軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

289・にゃんにゃん舞踏会占拠事件

カルテラ・アーマーン侯爵が開催する夜会には、俺以外にも結構な数の猫さんが来ていた。

なにせ農業閥だしな⋯⋯ネズミを狩る猫さんは農業の守り神でもあり、親和性が高いのだろう。

前世では稲荷神社が五穀豊穣を司っていたが、思えばお狐様もネズミ狩りの名手であった。何か関係があるかもしれぬ。ないかもしれぬ。猫にはわからぬ。

ただ、飼い猫の皆さん達がみんな「農耕の守り神!」的な扱いをされているわけではなく、まぁ単純にお貴族様のペット扱いである。先日のラライナ様のお茶会に来ていた子もいる。

(あ、パパ)

パパではないです。

⋯⋯いや、「父なる神」とか「神父」的な意味合いも混ざってそうだが、どっちにしてもそんな大層なものではない。あと猫さんはその生態上、父親が不明なことが多いが、しかし少なくとも俺ではない。そもそも彼女のほうが俺より年上である。えっ⋯⋯つまりママ⋯⋯?(※違う)

ウェルテル様の抱っこで運んでいただきながら、俺はライゼー様を見守る。

お招きいただきありがとうございます、お会いできて光栄です、やあやあおひさしぶり⋯⋯的な、当たり障りのない会話がそこかしこから聞こえる。

ライゼー様とウェルテル様もその波に飲み込まれているが、俺は猫なのでぼうっとしていれば良い。

たまに「かわいい猫ちゃんですわね!」と褒められたら、「にゃーん」と愛想良く媚びを売り、「見事な毛並みですな」と撫でられたら「うにゃー」と甘え、「顔立ちが実に穏やかだ」と感心されたら「いえいえそんな」と謙遜すれば良い。いや最後のはダメである。猫仕草、猫仕草⋯⋯

⋯⋯それにしても、気のせいかもしれぬが⋯⋯俺が知っている夜会(去年のヤツ)とは、客層がだいぶ違う気がする。

アルドノール侯爵邸での夜会は「軍閥のお貴族様」がメインで、そこに他派閥からの参加者がちょこちょこ混ざっている感じだった。

軍人だけあって武芸の心得がある人も多く、精悍だったりシュッとした感じの人が目立ったように記憶している。

一方、こちらの夜会では⋯⋯なんか、こう、体型に親近感があるというか⋯⋯

有り体に言って、腹囲がですね⋯⋯だいぶ、ふくよかな方が多そうな⋯⋯?

「ははは! こちらの猫殿、手足が短めで腹が丸くて、まるで私そっくりではないか! 人だと小憎らしいばかりでしょうが、猫だとかわいいものですなぁ!」

田舎のおっちゃんみたいな気安い某伯爵様が、俺の喉を撫でながらそう笑いかけてきた。

⋯⋯落ち着け。ひっかくな。こらえるのだ⋯⋯!

いや、別にキレてはいない。お約束の反応というやつである。俺の手足は確かに短めだし、この伯爵様もまあ、なんちゅーか⋯⋯実際、シルエットが俺に似ているので、正直に言って反応に困る⋯⋯(困惑)

ネルク王国は美男美女の国というイメージではあるが、「顔が良ければ太らない!」というものでもないので、こういう人も普通にいる。

あと、例の南方貴族、「フリッツ・ブランフォード」氏のお姿は見当たらぬ。

道中の馬車で聞いたところでは、

・ブランフォード伯爵家の当主は毎年『秋』の社交シーズンにやってくるので、春の活動は控えめ。

・フリッツ卿はあくまで「先代」の当主であり、しかもブランフォード家自体の家格、影響力が低いため、参加できる夜会が限定的。

・そもそもカルテラ・アーマーン侯爵邸の夜会は「酒目当て」の大酒飲みが多く、フリッツ卿のお年では呼ばれても厳しいのではないか⋯⋯

とのことであった。

ライゼー様もあまり大酒するタイプではないため、あまり気が進まなかったようだが⋯⋯トマト様を広める上で農業閥への根回し、顔つなぎは大切と判断し、参加を決めてくださった。

⋯⋯えっ。つまり俺のため⋯⋯!?

