作品タイトル不明
115・猫と神官
見習い神官、ハズキ・シベールには夢がある。
演奏者として。
大勢の聴衆の前で。
『祖父』が最期に作った曲を演奏したい――
ハズキの祖父は作曲家ではない。演奏家でもない。神官でもなく、一介の料理人だった。
店は繁盛していたし、腕は良かったと思う。ハズキも幼い頃、よく厨房で手伝いをした。
世には「子供が厨房に入るな」と怒鳴る料理人もいるだろうが、祖父は「料理を楽しんで欲しい」「仕事の喜びを肌で感じて欲しい」、そして「客の笑顔を喜べる子になって欲しい」という願いを込めていたようで、優しくいろいろと教えてくれた。
ハズキも幼い頃から真面目で手先が器用だったため、その丁寧な仕事ぶりを、祖父は純粋に評価してくれていたようにも思う。そもそも小さい店だったから、客と厨房の距離も近かった。
祖父は趣味で音楽をたしなんでおり、古びたバイオリンを愛用していた。
魔道具ではないそのバイオリンは、今はハズキの練習道具になっている。ところどころに補修の跡があり、音の響きは褒められたものではなく――狭い室内ならばいざしらず、露天の音楽会では後ろの聴衆まで音を届けられない。
魔道具の楽器と、それ以外の楽器。
その明確な差は、「音が届く距離」にある。音程の繊細さや演奏のしやすさ、音質の使い分けの可否など、他にも要素はいろいろとあるが、演奏技術では埋められない決定的な差が「音量」である。
――もしも転生者であれば、「魔道具の楽器」とはつまり、「アンプとスピーカーを内蔵した楽器」だと気づいただろう。アンプもスピーカーも本来は外付けの機器であるが、風属性の魔法を用いれば、一つの楽器の中にそれらの機能を盛り込める。
また、ものによっては電子楽器のように、「ピアノの形状なのに、バイオリンの音も奏でられる」といったケースすら有り得る。
魔道具の楽器は、「一流の演奏者になるためのスタートライン」と言っていい。
世知辛い現実だが、それなしでは「その他大勢」に埋もれてしまう。
その場合でも神官としての生活はできるし、そう悪い待遇でもないのだが――大観衆を前にしてのソロの演奏などはできない。
ましてや、「自分の演奏したい曲」などを披露できるものではない。
音楽家という夢を諦め、料理人として生きた祖父。
彼の曲を、ハズキは世に出したい。
そして、それを自分の演奏によって実現したい。
他人には委ねたくない。
その曲は「祖父がハズキのために作ってくれた」曲だから。
ハズキ・シベールはそんな夢を抱いて、迷宮へ潜り、楽器を得るために、ケーナインズのメンバーとなった。
――そんな彼女は今、想定外の事態に直面しつつある。
ケーナインズは昨日、迷宮で魔物に襲われ、全滅しかけた。
その窮地を救ってくれたのは、宮廷魔導師の弟子、アイシャ・アクエリアと、彼女の連れ……だと思われる。
より正確には「岩でできた猫」なのだが、あれがなんだったのか、いまだによくわかっていない。
そのアイシャと連れの巨漢は現在、さほど広くもない宿の一室で、ケーナインズの面々と向き合っていた。
ソファなどという気の利いたものはここにはない。
部屋に二脚しかない椅子を来客に勧め、ハズキとシィズは寝台に座り、男二人はそのまま壁際に立つ。
巨漢が気安く片手をあげた。
「アイシャ殿はもう名乗っているから、まずは俺の自己紹介をさせてもらおう。名はヨルダ、僻地の子爵家で働いている。昔は隊商の護衛なんかをやっていたから、あんたらともまあまあ近い立場だ。いろいろ不安だとは思うが、そう警戒しなくていい。事情の説明は……アイシャ殿、おまかせしていいか」
「はい。えー……まぁ、単純に申し上げて、私からの用件は一点。迷宮で『黒帽子キノコ』を大量に採取できたので、これの美味しい調理法や使い方、保存法なんかのレクチャーを望んでいます。つきましては、そういうのを教えてくれそうな料理人を紹介してください」
ハズキ達は戸惑った。
シィズが恐る恐る、相手の顔色をうかがう。
「ええと……あの、それだけ、ですか?」
「………………私からは、それだけです。他のことは、まぁ……」
