ても仕方がありませんから……」

黒いモヤが見えていないイーヴォにはまったく緊迫感がなく、躊躇せずこちらへ歩いてきてしまった。

「あっ、それ以上近寄らない方が……」

「何か問題でも?」

まずいと思って声をかけたけれど、イーヴォが黒いモヤに触れそうになった瞬間、それはなぜかうねるような動きで彼を避けたのだった。

「……イーヴォ、今何か感じませんでしたか?」

「いえ別に……」

イーヴォがそう答えると、サンドラはスッと身体の向きを変え、何も言わず部屋へ戻っていってしまった。つい先ほどまで声を荒げていた彼女がイーヴォに当たるでもなく何のリアクションもない事に私は強い違和感を覚えた。

すぐにサンドラの後を追おうとしたけれど、拝殿側には出入り出来る扉は無い。仕方なく建物の周りをぐるりと回ってサンドラの部屋に入ると、その頃にはサンドラの全身が黒い繭にでも包まれたかのようにすっぽりとあの黒くて濃いモヤで覆われてしまっていた。

私の目にはただの黒いシルエットにしか見えず、一人掛けのソファに腰かけているのがサンドラであるかどうかも確認出来ない。

しかしイーヴォは何も気づいていないようだし、サンドラの様子はいつもと変わらないという事なのだろう。そしてイーヴォは私が部屋に戻ったと気づくなり、私の居る扉に向かって歩いてきた。

「ライラ様、私はもう必要ないと思いますのでこれで下がらせていただきます」

「ええ、わかりました」

「あの……聖女様は酷く落ち込んでいるようです。こんな時は下手に話しかけたりしない方がいいですよ。では側仕え達に戻るよう指示してきます」

側仕え達はおそらく神殿施設の食堂で待機しているだろう。そしてイーヴォが下がるという事は、サンドラと二人きりになるチャンスという事。夜まで待とうかと思っていたけれど、王弟殿下の判断によってはどうなるかわからない。

「あ、待って。側仕え達を戻すのはサンドラさんが落ち着いてからにしましょう。イリナ様に、サンドラさんには私がついているので心配ありませんと伝えてください」

「はい、ではそのようにお伝えしますが……ライラ様、くれぐれもご無理はなさらないでください」

イーヴォは心配そうに私とサンドラを見ると、軽く会釈をして部屋を出ていった。

イリナ様ならきっと今の伝言を聞いて私の考えに気づいてくれるはず。これでしばらく誰も来ないだろう。

思いがけずサンドラと二人きりになれた私は、小さな声でヴァイスを呼んだ。

「ヴァイス」

(ラナ様、お呼びですか)

「あのね、今が浄化のチャンスだと思うの。だから見張りをお願い。誰か来たらすぐに知らせてね」

(承知しました)

ヴァイスに見張りを頼んだ私は、気持ちを落ち着かせる為に一度深呼吸する。

そして覚悟を決めてサンドラの方へ歩き始めると、どこからともなく妖精の光の玉が飛んできて、私の前で人の姿に変身した。

「レヴィエント……! あなたその姿を見せて平気なの? サンドラには妖精が見えるのに……また記憶を操作するつもり?」

「心配するな。黒くて何も見えぬだろうが、その娘は意識を失っている」

「えっ? 何かしたの?」

「私は何もしていない」

反射的にサンドラへ視線を向けたものの、私には黒いシルエットにしか見えない。

イーヴォにはどう見えていたのかしら? 酷く落ち込んでいるようだと言っていたから、ひょっとすると黙って俯いているサンドラを見てそう解釈したのかもしれないわね。

彼が気づかなくてよかったわ。もう少しで人を呼ばれてしまうところだった。

「ラナ。その娘を覆う黒いもの……、負のエネルギーを欲しいだけ吸収し、肥大して哀れな怪物になってしまっているが、それが我が兄弟の慣れの果てだ」

「あれが? 私がサンドラの記憶の中で見た時は妖精の姿がまだ残っていたのに……」

「ずっと様子を見ていたのだが、そなたここへ来てから黒いモヤを見つける度に浄化していたであろう。おかげであやつはかなり弱っている」

レヴィエントの言う通り、私はサンドラの近くに居る間、彼女の体からにじみ出る黒いモヤを常に浄化してきた。それは私が気になって落ち着かないからという理由もあったのだけど、その行動は間違いではなかった。

