作品タイトル不明
257・アロケイルの王都
昨年の秋まで、アロケイル王国の王都中心部には、堀と城壁に囲まれた勇壮な城と、それに付随する石造りの官庁街があった。
今は跡形もない。
一部に瓦礫だけは残っているが、その瓦礫すらも『城を構成していたはずの量』には到底及ばず――結構な量が、蒸発するか溶融してマグマとなり、周囲の堀へ流れ込んだ。
ゆえに、かつての堀は水も土もなく「岩」で埋まり、それが冷えて固まった今は、城壁すらなくなった王城の敷地へ徒歩で入れるようになっている。
溶けかけの瓦礫は大量に残っているが、建物や城壁の原形はなく、まるで朽ちた古代の遺跡のようだった。
人の気配もまったくない。
城を除く周辺の街には被害が出ていないものの、唐突に「政府中枢」を失った影響が軽微なはずもなく、昨秋以降、治世の歪みは大きくなり続けている。
まず、王都で国から給金を得ていた者達が軒並み失業した。
人事や給与支払いの手続きをする部署も城の敷地内にあったし、国庫も丸ごと焼け落ちた。街の治安維持にあたっていた衛兵などは無事だったが、給与が出なくなったことで失業し、組織として機能しなくなった。
城の崩壊直後などは町内会レベルでの自治をせざるを得ず、その旗振り役となった下級貴族が自らの上役や寄親にそれぞれ支援・派兵を求めた結果――いつの間にか、王都の内側だけで複数の派閥ができてしまった。
現在はその派閥が相互に取引や折衝を重ね、二つか三つの大派閥にまとまりそうな気配を見せつつあるが……
どうせならそのまま「一つ」にまとまってくれれば混乱もおさまるのだが、仲の悪い公爵家と侯爵家が対決姿勢を崩さず、その配下の諸侯も「あいつらとだけは組みたくない」と相互に嫌い合っている。
そしてこの両勢力のどちらにつくかで迷っている者もいるし、この両者を潰し合わせた後で漁夫の利を狙いたい別の有力者もいる。
明確に対立している公爵家と侯爵家にしても、両家の当主は城での軍議中に亡くなったため、急遽、嫡子がその跡を継いだばかりだった。
傘下の有力な伯爵、子爵級にも死亡者が数多く、つまり「軍務」「交渉」「決断」をまともに遂行できる人材が極端に不足している。ゆえに内乱状態となっても、小競り合いばかりで本格的な会戦にはなかなか至らないという妙な均衡が保たれていた。
ただし、これは嵐の前の静けさで……要するに「どの勢力も戦う準備ができていない」「本来の指揮官を失った混乱がまだ続いている」という消極的理由による停滞で、何かきっかけがあれば均衡は崩れる。
王都はそんな混沌とした有り様だが、国境付近ではすでに火がついている。
周辺国はこの混乱に乗じて、国境沿いの紛争地・係争地に兵を進め、その地のアロケイル側諸侯は後方支援を失ったままこれを迎え撃って戦死するか、あるいは投降して地位を失うか、はたまた完全に寝返って相手方へ積極的に取り入るかの三様に分かれた。
特に「寝返った」例が多そうなのは、アロケイルの貴族の中にも王家への不信や失望があったためだと推測される。
いずれにしても、混乱の火種は増えるばかりで落ち着く気配がない。今は緩やかに国内のすべてが悪化し続けている。
目端の利く者は家族を連れて王都を脱し、そうした人材の流出が産業の停滞を招き、仕事がなくなることで治安が悪化――それに対応するべく呼ばれたはずの貴族の私兵までもが食い詰めて横暴をかまし、さらに状況を悪化させるという負のスパイラルも始まった。
各種学校は閉鎖され、商店は略奪によって立ち行かなくなり閉店、街の自警団と貴族の私兵は対立し、衛兵の不在によって治安が崩壊、混乱に乗じた誘拐や殺人まで横行するに至って、王都からの人口流出はさらに加速している。
こうなるともう誰にも衰退を止められない。
王都から少し離れた街でも物価が高騰しはじめ……そもそも王家の滅亡によって、貨幣価値が暴落した。金貨、銀貨、銅貨は金属そのものの価格でどうにか価値を担保されたものの、紙幣や手形はもう信用を失っている。
