軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

214・弓術実技(初級編)

クロード・リーデルハインは、体験授業の初日午後に「弓術」の実技をいれた。

妹のクラリスや王弟ロレンス、妻(仮)のサーシャとは別行動になるが、ガイド役のベルディナは同じ講座に登録している。

外交官の娘である彼女は、将来的には父・リスターナの役職を継いでネルク王国へ出向く機会もある。護身術として弓の鍛錬をするのは貴族のたしなみでもあり、昨年も同じ講座をとっていたとのことだった。

「部活動などはやらないんですか?」

「そこまでの時間的な余裕はないんですよね……外交官課程は放課後にも特別講座があったりしますし、とりたい講座がなさそうな時間帯に弓術を詰め込んでおく、っていう方針で――どうしても疲れている時とかは休んじゃいますし」

ベルディナはぺろっ、と舌を出しておどけてみせた。

彼女がサボるのはおそらく、やむにやまれぬどうしようもない状況の時ぐらいだろう。昨年末以降の短い付き合いだが、ベルディナが真面目な努力家であることはもう理解していた。彼女はきっと良い外交官になる。

クロード達が移動した射場に立っていたのは、四人の講師だった。

弓術は一コマあたりの受講者が多い上、ある程度はきめ細やかな指導も必要とあって、一つの時間帯に複数人の講師がつくらしい。

そのうちの一人が――只者ではない。

小柄で品の良い、にこにことした老爺なのだが、「何か」が違う。

姿勢は自然体、背はクロードより低く、老いのためにもう手足は細い。眼鏡越しの眼光は決して鋭くないし、そこらを普通に歩いていそうなただの老爺ではある。

なのにクロードは、彼を一目見た瞬間に寒気を覚えた。

他の三人の講師はさほど怖くない。

若い男女の教官はどちらも顔が良く、いかにも生徒からの人気がありそうだし、髭面のいかつい教官も頼りになりそうな風貌ではあるが――あくまでそれだけである。別に怖くはない。

常人を装ったその老講師は、「アークフォート」と名乗った。

のんびりとした声音で「よろしく」と一礼するアークフォートに、学生達からの反応は薄い。つまり、名の知れた達人などではないらしい。

クロードは隣に立つベルディナへこっそり問いかけた。

「……あの。あちらの『アークフォート先生』って、どういう方なんですか?」

「え? えーと……普通のおじいちゃん先生ですよ? 姿勢の指導が丁寧で、ちょっと淡々とした感じですけど、ラズール学園では古株だって聞いてます。悪い評判とかはないはずですが、何か気になることでも?」

「……いえ。なんとなく」

怖がっているのは自分だけ……らしい。

困惑しながら周囲を見回したクロードは、しかし学生の中に一人だけ、自分と同じように青ざめている少年を見つけた。よかった、仲間がいた。

(……あれ……? あの人って……午前中の、交易学の講義で後ろに座っていた……ペシュク伯爵家の?)

名前はオーガス・ペシュク。

おとなしそうな雰囲気の、黒目黒髪の少年である。身長はクロードと同程度で、年齢もおそらく近い。

ただ、目つきが鋭い上に見た目の印象に影が濃く――どことなく人を寄せ付けない雰囲気がある。敵意や不快感を振りまくタイプではなさそうだが、周囲を気遣い、息をひそめてじっとしているその様は、まるで警戒する猫のようだった。