これは先日イリナ様から聞いた話。雨乞いの儀式からサンドラが戻ってきた日から、霊力の強い神官や巫女が軽い体調不良に悩まされていたというのだ。

しかしそれは私達が神殿入りした日にぱったりと治まり、お祓いの出来るイリナ様が戻ってきたおかげだと皆が喜んでいたらしい。

これは私の憶測だけど、元妖精はサンドラを使って他者から大量に精気を奪い取るだけでなく、広範囲に黒いモヤを広げて手当たり次第に少しずつ精気を奪っていたのではないだろうか。

サンドラは今、面会が制限されていて人と接触する機会が少ない。だからこうして元妖精自ら表に出て獲物を探さなければならないほどエネルギーが不足しているとしたら……?

「ねえ、こんなに表に出ているのならそのままサンドラから引きずり出す事は出来ない?」

「無理に決まっているだろう。目には見えても実体はないのだ。そなたらが黒いモヤと呼んでいる負のエネルギーとは違い、こうなってしまった妖精を浄化するのは簡単ではない」

「そう……じゃあやるしかないのね。私の力でサンドラを消してしまうかもしれないと思うとすごく怖いわ」

私の弱気な発言を聞き、レヴィエントは申し訳なさそうに目を伏せた。

「……すまぬ。妖精界の王でありながら、同族の処分を人間のそなたに頼らねばならぬとは不甲斐ないが、一刻も早く浄化してほしい」

きっと彼にとってもこれは辛い選択だろう。

妖精界から追放し、処刑に相当する処分を下した兄弟が生きていたと喜ぶ事も許されず、またこうして今度は浄化という方法でこの世から消さなければならないのだ。

それでも私一人に任せきりにせず、この場に立ち会うというのが彼なりの誠意。この国の王だって罪人のその後の処理の為に自分が動く事などあり得ないのに、兄弟とはいえすでに追放処分を下した者の為に妖精王自ら出向くなんて異例中の異例だと私は思っている。

レヴィエントが人間界に来なければ私はいつまでも自分が何者であるか知らずに過ごしていただろうし、ヴァイスが現れても意思の疎通は出来なかった。お互いに必要なものを持っていたのだから不思議な巡り合わせだと感じずにいられない。

女神の力を使いすぎて死にかけた時、助けてもらった恩もある。引き受けたからにはやるしかないのだ。

「私はその為に来たのだもの。今から彼らを浄化します」

緊張で胸が苦しくなるのを感じつつ、黒い塊となったサンドラに近付いた。

「サンドラ。あなたにはしてやられたけど、私個人の恨みはそれほどでもないわ。でもね、あなたは知らずに自分の母親を死に追いやり、美しい巫女を妬んでその美貌と精気を奪って死なせたのよ」

一歩一歩サンドラに近付きながら、被害にあった人達の顔を順番に思い出す。皆ミイラのようにやせ細り、対処の仕方もわからずに死ぬかもしれない恐怖と戦っていた。

そんな状態で五年もの間苦しんだタキと、まだ少年でありながら弟を支え続けたシンを思うと憤りさえ感じる。

「他にも、あなたは覚えていないかもしれないけれど、近所の男の子を嫉妬で殺しかけたわ。かろうじて助かった神殿の人達だってとても苦しんだ。それに誰にもバレていないと思っているでしょうけど、火事が起きた時、あなたがわざと家族を見捨てた事も知っているわよ」