「アイシャさん、そこから先は、この私めが!」
やや高めの声。
発生源がよくわからない。まさかとは思うが、アイシャが膝上に置いた手荷物の中から聞こえたような気がする。
その手荷物が、もぞもぞと蠢き――
一匹の猫がひょっこりと顔を出した。
キジトラである。
短い前足で背負袋の口を広げ、よじよじと這い出した後、彼は床面にさっそうと飛び降り――着地に失敗して、ぼてっと四肢を投げ出した。
すぐにむくりと起き上がると、猫の顔に照れたような苦笑いを浮かべ、前足で自らの後頭部を掻きながら、ぺろりと舌を出す。
「あはは……失礼しました! ちょっと重心が高めでして」
猫はすっくと立ち上がり、片方の前足を自らの胸元に添え、優雅にぺこりとお辞儀をした。かわいい。
「お初にお目にかかります! 私、リーデルハイン子爵家のペットを 生業(なりわい) としております、ルークと申します! あ、こちらはご挨拶とお近づきのしるしに――ぜひ皆さんで召し上がってください!」
猫がどこからともなく、手品のように紙袋を取り出した。
その中には円形の……火口が割れた活火山のような形状の、見たことのないパンが多数収まっている。
流されるように受け取りながら、ハズキは呆けていた。
――なにこれ?
パンはどうでもいい。いや、どうでも良くはないが、さしあたって気にするべきはそこではない。
ケーナインズの面々が言葉を失っている中、キジトラ猫は元気に朗々と喋り続ける。
「既にお気づきかもしれませんが、昨日、迷宮で皆様をお助けしたのは私の仲間の猫さんです! ストーンキャットさんと言いまして、いつもは私のお昼寝パートナーを務めてくれる、心優しいのんきな猫さんでして――あんなふうに戦うことは滅多にありませんので、どうか怖がらないであげてください。体は岩でゴツゴツしていますが、人に撫でられるのも大好きです!」
ちょこまかと身振り手振りをまじえながら、猫はブルトの傍に歩み寄り、膝のあたりを肉球でてしてしと叩いた。
「そして今回、皆様にお声がけをしたのは、アイシャさんもおっしゃった通り、黒帽子キノコに関するレクチャーのためだったのですが――他にも長期にわたってご依頼したい案件とかがあり、改めてご挨拶させていただくことにしました! ……えーと。大丈夫ですか? 話の展開についてこれてます? 本題に入る前に、ちょっと休憩いれましょうか?」
猫の気遣いに……ブルトは反応できず、ぽかんと口を開けたままだった。
リーダーとしては割と冷静で人当たりも良い男なのだが、いかんせん、本物の「神獣」を前にして平静を保てるほどの胆力はない。
神獣。
そう、神獣である。
一般に、魔力を持つ獣全般を「魔獣」と呼び、その中で信仰の対象となる魔獣を「聖獣」と呼び、さらに聖獣の中で人語を使いこなすものを「神獣」と呼ぶ。
人語を解しつつも人類に敵対的な場合は、あえて「魔獣」と呼ばれる例もあるのだが、これはつまり人の主観に影響される分類であって、国によっても定義にちょっとした揺れがある。
目の前にいる猫については、信仰の有無はわからないが……
いや。
……そういえば、「宮廷魔導師ルーシャン・ワーズワースは猫を信仰している」と風の噂に聞いたことがある。
となればつまり、眼下の物体は紛うことなき「神獣」だった。
そう気づくや、ハズキは寝台から降り、床に 跪(ひざまず) いた。
紡ぐべき挨拶を、脳内で整理する。
お初にお目にかかります、ルーク様。お会いできて光栄です。迷宮では我々の 窮地(きゅうち) をお救いくださり、ありがとうございました――
そう言おうとした。
言おうとはしたのだ。
がんばった。
彼女なりにがんばったことは、あえてここに主張しておきたい。
しかしながら、唐突な事態に思考が 爆(は) ぜていたハズキの次の行動は、自分でも思いもよらぬものだった。
「…………かっ……かわいいっ……!!!!」
「うにゃっ……!?」
ほぼ無意識のうちに、ハズキは床に立っていた猫を両腕にかかえ上げ、抱きしめてぎゅっと頬ずりをしていた。