交易学の開始前、どこぞの貴族が「ペシュク家のオーガスか」と呼んだ時も、想定していたタイプと違いすぎて「えっ!?」と全員で驚いてしまった。

ポルカ・マズルカ姉妹の警告から、お約束としては「ちょっと嫌味な問題児」的な人物像を予測していたが――良い意味で裏切られた感がある。

そういえばあの双子も、「ペシュク伯爵家の長男が入学する」と知ってはいたが、それがどういう人物なのかまでは把握していなかった。

島育ちの彼女達も、あまり貴族の知り合いは多くないらしい。

クロードの見たところ……どうやらあのオーガスにだけは、アークフォートという老講師の「ヤバさ」が伝わっている。

しかしクロードからの視線に気づくと、オーガスはさっと顔を逸らしてしまった。

軽い準備運動の後、まずは自己申告でグループが分けられる。

ベルディナを含めて、昨年から続いて受講している学生達は、慣れた様子で射場に並び、交代で練習を開始する。

そして弓を触ったことすらない初心者は、奥に集められて弓と矢の扱い方の説明から。

その一方で弓を引ける者は、その練度を確認する目的でいかつい講師の前に並ばされた。

「最初は的に当たらずともいいから、経験者はまずフォームを見せてくれ」

いかつい講師はそう言ったが、弓術が盛んな国だけあって、新入生といえどきちんと的に当ててくる生徒が多い。件のオーガス・ペシュクもまた、すらりとしたきれいなフォームで的の中心を射抜いてみせた。

澄み渡るように静かな型だ――と、クロードも感嘆する。

フォームに音の要素はないが、無音を錯覚させるほどに端然とした、迷いのない姿勢だったのだ。

いかつい講師も唸る。

「ほう。なかなかのものだ……君、名前は?」

「……オーガスです。オーガス・ペシュクと」

それは周囲をはばかるように小さな声だった。そこそこ近くにいるクロードにすら聞こえにくい。

いかつい講師の眉が一瞬、ひそめられたものの……彼はすぐに真顔で頷く。

「オーガス、君の技術は素晴らしい。弓は嘘をつかん。何かあったら、相談してくれ」

「……ありがとうございます」

深々と一礼してから、オーガスは後ろへ移動する。

いかつい講師の後ろでは、アークフォートという老講師が無言のままで目を底光りさせていた。

……いかついほうは意外と見た目より優しそうなのだが、こっちは優しそうな外見なのになぜかすごくこわい。日向でくつろぐ老虎のようである。

間に一人おいてクロードの順番となり、彼もいつものように、「ヨルダから習った通り」の構えをした。

狙うは的の中心――よりも、少し左。

目立ちたくない。でもネルク王国の名を背負っている以上、さすがに的は外したくない。だから的の中心ど真ん中を射抜くのではなく、少しずらして……

この程度の小細工なら、妹にもバレないはずである。

狙った通りに中心からほんの少しずらして、クロードの矢は的を射抜いた。弓も矢も学生用の備品だが、さすがはホルト皇国、学生用の練習器具でも精度が良い。

「うむ。悪くない」

いかつい講師に軽く褒められ、そのまま一礼して立ち去ろうとしたクロードを――笑顔の怖い老講師が呼び止めた。

「……失礼。君、ちょっとこっちへ来てくれますか?」

えぇ……? やだぁ……なんでぇ……?

……などと言えるわけもなく、クロードは指示に従い、アークフォートの隣へ移動した。

老講師は次の射手を見ながら、隣のクロードへ話しかけてくる。

「見事でした。 わざと(・・・) 心臓の位置を外したようですが、あの作法は師から習ったものですかな」

そんなつもりはない。的のちょっぴり左側(的にとっては右側)を狙っただけなので、心臓とか急所とか別に意識してない。

「……いえ、特にそういうわけでは……」

「それならどうして、手加減を?」

見抜かれてるぅ……やだぁ……

……怯えた時のクロードの内心の声は、だいたいこんな感じになる。そもそもあんまり「怯える」という経験がないため、他人にはバレていないが……いわゆる「冗談っぽくして心の平静を保つ」という防衛機制の一種なので、あえて改善する予定はない。