サンドラの記憶を見た時を思い出す。

目の前で燃え広がる炎に怯える小さな男の子達は、姉を見つけて必死に助けを求めて泣き叫んでいた。あれほど可愛がっていた弟達ですら切り離してしまえる彼女の精神状態は、きっと普通ではなかったのだろう。

自分を虐げる両親に恨みはあったかもしれないけれど、殺したいほどとは思えなかった。

神様はなんて意地悪なのかしら。聖女となるべくして誕生した彼女をあんな形で試すだなんて。

サンドラは幼い頃に親切心から助けた妖精がその後の人生を大きく狂わせてしまうとは思いもしなかったでしょう。

私はサンドラの背後に立ち、気持ちを集中させる為に目を閉じて女神と同じ強い光を放つ事をイメージする。するとその時、パンッと何かが破裂する音が室内に響いて私は目を開けた。

「何? 今の音……」

すると目の前に黒くうごめく塊が迫っていて、触手のように伸びた黒いモヤが私の脚に触れようとしていた。いや、もしかするとすでに触れたのかもしれない。触手のように伸びた先端が弾け飛んだかのようにバラバラになって消えたのだ。

「あ! もしかして……」

スカートのサイドにあるポケットに手を突っ込み、中に忍ばせていた物を取り出す。

これは以前、ウィルが壊してしまった守護のまじないをかけたイヤーカフの代わりにと、リアム様が私にくれた綺麗な青い紐に白いビーズのような石のついたお守りである。

ここへ来る時、念の為にお守りを持ち歩く事に決め、いざどれを持って出るか迷った末にリアム様からいただいた物にしたのだ。ウィルのくれた守り石は流石に恐れ多くて持ち出す勇気が出なかった。

白い石は真っ二つに割れ、紐から外れてしまっていた。

割れた断面が守り石とそっくりな色をしている事から、実はこれも綺麗に磨かれた小さな守り石だったのかもしれない。

こういったお守りの効果については正直半信半疑だった私は、帰ったらすぐにでも曾祖母のペンダントを身につけようと心に決めた。

「これが壊れたという事は、私を敵とみなして危害を加えようとしたか、私をターゲットにして精気を奪おうとしたのね……」

壊れたお守りをポケットに戻した私は、一歩後ろに下がって黒い塊に向かって全身から強い光を放った。直視すれば目がどうにかなりそうなほど眩しい光が、室内に飾られた金や銀の調度品に反射して多方面から光のシャワーとなって元妖精を浄化し始める。

触手のように伸びた黒いモヤは一瞬にして消えたが、サンドラに覆いかぶさる濃いモヤは一向に消える気配がなかった。

「どうして? これでも弱いというの?」

「ラナ! そのまま続けるのだ。そやつ、もしかすると聖女の魂を持つその娘に新たな名を与えられた事で半端に復活したのかもしれぬ! 消えないのは中途半端に実体があるせいだ。何という名を付けられていたか覚えているか?」

「名前? ああ、サンドラがあの酒場の裏で妖精と出会った時に何か付けていたはず。何だったかしら?」

私はあの時見たシーンを思い出そうと頭をフル回転させた。

幼いサンドラが付けた名前を聞いて、私と似たような決め方だなって思っていたのよね。あれはたしか積み上げられた木箱の影から出てきた小さな黒い妖精が……。黒い?

「黒いからクロ……そうよ、レヴィエント! 名前はクロだったわ!」

「よし! ラナ、そのまま浄化を続けるのだ。一気に片を付けるぞ!」

レヴィエントはそう言って眩しい光を手で遮りながらサンドラの前へと進み、胸の前で手のひらを合わせると、本を開くようなジェスチャーでその手を開いた。

そして前世の世界でも聞いた事のない言語で呪文のような言葉を呟く。

私に聞き取れたのは、『クロ』という名前だけだったけれど、多分レヴィエントは名前を取り上げる為の呪文を呟いているのだ。

レヴィエントが呪文を言い終えると、ずっと微動だにしなかったサンドラが突然体をくねらせ、苦しそうにもがき始めた。

「名を持たぬ妖精よ。そなたがこの世に留まったせいで新たに二人の人間を殺めてしまった。よってそなたは永久に生まれ変わる事はない。大人しく消えよ!」

サンドラの表面に出てきていた黒い塊は、男性のような人の姿を形成してグググッと前に飛び出した。そしてレヴィエントに当たってしまうのではと思うほど前に出たところで、突然煙のように広がって消滅したのだった。

