軽量なろうリーダー

夫の不貞を暴露したのは、彼の愛人の息子だった~テンプレ通り夫は捨て、息子を拾って育てることにします~

作者: ぽんた

本文

「あの、ローレンス侯爵夫人ですよね?」

領地の視察から帰ってきたわたしを待っていたのは、まだ年端もいかない少年だった。

その少年は、控えめにいってもボロボロだった。長髪は汚れてほつれ、シャツと半ズボンは真っ黒で破けたり綻んだりしている。むき出しの腕や足もまた真っ黒で、切り傷や擦り傷をいっぱいつくっている。どこかでぶつけたのだろう。痣もうかがえる。それから、火傷の痕も。そして、顔だ。可愛いであろう顔もまた、いろいろな要因で真っ黒になっている。

しかし、瞳に違和感を覚えた。魅入られるようなルビー色なのだ。その色は、わたしの黒色の瞳同様このアッシャー王国ではめずらしい色だ。

これまで、わたしと同色の瞳の色は会ったことはない。まぁ、わたしと同じ黒色の髪の人には会ったことはあるけれど。そして、ルビー色の瞳の人に会ったことは一度きりだ。ただ、それがどこのだれだったかは覚えていない。

「ええ。わたしがローレンス侯爵夫人です。あなたは? この辺りでは見かけないわね。どこからやって来たの?」

メイドのダーラ・ヘイゼルが言うには、この少年はエントランスではなく裏門から入ってわたしに会いたいと告げたらしい。

わたしとは幼馴染でずっと側にいてくれているダーラは、よく気がつくし機転もきく。この見知らぬ少年を追い返すことなく、厨房に招き入れて食事を与えてくれたのだ。その食事が終わる頃、わたしが帰宅したというわけだ。

「王都です」

少年はルビー色の瞳でわたしをしっかり見据え、はっきり答えた。

「なんですって? ひとりできたの? 親御さんは?」

このローレンス侯爵領は、辺境にあるわけではない。しかし、王都のすぐ近くでもない。馬車でたっぷり一日はかかるし、徒歩ならおとなでもゆうに三日はかかる。子どもの足なら四、五日はかかるだろう。

それ以前に、子どもやレディだけの道中は危険が伴う。

「ひとりです」

少年は、簡潔に言った。

「ひとりって……。わざわざわたしを訪ねに? というか、どうしてわたしを訪ねて?」

「ごめんなさい」

彼は、急に謝った。そのルビー色の瞳から、ポロポロと涙がこぼれ落ちた。

「あーあ、お嬢様が男の子を泣ーかした」

遠巻きに様子を見守っているダーラがつぶやいた。

「可哀そうに」

それから、メイドのクラリス・ハリントンもつぶやいた。

「ちょっ、どうしたの? わたし、なにかした?」

慌てたのはいうまでもない。

「す、すみません、侯爵夫人。ぼくは、侯爵夫人に憎まれるべき存在なのです」

「どういうこと? 初対面のあなたを、しかもまだ子どものあなたをいくらなんでも憎むわけは……」

慌てて言いつつも違和感が募った。厳密には、この少年とどこかで会ったような気がした。

「ぼくは、あなたの夫の不貞相手の子どもなのです」

「は?」

少年の言葉の意味が即座に理解出来なかった。

「わたしの夫の不貞相手の子ども?」

彼の言ったことを復唱し、理解しようと試みた。

「愛人の子、なのです」

少年は、わかりやすく言い直すとワンワン泣き出したのだった。

領地経営ほどやりがいのある仕事はない。もちろん、責任と負担による重圧は半端ない。

なにせ領民たちの生活としあわせがかかっているのだ。まずは、領民たちの日々の生活。それから、福祉や教育や平和。利益は、あくまでおまけにすぎない。

さいわい、ローレンス侯爵家の代々の当主たちは名領主で領民たちから絶大な信頼と支持を受けていた。かといって、わたしもそうとはかぎらない。それでも、「これだからレディは」とか「レディには限界がある」なんて言われないよう、日々努力と精進を続けている。