困った末に、クロードは当たり障りのない返答に至る。

「……雑念が入りました。お恥ずかしい限りです」

「ふむ……君、名前は?」

「クロード・リーデルハインといいます」

もうあっちいきたい。このひとなんかすごくこわい。

「はて、あまり聞かない家名ですな……ご出身はどちらでしょう?」

「……自分はネルク王国からの留学生でして」

ぴくり、と反応したアークフォートが、クロードをまじまじと見つめた。

「ネルク王国……? 誰から弓を習いました?」

「うちの騎士団長です。あの……僕の構えは、どこか変でしたか?」

アークフォートは目を細め、しばし黙考した。

「……昨今のホルト皇国の弓術は、姿勢、指の添え方、足の角度――そうした様々な要素において、『理想の形』を追求しがちです。その一方で、そこから先の領域――『どんなに崩れた姿勢からでも、必中の矢を放つ』という理想を追う者もいます。こちらは難度が高すぎて 廃(すた) れつつありますが、その領域に達した者は、弓矢を手指の延長のように扱い、馬上や船上からでも狙ったところへ矢を当てると――君の弓には、その 片鱗(へんりん) を見ました。実際、『当たって当然』、『むしろ外すほうが難しい』ぐらいの感覚で矢を放っているのでしょう? 師のお名前を教えていただけますか?」

……家名は伏せたい。

「ヨルダリウス、です」

アークフォートが目を見開き、しばし絶句した。こんな怖い老爺でも驚くことがあるのかと、そんなおかしな感慨を抱く。

「そう……そうでしたか。失礼、そのヨルダリウス殿の、ご両親についてうかがっても?」

なんでそんなことを――とは、もう思わなかった。

この老爺はおそらく、グラントリム家の「関係者」である。

クロードのフォームはヨルダから学んだもので、そのヨルダは自身の父親やその仲間達から武芸の手ほどきを受けた。

すなわち、クロードはラダリオン・グラントリムの孫弟子であり――その型も「四十年前のホルト皇国で培われていたもの」のはずだった。

「先生のご両親は、十年ほど前に、その……疫病で亡くなりました。僕も子どもの頃に、遊んでもらった記憶はあります」

名前はあえて口にしない。そもそもサーシャの祖父は「ラダリオン」という名前ではなく、おそらく偽名を使っていた。それでも「グラントリム」の家名を残したのは、きっと愛着があったのだろう。

アークフォートは瞑目した後……わずかに嘆息した。

「失礼、妙なことをうかがいましたな。しかし、そうですか……その騎士団長殿は、一緒にこちらへ来ているのですか?」

「いえ。立場が立場ですので、領地で父の補佐をしてくれています」

サーシャのことを話すべきかどうか……少し考えた後に、今はまだ黙っておくことにする。ルークにも相談したいし、クロードの側からも逆に聞きたいことがあった。

「失礼ですが、アークフォート先生は、僕の師のことをご存知なのですか?」

「……人違いでないとすれば、まだ赤ん坊の頃に、少しだけ……もちろん、憶えてはおられないでしょう。そのヨルダリウス殿の父君は、かつての私の上官であり……そして戦友でした。もうずいぶんと古い話です。君の弓の構えが……あまりにも当時の彼と似ていたものですから、何か縁があるのではと気になりましてね」

つまり、例の反乱の生き残りか……あるいは国外脱出を手伝ったのかもしれない。おそらくは『ラダリオンがネルク王国へ逃げ延びた』ことも把握している。

クロードは冷や汗をかきながら、頭を下げて彼の前を辞去する。

ようやく他の学生達に紛れようとした彼を、いかついほうの講師がさらに呼び止めた。

「君、悪いがちょっと待ってくれ」

……まぁ、こっちはそんなに怖くないので、安心して立ち止まる。

「アークフォート先生との会話が聞こえたんだが……君はネルク王国の貴族らしいね? 人柄も良さそうだし、少々、頼み事をしたいんだが……」

いかつい講師は一瞬の視線で、オーガス・ペシュクを示した。

「……あそこにいる、黒目黒髪の少年……伯爵家の御子息なんだが、ちょっと難しい事情を抱えている。私の講義ではきちんと対応するつもりだが、目の届かん時間帯もあるだろうから……他の生徒から何か嫌がらせなどをされていたら、教えてほしい。それと……もしも気が合うようなら、話し相手になってくれると……いや、これは私から頼むようなことではなかった。すまん、忘れてくれていい」