もちろん「領主として、リーデルハイン領のため」の行動でもあるが、トマト様の下僕として、また飼い猫としても感謝の念に堪えぬ。

精一杯のフォローをして差し上げたいので、猫はある奸計を試みた。

どこぞの貴族がグラスを持ってやってきた。

「ライゼー子爵、ささ、どうぞどうぞ。こいつは我が領で生産しているウィスキーでしてな。ぜひご賞味ください」

「これは恐れ入ります。おお、なんと芳醇な香り⋯⋯! これはすばらしい出来栄えですね」

⋯⋯などとライゼー様が喜ぶふりをしている間に、グラスの中のウィスキーをこっそり麦茶に変換。

これで「強いお酒で酔っ払ってぐったり⋯⋯」という事態を回避できる!

同様に、ワインはぶどうジュース、蒸留酒は水にすることで対応できる。リンゴ酒というのもあるが、これは産地によって色合いにけっこう違いがあるので、適宜判断したい。というか女性に人気の酒っぽいので、ライゼー様に勧めてくる人はあんまりいなさそう。

「おお、良い飲みっぷりですな! いや、ライゼー子爵がこれほどいける口だとは意外だった」

「いえいえ、決してそのような⋯⋯こちらのウィスキーが、たいへん美味なればこそですよ」

⋯⋯さらにグラスを傾けるのにあわせて量も減らす。

水分もとりすぎるとツラいし、いっそストレージキャットさんの亜空間で回収しても良い。その頃には周囲も酔っ払いばかりになって、多少の違和感などどーでもよくなっていることだろう。ライゼー様の胃を労ることが、今宵のペットの役目の一つなのだ!

水面下ではそんな仕事をしつつ⋯⋯

「にゃーん」

「まぁ、本当にかわいらしい⋯⋯ウェルテル様、この子はなんという種ですの? 普通の猫さんとは顔つきも体つきも違いますわね?」

どこぞの御令嬢(美人)が、我が毛並みに夢中である。よきにはからえ。

飼い猫を褒められたウェルテル様も、愛想良く対応する。

「領地の庭に来た子を拾ったもので⋯⋯ただの雑種、あるいはドラウダ山地の固有種かもしれません。山に住む猫は『山猫』といって、普通の猫とは少し違うとも聞いたことがありますわ」

まぁ、山猫にもいろいろいるしな⋯⋯リビアヤマネコとかツシマヤマネコとかマヌルネコとかベンガルヤマネコとかイリオモテとか⋯⋯俺の場合は「ドラウダヤマネコ」ということになるのだろうか?

猫が無心で「にゃーんにゃーん」と甘えていると、脳内に同族の声が聞こえた。

(あ、師匠。ちっすちっす)

知り合いである。

視線を向けると、そこには寡妃ラライナ様と⋯⋯彼女によって大事そうに抱えられた、一匹の猫さんが!

毛並みは主に白。首の周囲だけがマフラーを巻いたように黒い。

彼女の名はマフさん。

ハズキさんがラライナ様と引き合せ、その猫嫌いの矯正のために活躍してくれた猛者である!

⋯⋯かつてのラライナ様の猫力はたったの「5」だった。あの状態から猫好きに解脱させるとかマジパネェ⋯⋯同じ猫として尊敬してしまう⋯⋯

(師匠がお元気そーでなによりです。ロレンス様とクラリス様はご一緒です?)

そんな彼女は、何故か俺を「師匠」扱いしていた。

(いえ、今日は来てないです。こちら、クラリス様のパパとママです)

(ほほう。がんばって媚びを売ります!)