いまのところは、自分でも納得のいくだけの成果をだしている。

ただひとつのことをのぞいて。

この日は、領内にできたばかりの教会の視察に訪れた。この教会は、孤児院と学校も兼ねている。これもまたさいわいなことに、ローレンス侯爵領内ではいまのところ領民たちの生活は安定している。王都で福祉学と経済学を学んだことをいかし、子どもや老人、それから心や体の病を抱える人たちやその他もろもろの理由で生活が困難な人たちへの援助体制も整っている。その噂を聞いた他の領地の人たちが、助けを求めに来たり間引いた子を捨てに来たりするのだ。

病院は、すでに充実した医療を行っている。そのつぎに教会の体制を整えたわけだ。

教会には、王都から呼び寄せた司祭だけでなく教師や保育士や児童福祉関係者が忙しく働いている。できたばかりの孤児院には、すでに十名以上の孤児が生活をしている。

「こんにちは」

赤ん坊から十五歳の子どもたちがいる。いまは、時間の許す限りそこを訪れて様子をみることにしている。

「こんにちは」

子どもたちは、とにかく元気だ。笑顔が癒される。

この日もみんな、元気よく挨拶をしてくれた。

手土産の手作りクッキーを食べ、みんなで遊んだ。それから、病院の様子をみに行ってから帰宅した。

「お嬢様、ちいさなお客人ですよ」

出迎えてくれたダーラがニヤニヤ笑いながら言った。

「ちいさなお客人?」

「そうです。まさかお嬢様が、あんな子どもと不貞を働くだなんて……。いくら旦那様と離れて暮らしていらっしゃるからといって、不貞は妻としてというよりかは人としてどうよっていう感じです」

「ちょっと、どういうことよ? とにかく、そのちいさなお客人はどこにいるの?」

というわけで、厨房でその少年に会い、とんでもないことを告げられたのだった。

少年の名は、ブライアン・スティーヴンス。ダーラにお腹いっぱい食べさせてもらったというので、クラリスに頼んでお風呂にいれてもらった。

ちょうど孤児院に寄付する子ども用の衣服が届いていた。その中からブライアンが着れそうなものを選んだ。

お風呂に入ってあたらしいズボンとシャツを着用したブライアンは、天使みたいにきれいで可愛らしかった。

わたしだけでなく、わが家全員が彼の虜になったほどだ。執事のフィル・コバーンや雑用係兼馭者兼庭師のルーファス・コバンも、彼の愛くるしさにキュンときたようだ。

しかもルーファスは、ブライアンのことを知っていた。知っていたというより、覚えていた。ルーファスは、記憶力がすごすぎるのだ。

ブライアンとわたしは、初対面ではなかった。わたしは、三年前に王都の貧民街で彼に会っていたのだ。

ブライアンがモジモジしながら言いかけたところに、ルーファスがそんなことを言いだしたのだ。

「お嬢様、まさかお忘れですか? あのときも彼はボロボロの恰好でした。しかし、いまよりまだマシだった。だから、可愛さが際立っていたのです。貧民街の路上で腹をすかせて倒れていたところにおれたちが通りかかり、お嬢様はすぐに馬車で王都の屋敷に連れ帰ったのです」

ルーファスの説明に、やっとそのときの記憶がよみがえった。

「思い出したわ。あのときは、医者もお風呂も休養も拒まれたのよね。『お腹が空いているだけ』って言って、パンとスープを食べたっけ。それから、止めるのもきかずに屋敷を出て行ってしまった」

