軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第119話 片田舎のおっさん、サインする

「おうベリル。お疲れさん」

学院長室の扉を開いて中に入ると、窓際の机の奥に学院長、ルーシーが鎮座していた。

彼女は俺の姿を確認すると一言発し、部屋に備えられている応接用と思われる椅子の方へ移動する。

「……なんじゃ? どうかしたか?」

「ああ、いや……」

数瞬の間ではあったが、入り口から移動せず部屋の様子を見ていた俺を不思議がったか、ルーシーが疑問の声をあげた。

俺としてはなんというか、もっと煩雑とした部屋をイメージしていたんだが、学院長室には意外と物も少なく、程よく整理されているように見えた。

「もうちょっと散らかってると思ってたよ」

「お主、わしをなんだと思っとるんじゃ……」

「ははは、ごめんごめん」

素直に漏らした感想に、ルーシーが苦笑を返す。

だってある意味で仕方がないというか。そりゃ外面的に彼女は魔法師団の長で同時に魔術師学院の長でもあるわけだが、こと俺との付き合いに限って言えばそういう方面の印象があまり良くなかった。

正直に言うと、私生活が壊滅している生活能力皆無の女性としか思えなかったのである。まあ流石にこれを面と向かって言うのは失礼が過ぎるので、俺の頭の中のみに留めておくけれど。

「講義後にすまんの。紅茶でいいか?」

「ん、悪いね。それじゃ遠慮なく」

とりあえず近場の椅子に腰掛けた俺に、ルーシーが飲み物を勧めてくる。

なんだか、他人に対して人並みに気を遣っているルーシーというのは、俺の中では結構珍しい。

彼女はいっつも傍若無人に振舞っている印象がどうしても強い。いやまあ、聞く限りだと俺よりずっと年上だし立場もあるだろうから、礼節も弁えている、というのは想像すれば分かることではあるのだが。

「ほれ。味はまあそれなりじゃとは思うぞ」

「ありがとう」

淹れたての紅茶が俺の目の前に差し出される。

水とは違う、淡い色合いと仄かな甘い香り。俺には紅茶の違いなんてさっぱり分からないが、それでもこれが恐らく上物だろうなってことくらいは予想が付いた。

「……家にはハルウィが居るし、ここは仕事をする場所であって研究をする場所ではないからの」

「……別に何も言ってないんだけど」

「お主の疑問に答えただけじゃよ」

一瞬人の心も魔法で読めるのかよ、と思ってしまった。流石にそんなとんでも魔法はないと思いたい。もし仮に存在しているとしたら、ルーシーの性格上絶対に欲しがるはずだから。

いや、もしかしたらこの広い世の中にはそういう魔法も存在しているのかもしれないな。俺には想像も付かないけれど。

「……ん、美味しいねこれ」

「そりゃよかったわい。まあわしが淹れたんじゃ、当然かの」

「ははは、結構なお手前で」

出された紅茶を一口含むと、爽やかな香りと微かな甘みを感じる。のど越しもすっきりとしていて素晴らしい。過剰な甘ったるさはなく、俺みたいなおじさんにはありがたい風味であった。

俺が口をつけると同時にルーシーもカップを傾ける。その所作はやはり洗練されていて、本来ならば俺なんかとは交わらない立場の人なんだよなあと、どこか気の抜けた感慨にも耽ってしまうのである。