(⋯⋯あ、それはほどほどで⋯⋯飼い主の前で他の人にあんまり懐きすぎると、飼い主を嫉妬させちゃいますので⋯⋯適度なラインでお願いします)

(そんなテクニックが⋯⋯勉強になります!)

⋯⋯砂が水を吸うように⋯⋯とはこのことであろう。

彼女は離宮の納屋に隠れ住んでいたところをロレンス様に発見され、我々とも縁を結んだ元野良さんである。

ロレンス様が称号『精霊の隣人』やら『亜神の加護』やらを持っていたため、特に警戒することなく懐いてしまい、俺との意思疎通によっていろいろな学びを得たようだ。

内容は、まぁ⋯⋯要するに「チョロい人類の操り方」的な⋯⋯

い、いや! 世間話程度である! 「こういう風に接すると猫好きの人類は喜びますよー」的な!

一応、「野生の警戒心も忘れないように」とも助言したが、彼女は気質的にこう、魔性というか⋯⋯ぶっちゃけ、「人類に甘えるの大好き!」というタイプの猫さんであり、それはもう貪欲に人の落とし方⋯⋯人への懐き方を吸収していった。

ゆえにマフさんは俺のことを「師匠」などと呼んでくれるのだが⋯⋯

俺としてはもう出藍の誉れというか、ラライナ様を陥落させた彼女のほうを、むしろ師として崇めたいというか⋯⋯

そんなマフさんと俺の再会をよそに、ラライナ様とウェルテル様、ライゼー様は和気藹々と話しはじめる。

「まぁ、こちらの子がラライナ様の飼い猫の⋯⋯なんて愛らしい。まるで襟巻きのような毛並みが、とてもチャーミングですわ」

「ふふっ、ありがとうございます、ウェルテル様。そちらのルークさんとも、なんだか目で会話をしているみたいですわ。いつもよりご機嫌です」

⋯⋯よもや実際に会話をしているとは思うまい。『獣の王』の効果なので、目線はあまり関係ない。

マフさんは、飼い主を嫉妬させない程度に⋯⋯それでいて飼い主の 猫顕示欲(うちのこかわいいでしょ) を満足させる絶妙なラインでライゼー様とウェルテル様に甘え、周囲からの視線を的確に集めている。マフさん⋯⋯おそろしい子ッ⋯⋯!

ついでに俺の毛繕いまでやってくれているが、こちらからのお返しの毛繕いはちょっと難度が高いので⋯⋯ご容赦願いたい。

(師匠の毛から、マタタビの良い匂いがしますね!)

いや、毛繕いじゃなかった! 普通に舐められてた!

さっきまでダンケルガ様にモフられてたから、そのせいである⋯⋯

まだ夜会は序盤も序盤、挨拶まわりの段階なので、ラライナ様とマフさんも「それではまた後ほど」と移動し、我々も移動。

「おぉ、ライゼー子爵! ⋯⋯と⋯⋯えっ」

次に現れたのはピルクード・ペルーラ公爵! セルニア様のパパである。先日、心筋梗塞からお救いした時に、彼には俺の姿を見られてしまった。

その時は「猫の精霊の仲間!」みたいな自己紹介をして誤魔化したのだが、セルニア様に『亜神の加護』がついてしまい、そのセルニア様に俺が農業指導をしているところも聞かれてしまい⋯⋯なんだかんだでいろいろバレたらしい。

公爵様へのそのあたりの事情説明は、アイシャさんやライゼー様、ベルガリウスさんが担当(※フォロー)してくれたので、俺は具体的な内容を把握していないのだが⋯⋯たぶん「そちらの娘さんとうちの猫が仲良くさせていただいてまして!」みたいな、ほのぼのとしたエピソード扱いだったのだろう。そういうことにしておけ。な?(圧)

その俺がウェルテル様に抱っこされ、こんな公的な場で「にゃーん」としているものだから、びっくりされてしまうのはわかる。

しかし賢い御方なので、すぐに察して取り繕ってくれる!