ワケアリなのは、すぐにわかった。本来ならしかるべき機関と連携し、保護の上調査をしなければならない。しかし、あのときはそれができなかった。

ブライアンのせっぱつまった様子が、しかるべき機関に連絡することを躊躇わせたのだ。

「ごめんなさい」

ブライアンに謝罪していた。

「あのときのわたしの判断は間違っていたわ。あのときにあなたを守るべき人がいれば、あなたは苦労をすることはなかったのよ」

すくなくとも、何年も食うや食わずやの生活を送らずにすんだだろう。

「あのとき、ぼくはまだ五歳でした。助けてくれた人がローレンス侯爵夫人だと知り、逃げだしてしまったのです。物心ついた頃から、ぼくはあなたの名を聞かされていたからです。ぼくの母と父が、あなたの名をよく言っていました」

居間の長椅子にきちんと座り、ブライアンは可愛い顔を伏せた。

「あなたの母と父というのは、わたしの夫の不貞相手と夫ということね?」

確認すると、ブライアンはコクリとうなずいた。

夫とは別居している。というか、夫が領地に住むことを嫌っているので王都ですごしている。

わたしたちは、いわゆる白い結婚。婚儀はあげておらず、承認を得ただけだ。夫は自分自身の事業で忙しいらしく、一度もこの屋敷にはきたことはない。そしてわたしもまた、領地経営が忙しくて結婚してからは一度たりとも王都に行ったことはない。

そもそも、夫はわたしの顔どころか名前を覚えていないかもしれない。ちなみに、わたしは彼の顔はうろ覚え。名前は、かろうじて覚えている程度。

ということは、不貞を働かれても仕方がないということになる。

「だけど、おかしくないですか?」

ダーラが言った。

クッキーの追加を持って来てくれたのだ。

「そうですよね。なんだか、あわない気がします」

クラリスが言った。

彼女は、お茶のおかわりを持って来てくれたのだ。

「その通りですな」

執事のフィルが言った。

ローテーブルの上に置かれたばかりのクッキーをつまみながら。

「まったくあわないですよ」

雑用係とその他もろもろの担当のルーファスが言った。

お茶のポットからマイカップにお茶を注ぎ、それを飲んでから。

「っていうかあなたたち、いったいなんなの?」

わたしは、使用人たちの教育を怠っているらしい。っていうか、なめられているようだ。

「だけどまぁ、たしかにそうね。ブライアン。あなたはいま八歳くらいかしら?」

「九歳です」

「夫と結婚したのは、五年前なの。ということは、不貞というよりかは結婚詐欺ということ?」

その可能性はある。

というか夫との縁談をもってきたのは、亡くなった両親の知人だ。なんでも、まだ両親が存命中に夫の実家である伯爵家に助けられ、そのときにわたしとの結婚を、というか婿養子に迎えたいと約束したらしい。その伯爵家には次男がいて、それが夫だったというわけだ。

胡散臭いと思った。その知人を名乗った人物がだ。というのも、両親の知人にしてはこれまで一度たりとも会ったことはなく、それどころか話を聞いたことさえなかったからだ。

とはいえ、両親を亡くしてわたしひとりでこの侯爵領を守らねばならなくなった。もちろん、わたしは生まれてから幼い頃はここですごし、学園を卒業してからは帰って来て両親の手伝いをしていた。わたしが継ぐので、両親もすべてを叩きこんでくれた。

が、レディだというだけでなめられたり差別されることはすくなくない。実際の経営はわたしがするとしても、やはり男性がいてくれた方がいい。その知人とやらの話は、あの当時のわたしにとって渡りに船だった。