「どうじゃ、実際に見てみて」

少しばかり言葉足らずな質問ではあったが、それの意図するところは簡単だった。

「皆いい子だよ。なんだか地元の道場を思い出すね」

紅茶に舌鼓を打ちながら答える。

最初は魔術師学院で剣を教えるなんて違和感しか覚えなかったが、まあやってみると案外出来ちゃうものだ。正直ビデン村の道場で教えていたことと、内容はあまり変わらない。

手応えとしては悪くない感触である。魔法を教えているわけではないので、僅かながらの引っ掛かりがないわけでもないが。

「くくく。お主、子供に好かれそうじゃからのぅ」

「そういうルーシーはどうなのさ」

「どこでも人気者に決まっておろうが。はー、有名人は辛いのー」

「よく言うよ」

微塵も堪えてなさそうな顔色と声色で、ルーシーは零した。

性格やら口調やらは一旦置いといて、外面だけで言えば子供に好かれそうではある。なんてったって、見た目は完全に十歳くらいの子供だからなあ。

「それで、やってもらえそうかの」

「うん、まあ。俺が出来ることなら教えてあげようかなとは思ったよ」

「そりゃ何よりじゃな」

そして、このまま講師的な動きを続けられるかと言う問い。

ここに関しては、最初に授業を見させてもらった時に決めている。ずっと張り付いているわけにはいかないが、それでも彼ら五人と、フィッセルの成長をある程度のところまでは見届けておきたいなと素直に思った。

「期待しとるぞ。わしは向こうしばらくはこっちに居らんでな」

「あれ、どこか行くの?」

日がな研究の毎日と言っていたルーシーが、しばらく居ないというのはちょっと珍しい気がする。『こっち』の意味する広さがどこまでなのかは分からないが。

「ちょいと帝国に出張じゃよ。多分、一か月か二か月くらいで帰ってくるとは思うが」

「それはまた……大変だね」

帝国。このガレア大陸で帝国と言えば、レベリス王国の南西にあるサリューア・ザルク帝国のことか。

レベリス王国とは過去争っていた歴史もあるらしいが、今は比較的穏当な付き合いが出来ていると聞く。出張ということは、何かしら国家間の交流がある、ということだろうな。

「わし一応、それなりの有名人じゃからな?」

「分かっているつもりさ、一応ね」

「こやつめ」

それでも、普通はどんな肩書を持っていたとしても、王族でもない一個人が国家間を跨いで出張、というのは中々考えづらい。

あのアリューシアでさえ、王族が絡んだ国事以外でレベリス王国を離れることは滅多にないのである。

多分魔法絡みなんだろうなあとは思うが、他国の教育水準だとかまでは流石にまったく分からんからね。俺自身、レベリス王国から外に出ることはないだろうなと思っているから、あまり外に興味は向かない。そもそもビデン村から出ることさえ、ちょっと前まで考えられなかったことだし。

「そうそう。呼び出した件についてじゃが、ようやく纏まってな」

そんな雑談を挟みつつしばらく紅茶を味わった後、場が整ったと言わんばかりのタイミングで、ルーシーが一枚の書類を机上へ滑らせる。

「拝見するよ、っと」

差し出されたそれを手に取り、文字に目を走らせた。

こういう時は文字を読めてよかったなと思う。剣だけでなく、ちゃんとそういう教育も施してくれたおやじ殿のおかげだ。

俺はレベリス王国民の識字率なんて知ったこっちゃないが、それでもビデン村という片田舎でさえ最低限の教育を受けられたことには感謝したい。

ちなみにミュイのお勉強についても、進捗は割と順調である。

魔術師学院は魔法の才さえあれば、その出自を問わない。故に、貴族や商家の御子息からならず者一歩手前の者まで、幅広い人材がその門戸を叩く。

なので、そういった層の者たちへの教育も一定の基準と水準で行われているらしく。結果としてミュイは今のところ、文武両道の道を歩んでいるというわけだ。

まあ元々彼女はまったく文字が読めない書けないというわけではなかったからね。その点でも、この国の教育水準の高さというものが窺い知れる。

「どれどれ……」

さて、とはいえ今この場で重要なのはミュイの学習度合いではない。

書かれている内容にざっと目を通すが、なにも難しいことが書いているわけではなさそうだった。

俺を魔術師学院の臨時講師として雇い入れる旨がまず目に入り、しかして制限などが特に設定されているわけではなく。とりあえずこなした講義数に応じて一定の給金を支払いますよ、という感じの文面であった。