クロードは曖昧に頷いて一礼し、今度こそこの場を離れる。

講師の内心は、それこそ手に取るようにわかった。

他国の貴族であれば、ペシュク伯爵家への偏見もないだろうから、良き友人になれるかもしれない。

留学生活が終われば国へ帰るだろうから、他の貴族から多少目をつけられても後腐れがない。

何より、「他国の貴族」に手を出すと国際問題になるため、まともな貴族ならば決して 迂闊(うかつ) な真似はしてこない。

ゆえに防壁としては都合が良く……しかし、クロード側の「交友関係」に影響する可能性も出てくるため、強く願うわけにはいかないし、非常に悩ましい……というのが、講師の思案だろう。

それを思いついてとっさに口にしたものの、結局はクロードの意思に 委(ゆだ) ねるべきことだと思い直し、途中で前言を 翻(ひるがえ) す形となった。

このいかつい講師は少々不器用ながら、おそらく真面目な教育者だと思われる。温厚なクロードに目をつけたあたり、人を見る目もある……と、思う。

以上のことを察し切った上で、「さて」とクロードは思案した。

まずはルークに相談したい。クラリスからも意見を聞きたい。

こういう状況下で真っ先に頼る先が「飼い猫」と「妹」なのは、ちょっとどうなのかと自分でも思うが……一番頼りになるのがこの一匹と一人なのも事実である。

試技の終了を待っていると、射場の端からベルディナが駆け寄ってきた。

「クロード様、どうでしたか? 先生方と何か話していたみたいですが……」

「いえ、たいしたことでは……それより、なんだか空気が変じゃないですか?」

射場の学生達は、それぞれに弓を構えている。

新入生の初心者組は、若い講師のそばに集まり、基礎的な説明を受けている。

しかし、それ以外の――射場で順番待ちをしている学生、あるいは休憩中の学生達が、なにやらひそひそと小声で囁き交わしているのが気になった。

ベルディナがかすかに唸る。

「……ペシュク伯爵家の噂話でしょう。さっきの交易学で見かけた、侯爵家の取り巻きとか……あと他の人達も、『ペシュク伯爵家の御曹司がいる』って広めたみたいで……一週間もすれば落ち着くとは思います」

悪口とまではいえない。しかし、「あの人が……」「ペシュク伯爵家の……?」といった類の、あまり質の良くない注目がオーガスに集まっている。

それにさらされた彼は、誰も寄せ付けずに一人、寒風に耐えるように立っていた。

まるで無言を保つことが、罪に対する罰であるかのように――

クロードはふと、理不尽な怒りを覚えた。

滅多なことでは怒らないと自覚しているし、怒りをどこに向けているのかは自分でもよくわからないのだが、とりあえず歯を食いしばる程度には 苛(いら) ついた。

彼が何をしたというのか。

過去の罪業を背負った落ち目の伯爵家に、たまたま生まれてしまっただけの少年だ。

もちろん貴族として家を継ぐのならば、先祖の罪業からも逃げられない。負債は引き継がれるものだし、それを 厭(いと) うならば家を捨てるしかない。

その理屈はわかるし、貴族が明確な特権階級である以上、その程度の責任は甘んじて受け入れるべきだとも覚悟している。

理解した上で、甘受した上で、それはそれとして……

明確な言葉もなく、ゆえに反論も許さず、本来は無実であるはずのオーガスを責めるようなこの場の空気が、どうにも我慢ならない。

これは貴族としての常識とは別次元の、クロード個人の価値観の問題である。

つまるところ、怒りを向けている先は――こんな状況でうだうだと考え込んでいる自分自身に対してなのだろう。

……………………ところで、珍しくそんな真面目なことを考えているクロードの視界では今、なんだか見覚えのある魔導師姿の黒猫達が、わさわさとオーガスの周囲に集い、その体によじ登り、頭の上にのしかかって遊んでいた。

とうのオーガスは重さも体温も感じていない様子だが、見た目がちょっとヤバい。

そしてこの黒猫達が見えているのはクロードだけらしく、ベルディナをはじめとして他の学生達は何も反応していない。

おそらくはルークからもらった称号、『亜神の信頼』あたりが影響している。

オーガスの頭上に陣取った黒猫は、招き猫のように手招きをしている。

そしてクロードの足元にも別の猫がまとわりつき、制服の裾に噛みつきぐいぐいと引っ張っていた。

隠蔽がゆるいというより、クロードに姿を見せているのだ。

(……ルークさんは仕事中のはずだから……これは……えぇと、『暴走』ってことでいいのかな……?)