私は浄化をやめ、サンドラの前へ移動した。

「終わった……?」

「ああ、ご苦労であった」

慌ててサンドラを確認すると、浄化の影響で消えたり何かが変わったという様子は特に見られなかった。しかしホッとしたのも束の間。サンドラが突然胸を押さえて苦しみだしたのだ。

「うぅ……」

「どうしたの? 浄化の影響かしら?」

心配して顔を覗き込むと、サンドラの胸の辺りから黒い何かがポンと外にはじき出されるように飛び出し、ぽてんぽてんと床に転がってレヴィエントの足元で止まった。

「プギ……」

出てきたものはレヴィエントによく似た黒い豚の妖精。だけどひと回り以上小さく、妖精の羽は生えていなかった。

レヴィエントがそれを懐かしそうに見つめ、両手ですくい上げようとした。ところが触れた瞬間形を失い、煙のようにふわりと消えて無くなった。

これで良かったのだとわかっているけど、なんともいえず後味の悪い幕引きである。

「ありがとう、ラナ。そなたが手伝ってくれたおかげで無事浄化してやる事が出来た」

「よかった……これでもうタキのような被害者が増える事はないのね」

「うむ。今後このような事が起きぬように、追放者が出た時は最後まで見届けさせる事にする。今回の件で亡くなってしまった者達には本当に申し訳ない事をした。それに、この娘も被害者だ。どうにかしてやりたいが……」

レヴィエントは聖女になるはずだったサンドラを哀れに思ったのだろう。まだ意識が戻らないけれど、この場合サンドラが妖精と一緒に消滅せずに済んだ事だけでも良かったと思わなくては。

でも、あれほど心配していたサンドラへの影響がここまで無いというのも逆に不自然だと感じる。

「あの……レヴィエント。用は済んだ事だし、あなたは妖精界へ帰ってしまうの?」

「うむ……これだけ人間界を騒がせ迷惑をかけてしまったのだ。償いの為に何が出来るか、帰って皆で協議せねばならぬ」

サンドラを見ると、そろそろ意識を取り戻しそうな雰囲気である。レヴィエントとはこれでお別れだと思うととても寂しく、何か話をしなければと思った私は、つまらない質問をして彼を引き止めた。

「そういえば、昼間なのにどうしてその姿になれたの? いつも夜にならなければ無理だったでしょう?」

レヴィエントは何故急にそんな質問を? という顔をしたけれど、優しく理由を話してくれた。

「ああ、神殿には結界が張られているのだ。この中は壁の外とは別世界と言っていいだろう。この娘が出していた黒いモヤは外に漏れていたか?」

「いいえ。そういえば門の外には出ていなかったかもしれない」

「緑が豊富な中庭があるのに、妖精が居なくておかしいと感じなかったか?」

「そう! たくさん飛んでいても良さそうなのに、どうしてなのか不思議だったの」

「普段は結界のせいで入れないのだ。そなたが黒いモヤを盛大に浄化した時に一瞬結界が外れて私も中に入れた。他に質問は?」

サンドラがモゾモゾと動き出し、これ以上引き止められないと思った私は最後の質問を投げかけた。

「また会える?」

「私はそなたを人間界で二人目の友だと思っているのだが?」

レヴィエントは私を軽く抱きしめ、微笑みを浮かべたまま光の玉となって飛び去ってしまった。