なお、会話は囁くような小声。

「⋯⋯ね、猫様もお連れなのか⋯⋯ええと⋯⋯この後、何か起きるのかね⋯⋯?」

「い、いえ、特にそういうわけでは⋯⋯」

⋯⋯もしやルークさんのことを、不穏なフラグか何かと勘違いしていらっしゃる?

セルニア様のパパ君は元々、『ネルク王国が魔族の属国にされるのでは⋯⋯!』みたいな勘違いをしていたぐらいなので、けっこうな心配性である。かわいい猫さんが不穏なフラグなど立てるはずがないというのに!

⋯⋯⋯⋯⋯⋯ところで話は変わるが、前世には「エドガー・アラン・ポー」の「黒猫」という有名な小説があった。

詳しいあらすじは割愛するが、「飼っていた黒猫を虐待した酒乱の男が、それと似た猫様によって精神的に(勝手に)追い詰められる」という、因果応報というかやや神経症気味なお話である。

猫力が低かったといえばそれまでなのだが、虐待に関してはアルコール依存症の影響と思しき描写もあり⋯⋯彼は決して「猫嫌い」だったわけではなく(かといって猫好きとも言い難い)、虐待してしまった罪悪感とか良心の呵責によって追いこまれていった。

何が言いたいかというと⋯⋯「酒は呑んでも呑まれるな」という話である。

§

開会から少し時間が経ち、宴もたけなわとなった頃。

ルークのおかげであまり酔っていないライゼーは、ひたすら困惑していた。

一応は「舞踏会」でもあるため、広間の中央は空いているし、楽隊の演奏も続いている。しかし、「まともに踊れている」貴族はいない。

(噂には聞いていたが、ここまでとは⋯⋯)

まず、ほとんどの者が千鳥足である。

阿鼻叫喚とまでは言わぬが、顔を真っ赤にした男どもが机を叩きながら大声を張り合い、淑女達はまるでピクニックのように敷物の上へ座り込んで笑い酒に興じ、少数の正気を保った者達はひっそりと会場の隅で語り合っている。床の上で寝込んでしまった酔っ払いも一人や二人ではない。