ちなみに期間は無期限。より正確に言えば、期限は定めないが都度相談、みたいな文言が付いている。

そこら辺の裁量はある程度俺本位で認められているらしく、パッと見ただけではかなり俺への配慮が窺える内容だ。

「えぇ……?」

「なんじゃ、なにか不満か?」

しかし。

ある意味こういう契約書を交わす上で最重要ともとれる、俺への支払い条件。その文面を読み込んだ時、思わず声が漏れてしまった。

「いや……高すぎない?」

そうなのである。

なんか書いてある金額が俺の予想より大分高いのである。金額のところは一度見て、見間違いかと二度見して、一旦目をこすってから三度見した。

「お主の技量に対する正当な報酬だと思うがの」

そんな俺の疑問を、ルーシーはこともなげに躱す。

うーん。技量に対する報酬、という点で言えば、俺は既にレベリオ騎士団……もっと言えばレベリス王国から十分な金額を頂いている。

確かに俺もタダで技術や経験をばら撒くわけにはいかないが、それにしたってこれはちょっと貰い過ぎじゃないかと思うのだ。想定していた数字と桁が一個違う。

「にしたって、これは貰い過ぎじゃないかと思うんだけど」

「ミュイもおるじゃろ。どうせ今後、金はかかる」

「そりゃそうだけどさあ……」

魔術師学院に通うのだってタダじゃないし、彼女が学院を卒業して自分で稼ぐようになるまでは、やっぱり金はかかる。それは分かる。

食費から何から二人分かかっているわけだから、当然ながら金はあるに越したことはない。しかしその前提として、俺自身が納得して金を得ているかどうかというのも割と大事だ。

「これでも苦労したんじゃぞ。魔術師学院には頭でっかちな奴も多いからの」

「別にその苦労はしなくてもよかったんじゃ……」

書類の雇い主は魔術師学院である。流石に、ルーシー個人が俺を雇うというのは色々と筋が通らない。だから学院の正印を用意したのだろうが、他の条件面はともかくとして、この金額については満場一致とはならなかったはずだ。

この書類だって、ルーシー一人が作ったわけじゃあるまい。草案は彼女かもしれないが、雇う側としてはその内容を知り、そして承認する必要がある。

「学院側で反対意見も出たんじゃないのかい?」

「まあそうさな。ファウステスの小僧が随分と反発しおったのー」

ファウステス。ファウステスというと、以前廊下ですれ違ったファウステス・ブラウン教頭のことだろうか。

あの人完全にお爺ちゃんなんだけど、そのブラウン教頭をすら小僧と呼び捨てる辺り、本当にルーシーの年齢は謎である。

「……前から気になってはいたんだけどさ」

「ん? なんじゃ?」

あまり女性に聞くには好ましくない話題かもしれない。しかしそれでも、彼女の言動にはそういう点で気になることが多すぎる気はした。

それに、こういう機会でもないと中々聞くこともないだろうしな。

「ルーシーって、いくつなの?」

「そりゃお主、乙女の秘密に決まっとろうが」

「えぇー……?」

それなりに意を決した質問のつもりだったんだけど、なんだかさらりと躱されてしまった。いやまあ、別に根掘り葉掘り聞くつもりもないけれども。

よくよく考えてみれば、俺は彼女のことを知らなさすぎるのである。知り合ってこの方、あれやこれやとお願いを聞いてきたにも関わらず、だ。

「くっくく。でもまあ、そうじゃな。お主の想像よりは多分、年上じゃよ」

「……分かった。それで納得しておくよ」

「そうしておけ。うら若き乙女にそんなもん聞くでないわ」

「自分で年上って言ってるじゃないか……」

俺の想像だと大体五十歳とか六十歳くらいをイメージしてたんだけど、もしかしてもっと年上だったりする? 百歳とか超えてる? そんな馬鹿なという思いと、ルーシーならあり得るかも、という奇妙な納得感が同時に去来する。