抱き心地は柔らかくすべすべ。
よく乾いた洗濯物、あるいは焼き立てのパンのような香ばしい香り。
猫は驚いた様子ではあったが、暴れて逃げ出すこともなく、腕に収まってしまえば実におとなしい。
「あああああ……! ふっかふか……かわいい……かわ……ふわぁー……!」
欲望に抗えず猫の腹に埋もれ、ハズキは深呼吸を繰り返す。
ここまでしても引っかかれない。すごい。神かもしれない。
真っ先に我に返ったのはシィズだった。
「あっ……だ、だめよ、ハズキ! 失礼でしょ!?」
「……あー、大丈夫、大丈夫です。ルーク様、猫好きさん相手には超ゆるいんで……特にかわいい女の子相手だと即座に懐いちゃうんで……」
「にゃーーん」
アイシャが諦めたように呟く中、とうのルークは目を細め、ごろごろと喉を鳴らしていた。
このチョロさ。刺さる。
何者にも 迎合(げいごう) しない超然とした猫もそれはそれで尊いが、こうして無防備に懐いてくれるひたすらかわいい猫さんからしか摂取できない栄養素もある。
そもそも初対面で猫吸いさせてくれる猫さんとか現実には存在しない。すなわちこれは夢である。夢ならばいっそ存分に 堪能(たんのう) したい。
ハズキは無心になって、ルークという猫を撫で回した。
その様子を見て――シィズも恐る恐る、隣に寄ってくる。
「……あ、あの……私も……私も、撫でても大丈夫ですか……?」
「……いいんじゃないですかね……ルーク様、撫でられている間は割と意識飛ぶので、今なら悪口とか言っても気づかれないですよ……」
諦めの境地に至ったか、アイシャは水筒を出してくつろぎながら、手土産の丸いパンを一つくすねてかじりついた。
たちまち彼女は目を見開く。
「……えっ。うまっ……! ちょっとルーク様! これパンじゃないですよ!? 何ですかこれ!?」
「ごろごろごろ……あ。それは 甘食(あましょく) といいまして……にゃあああああ……」
ハズキとシィズのモフりに、猫は 恍惚(こうこつ) としていた。
アイシャは黙々と手土産を横取りし、ヨルダと名乗った巨漢は壁際で所在のないブルトとバーニィに声をかける。
「あんたらもモフるか? アイシャ殿はああ言ったが、ルーク殿は男でも普通に触らせてくれるぞ」
「い、いや、俺らは…………後で」
「……違うでしょ、ブルトさん。ちゃんと現実見てくれよ……いや、猫はこの際、どうでも……良くはないけど、つまり、どういうことなんです……? 貴方達は俺らにとって命の恩人だし、依頼があるならもちろん受けたいけど……ブルトさんには悪いけど、正直に言って、俺らごときが貴方達の役に立てるとは……だって、ごくごく普通の冒険者ですよ? 助けてもらった通り、戦闘力も未熟ですし――」
「『普通の冒険者』なのがいいんだろうな。ただ、口が固くてルーク殿に好意的なら――って条件はつく。まあ、協力してくれるなら悪いようにはならんよ、それは保証する。俺もしがない子爵家の一家臣だが、ルーク殿に出会って以来、毎日がおもしろい。『ご 利益(りやく) 』は確実だ」
ご利益。
その言い回しが、ハズキには少し気になった。
猫をシィズに渡し、彼女は床の上で姿勢を正す。
「……こほん。えー……失礼しました。本当に、本当に失礼をしました。悪気はなかったのですが、数日間、迷宮に潜っていたせいか、いつもよりふわふわに餓えていたみたいでして――」
「禁断症状か……つらいよな」
ヨルダが訳知り顔で頷いたが、おそらく気を使ってもらっている。
猫のルークも肉球を軽く振った。
「いえいえ、お気になさらず! 猫扱いしていただける分にはまったく問題ありません」
「……いえ、本当にすみません。あの、私は新入りでして、また神官という立場上、期間限定のメンバーでもあり、パーティーの方針に口出しをすることはできないのですが……『黒帽子キノコ』の調理法や保存法についてなら、私がそのままお役に立てるかと思います。数年前に亡くなった祖父が料理店を経営していたため、私も厨房で手伝いをしていましたし、神官になってからも、見習いとして 賄(まかな) いの手伝いをしておりますので――黒帽子キノコのソテーは祖父の得意料理でしたし、ブルトさん達にも振る舞ったことがあります」
