軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

5・猫との遭遇

応接室でライゼー子爵を出迎えたのは、まごうことなき猫だった。

ソファから降りて直立し、胸元に手を添えて優雅に一礼しつつ、

「お初にお目にかかります、子爵様。私はネゴロ・カイト……いえ、先程、クラリスお嬢様から“ルーク”という名を賜りました、一介の野良猫でございます。突然の来訪にもかかわらず、こうして面会のお時間をいただけましたこと、光栄至極に存じます」

と、淀みなく言ってのけたが、見た目はまさに猫以外の何物でもない。

本人も「自分は猫」だと言っている。

つまり猫である。

猫……猫って、こんなだったか……?

子爵は呆気にとられて立ち尽くした。

一方、娘のクラリスはドヤ顔である。“私が見つけた”“コレは私の”と、表情だけで雄弁に主張している。

「…………まぁ、座りたまえ」

ライゼーは対面のソファに腰掛け、猫に着席を勧めた。

「は。失礼いたします」

猫は前足をかけてソファによじ登ろうとしたが、クラリスが即座にこれを抱えあげ、自らの膝上に乗せた。

我が物顔である。

改めて向き合うと、なかなか毛並みは良い。

猫の顔の良し悪しなどはよくわからぬが、凛々しいというよりは愛嬌のある顔立ちで、決して不細工ではないが美猫というわけでもない。手足はやや短めで、全体にふくよかである。

――つまるところ、そこらによくいる普通の猫である。

決定的に違うのは、その眼に宿った知性の輝き――とでも言いたいところだが、猫という生き物はそもそもが賢そうに見えるため、この点もあまり代わり映えしない。むしろ野性味がない分、かえって間が抜け……いや、これは来客相手に適切な感想ではなかった。

ライゼーは貴族である。しかし養子に出されていた商家での生活が長かったため、思考の基礎や価値観は、貴族よりも商人に近い。

即ち、相手の真価を見極める際に、その身分や地位よりも自身の勘と眼力を重んじる。

そのライゼーの眼力をもって、眼の前の猫を見定めると――

(………………猫だな)

猫である。

判断などできようはずもない。

内心で頭を抱えながら、彼は引き続きこの不可思議な会談に臨んだ。

「……で、ええと……なんと呼べばいいのかな。ネゴロカ殿? あるいはルークと?」

「ぜひルークとお呼びください。私の本名は、こちらの国では響きが奇妙に聞こえるようです」

「……では、ルーク。貴殿は何者かね?」

驚きはした。しかし、ライゼーは眼の前の現象を、“有り得ないこと”とは思っていない。

可能性は複数ある。

たとえば、田舎の子爵領でお目にかかる機会はまずないが、王都では最近、“魔導人形”なる技術の研究が進められていた。

社交界の席でライゼーも試作品を見かけたが、これは木製、あるいは金属製の人形を魔力によって操作するもので――

ライゼーは、まじまじと猫を見る。

まばたき。眼球の動き。口元。何より、四肢の動きのなめらかさ――

(……違うな。さすがに、このクオリティはまだ無理だ……)

人形に猫の剥製でも着せれば、かろうじて毛並みだけは再現できるかもしれないが、動きの繊細さは比ぶべくもない。何より、すぐ傍に操作する魔導師が必要となる。

娘も使用人も、もちろん自分も、そんな技術は持ち合わせていない。

猫は困ったように目元を歪めた。

「はい。私は……実は、この世界の者ではありません。別の世界で平和に暮らしていたのですが、向こうでちょっとした事故に巻き込まれ……世界の垣根を越えて、こちらの世界へ飛ばされてしまったようなのです。気づいた時にはあちらの山の中におりました。それから、通りすがりの精霊さんに導かれ、どうにか山を抜け、数日がかりでこの地まで辿り着いた次第です」

胡散臭さが加速した。

――が、話の筋は一応通っている。

「なるほど、世界の境界を越えた者か……つまり貴殿は、サクリシア建国の王シュトレインや、カーゼル王国における救国の軍師・キリシマと同じような境遇であると……そう言いたいのかね?」

「誰ですかそれ!? てか、いるの!? え? 何、俺以外にもけっこうこっちに来てる感じ!?」

猫が眼を大きく見開いた。口調が急に砕けたのは、驚きすぎて素が出たらしい。

すぐに気づいて、彼はぐしぐしと頬のあたりを毛繕いし、居住まいを正す。

「し、失礼しました……あの、そういう話は初耳だったもので、ちょっと驚きまして……ええと、シュトレインという方はわかりませんが、たぶんそのキリシマという人は、名前の響きからして、自分と同郷かもしれません。会えますか?」

