作品タイトル不明
117・雨乞いの儀式
移動中の馬車の中では、途中立ち寄った町で貰った焼き菓子や果物を食べていたサンドラが、この馬車での移動にはもうウンザリしたと言いたげに、わざとらしく大きな溜息をついていた。
「はあ……イーヴォ、まだ着かないの? 地図で見た時はこんなに遠いなんて思わなかったわ。もしかして、間違って国の外に出てしまったんじゃないの?」
「いいえ、この国はとても広いのです。順調に行けば昼過ぎには到着するそうですよ。また休憩が必要なのですか? しかし、休んでばかりではいつまで経っても目的地にたどり着けません」
「わかったわよ。早く行ってあげましょ。私が行ったら、村はきっとお祭り騒ぎになるわね。うふふ。途中の町だってあんなに歓迎してくれたんだもの。楽しみだわ」
自分が何の為に、何をしに行くのかを理解出来ていないサンドラは、久しぶりの外出で、生まれて初めて王都を出たという高揚感と、各町や村での手厚いもてなしのお陰で、不謹慎なほど上機嫌になっていた。
そんな彼女に呆れながらも、イーヴォはそれを顔に出さず、静かに窘めた。
「……これから行く村に、そんな期待をしてはいけません」
「ウフフ、馬鹿ね、こっちが期待しなくたって、歓迎の宴を用意をしてるに決まってるじゃない。どうせ王都でやったものとは比べ物にならないでしょうけど。この、王様が認めた美しい聖女様が雨を降らせてあげるんだから、当然でしょ」
雨乞いの儀式に出かけた聖女様御一行が王都を出て、すでに五日が過ぎていた。
途中宿泊の為に町や村に立ち寄りながらの移動ではあったものの、サンドラが馬車の移動に飽き、寄る予定も無かった大きめの町で休憩と称した買い物に繰り出した為に、本来なら四日の行程であったものを、丸一日以上も時間を無駄にしてしまったのだ。
前もって知らせを受けていた土地の者達は、皆聖女を歓迎し、出来る限りのもてなしをして大いにサンドラを喜ばせた。そして一行を最終的に待ち受けていたのは、聖女を歓迎する宴ではなく、訪れる客をもてなす食料もほとんど無い乾いた大地と、日に焼けてやせ細った農民達だった。
この土地は元は豊かな麦の産地であったが、ある年から慢性的な水不足に陥り、いくつか在る貯水池には水溜り程度の水しか残っていなかった。
「何ここ? 辛気臭くて嫌な感じ。私が来るってわかってるくせに、まだ宴の準備もしてないのね」
「仕方がありません。彼らを助けるためにここまで来たのですから、もてなしてもらおうなどと考えないでください。私達は、彼らの当面の食料と薬を届け、聖女様の行う雨乞いの儀式で雨を降らせるのが目的です」
サンドラがイーヴォから今更過ぎる説明を受けている間に、他の巫女達は旅の疲れも気にせずに、早速慣れた様子で儀式の準備に取り掛かっていた。
この土地に長居は無用。
長く残ればそれだけ、彼らの為に持ってきた食料を減らしてしまうだけなのだ。護衛の為に連れてきた兵士達は、サンドラとは一定の距離を保って警備に当たり、イーヴォは村長の家の一室を借りて、サンドラに儀式用の衣装を着せた。
それはサンドラの為に特別にあつらえた物で、一緒に踊る巫女たちよりも豪華で煌びやかな飾りが付いた特注品である。
しかしこれが完成したのは一ヶ月も前の事。試着は済んでいるが、サンドラの被害に遭った者達がラナの手で救われてから、一度も袖を通していなかった。
サンドラは移動中もずっと巫女服で過ごし、宿に泊まる以外は馬車の中で寝てばかりいた為に、ジリジリとスタイルが衰え続けている事に気付いていなかった。
「あ……あれ? 聖女様、ちょっと胴回りがきつい……ですか? 変ですね。初めに試着した時はピッタリだったのに……見た感じ、体型は変わっていないと思うのですが」
背中のボタンを閉めていたイーヴォは、着付けをしている最中に、サンドラが少し太った事に初めて気が付いた。
ゆったりとしたデザインの巫女服に身を包んでいた間はその違いがわからなかったのだが、サンドラの希望で、ウエストのくびれが綺麗に見えるようデザインを変えた事が仇となってしまった。
「ちょっと何よ! 私が悪いんじゃないわ! イーヴォが意地悪して鏡を全部隠してしまったから、全身のチェックができなくなったのよ! だから大きな鏡を部屋に置いてって言ったでしょう! それに、あれはあなたの仕業なの? 行く先々でも鏡を置いてなかったわね」