たいして確認をせず、その話を受けたのだ。

「だから反対したのです」

「そうですよね。だったら、唯一の男友達と結婚すればよかったのです」

ダーラとクラリスのつぶやきは、つぶやきにしてはおおきすぎた。

「わかっているわよ。あのときは、仕方がなかったの。それよりも、ブライアン。あなたのお母様とわたしの夫は、あなたのことを心配しているんじゃないのかしら?」

尋ねてから後悔した。

ブライアンが悲し気に俯いたからだ。

彼の二の腕や足や体にある火傷の痕や痣は、虐待によるものだ。彼をひどいめにあわせ続けている連中が、彼のことを心配するわけはない。

どこかに行ってせいせいした、とでも思っているかもしれない。

それを考えると、怒りよりも悲しくなる。

「ごめんなさい。そうね。だったら、ここですごせばいいわ」

素直に謝罪し、そう提案してみた。

一瞬、孤児院にと思った。しかし、これも何かの縁。ぜひともわたしの側にいてもらいたい。

「いえ。大丈夫です。このことだけを伝えに来ました。王都に帰ります」

帰る場所などどこにもない。それなのに、彼はそう言った。

健気すぎて抱きしめたくなった。

「遠慮はいらないわ。あなたがいてくれたら、にぎやかになる」

「ほんとうに? ほんとうにいいのですか?」

彼がそう言ったタイミングで、開けっ放しのテラス側のガラス扉から誰かが入ってきた。

「やあ、みなさん。ひさしぶり」

そんな軽いノリで入ってきたのは、わたしの唯一の男友達だ。

学生時代の親友で、ある意味では幼馴染だといっていい。

「ちょっと、勝手に入ってこないでよ」

「いいじゃないか。きみとわたしの仲だろう?」

白いシャツにベスト。乗馬用のズボン姿。

金髪は短く刈り揃え、夏の空と同じ蒼色の瞳。筋肉質の体。なにより、野性的な美貌。

そんな彼の名は、モーガン・サマーフィールド。

彼には、顔を合わせればついつい嫌味や可愛げのないことを言ってしまう。しかし、じつは尊敬している。もちろん、本人にはそんなことは言えないけれど。

ちなみに、王都住まいの彼は社交界やその他もろもろの情報を手土産にしょっちゅうやって来る。

「おや? やけに年の離れた愛人だね?」

モーガンは、ブライアンに気がついたようだ。

「こんにちは。わたしは、カヨのボーイフレンドのひとりのモーガン・サマーフィールドだよ」

「ちょっと待って。いろいろツッコミたいわ。そもそも、ブライアンはわたしの愛人じゃない。それから、あなたはボーイフレンドじゃない。そして、わたしにボーイフレンドなんてひとりもいない。いるのは、敵よ。あるいは、わたしを侮るバカよ」

「カヨ。自分で言って悲しくならないか?」

「そうね。悲しいわ」

ツッコみ返され、素直に認めた。

「モーガン様、どうぞ」

モーガンと言い合いをしているうちに、ダーラが彼の分のお茶を持ってきてくれた。

「ありがとう」

そしてモーガンは、当たり前のようにわたしの横に座った。

「あの、サマーフィールド公爵家の方ですか?」

ブライアンがおずおずと尋ねた。

内心で驚いた。ブライアンの知識にたいしてだ。

「公爵家は、遠い親戚なんだ」

そしてモーガンは、笑って言った。

ほんとうは、サマーフィールド公爵家はモーガンの母方の実家だ。面倒くさいことを嫌うモーガンは、母方の姓を名乗るのだ。

「モーガン。彼の名は、ブライアン。わたしの夫の子どもよ。もちろん、わたしが産んだわけじゃないけど」

「あー、なるほどね。まぁ、ちょうどいいといえばちょうどよかったかな? 今日の手土産は、きみの夫の情報だから。というか、だから言っただろう? あんなやつ、やめておいた方がいいとね。あのうさん臭い縁談話がやってきたとき、きみにプロポーズしたのにきみはあいつを選んだ」

モーガンの話に、ブライアンの可愛い顔に驚きの表情が浮かんだ。

そう。わたしはモーガンにプロポーズをされたけれど、夫を選んだ。

なぜなら、モーガンとの結婚は難しかったからだ。

「モーガン、やめてちょうだい。いまさら、でしょう? それよりも、夫の情報はあとで聞くわ」

「ぼくなら大丈夫です」

モーガンの情報は、ブライアンにとってもわたしにとってもいい内容ではないだろう。だから、ブライアンには聞かせたくなかった。が、そのブライアンが大丈夫だという。それに、いずれわかるかもしれない。