あまり見ないレベルの無礼講であり、軍閥を含むその他の夜会とは方向性が違いすぎた。

農業閥における「アーマーン侯爵邸の夜会」は、年に二度(春秋)、好き勝手に騒げる息抜きの場となっているのだろう。

さすがに酒と料理の質は高いが、飲み方は商人時代に出入りしていた酒場のほうがまだ上品と思えるレベルで、ライゼーは悪い意味で圧倒されていた。

胸元の大きく開いたドレスを着た淑女が、千鳥足のままライゼーに倒れ込む。

受け止めざるを得ない位置取りだったために慌てて支えたが、酒の匂いがきつい。

「あら、失礼を⋯⋯まぁ、ライゼー様。ありがとうございます。私、◯◯◯子爵家の◯◯◯と申します」

喧騒のせいで、肝心な部分を全然聞き取れない。

とはいえ酔っ払いの自己紹介などどうでも良かったので、「足元にお気をつけて」とだけ伝えて、ちゃんと立たせた後は自ら距離を取る。

女は礼を言いながら、また近づいてこようとしたが、ここでウェルテルに抱えられたルークが珍しく威嚇を見せた。

「ふしゃー」

残念ながら声にも顔にも迫力はない。余人が見ればあくびとしか思わぬであろう。しかし飼い主であるライゼーは、これがルークなりの精一杯の「威嚇」だと理解している。

そしてこの場での威嚇とはつまり、「ライゼー様! そいつ敵です!」の意である。

暗殺的な意味での敵ならばルークも威嚇どころではないはずなので、まぁ要するに⋯⋯「色仕掛け」だろう。

誰かが愛人でも送り込もうとしているのだろうが、そんなものに 素面(しらふ) で引っかかるわけがないし、隣にはウェルテルもいる。

「ウェルテル、こちらのご婦人は気分が悪いようだ。そのあたりで休ませてくれ。私は水を貰ってこよう」

「あらあら、それは大変。ルーク、おとなしくしててね?」

「にゃーん」

相変わらず、ちゃんと返事をしてしまうあたりが実にルークらしい。

水を取りに行こうとすると、主催者のカルテラ・アーマーン侯爵に呼び止められた。

「やあ、ライゼー子爵。楽しんでおられるかな」

外見はにこにことしたやや太り気味の好々爺である。

基本的には陽気な酒飲みなのだが、酔うとセクハラ癖が酷いと評判で、他派閥の夜会においては簀巻きにされて部屋へ隔離されることもたびたびあった。

しかし起きるとすべて忘れているため、それが問題になったことはない。

当人も酒席の無礼を咎める気はまったくないようで、「いや、ご迷惑をかけた」と、悪びれもせず笑って済ませている。

亡き前王ハルフールの良き友人だった⋯⋯と言えば、その人となりも推して知れる。

要するに自分にも他人にも甘いタイプで、ライゼーとしては距離を保った付き合いに留めたい相手だった。

「これはカルテラ侯爵閣下。はい、楽しませていただいております」

カルテラは、ライゼーの肩を親しげに軽く叩いた。

「それはなにより。しかしライゼー子爵は、たいへん酒にお強いのだな? 先程からそこそこ飲んでおられたように見受けられるが、顔色も足取りもまるで変わっておらぬ。いや、たいへんな酒豪だ」

⋯⋯飼い猫がすり替えたり亜空間へ流してくれたとは、さすがに言えない。

「いえいえ、顔には出ていないかもしれませんが、これでも酔っておりますよ。カルテラ侯爵閣下こそ、今日はあまりお飲みではないようですが⋯⋯」

カルテラ侯爵とは他家の夜会でも何度か顔を合わせている。

この時間帯、いつもの彼ならもうだいぶ酔っ払っているか、もしくは別室で寝かされているかだった。

カルテラ侯爵が笑い、肩をすくめる。

「さすがに私ももう年でな。それに⋯⋯今宵はラライナ様がおいでだ。あの方の前で無様をさらすのはいささか――それより酔いざましがてら、少し話をしないかね? ここは騒がしいから、隣室で」

相手が侯爵だけに断ることはできない。が、ウェルテル(とルーク)から目を離すのも少々まずい。

「もちろんです。ただ、気分を悪くした御婦人に水を持っていく途中でして⋯⋯すぐに戻りますので、先に届けてきてもよろしいですか」

カルテラ侯爵は薄く笑い、控えていた従者を振り返った。

「まめな男だねぇ⋯⋯しかし、それぐらいのことは従者に任せよう。君、あちらの壁際に水を一杯、届けてきてくれ」

⋯⋯口実を潰されては仕方ない。ライゼーは恐縮したふりをして、カルテラの後に続いた。

「お手数を⋯⋯」

「いや、なに。さっき君にぶつかった御婦人、あれは私の遠縁でね。気立ての良い子なんだが、子供ができないまま夫と死に別れ、先方から離縁されてしまった。しかしまだ若いから、第二夫人とまでは言わずとも、せめて 妾(めかけ) としてでもどこかに良縁があるといいんだが⋯⋯」

⋯⋯⋯⋯まぁ、貴族社会ではよくある手なので、いまさら驚きはしない。むしろ「自分の差し金だ」と、このタイミングですぐに暴露してくれるあたり、カルテラ侯爵の態度は貴族の割に良心的ですらある。