そんな中でも有力貴族は軍票を乱発し、取引を拒否されると強奪に走る。これを諌める立場の王族と中央の上位貴族はまとめて消し飛んだため、本当に誰も止める者がいない。
結局のところ――
アロケイルの王族は『純血の魔族』を、そしてその破壊力を軽視していたのだ。当代で魔族と接する機会がなく、自国内で権力を振りかざすことに慣れ切って、世界の歴史を学ぶことすらしなかった。
新兵器の開発などという王家の方針を知っていた者は、決して多くないが――そんな少数の中でも、あえて「危うい」と 諫言(かんげん) した者は良くて左遷、場合によっては捕縛され、それらの意見は封殺されてしまった。
そうして捕縛されていたうちの一人――
三十五歳の文官、ブラジオス・オルディール男爵は、その日の夕刻、かつてあった堀の外縁に座り込み、何もなくなった王城の跡地をぼんやりと眺めていた。
(本当に、何も……何も残っていないのだな)
日に焼けた髭面に覇気はなく、疲労、心労、悲哀がにじみでていることを自覚してしまう。
昨秋、アロケイルの城を襲った魔族は、石造りの建造物の数々を、上空からの熱線によって一方的に「融かした」らしい。
鍛冶場にある魔力炉ならば、岩や金属を融かすほどの高温を生み出すことも可能ではあるが……それには「火竜石を加工して作った炉」の使用が前提となる。
そうした施設もなしで、城壁も含めて城の敷地そのものを完全に焼き払うなど、明らかに人知を超えた魔法であり――人類との「差」を、改めて実感させられた。
襲撃当時、街外れの監獄に囚われていたブラジオスは、その光景を直には見ていない。
男爵という立場ではあるが、彼は領地を持つ貴族ではなく、一代限りの爵位を得た官僚である。所属は外交部の支援課で、『不帰の矢』の開発にも関わっていない。
開発が成功して量産段階に入ったところで、官僚の一人として初めてその存在を知らされた。
そして、実戦への投入に必死で反対した結果――上から 疎(うと) まれて禁錮処分を受けた。「放置しておくと他国に情報を漏らすのでは」と警戒されたのだろう。
ブラジオスがこの兵器に反対したのは、別に人道的な理由からではない。王都の官僚の中では珍しいことに、彼は『魔族』の行動原理を正しく理解していたのだ。
彼の遠い祖先には『魔族』がいる。
歳月を経て家名は変わってしまったし、現在の魔族との親戚付き合いなどもまったくないが、それでも魔族に狙われないための「家訓」だけは今も受け継いでいる。
要点は三つ。
常に礼節を忘れるな。
新基軸の兵器を開発するな。
可能なら甘いもので懐柔しろ。
簡潔にして憶えやすい内容だったので、子々孫々、受け継がれてきたのだろう。
そうした「魔族と縁の切れてしまった遠縁の子孫」は世界中にそこそこいるはずだが、さすがにこの層にまでは現在の魔族も配慮してくれない。もし不敬を働けばあっさり殺される。
ともあれブラジオスは、この『不帰の矢』が魔族の逆鱗に触れると確信し、その危険性を訴えたものの――魔族の存在を軽視する無知な主戦派によって口を封じられた。
処分としては禁錮だったが、先述の通り、これは「開戦まで情報漏れを防ぐため、身柄を拘束する」のが目的で、開戦後には軍から解雇されることが確定していた。
この時点で処刑や暗殺に至らなかったのはかなりの温情とも言えたが――ブラジオスとしては、「矢のことが発覚すれば、自分も含め、どのみち全員が魔族に殺される」と覚悟していた。
……実際には、城の敷地内にいた主戦派と上司・同僚達がみんな死に、街外れの監獄に囚われていたブラジオスは難を逃れた。
助かったのは幸運だったのだろう。
しかし王都の指揮系統が完全に崩壊したとはいえ、それだけで監獄の囚人達が解放されるわけではない。