モーガンが目顔で尋ねてきた。だから、うなずいた。

モーガンは、すぐに語りはじめた。

ブライアンは、ここですごせるということで安心したらしい。医師の診察を受けてくれた。

火傷の痕や痣は、やはり虐待だった。それから、栄養失調だということだ。

とりあえずは、すべてを忘れてここでゆっくりすればいい。心の傷は、そうなかなか消え去るものではない。しかし、全力でケアをすれば、緩和されることはあるかもしれない。

ブライアンのことはさることながら、さまざまな準備が必要で大忙しの毎日をすごした。

ブライアンとモーガンが来てから十日も経たないうちに、王都にあるローレンス侯爵家の管理を任せている管理者から連絡があった。

夫がレディを連れて屋敷にやって来、そのままそのレディとやりたい放題である、と。

そのレディが愛人で、ブライアンの母親であることは間違いない。

そこまでされると、もはや看過することはできない。わたしは、そこまで寛容ではない。というか、ローレンス侯爵家とその領地をあずかっている身としては、これ以上夫の身勝手を許してはならない。

急遽、王都に向うことにした。

管理者には「夫の好きなようにさせ、夫に従うよう」、急使を送った。

王都には、ブライアンも行くという。止めたが聞き入れそうにない。モーガンのアドバイスもあり、連れて行くことにした。

そのモーガンは、ひと足早く王都に戻って最終準備を整えてくれているだろう。

そして、馬車で王都へと向かった。

ダーラが付き合ってくれた。

道中は、意外にも楽しかった。ブライアンとダーラと三人で、さまざまな話で盛り上がったからだ。

そして、王都のローレンス侯爵家の屋敷に到着した。

「ふたりは、居間でずっと飲んだくれている」

出迎えてくれたのは、管理者だけではなかった。

モーガンと弁護士のヘンドリック・サマーズもいっしょだ。

サマーズ家は、代々弁護士の家系だ。サマーズ家とは、ほんとうに長い付き合いだ。

「お嬢様、ご指示の通り書類をお持ちしました」

「ヘンドリック、いつもありがとうございます。キャサリンとミラベルはおかわりなくて?」

キャサリンは、ヘンドリックの娘。ミラベルは、彼の美しい奥様のことだ。

「おかげさまで。ミラベルは、妊娠中です」

「まあ、それはおめでとうごさいます。愉しみですね」

「はい」

ヘンドリックは、いい夫であり最高の父親なのだ。

「鉱山の利権の件でもお手間をおかけしました。月末の感謝祭には、ご家族でこれそうかしら?」

「もちろん。妻も娘も愉しみにしております」

「待っているわね。ブライアンのことは、モーガンから聞いてくれているわね?」

「はい、お嬢様」

ヘンドリックとブライアンは、名乗り合って握手を交わした。

「では、いきましょうか」

三人で顔を見合せ、夫とその愛人が飲んだくれているという居間へと向かった。

「おまえたち、すぐにここから出て行くんだ」

居間に入るなり、モーガンとヘンドリックがふたりを追いだしにかかった。

何年かぶりに会う夫は、すっかり堕落していた。いや。もともと堕落していたのを、一度か二度会ったときには取り繕っていたのだろう。

そして、彼の愛人もまた堕落している人独特の様相だった。

もとは美しかったのだろう。が、いまは酒とその他もろもろの要因で見る影もないに違いない。

「あああああ? なんだ、おまえら?」

夫は、酔眼を向けた。

「元妻の屋敷は覚えているのに、元妻の顔はわからないのね。まぁ、いいわ。あなたとは離縁しました。いまあなたがやっていることは、不法侵入と不法滞在と窃盗罪よ」

「離縁だって? まさか。離縁される理由はない。というか、おまえがおれの妻だって?」

その言葉に、呆れよりもむしろどうでもよくなった。

ブライアンの教育上もよくない。

「もうやめてください」