ただ、ライゼーの価値観との相性はあまりよろしくない。

「左様でしたか。はは、あのお嬢さんならば妾と言わず、再婚の話がいくらでもございましょうな。それで侯爵閣下、私へのお話というのは、どのような?」

カルテラがニタリと曲者らしい笑みを浮かべた。

「ふむ⋯⋯女性の好みでも聞きたいところではあるが、それはどうも無駄になりそうだ。となると、やはりトマト様の件だな。あれをブランフォード伯爵家の領地で栽培する予定だと、陛下からうかがった。しかし⋯⋯君にとっても貴重な新種の野菜だろう? もし少しでも気が進まないようであれば、私からも手を貸したいのだが⋯⋯」

ライゼーは思わず、内心で苦笑いをさせられた。

トマト様の南方への耕作地拡大はそもそもルークの野望であり、ライゼーはその手伝いをしているだけだが⋯⋯これを「リオレット陛下からの、南方への振興策を兼ねた気遣い」と偽装工作したことで、カルテラ・アーマーン侯爵は以下のように誤解したのだ。

『ライゼー子爵はリオレット陛下の要望に逆らえず、せっかくの利益につながる新種の作物の提供を了承した。その不満に寄り添えば、この男に恩を売れるかもしれない――』

目の付け所は決して悪くない。しかしこれは、「ルーク」という規格外の亜神の存在を知らぬがゆえの哀しき勘違いである。

正直、ライゼーにとってはトマト様の利権よりルークの存在のほうがずっと重要だし、そもそもあの作物の独占販売は無理筋だと考えている。

これに関してはルークの方針がどうこうでなく、あの手の作物は鳥が種を運ぶだけで勝手に広がるのだ。

独占できたとしてもせいぜい数年だろうし、その行為によって他貴族からヘイトを溜められるのも割に合わない。

隣室に案内されると早速、二人はソファに向かい合って座った。

同席しているのは、カルテラの部下らしき男が一人⋯⋯貴族ではなく、もちろん酒は入っていない。護衛を兼ねた事務官と思われる。

「⋯⋯本当はな。もう少し互いに酔った状態で、腹を割って話をしたかったのだが⋯⋯」

⋯⋯これがカルテラ侯爵の「社交術」なのだろう。

実のところ、彼には驚くほど「敵」がいない。

カルテラ・アーマーン侯爵はセクハラ癖こそ酷いが、決して一線は越えないし、「またあのおっさんは、しょうがねぇな」と苦笑で済まされるラインを堅持し、それを『自身への印象操作』に活用してきた節がある。

つまり「どうしようもない酔っ払い」という仮面をかぶることで周囲の油断を誘い、「酔って忘れる会話」のふりをして相手の真意を把握し、「相手の無礼を気にしない」ことで自身の無礼も許される環境を作り上げてきた⋯⋯ライゼーはそう推測していた。

これまであまり話したことはなかったが、寄親のトリウ伯爵もカルテラ侯爵を「なかなかの狸」、「食わせ者」と評していた。

多くの貴族は彼の酒席でのだらしなさを見て油断しているが、周囲を油断させるほどに道化を演じつつも権力と人脈を維持してきた 強(したた) かさは、貴族として驚嘆に値する。

正面に座したカルテラは、にっこりと含みのある笑みを浮かべた。

「さて、ライゼー子爵。まずは国の農業政策に対する貴公の配慮に感謝したい。トマト様なる作物、私も食したが、確かに素晴らしい。またバロメソースも、国民に広く受け入れられるものと確信している。この件に関して、陛下からは充分な褒賞があるものと思うが、今の時点で懸念はないかね?」

酔っていれば口を滑らせかねない場面なのだろうが⋯⋯生憎とライゼーは猫のおかげで 素面(しらふ) だし、そもそも褒賞を目的にしていない。

トマト様に関してはルークとトマティ商会に一任する、その方針も変わっていないし、言うべきことなど何もない。言ってはいけない秘密なら山ほどある。

「懸念などとんでもない。そもそもトマト様に関しては、トマティ商会に扱いを一任しておりまして⋯⋯ご存知かもしれませんが、トマティ商会には陛下やロレンス殿下、ルーシャン卿からも出資していただいております。その時点で恩義を感じておりますし、トマティ商会も耕作地と人手を探しておりましたので、陛下のお心遣いは渡りに船だったようです」