監獄は一応、よその街から駆けつけた侯爵家手勢の管理下におさまったが、早々に抑えられた理由は『兵士達の宿舎が足りない』という理由によるもので……空いていた監獄はそのまま兵舎代わりにされ、凶悪犯や死刑囚は一旦、他の街へ移送となり、それ以外の罪の軽い者、刑期の終わりが近い者などは緊急措置として釈放された。
ブラジオスなどは「禁錮」の身でありながら、法に詳しく爵位も持つ文官だったために、王城全壊からの数日間は混乱する看守達に独房の中から的確な助言をし、なし崩し的に信頼を得てしまった。
その功績を買われつつ、「使える文官が足りないから」という世知辛い理由もあって、監獄の接収後はそのまま侯爵家の傘下に加えられた。
……魔族も多少は配慮してくれたのか、王城に務めていた一般の文官に関しては、実は大半が助かっている。
魔族はまず「王族」と「軍の中枢」、「不帰の矢」関連の部署を奇襲で攻め落とし、その後、外縁部から避難していく者達はあえて追わずに見逃してくれた。
そして避難が終わった頃に改めて、城壁を含む王城の敷地をまとめて焼き尽くし、瓦礫を溶融させるほどの力を示した。つまり上層部の生き残りはほぼいないものの、下位の者達はそこそこ生存率が高い。
それなのに文官が不足しているのは、王都の混乱を嫌って逃げ出した者、さっさと次の職を探して別の国へ向かった者、知り合いの貴族の 伝手(つて) を頼って移動した者などが多く、要するに人材がほうぼうへ散逸してしまったのだ。
また下級の文官には生存者が多いものの、城の敷地内にいた爵位持ちの高位文官はその半数以上が命を失い、『不帰の矢』関係者にいたっては全滅――つまり「軍務系のノウハウを持つ文官」は特に不足している。
ブラジオスは外交部所属だが、「支援課」は軍と連携して動く部署だった。輸入した物資による補給の手配や国際情勢の分析など、軍務に通じる経験もある。
だからこそ禁錮の身でありながら、すんなりと拾われたわけだが――
(しかし……どうも生き残れる気がせんのだよな)
侯爵家に拾われて仕え始めたことで、ブラジオスにも国を取り巻く周辺情報がようやく入ってきた。
国境付近では、隣国との紛争地・係争地が今も削り取られ続けている。他国の軍も無理攻めをするほどの準備はしていなかったようで、侵攻の速度こそ緩やかだが……中央が麻痺している間に、係争地と要衝は概ねとられたと見ていい。
ブラジオスが属している侯爵家は、敵対する公爵家を呑み込んで王都付近をおさえ、ここから周辺地域を平定、戦力をまとめて外敵に備えるつもりらしいが――この王都付近ですら諸侯が足並みを揃えられず、睨み合いと小競り合いを続けている。
国内はまとめたい。だが相手の風下には立ちたくない。同盟を組むにも共に担げるような旗印はなく、そもそもこの機会に相手を滅ぼしておきたい――
それこそ「他国」と同盟をしてでも相手より優位に立ちたいという思惑が双方にあり、とてもまとまる気がしない。
結局のところ、彼らは「国の存続」よりも「家の存続」に重きをおいているし、これはむしろ「自身が新たな王になる好機」でもあるのだ。
アロケイルはもう魔族に滅ぼされた。これから始まるのは「アロケイルを守る戦い」ではなく、「次の王を決める戦い」である。
僻地には、「どこかに生き残っているかもしれない旧王族の親戚」を探して担ぎだそうとするバカもまだいるらしいが、これはあまりに時勢が読めていない。
――かといって、これから内乱を始めようとしている連中に時勢が読めているかどうかも微妙なところで……ブラジオス自身、「これはもしかして、詰んでないか?」と緩やかに絶望しつつあった。
はるか東の地では、魔族の支援を受けた『レッドトマト商国』という新たな国家が、ほとんど被害を出さずに旧レッドワンドを飲み込んだらしい。
伝聞情報が事実ならば実に鮮やかな手並みだったようで、そのまま東西の隣国とも国交を樹立する方針だと聞く。