そのブライアンが、わたしたちの前に飛び出して叫んだ。そのちいさな背中を見、胸が痛んだ。

「あら? クソガキじゃない。どこかで野垂れ死んだと思ったのに、生きてたんだ」

元夫の愛人。つまり、ブライアンの母親が嘲笑した。

「いいのよ、ブライアン。こんなクソみたいな連中になにを言ってもムダだから」

ブライアンを抱き寄せ、彼に笑ってみせた。

「結婚の際の契約書に基づき、ローレンス侯爵家の当主はあなたがたを訴えます」

「契約書だ?」

ヘンドリックは、手に握っている書類の束をふった。

「同意したと、あなたの署名があります」

「読むわけないだろう?」

「それは、あなたの勝手です」

そう。こういう事態を想定し、結婚時の契約書にはさまざまな要項を書き連ねていた。元夫は、そのほとんどを破ったのだ。

「おまえたちは、詐欺や恐慌や暴行。そして、児童虐待の件でも裁かれることになる」

モーガンが厳かに告げた。

元夫と愛人は、これまでわたしの仕送りだけでは足りずにさまざまな犯罪に手を染めていたらしい。今回彼らが屋敷に乗り込んできたのは、わたしがその仕送りを止めたからだ。手っ取り早く、屋敷に転がり込んだのだ。

「あああああ? なにをバカなことを……」

元夫の言葉は、最後まで続かなかった。

居間に数人の黒服の男たちが入ってきたからだ。

「連行しろ。二度と子どもに手をださせないようにするんだ」

「はっ!」

モーガンが命じると、黒服の男たちが元夫とその愛人を拘束した。

「い、いや、ちょっと待て。これは、どういうことだ?」

「わたしは関係ないわ」

ふたりは、ワケが分からないなりにも身の危険を感じている。必死に抗うも、黒服の男たちの膂力には勝てない。さっさと連行されてしまった。

所要時間は、たったの十分だった。

元夫と会うのは、これが最後になるだろう。

「お嬢様。ブライアンとの養子縁組の手続きは、滞りなくすみました」

「ほんとうに? あなた、かなり難しいっていってなかったかしら?」

「それは、そうなのですが……」

ヘンドリックは、上目遣いでモーガンを見た。

「わたしが許可を出すよう命じた。わたしが父親になると言ったら、すぐに許可してくれたよ」

「なんですって? それって、恐喝じゃない? っていうか、どうしてそうなるのよ。あなた、任務や公務はどうするの?」

「とりあえず、情報局の仕事は控える。公務といっても、できのいい兄たちが全部やっている。というわけで、わたしはいてもいなくても同じ。きみの婿養子になれるわけだ。それから、ブライアンの父親にもね」

「呆れた……」

呆れてしまった。しかし、彼は今回だけでなくいままでずっとわたしを支えてくれた。これはもう観念するしかない。

あのときわたしが彼のプロポーズを断ったのは、彼がこのアッシャー王国の第三王子だからだ。ふたりの兄王子たちは有能で人望もあるけれど、いつ何時何があるかわからない。モーガンが国王に、あるいは大公になるかもしれない。だからこそ、断ったのだ。

「ブライアン。わたしたちと家族にならない?」

観念し、ブライアンにそう提案した。

「そ、そんな。いいのですか?」

ブライアンは、遠慮はしたけどうれしそうだ。

いまのように、これからは子どもらしい感情を持つべきだ。

「もちろん。だったら、秘密を教えてあげる。モーガンは、これでも元王子様だったの。だけど、これからは怖い妻の尻に敷かれる情けない婿養子になるの」

「おいおい」

ブライアンとヘンドリックが笑った。

「まっ、きみの言う通りになるだろうね。とにかく、三人でしあわせになろう」

モーガンはブライアンとわたしを抱きしめ、わたしに口づけした。

ブライアンは、元夫の子どもではないという。どこの男性との子どもなのかは、いまとなってはどうでもいいこと。

すべて過去のこと。これから、しあわせになればいいのだから。

(了)