ライゼーは苦笑いを浮かべる。どうやらこの猫は、本当にこの世界の歴史などを知らないらしい。

「とうの昔に亡くなっているよ。どちらも伝説の中で、“異なる世界から訪れた者”と書き残されているだけで、それが事実かどうかは疑わしい。もちろんよくある話でもないし、少なくとも私は、“他の世界から来た”などと語る猫に会うのはこれが初めてだ」

猫がしゅんと背中を丸めてしまった。

その落ち込みようは演技には見えず、会ったばかりではあるが、何やら気の毒になってしまう。

愛娘のクラリスも、猫の背を撫でさすりながら、ぎゅっと抱え直した。

「……では、あの……その伝説の中のお二人も、やっぱり猫だったんでしょうか?」

ライゼーは首を傾げる。

「いや、特にそういう話は残っていない。猫の姿の英雄といえば……西方の国々にそんな伝承があったような気もするが……私はあまり詳しくない。いずれにしても、これはもうおとぎ話のようなものだな」

「そうですか……」

猫はしばらく思案した後に、ゆっくりと頭を下げた。

「ライゼー様。ご覧の通り、今の私はただの野良猫です。行くあても住む場所もなく、途方に暮れております。唐突に現れた上での図々しい願いとは百も承知ですが、農作業……は、まともにできるかどうか怪しいので、畑の番としてでも、こちらに置いていただけないでしょうか」

猫が勤労意欲を持ち合わせていたことに驚愕しつつ、ライゼーは愛娘クラリスの顔色をうかがった。

飼う気である。

飼う気満々である。

これはもう説得してどうこうなる顔つきではない。拒否すれば数ヶ月……半年……あるいはもっと長い期間、口を利いてもらえなくなる。

娘の怒りは怖い。割と素で怖い。

クラリスは決してわがまま放題というわけではなく、基本的には頭脳明晰で聞き分けも良いのだが、一線を引いた後は退かない頑固さも持ち合わせている。

今までは「猫を飼うことの問題点」を説いて飼育を諦めさせてきたが、その問題点を概ねクリアしてしまう猫(?)が現れてしまった。

また、ただの猫でないとなれば、よその商人へ気軽に預けるのも難しい。

なにより――既にライゼー自身が、この“猫”に興味を引かれてしまっている。

粗相の心配は……おそらくない。

花瓶を割る心配も……まぁ、ほとんど考えなくてよかろう。

犬に襲われる危険性はわからないが、そこはまあ、室内飼いに徹することで安全策をとれる。

ただし室内飼いが前提ならば、畑の番などはもちろんさせられない。

「畑の番は必要ない。が、ここで暮らしたいのなら、何か問題が起きない限りは滞在を許可するし、食事も提供しよう。生活をする上で、何か特に必要なものはあるかね?」

猫がまばたきを繰り返した。

「……え? そんなあっさり……あ、あの! だ、大丈夫ですか? 喋る猫ですよ? 怪しくないですか!?」

自覚はあったらしい。

ライゼーは大きく頷く。

「もちろん怪しい。すごく怪しい。だからこそ私の領内で野放しにはできんし、うちからよその領地へ行かれて、そこで騒動を起こされても困る。“どうして野放しにした”と、こっちの責任問題にされかねない。幸い、うちは田舎の小さな子爵領で、よそに知られて困るような秘密もなければ、探られて痛い腹もない。外からの来客もほとんどないから、隠れて暮らすにはうってつけだろう。その上で、君の人となり……猫となり? を、じっくり判断させてもらいたい」

理路整然と告げると、猫はさらにまばたきを重ねた。

彼はどうやら、“今ここで信頼を得なければ、身の安泰はない”とでも考えていたらしい。

ライゼーはもう少し打算的な大人である。

信頼などというものは、少しずつ、時間をかけて培っていくものだと弁えている。

今の時点でこの猫を信じる気など毛頭ないし、またその必要もない。そもそも信じる者としか交誼を結べないような輩は、貴族としてやっていけない。

貴族たる者、利用できるものは利用し、信義の有無にかかわらず損得を計算し、時には騙されたふりをしてでも上手く立ち回らねばならない。

その点、この猫に関しては、ライゼー側は特に嘘をついたり気を遣う必要がなく、猫側の嘘や秘密を許容するだけで良い。付き合いとしては気楽なものだった。

「君が他の世界から来た無知な猫だというなら、まずはここで、一般的な知識や常識を身につけなさい。身の振り方を考えるのはそれからでいい。ついでに私にも、多少は打算がある。君がもし本当に別の世界から来たのなら、その知識や情報には興味があるし、もしそれが嘘だったとしても、家に猫が一匹増える程度ならさしたる支障もない」

