軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

135・ウェルテルの帰還

ウェルテル・リーデルハイン、三十六歳。

彼女は 肺火症(はいかしょう) という病を患い、自らを隔離して、長く療養生活を続けてきた。

これは前世でいうところの結核である。

実は俺も感染したことがあり、およそ半年にわたって抗生物質を飲み続けたが……こちらでは不治の病扱いであり、俺がペットとして飼われ始めた頃のウェルテル様は死をも覚悟していた。

そんな奥方様の復帰である!

春先から抗生物質の投薬を始めて、『じんぶつずかん』を毎日チェックしていたのだが、このたびとうとう『完治』の表記が出た。

まだきっちり半年は経っていないが、周囲への感染力はとうになく、別の結核菌に再感染しない限りは再発の恐れもなしと、じんぶつずかんさんのお墨付きだ。今後もたまに確認しようとは思っているが、それは定期検診のようなモノとなる。

唐突に抱きつかれたクラリス様は、びっくりしてしばらく固まっていたが――

耳元で囁く母の言葉が本物だと理解すると、たちまちその眼から涙を溢れさせた。

「お母……さま……どうし、て……ご病気、は……?」

「ライゼーがよく効く魔法薬を取り寄せてくれたの! そのおかげで完治して、こうして家にも戻ってこられることになって――」

何かを察したクラリス様が、リルフィ様に抱っこされた俺を振り返る。

しかし猫は毛づくろいに夢中。ぺろぺろと手の甲を舐めては、頬のあたりをこすっている。母娘の感動の再会に割り込む気は毛頭ないのだ。

クラリス様は……

「……うううー……」

声を殺して、完全に泣き始めてしまった。

ウェルテル様はそんな娘を胸に抱きしめ、背中を優しく撫でる。

「……寂しい思いをさせてごめんね……そして私がいない間、みんなを支えてくれてありがとう……もう大丈夫。これからは私が、ちゃんと傍にいるから――」

クラリス様は無言でしゃくりあげる。

どんなに大人びて見えても、どんなに賢くとも――我が主、クラリス様はまだ九歳。

もちろんリルフィ様やサーシャさんが支えになっていたものの、父親のライゼー様はお忙しく、兄君のクロード様は士官学校へ行ってしまい、寂しかったのだろう。

クラリス様はその賢さゆえに、聞き分けが良い。決してワガママを言わぬ。その上で周囲に心配をかけぬよう、平然と振る舞っていた。

だがそれは、あくまで「平気なように見える」だけであって、決して「平気だった」わけではないのだ。

そして、ウェルテル様が我々を見上げる。

「リルフィも、サーシャも、改めて……クラリスと一緒にいてくれて、ありがとう。あと……そちらの猫さんと大きなウサギさんが、クラリスからの手紙に書いてあったルークとピタちゃんね?」

ウェルテル様はまだ我々の正体をご存知でないはずである。俺のことは「ペットの猫」、ピタちゃんのことは「でかいウサギ」としか認識していないはずだ。

というわけで、こちらも改めて自己紹介の時間。

俺はリルフィ様の腕から飛び降り、自らの胸に前脚を添え、うやうやしく一礼した。

「お初にお目にかかります、ウェルテル様! 私(わたくし) はクラリス様にペットとしてお仕えしております、亜神のルークと申します! このたびは病気のご快癒、まことにおめでとうございます!」

――ウェルテル様は、ほけっとしていた。

「そしてこちらのウサギさんは私の従者でして、クラウンラビットのピタゴラスちゃんです。お屋敷の皆様はピタちゃんと呼んでいます。主なお役目はクラリス様の護衛です」

「ぴたごらすだよー。よろしくねー」

ピタちゃんは耳を振ってご挨拶。

ウェルテル様は、しばし固まっていたが――割とすぐに、正気を取り戻した。

「……そっか、やっぱり、貴方が……ねぇ、ルーク。貴方、春先に一度、療養地の庭に来たわよね?」

……よく憶えてたな……? 野良猫とゆーか、地域猫は町にもいるのだが、ルークさんは体型にほんのちょっとだけ個性があるため、見分けやすいらしい。

手足とね……胴体がね……ほんのちょっぴり、短いんですよ……

「はい! あの時は、驚かせてウェルテル様の病状に影響しては良くないと、ただの猫のふりをさせていただきました」

「やっぱり……あの不思議な薬も、貴方が用意してくれたのよね?」

なぜバレているの……? ライゼー様は「まだバラしてない」って言ってたよ……?

別に否定すべきことでもないのだが、説明する前からウェルテル様がこの推測に達していた理由が解せぬ。いくらクラリス様の母君にしても賢すぎるのでは?