ブルトが笑顔で頷いた。
「ああ、あれは確かに旨かった。そこらの店顔負けの出来栄えだったな。そうか……ハズキの実家は料理店だったのか」
「実家というか、祖父が、ですね。私の両親はどちらも神官です。黒帽子キノコは今でこそ高級食材ですが、十年くらい前までは、今ほど高価でもなかったので……よく食卓にも並んでいました」
シィズに抱っこされたまま、猫がカッと両目を見開いた。全身が脱力しているため、迫力はない。かわいい。
「ハズキさん、ぜひよろしくお願いします! できれば私だけではなく、リーデルハイン領にいる料理人の方々にも、一緒にご講義をお願いしたいのですが――」
ハズキは困惑した。
「それは……難しいかもしれません。私は神官としてはまだ見習いの身でして、迷宮に潜る期間以外では、この地を長く離れるわけには……あっ。あれ? でも、えっと、もしかして……転移魔法とかで、一瞬で往復できたりします……?」
話しながら気づいたが、ケーナインズもまた、迷宮の奥深くから、さほど時間をおかずに地上へと送ってもらった。あれはおそらく「転移魔法」である。
そのことを思い出し、ハズキは確認を求めた。
猫はドヤ顔で両手を掲げた。かわいい。
「私は使えませんが、同行している私の友人が転移魔法を使えます! ですので、講義時間も含めて、近日中に半日ほどお時間をいただければと……」
「それなら問題ありません! こちらこそ、ぜひよろしくお願いします!」
報酬の確認もしなかったが、これは助けられた身だけに、当然の恩返しである。むしろ猫吸いというご褒美まで既にいただいてしまった。
猫はむにむにと頬をこすりつつ、思案げにブルトを見上げた。かわいい。
「では、いつ頃がいいですかね?」
ハズキもリーダーのブルトに視線を向ける。
彼は緊張の糸が切れた顔で、困ったような笑みを浮かべていた。
「こちらはしばらく暇ですから、いつでも。迷宮が構造変化のために封鎖されましたから、その期間内だとありがたいですね。今日でもいいくらいです」
「んー……今日はこの後、ちょっと遊ぶ予定がありまして……あ!」
猫が何かを思いついたように肉球を叩き合わせた。超かわいい。
「実は今日、この領都を観光したいのですが、名所などの道案内をお願いできますか? 子供連れでも安心なところだとありがたいです!」
ブルトが顎を撫でる。これは別にかわいくない。人と猫の差は 如何(いかん) ともし 難(がた) い。
「そうなると……やっぱりハズキの出番か。俺らはよその国の出身なんですが、ハズキはこのオルケストが地元なんで詳しいです。あと、神官がいないと入れない聖教会関係の施設も案内できますし……ハズキ、どうだ?」
「はい。問題ありません。子供連れでも行ける場所をご希望とのことですが……他にもお連れ様が?」
「あと七人ほどいます。ついでにご紹介しますね! 猫魔法、キャットシェルター!」
猫がシィズの腕からジャンプし、空間に縦線を引いた。
かわい…………それどころではない。
何もない空間に突如、扉が現れた。
「私の飼い主をご紹介しますので、ここからは中でお話をしましょう! さすがにこの人数だと少し手狭ですが、この部屋よりは広いですし、予備の椅子も出せますので」
猫はそそくさと扉を開け、その先へと踏み込んだ。
一方で、ハズキ達は揃って言葉を失い、今度こそ完全に思考を停止させる。
――本来、古楽の迷宮にて全滅するはずだったパーティーは、こうして亜神ルークとの縁を得た。
ハズキ・シベールとケーナインズの面々にとって、この日はまさに、運命の転換点となる。
この先、彼女らを待ち受ける冒険の日々は、薔薇色……ではないが、トマト色というかキジトラ柄というか、まぁなんかそんな感じの「ぬるっ」とした 塩梅(あんばい) になっていくのだが――
現時点でのハズキ達はまだ、この「猫」の正体も目的も見極められぬまま、その不可思議な魔法を前にして、ただただ戸惑うばかりだった。