「それは、聖女様がご自身の顔や体型を気にしすぎた為にあのような事故が起きたからです。あなたは見た目に囚われ過ぎなのです。そこまで気にしなくても十分に……」
「うるさい! 女は綺麗じゃなければ意味が無いのよ。今すぐこの家の人に鏡を用意させて!」
「お断りします。どうしても鏡が欲しいと仰るなら、儀式を無事成功させてから考えましょう。ほら、こうして最後に帯を結んでしまえば、サイズが変わった事など気になりませんよ」
苦肉の策で、本来なら腰骨の辺りで結ぶ十センチほどの幅の帯を、一番細いくびれ部分に巻いて誤魔化した。
イーヴォの言葉にサンドラは俄然やる気を出し、すうっと息を吸ってお腹を引っ込めたかと思うと、イーヴォにボタンを留めさせた。
「雨なんてすぐに降らせて、こんな何も無い村なんか早く出るわよ! イーヴォ、忘れないでよね、絶対に鏡を用意してもらうわよ」
この状態で儀式に出て、雨乞いの舞を舞えば、ほんの少しの油断で背中のボタンはすぐにでも弾け飛ぶだろう。
この自信はどこからくるのか、一度も試したことも無い雨乞いが成功すると、この時のサンドラは疑いもしていなかった。
「聖女様、儀式の準備が整いました。流れを覚えていますか? 本番では、このお酒を大地に捧げてください」
「わかってるから、さっさと終わらせましょ」
この儀式を指揮している中年の巫女が、酒の入った白磁の壷をサンドラに手渡し、早速儀式は始まった。
たいまつを焚いてその前で一人の巫女が手を叩いてリズムを刻むと、もう一人がそれに合わせて耳慣れない古代語の歌を歌い始めた。
サンドラが神への貢物となる上等な酒を大地に撒くようにして捧げ、彼女を中心に、その他の巫女達が踊りながら円を描くように周囲を回り、ぎこちないながらも、サンドラは空になった壷を天に掲げてソロで雨乞いの舞を舞い始めた。
聖女が雨乞いを始めれば、すぐに雨雲が来ると信じていたサンドラは、十分経っても二十分経っても、澄み切った青空には雲ひとつ流れてこない事に焦りを感じていた。
「まだなの? もう疲れたわ」
儀式を見守る中年の巫女に向かって文句を言うと、その巫女はニッコリ笑って頷いた。
「まだまだ始まったばかりですよ。雨雲が来るまで儀式は続きます。頑張って聖女様の本気を見せてくださいませ」
毎年この儀式を執り行っている巫女達にとっては、これが当たり前の事だった。時には何日も寝ずに交代で踊り続け、結局は雲を呼べずに撤収する事もある。
儀式の参加者達は、聖女が加わる事で、この儀式は完璧なものになると信じて疑わなかった。
その時、サンドラの背中から何かが勢い良く飛んで行った。ボタンである。
無理矢理留めたボタンは、サンドラの動きに耐え切れず、いくつか弾け飛んでしまったのだ。
「あ!」
儀式の途中でサンドラは動きを止め、片手を背中に這わせてボタンの有無を確認し始めてしまった。それを見た中年の巫女は、声を荒げて注意した。
「何をしているのです! 儀式を途中で投げ出す人がいますか! 衣装のほつれなど気にせず舞をお続けなさい! あなたの本気はこの程度なのですか!」
「なんですって? 言ったわね、見せてやろうじゃないの、私の本気を!」
負けず嫌いのサンドラには、甘やかすよりも、ムキになって闘志を燃やすような接し方が合っているのだ。たくさんの人を見てきたベテランの巫女は、いち早くサンドラの性格を理解して、すぐにやる気を出させてしまった。
サンドラは一心不乱に舞い続け、白磁の壷の重みで腕が上がらなくなっても、プルプルと腕を震わせながら一時間もの間耐えてみせた。誰にも見えてはいないが、無心になったサンドラからは黒い霧が晴れ、魂の穢れは一時的に払拭されていた。
今は亡き家族を養っていた頃のサンドラは、家族の為というよりも、自分のプライドを守る為に意地で何でも頑張る娘だったのだ。
これを横から見守っていたイーヴォは、舞に集中し、晴れ晴れとした表情を見せるサンドラを見て、彼女を初めて美しいと感じた。
聖女とは、本来こうあるべきだと痛感した彼は、ただ甘やかして言いなりでいたことを反省し、彼女への対応の仕方を考え直す事にしたのだった。