ルークの猫魔法は、たまに使用者にとって想定外の動きをすると、ルーク本人もぼやいていた。

猫の自由な気質を再現しているものと思われるが、たまに餌などをちょろまかす程度で、実害はほとんどない。入学式の時には学生に餌付けされている個体もいたようだが、ルークは見て見ぬふりをしていた。

いずれにしても、「力の暴走」と呼ぶにはファンシーすぎるのだが、完全に制御されていないという面では不安要素もあるにはある。ほんとにある……? 挙動は人懐っこい野良猫と大差ないな……?

「……ベルディナさんは練習に戻ってください。僕は少し、彼と話してきます」

「えっ……あの、話すといっても、何を?」

「まず話してみないと、何もわかりません」

怒りから一転、猫達の存在によって脱力させられながら、クロードは気の抜けた足取りでオーガスの傍へ歩み寄った。

猫達が警戒しないということは、この選択で良いのだろう。

オーガスの頭上に乗っていた魔導師風の黒猫が、優雅に空を飛んでクロードの頭へ飛び移る。そよ風のようでやはり重さは感じない。が、てしてしと頭を叩かれ……撫でられているのはなんとなくわかる。

クロード以外には見えない猫達に後押しされて、彼はオーガスの前に立ち止まった。

オーガスは強張った顔のまま、やや不安そうにクロードを見た。

「はじめまして。僕はクロード・リーデルハイン……ネルク王国から来た子爵家の留学生です。先程の弓はお見事でした。的の中心を射抜いたこともそうですが――貴方のフォームが、ここにいる学生達の中で一番きれいだったと思います。確かな鍛錬の成果を感じました」

弓という共通の話題は、とっかかりにちょうどいい。率直に褒めると、オーガスはひどく驚いたように目を見開き、慌てて会釈をよこした。

「オーガス……オーガス・ペシュクです。あの、恐縮です。しかし、自分は……その、ご存知とは思いますが、ペシュク家の人間ですので……」

あまり関わらないほうがいい、と言おうとしたのだろう。

だが、クロードは「関わる」つもりで声をかけた。

「もしよろしければ、放課後にでも改めて、弓の話をさせていただけませんか? 僕はネルク王国の片田舎で好き勝手に弓術をやってきたもので、基礎が怪しくて……こちらの常識にも疎いですし、所詮は他国の人間ですから、知り合いも少ないんです。数年で帰国する身ですし、それまでに少しでも、見聞を広めておきたくて」

これを意訳すると、「貴方と弓の話がしたい」「ホルト皇国の貴族社会に深く関わる気はない」「だからペシュク家の過去とかはどうでもいい」という意味になる。

オーガスにこれが正しく伝わったかどうかはわからないが、クロードの見たところ――彼はおそらく、「頼まれれば嫌とは言えない」タイプだった。なんとなく……自分と似た空気すら感じてしまう。

オーガスは戸惑いながらも「わかりました。では放課後に」と応じてくれた。

その後は実射の訓練が始まり、教官達からフォームの調整を受けつつ、しばらく自由に矢を射ることができた。

……そして老講師の「アークフォート」は、その間、無言でずっとクロードを見ていた。

このせんせい、やっぱりこわい。

§

午前と午後の各講座を消化した弓術の講師陣は、講師室に集まっていた。

今期の弓術講師数は総勢三十人。

基本的には主任講師と若手講師の三人で一つの講義を受け持つスタイルで、同時間帯に複数の射場でそれぞれの授業を並行して行う。受講生の多い時間帯には補佐の人員が入り、講師が四人、五人になることもある。