その成立には魔族の支援が大きかったようだが、魔族から支援を引き出せるほどの傑物がいたことがまず羨ましい。
このアロケイルにそういった傑物が現れる予兆はない。隠れていた逸材が新星のごとく現れたりとか、そんな気配は一切ない。
……なお、夜空の「新星」とは生誕の光ではなく、「星が死ぬ間際の輝き」らしく……そういう意味では、これから死んでいきそうな連中ばかりが目につく。ブラジオス自身も含めた見解である。
(この後は内乱が本格化して、自国民で同士討ち――それを切り抜けても、他国の軍勢を押し返す戦いが待っている。いずれかの隣国の属国に成り下がって支援を受け、その他に対処するのが現実的だが……周辺国同士が仲良く結託してアロケイルを分割しはじめた場合、本当に国がなくなるな――)
後者の流れが一番有り得る。アロケイルは周辺国との紛争地を抱えていたが、周辺国同士はそこまで敵対的ではなく――むしろ好戦的なアロケイルを鬱陶しく思っていたはずだ。
前途は真っ暗で希望は見当たらない。
強いて言えば、「まだ自分は生きている」という事実が、かろうじて希望と言えなくもないが……半年以内にどこかで屍を晒していそうな予感もある。
夕闇迫る中、何もなくなった城の跡地を眺め、ブラジオスは終わっていくアロケイル王国と、先に死んだ元上司や同僚達を追悼し、水の杯を傾けた。
『不帰の矢』の量産停止を求める 諫言(かんげん) の際、彼らからの賛同は得られなかったし、味方にもなってはくれなかったが――その後の減刑には尽力してくれた。感謝はしているし、友人と呼べる者もいた。
官僚としての人生を捨ててまで諫言などができるブラジオスのほうが、よほど異端ではある。実際、もしも守るべき家族がいれば……もっと穏便に退職し、他国へ逃げる算段を練っていたかもしれない。
「なーん」
最近、懇意にしている白黒の野良猫が、ブラジオスを見つけて近づいてきた。
本当に野良猫なのかどうか、実はよく知らない。やけに人に慣れているから飼い猫だったのかもしれないが――王都の野良はまぁまぁ人に慣れていることが多いし、放し飼いだと見分けがつきにくい。
「お、来たか。よーしよし……すまんな、こんなものしかなくて」
懐から取り出したのは柔らかく茹でたひよこ豆である。瓶に少しだけいれて持ってきた。
いろいろ物資不足なご時世だが、ただの豆くらいなら容易に手に入る。塩を使わずに水で煮ただけなので、人が食べてもさして美味しいものではないが、猫にはこのほうが良い。
メモ用紙を餌皿代わりにして差し出すと、猫は「なー」と一声鳴いて優雅に豆を食べ始めた。
野良にしては毛並みの良いその背を撫でつつ、ブラジオスはつい頬を緩める。
自分は遠からず、戦乱の中で命を落とす羽目になりそうだが……マイペースで生きる猫を眺めていると、そんなストレスが和らぐのを感じる。事態は悪化するばかりで解決の兆しすらないのに、何故か「まぁいいか」と開き直れてしまう。
「うみゃー」(※もっとよこせや)
「……そうだよなぁ。身一つで立派に生きているお前からしたら、俺みたいに図体のでかいのがうじうじ悩んでいても、そりゃあ鬱陶しいだけだよな……」
「にゃーん」(※もうないんかい。ほなまた)
「おう、またな」
獣と言葉が通じるわけもなく、雰囲気でなんとなく適当な受け答えをして、ブラジオスは堀に沿って歩み去る猫の背を見送った。
その視界に――何の前触れもなく、唐突に、まるで地から湧いたかのように少女の後ろ姿が現れる。
白い装束と紅い袴に、つややかな短めの銀髪。
アロケイルでは見かけない変わった衣装は、しかし昨秋の『目撃証言』と合致していた。
王城を襲い、わずかな時間で焼き尽くした『純血の魔族』、ヘンリエッタ・レ・ラスタール――
昨秋、監獄にいたブラジオスはその姿を見ていないが、噂では何度も聞かされた。
(魔族の、転移魔法……!?)