ついでに、娘の機嫌を損ねるのが一番怖い……が、これはわざわざ言う必要もない。

猫はぶるりとその身を震わせた。毛が一瞬だけ逆立ち、すぐに元へ戻る。

「……ありがとうございます。あの……本当に、ありがとうございます。正直に申し上げて……こんなに怪しい猫に、そんなあたたかいお言葉をいただけるとは、想像もしていなかったもので……その、なんと御礼を申し上げたらいいか……」

ライゼーの反応は、彼の事前の予測と大きく食い違っていたらしい。もちろん、良い方向に。

ライゼーは鷹揚に笑う。これは半分以上、“貴族”としての演技である。

「いずれ恩返しをしてもらえるのなら期待しておこう。ところで、クラリスは彼を庭先で拾ったそうだが……最初からうちの敷地にいたのか?」

「ルークったら、レッドバルーンの実を食べていたの。よっぽどおなかが空いていたみたい」

ライゼーはつい、眉をひそめた。

敷地の外れに植えてある“レッドバルーン”の実は、とてもではないが食用にできるものではない。実は大きく見えるが、薄い外皮はカラカラに乾いており、その中身はほぼ空洞で、中心部に親指大の種子がある。

基本的には潰して煮詰めて染料にするための植物で、ライゼーは食べようと思ったことさえないが、聞いた話では苦味とえぐみが酷く、人が死ぬほどではないが毒性もあるらしい。

国境を隔てた遠方には、食用にできる“イエローバルーン”という近縁の品種もあるらしいが、ライゼーの領地では栽培していないし見たこともない。

「……あれを……食べたのか……?」

「も、申し訳ありません! あまりにおいしかったので、つい、二つも……!」

「二つ!?」

一つ食べようとして、まずくてすぐに捨てた、というなら話はわかる。

(異世界の猫は……もしや味覚がまったく違うのか?)

これが事実とすれば、俄然、異世界説に信憑性が出てきた。

猫はライゼーの反応を別の意味に受け取ったのか、青ざめ……ているかどうかは毛並みのせいでよくわからないが、とりあえず眼に緊張の色を浮かべ、身を縮こまらせている。

「な、なんとお詫びしたら良いやら……そんなに高価なお野菜とは露知らず!」

「い、いや、高くはない! あれは染料として使うものであって、そもそも食用では……」

「染料!? あんなに美味しいトマト様を!?」

今度は猫が驚愕に眼を見開いた。

どうにも話がかみ合わないが、この猫にとっては好物であったらしい。トマト様という単語に聞き覚えはないが、おそらく彼の世界ではそう呼ばれていたのだろう。

「レッドバルーンの実を、君の世界ではトマト様と呼んでいるのか? いずれにしても……あれを“美味しい”と表現するのは、我々にしてみるといささか不可思議だ。外側はがさがさだろうし、中の小さな実も食用には適さない上、この季節ではまだ熟していなかったのではないか?」

「ええ……? いえ、完熟だったと思いますが……外側も瑞々しく艷やかで、それこそ弾けそうな張りがあって、程よい酸味の中に爽やかな甘みもあって……空腹を差し引いても、それはもう絶品でした」

ライゼーと猫は、しばし顔を見合わせた。

――これはどうやら、互いに違う植物の話をしている。

だが、猫が言うような野菜にも心当たりはない。瑞々しく艷やかで、弾けそうな張り……となると、思い当たる「果実」はいくつかあるが、今の季節、このリーデルハイン邸の敷地内にそれらの植物はない。

「本当にうちの庭での話かね……? クラリス、彼はどこにいたんだ?」

「だから、レッドバルーンの畑だってば。私は茎の反対側にいたけど、赤いものを食べているのは見えたから」

「ふむ……一応、確認しておこうか。今夜の彼の夕食をどうするか、という問題もある」

人と同じものを食べられるのか、あるいは猫用の食事が必要なのか、はたまた食用にならぬはずのレッドバルーンでも良いのか――そもそも、彼が敷地内の畑から取った実はなんなのか。

全てをはっきりさせるには、件の畑まで出向くのが手っ取り早い。あるいは庭を任せている老爺が、新しい作物を試験的に植えていた可能性もないわけではない。

クラリスが猫を抱えて立ち上がるのにあわせて、ライゼーも腰をあげた。

そして二人と一匹は、敷地の外れにぽつんと設けた「レッドバルーン畑」へと足を向けたのだった。