俺の疑念が伝わったわけでもなかろうが、ウェルテル様はすべてを知っているような目で微笑んだ。

「貴方が庭へ来た日に、不思議な夢を見たの。貴方にそっくりなキジトラ柄の猫さんが、『すぐに良く効く薬を届けるから、安心して待っていて欲しい』って……次の日、本当に、夫からの手紙とその薬が届いてびっくりしたわ」

正夢というやつか……?

アイシャさんが俺の存在に気づいたのは「夢見の千里眼」なる特殊能力の効果であったが、ウェルテル様はそうした特別な力はお持ちでないはずなので、ガチの不可思議現象か、もしくは俺側の無意識のやらかしか――

……後者かなー。後者な気がするなー……

俺はかわいらしく首を傾げてみせた。困ったら可愛さアピールである。それでだいたい解決する。クラリス様には見破られているが、リルフィ様には効果てきめんであるし、ほぼ初対面に近いウェルテル様ならば効果はあるであろう。

猫力は……ん? 初期値は68だったはずだが、82まで上がってるな……?

「療養中にも、メイド服みたいな衣装を着た、不思議な三毛猫さん達が来てくれたの。熱が上がってつらい時とか、薬を飲み忘れた時に教えてくれたりとか――知らないうちに、家事もこなしてくれたり……」

……聞いてない!

俺は慌てて『じんぶつずかん』を再確認。いや、病状の確認は毎日していたのだが、そんな記述……あるわ。

――『じんぶつずかん』さんは基本的に、俺が知りたいと思った事柄の関連情報を抜粋して示してくれる。でないと情報量が膨大すぎて、まともに読んでいられぬのだ。

そして俺はウェルテル様の「病状の確認」「投薬状況」だけを見ていて、その日々の生活ぶりとかまでは覗いていなかった……

よくよく見れば、三毛猫衛生部隊の方々が交代で詰めていたらしい。

すごいな君ら……俺の指示なしで勝手に動けるのか……基本的には姿を隠していたようだが、たまに油断すると見えちゃったのだろう。

どうやらそれが始まったのは、俺がアーデリア様を制圧した後くらいから。

……まさかとは思うが、『英雄検定』が三級から二級に上がったタイミング……? 称号の影響で能力が拡張された……?

ウェルテル様ご快癒の喜びをよそについ思案してしまったが、これはつまりアレか。俺がウェルテル様のことをずっと気にしていたから、無意識のうちに猫魔法が発動していたとゆー話になるのだろうか……?

「三毛猫衛生部隊の方々がお邪魔してましたか……何か失礼などはありませんでしたか?」

「失礼どころか、すごく助かったわ。貴方が寄越してくれたんでしょう?」

「……私の仲間の猫さんは、自由な生き物なので……たまーに、指示していないこともしてくれるんですよね……」

ううむ……これってまさかチート系能力にありがちな「力の暴走」的な?

ちょっとどころでなくやべー事態な気もするが、それで引き起こされたのが「猫さんによる病人への看護」とゆーのは……暴走にしては、絵面がだいぶ微笑ましい……

致命的なやらかしではなくて良かったが、自分で制御できない魔法とか一歩間違えたら悲劇の発端である。今後は気をつけねばなるまい。

…………………………ところで、そのきっかけかもしれない「英雄検定」さんが、早くも「準一級」に上がってるのはなんなんですかね……?

これまでこの不都合な事実からは目を逸らし続けていたのだが、こちらはどうやら「古楽の迷宮のボス討伐」「有翼人の皆様の移住促進」で合せ技一本、という感じの昇級だったらしい。そういうのもあるのか……たぶんこれ、人助けすると試験受けなくても問答無用で上がっていくヤツだな……?

これが一級まで到達した時に、果たして何が起きるのか――

カウントダウンみたいでちょっと怖いのだが、能力強化とかはあったとしても、それ以外では特に何も起きないだろう。仮に特典があったとしても「就職に有利」とかその程度だと思いたい。略称のままなら履歴書にも堂々と書けそう。(現実逃避)

これらの思考を一旦、脳裏に収め、俺はクラリス様に声をかける。

「クラリス様、投薬のこと、黙っていて申し訳ありませんでした。しかし、薬が確実に効くという保証もなく、また治るにしても、いつ完治するかまではわからない状態だったのです」

クラリス様はお母様に抱きついたまま、無言で首を横に振る。声が出ないのであろう。

「それと、リルフィ様やサーシャさんにもお話ししていなかったので……びっくりさせてしまいましたよね?」

「は、はい……どうしてウェルテル様がここにいらっしゃるのかと……驚きました……」

「つい昨日も、食材と洗濯物をお届けにあがったばかりだったので……言ってくだされば、私もお迎えにあがりましたのに」

ウェルテル様が苦笑い。

「ごめんなさいね、私も今日戻れるなんて思ってなかったの。今日のお昼頃、急にライゼーが迎えに来てくれて、『もう戻って大丈夫』って言われて……私物とかも向こうに置きっぱなしで、とにかく早くクラリスに会いたくて……」