「フギャッ!?」
急に進路を阻まれてびっくりした白黒の猫が、飛び退きながらその毛を逆立てる。
ブラジオスも咄嗟には何も反応できず、呼吸すら忘れ、その場で彫像のように固まった。
「ややっ!? す、すみません! びっくりさせるつもりはなかったのです!」
「……あー。転移魔法って、たまにこういう出会い頭の遭遇があるから……ごめん、姿消すの忘れてた」
後の声は魔族と思しき娘のものだが……その直前の慌てた声は少年のようにやや甲高く、それでいて聞きやすい丁寧な響きだった。
去りかけていた猫は「ヴー」と一瞬だけ唸ったものの、逃げ出しもせずその場に座り直し、すぐに「にゃーん(おや、王様でしたか。こいつは失礼を)」と取り繕うように甘えた声で鳴いた。まさに猫なで声である。
その変り身の早さにも驚きながら、ブラジオスは声もなく、呆然と「魔族」の少女を見つめる。
猫よりもやや離れた位置にいたブラジオスと、魔族の娘の視線が交わり――
次いで、その娘が抱えたキジトラ柄の猫とも視線が合った。
「あ」
キジトラ猫が、妙に間の抜けた声を漏らす。魔族の娘も夕闇に身を潜めたブラジオスに気付いた。
「おっと……やば。目撃者だ。ルークさん、消す?」
「ダメに決まっているでしょう! あの人はこちらの猫さんの舎弟……お友達のようです!」
猫が喋っている。
それはもう流暢に、さも当たり前のように……
ブラジオスは即座に平伏した。
足が震えて逃げられそうにない――という事情もあるが、何より魔族に遭遇したら「礼節」を重んじ、即座にひれ伏すのが正しい対応である。
その後の口上も決まっている。
「お、恐れ入ります! こなたはコルトーナ家初代の第四子、メルトリンデ様の末裔にて、ブラジオス・オルディールと申します! ヘンリエッタ様には、ご機嫌うるわしく――」
石畳に額を押し当てるブラジオスには見えていなかったが――その口上を述べた瞬間、猫が瞠目した。
「えっ。もしやアーデリア様のご親戚ですか……!?」
「へぇ……メルトリンデって、アーデリアの叔母さんだよ。もう二百年ぐらい前に亡くなっているから、アーデリア自身は会ったことすらないだろうし、二百年も経てば親戚としてはだいぶ遠いけど……ところで、貴方はなんで私のこと知ってるの?」
「は、はっ! その白い装束と紅袴、それに転移魔法をご使用になられたことから、恐れ多くもラスタール家のご当主様と推察いたしました……!」
ブラジオスは顔をあげず、地に平伏したまま答える。
ラスタール家当主が、人語を解する神獣と思しき猫を抱えて、この地に再臨した――現状はつまりそういうことである。
導かれる推論としては「討ち漏らした王族を追加で見つけた」とか「気が変わって王都を完全に滅ぼすことにした」とか、そんなところだろう。数分前に「自分も半年後には死んでそう」などと思ったばかりだが、半年どころの騒ぎではなく、現時点で風前の灯火だった。
ヘンリエッタは「ふむ」と頷き、すたすたと無造作に歩み寄ってきた。
「遠縁とはいえ、コルトーナ家の子孫と知った以上は、理由もなく殺さないから安心していい。だけど保護対象には入ってないよね? もう縁が切れてるのかな?」
「は。家訓こそ引き継いでおりましたが、曾祖母の代以降、コルトーナ家本家の方とお会いできる機会はなく――」
「……ま、そりゃそうか。メルトリンデって七人ぐらい子供いたしね。仮にそれぞれの家系が順調に続いてたら、今頃、その子孫だけで何百人か何千人かになるのか……そう考えると、歳月ってすごいな」
やや懐かしげなその声を不思議に思っていると、抱えられた猫がブラジオスの疑念を代弁してくれた。
「もしかしてそのメルトリンデさんって、ヘンリエッタ様のお知り合いだったのですか?」
「私、こう見えても二百六十七歳だからね。二百年近く前に亡くなったとはいえ、コルトーナ家の本家筋の魔族なら、そりゃなんとなくは知ってるし憶えてる。私のほうが年上だけど、まあまあ近めの世代でもあった」
魔族の時間感覚、世代感覚は人間とは違う。特に「純血の魔族」たる当主は、子供をもうけない限りは不老にしてほぼ不死の存在だと聞いている。
「……あのメルトリンデの遠い子孫かぁ……城で私が殺した中にも、きっとそういう人がいたんだろうな」
ヘンリエッタが淡々と呟き、恐縮するブラジオスの肩をそっと撫でた。
「手は出さないけど、遭遇しちゃった以上は仕方ない。王都でちょっと人探しをしたい。目的は殺害じゃなくて救出なんだけど、君、地元の人みたいだし、暇だったら手伝ってくれる?」
「はっ! なんなりとお申し付けください……!」
……とりあえず、粛清案件ではなかったらしい。
顔を上げたブラジオスの正面では、妙に人懐っこそうな顔をしたキジトラが、くりくりとした愛らしい目で彼を見つめていた。
『亜神ルークのアロケイル降臨』――その瞬間に偶然、立ち会ってしまった一介の文官は、後の回顧録にこう記した。
『神は、尊き猫の姿をしていた』と。