カルテラがますます目を細めた。

「欲のないことだ。しかし、武人肌とは聞き及んでいるが、少しは欲を見せてくれぬと、逆に裏があるのではないかと勘繰る者もいてな。ライゼー子爵、どうだろう? 何か私が役に立てることはないかね」

ライゼーは言葉に詰まった。

相手は侯爵、「何もない」と突っぱねるのはさすがに不敬だし、乗っかるにしてもバランスが難しい。あまり恩を作りすぎると後が面倒だし、「こちらにとっての利益」だけでなく「相互の利益」になる願い事をして、「おたがいさま」の状態に持っていくのが正解だろう。

具体的には⋯⋯

「たいへん恐れ多いことです。でしたら、閣下のお言葉に甘えて⋯⋯トマティ商会に、カルテラ侯爵閣下の『御用達』の栄誉をいただけましたら幸いです」

この願いならば、トマティ商会にとっても益は大きい。また、これから大きく発展するトマティ商会を初期から支援していたとなれば、アーマーン侯爵家の面子を立てるのにも都合がいい。

出資や提携ではなく「御用達」ならば商品を売るだけ、商談をするだけなので、経営面に口出しされる心配もない。

意外な返答だったようで、カルテラが目をしばたたかせた。

「それはトマティ商会への褒賞にはなろうが、貴公の益にはなるまい? いや、貴公と商会が密接な関係にあることは重々承知だが⋯⋯」

「いえ。トマティ商会が発展すれば、我が領でも相応の税を得られます。そしてカルテラ侯爵閣下のご支援は、まだできたばかりの新興商会にとって大いなる信用となるでしょう。私も、かつては商家へ養子に出されていた身ですので⋯⋯商会にとって、閣下のような方からの有形、無形のご支援がいかに重要かは身にしみて理解しているつもりです」