授業といっても実技とその指導であり、講師にかかる負担はさほど大きくもないが……なにせ「飛び道具」であるため、安全管理には気を使う。

弓を初めて持つ初心者に対しては丁寧な指導が必要になるし、他国から来る留学生など、ホルト皇国での常識を備えていない者もいるため、初回は特に気が抜けない。

今日は「熟練者の見極め」と「初心者への説明」に終始したが――危険そうな学生、有望そうな学生については、講師達の間でも軽く情報共有を行う。

「バルカン侯爵家の御次男がいたよ。ターゲットよりもフライト向きだな。力があるから、かなり飛ばせそうだ」

「こっちにはペシュク伯爵家の長男がいた。立場上、風当たりは強かろうが……癖がないというか、淡々としているというか、非常に整ったお手本のような姿勢だった。あれは相当、真面目に鍛錬をしてきている」

「アークフォート先生はどうです? お眼鏡にかなう射手はいましたか」

「はぁ。そうですな……」

弓の講師陣の中で最年長のアークフォートは、にこにこと温厚に微笑む。

彼は高齢のため、メインの業務からはすでに退き、補佐役としていくつかの講義に顔を出している。

若い頃の経歴は不明だが学園長の友人で、こと「弓」の技術に関しては講師陣の中でも群を抜いていた。

老眼が進行したため、的を見定める力は落ちているはずだが……それでも「だいたいこのあたり」という勘だけで当ててくる達人である。

「皆、筋の良さそうな子ばかりでしたが……あえて一人、挙げるとしたら、ネルク王国からの留学生ですかな。あれはひどい」

「ひどい……? え? 技術的に何か問題が?」

「確かに、的の中心からは少しだけずれましたが……かなりの熟練者に見えましたよ?」

あの場にいた、いかつい方の髭面講師が不思議そうに問う。

アークフォートはくすくすと笑った。

「何がひどいって、貴方。凡人の群れに、あんな化け物を混ぜちゃいけませんよ。魔導系の授業に純血の魔族を混ぜるようなものです。ネルク王国というのは拳闘兵の国だと聞いていましたが、いったいどういう環境で育ったのやら……」

講師陣が一様に、ゴクリと唾を飲み込む。アークフォートは日頃、誰に対しても甘く、褒めて伸ばすタイプではあるが……特定の誰かを、他と隔絶したような存在として評することは珍しい。

まだ若い女性の講師がおずおずと手をあげた。

「あの、先生。たった一回の授業で見ただけで、才能の有無ってわかるものなんですか……?」

「わかりませんよ。わかるわけがない。私だって、他の生徒達の才能の優劣なんてわかりゃしません。調子のいい悪い、練度の高い低いぐらいならともかく、だいたいはどんぐりの背比べってやつです。ついでに、どんぐりの中に松ぼっくりが混ざっている程度なら、見間違えることもあるでしょう。我々なんぞはせいぜいその松ぼっくりです」

アークフォートは力なくへらへらと笑う。

「しかし……そのどんぐりが煌々と光っていたら、『ああ、これはどんぐりじゃないな』って、私にもわかります。本来ならわかるはずのない才能の差も、あれだけ隔絶していれば目立つ」

ずずず……と茶を傾けてから、老講師は俯いた。

「ガラッデ先生達が見逃したのは、彼のフォームが、昨今の主流からズレた『戦場用』のものだったからでしょうな。ただ的の中心を射抜くための射場弓術ではなく、たとえば曲射で的に当てたり、空を飛ぶ鳥を落としたり、鎧の継ぎ目を狙って貫くような……さらには自分が動きながらでも狙いを外さない、少々特殊な技術です。もしも障害物ありの野戦をやったら、我ら講師陣全員でかかっても、彼一人に負かされそうです」

いかつい講師が冷や汗を拭う。

「またそんな、アークフォート先生はご冗談を……」

「……冗談であってほしいと、私も思います。あるいは老眼のせいで見間違えただけかもしれません。しかし……あの『クロード・リーデルハイン』という留学生に関しては、少々、気を配ったほうがよろしい。下手な指導をすると、『ホルト皇国の弓術はこの程度か』と失望されますよ」

口元で笑い、目では笑わず――弓術の講師、アークフォートは、その痩せた肩をぶるりと震わせたのだった。