しかし今それを追求したとしても、彼女は口を割らないだろうなという予感があった。

アリューシアやフィッセルなら知っているのだろうか。少しでも謎を紐解くための質問だったのに、なんだか余計に謎が深まってしまったぞ。

「とりあえず話を戻すとじゃな、ファウステスには様子見しろと言っといた。すぐに結果が出る類のものでもなかろう」

「まあ、そうだね。そこら辺は魔法と同じだと思うよ」

脱線した話をルーシーが元に戻す。

仮に俺が優れた指導者だったとして。

そして教える相手が優れた才能を持っていたとして。

その二つの条件が揃っていたとしても、才能の開花には時間がかかる。俺の教え子で言うとアリューシアやスレナが異常なのであって、誰も彼もがすくすくと成長するわけではないのだ。

そもそも世の中がそんな単純に出来ているのならば、指南役なんて必要ないわけで。

「これでも学院側の意見を汲んで、当初の想定よりは削ったんじゃ。呑んでもらわんとわしが困る」

「えぇ……」

この金額で想定より削ったってどういうことだよ。こいつ俺にいくら掴ませようとしてたんだ。

しかしまあ、これはイブロイやらスフェン教やらが絡んでいた一件とは違い、何処に出しても恥ずかしくない正規のものでもある。

少なくとも、俺に責任がかかることはない。悪い言い方になるが、万が一があればそれは俺を推薦したルーシーのせいだし、それを承認したアリューシアのせいだ。無論、俺が悪事を働いていないという前提は付くが。

「ふーむ……」

魔術師学院での臨時講師が、いつまで続くのかは分からない。まあそれを言うとレベリオ騎士団での特別指南役だっていつまで続くのかは分からないんだが、それでもこっちはあくまで臨時だ。何年も居座るわけにはいかないし、そんなことをすると教える側の後進も育たない。

あの五人を教えるだけでなく、フィッセルに対しても教導側の教育をすると考えれば、妥当な金額かもしれない。なんだかよく分からなくなってきたぞ。

「あまりにも似つかわしくないと思えば下げる。そうはならんと思っとるがの」

「うん、まあそれは当然だと思うけど」

誰だって結果を出せないやつに不相応な金は出したくないだろうしね。

しかし、金を貰う側が金額を上げる交渉ではなく、下げる交渉をするってのもなんだかおかしな話だ。向こうがあげると言っているのだから、後ろめたいものがなければ貰っておくのが筋、なんだろうか。

「……分かった。呑もう。この金額に見合う努力はするよ」

「そうしてくれるとわしとしても助かる。ほれ、これを使え」

で、少しばかり悩んだ挙句。

俺はこの条件を呑むことにした。

そういえば、レベリオ騎士団の指南役は王様からの任命書、というか勅令に近いものだったからサインとか書かなかったんだよな。

地元の道場は当然実家であるから、堅苦しい雇用契約なんてなかったわけで。こうやって他所の書類に自分のサインを書く、というのは随分と新鮮だ。

「これでいいかい」

「うむ。確かに」

サインを認めた書類をルーシーに渡し、彼女がそれを検める。

これで俺は書類上、レベリオ騎士団と魔法師団の両方にお世話になることになった。ビデン村に篭っていた頃からは想像も出来なかった事態だ。

俺を田舎から引っ張り上げてきたアリューシアには礼を述べておくべきかどうか。悪い思いはしていないが、この歳になっていきなり担ぎ出されるのはやっぱり未だに慣れない。というか心臓に悪い。

「それじゃ、改めてよろしく頼むぞ。ベリル臨時講師殿」

「ははは……。まあ、出来る限りはするさ」

ルーシーがにやりと笑う。

まあ、引き受けたからには出来る限りやるつもりだ。勿論、レベリオ騎士団の指南役に支障が出ない範囲ではあるけれど。

とりあえず今日は、ミュイと一緒に何か旨いものでも食べに行こう。

なんとなく、そんな気分であった。