俺も正直、「今夜あたり、クラリス様に事情をご説明して、明日にでも一緒にお迎えに行こうかな」とか思っていたのだ。

キルシュ先生達のところへ行く前に、ライゼー様にだけは完治の情報をお伝えしておいたのだが、お出迎えの準備もなしに即日帰宅とは……

ライゼー様も、この日をよほど待ちわびておられたのだろう。気づけば階段の脇で、目頭を押さえ佇んでいる。

妻と娘の再会に感極まった、一人の父親の姿がそこにあった。

§

――時を少しだけさかのぼって、今朝の話。

朝の農作業後の日課である『じんぶつずかん』のチェックを終えた俺は、すぐさま執務室のライゼー様に「ウェルテル様、完治」のご報告をした。

「ライゼー様、おめでとうございます。ウェルテル様の『肺火症』――予定より少し早いですが、めでたく完治いたしました! 投薬はもう必要ありません。折を見てお屋敷へ帰ってきていただきましょう」

肉球を掲げてそうお伝えしたところ――

……あのライゼー様が、机の上に泣き崩れた。

「……す、すまん、ルーク……つい、感極まって……すまん。ありがとう……ありが……」

執務机に飛び乗った俺は、涙で声を詰まらせるライゼー様にそっと寄り添い、その肩を肉球でぽんぽんと叩いた。

「……お察しいたします、ライゼー様……これもウェルテル様がきちんとお薬を飲み続けてくださったおかげです。家族のために自らを隔離して、たった一人での闘病生活を乗り越えた奥様を――ぜひ、存分にねぎらって差し上げてください……」

ライゼー様が泣き止むまでの時間を稼ぐように、ゆっくりと……噛んで含めるように、そう申し上げた。

やがて立ち直ったライゼー様は、俺を腕に抱えこみ、力なく笑う。

「ルークは本当に、自分の功を主張しないな……君の薬のおかげなんだぞ?」

「にゃー……しかしあのお薬も、別に私が発明したものではないので。むしろ私自身、あのお薬によって救われた身なのです」

それをコピーキャットのおかげで複製できているわけで、そっちは超越猫さんの技術の賜物……あまりドヤ顔できる案件ではない。

そもそも飼い主のご家庭のメンタルヘルスを守るのはペットの責務。ウェルテル様のご快癒によって、クラリス様やライゼー様が心安らかに過ごせるようになるならば、それこそペット冥利に尽きるというものである。

「しかし、これほどの恩を受けては……どうやって報いたら良いのか、見当もつかん。ルーク、私は君に何をすれば良い?」

微笑みながらも本当に悩んでいそうなライゼー様であるが、こんなん俺からの返答は決まっている。

「ライゼー様、それは逆です。行き倒れ寸前だったこんなに怪しい猫を、ペットとしてリーデルハイン家に温かく迎え入れてくださったこと……その御恩を返さねばならないのは私のほうなのです。今日の慶事は、ライゼー様にあの時かけていただいた温情によって招かれました。私の方こそ、改めてお礼を言わせてください。拾っていただいて、ありがとうございました。そしてこれからも、引き続きよろしくお願いいたします!」

懸情流水(けんじょうりゅうすい) 、 受恩刻石(じゅおんこくせき) 。

かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻めという、かっこいい言葉である。ペットたるもの、かくありたい。

俺の言葉を聞いたライゼー様は、抱っこの力をちょっと強め――背を撫でながら、猫耳に囁いた。

「クラリスが君を拾ってきた時――私は、『いずれ恩返しをしてもらえるならば、期待しておこう』などと言ったね。あれはあの場限りの冗談のつもりだったが……君は誠実に、私が想像もしていなかった形で、その約束を果たしてくれた。ありがとう……次は私の番だ。できることがあれば、なんでも言って欲しい」

んー。義理堅いお方である……

とはいえライゼー様にも、シャムラーグさんや有翼人の方々の移住を認めてもらったり、トマト様の畑を拡張させてもらったり、すでに結構な勢いで便宜をはかってもらっている。ここはお互い様であろう。

――後日、この時のことを、快癒したウェルテル様にもお話ししたところ、笑顔でこんなご感想をいただいた。

「ペットは飼い主に似るって言うけれど、ルークはうちに来る前からそういう性格だったんでしょうし……普通に似た者同士で、相性が良かったんでしょうね」

ライゼー様と俺が似ているなどとは、恐れ多いのを通り越して世迷言の類ではないかと思ったのだが――

何故かクラリス様やリルフィ様も、納得顔で頷いていらしたのが印象的であった。

そしてピタちゃんは一心不乱にソフトクリームを舐めていた。ブレないな!