「⋯⋯そうか。貴公はアンドレアス商会におられたのだったな。奥方のほうは、確か⋯⋯シーフォン商会の御令嬢だったか」

⋯⋯自分だけでなく、妻の出自まで把握されていたことには少し驚く。

ライゼーがかつて世話になった先、アンドレアス商会は、主に小麦や生鮮品の仲買、輸送を手掛けていた。

農業閥の貴族とも取引はあったが、商談の場に出てくるのは基本的に家臣や領民なので、もちろんその当時はカルテラとの面識などあろうはずもない。

またウェルテルの実家、シーフォン商会はワインや蒸留酒の生産、販売を手掛けており、独自のブランドもあるため、酒好きの貴族ならば「ああ、あそこか」とわかってしまう。

もっとも、ウェルテルは「御令嬢」などではなく、「シーフォン商会の『親族』の娘」だったので⋯⋯そこはちょっとした勘違いがあるかもしれない。

これがシンザキ商会のナナセぐらいになると、まさに「御令嬢」と言っていい。あんな有能社員を初年度の採用で引き当てるあたり、ルークの運命力はやはり神がかっている。

カルテラ侯爵はしばらく思案し、ゆっくりと頷いた。

「よし、承った。トマティ商会を、アーマーン侯爵家御用達とし、農業閥の貴族達にも そのように(・・・・・) 通達する」

派閥内への通達まで加わった場合⋯⋯「もしもトマティ商会に理不尽な圧力をかけたら、アーマーン侯爵家も動く可能性がある」と周知徹底することになる。

少々、恩を押し売りされた感もあるが、トマティ商会にとって悪い話ではない。

ただ⋯⋯カルテラ侯爵が、ライゼーに便宜をはかりたがる理由が引っかかる。

農業閥なのでトマト様に興味を持つのは当然として、迷宮の話もされるかと思ったのに、それは出てこない。

危うく妾を押し付けられそうになったが、ライゼーが逃げ腰と知るやすっぱり諦めたようにも見える。

「ライゼー子爵、時間をとらせてすまなかったな。今後とも良い付き合いを願いたい。当家の夜会を、引き続き楽しんでくれたまえ」

「は。こちらこそ、会談の席をいただきたいへん光栄でした。今後ともどうぞよろしくお願いいたします」

思ったよりもあっさり解放されたことに拍子抜けしつつ、ライゼーは広間へ戻った。

改めて妻、ウェルテルの姿を探すと⋯⋯

彼女がいたはずのあたりに人垣ができていた。

瞬間、ライゼーの背筋に冷たいものが走る。

(まさか、私を引き離しておいて、その間にウェルテルに何か⋯⋯!)

嫌な予感に焦りながら、人垣をすりぬけると⋯⋯

「にゃーん」「にゃー」「うなー」「ごろごろごろ⋯⋯」

⋯⋯想定外の光景に、足が止まった。

「あら、ライゼー子爵、カルテラ侯爵とのお話は終わりましたの?」

上機嫌で問うのは、ルークを抱えた寡妃ラライナである。床に敷物を敷き、まるでピクニックのようにくつろいでいる。

彼女と膝を突き合わせて座るのは妻のウェルテルで、こちらの膝上にはラライナの飼い猫、マフが陣取っている。

そして二人の周囲には、他の貴族達が連れてきた飼い猫達が勢揃いし、それぞれくつろいだり甘えたりと好き放題に過ごしていた。

他の貴族達はライゼーと同様、目を丸くしながら囁きあっている。

「⋯⋯ラライナ様にも、もしや猫の精霊の加護が⋯⋯?」

「おそらくリーデルハイン家にも⋯⋯例のトマティ商会は、ルーシャン卿が後援しているらしいし⋯⋯」

「ラライナ様が抱えている、あの太った猫⋯⋯あれは本当に猫か⋯⋯? さっき倒れそうなグラスを支え直したぞ⋯⋯」

「貴公は酔いすぎだ。水でも飲んでこい」

⋯⋯ウェルテルはやや困ったように微笑んでいる。

ライゼーは恐る恐る近づくと、敷物の上に膝をついて妻に問いかけた。

「⋯⋯これは、何があったんだ?」

ウェルテルとライゼーの間に三毛猫がねそべり、「撫でろ」とばかりに腹を見せる。

ウェルテルはそこに手を伸ばしつつ、控えめに口を開いた。

「ええとね⋯⋯貴方が行った後に、悪い酔い方をした方が近づいてきたのだけれど⋯⋯それに気づいたラライナ様が、間に入って助けてくださったの。そうしたら、マフ様とルークがなんだか意気投合してしまって、その後、他の猫達も次々と集まってきて⋯⋯」

ラライナもルークを抱えつつ、膝上に乗ってくる他の猫達を撫でるのに余念がない。

「ふふっ、まわりは千鳥足の酔っ払いばかりですものね? 猫ちゃん達も、ここなら人に踏まれる心配がなく、のんびりできるでしょうから⋯⋯」

多少は酒が入っているようで、その頬はほんのり染まっている。

ピルクード・ペルーラ公爵も人混みをかきわけ近づいてきた。

「ライゼー子爵、この騒ぎは一体⋯⋯あっ⋯⋯ラライナ様まで⋯⋯」

「えー⋯⋯いえ、まぁ⋯⋯その⋯⋯」

一応は周囲の耳もある。まさか「たぶんルークのせい」とは言えないし、ピルクードも薄々、察しているのだろう。彼もただ困惑しているだけである。

ライゼーとしては、もはや脱力気味の笑顔でこう流すしかなかった。

「いわゆる猫の集会⋯⋯いえ、夜会でしょうか?」

ラライナに抱っこされたルークは、いかにも呑気な顔で「にゃーん」と甘え続けていた。