作品タイトル不明
採掘場防衛戦 ⑫ ※カリーク公王国面
対・カリーク公王国戦を想定した場合、リテルダニア王国の東南端、ウォーレス侯爵領の本拠地・レティアの町は天然の要害である。
国境線となっている大河・ナーガ川が天然の壕の役目を果たすからだ。
現在、ウォーレス領軍の有事体制は、ほぼ完成していて、街道が通っている渡河地点を中心としたナーガ川河畔には、5万を超える兵力が土塁を築いて布陣している。
レティアの町が位置する渡河地点が戦略上の要衝で、その要衝の目の前に本拠地を構えているウォーレス領軍は兵站を輜重による輸送に頼ること無く長期間の防衛戦を継続することができる。
最寄りの集落からも数十キロメテル離れた渡河地点まで遠征してきた侵略軍からしてみれば、戦場がこの渡河地点である時点で不利に立たされる。
「ならば、別の場所から渡河すれば」と考えるのが普通なのだが、事は、そう簡単に運ばない。
ウォーレス領軍が待ち構えている渡河地点付近の水深は膝下程度で歩いてでも渡ることが出来る反面、川幅が狭いところでも300メテル以上ある。
この渡河地点の上流へ遡っても下流へ下っても、ナーガ川は100メテルほどにまで川幅を狭めて水深が3メテル以上にもなる。
流れが速いから騎馬も歩兵も流されてしまうし、船で渡っても流れに深く削られて高くなった河畔の崖を登ることが出来ない。
100キロメテルほど上流へ迂回すれば容易に渡れる別の渡河地点が有るには有るのだが、レティアの地は“魔の森”とナーガ川が交差する位置に有って、上流へ遡るということは同じ距離を“魔の森”の奥へ踏み込むのと同義になる。
いくら、“魔の森”の魔物が南部へ下るほど弱い魔獣しか棲息していないと言え、渡河するために往復200キロメテルも“魔の森”の奥地を行軍するなど自殺行為以外の何ものでも無い。
必然、渡河地点から離れれば、離れた距離の分だけ監視体制も緩くなる。
侵攻軍本隊に先行すること1日、潜入侵攻部隊の任を命じられた男は、正騎士1個大隊を率いてナーガ川河畔まで進出してきた。
ウォーレス領軍が待ち構えている渡河地点から30キロメテルほど上流だ。
この場所まで辿り着くのにも、何度も魔獣の襲撃に遭い、平坦な道のりでは無かった。
月明かりに照らされたナーガ川の流れは百数十メテル。
夜陰の中に黒々と横たわるナーガ川の流れは速く、流れに削られた河岸は5メテルもの高さが有って、身体強化術式を使っても武装した兵が流れの中から登るのは容易なことでは無い。
流れの中の水中にも” 蛇蜻蛉(ドラゴンフライ) ”と呼ばれる虫型魔獣の幼体が棲息していて、この察知しにくい水棲の幼体に接近されると強烈な雷撃を食らって馬でも失神させられる。
しかも、“蛇蜻蛉”は強い肉食性を持っている上に群れる習性を持っていて、迂闊に1匹を攻撃すると、数十匹、数百匹に集られ、大隊規模程度の戦力では全滅させられる恐れがある。
他にも“ 魔梟(ガルダ) ”と呼ばれる夜行性の猛禽や“ 小鬼(ゴブリン) ”と呼ばれる群集性の魔物も出る。
この辺りの森に棲息する魔獣や魔物は、それほど強い種ではないとは言え、一時も油断できないのだ。
確か、この川の名前は、古い言葉で“ 蛇神の(ナーガ) 川”と言うのだったか。
険しい目でナーガ川の流れを見下ろしている男の背後に別の男が現れ片膝を突く。
男たちが身に纏っている防具は闇に紛れるために黒く染められた皮鎧で、鎧の下の衣服も黒一色に統一されている。
極力、音を立てないように、剣の鞘にすら布で内張りが施されている特別製で、隠密行動に特化した装備で身を固めている。
「隊長。部隊の集結、完了しました」
「損耗は?」
「80名ほど、やられました」
隊長と呼ばれた男―――部隊長を務める男は部下たちに気付かれないように気を付けながら深い溜息を吐いた。
渡河する前に、総戦力600名の内、1割以上もの損害を出すとは。
ウォーレス領軍に悟られないためとは言え、夜の森を進軍する無謀の代価として、安いと見るか、高いと見るか。
「生きて帰れそうな者は?」
「ここまで“奥”に入っていては難しいかと」
「・・・仕方あるまい」
“魔の森”の“奥”に踏み込んで、魔獣に襲われて血の臭いを放っていれば、「襲ってください」と言っているようなものだ。
冷酷だが、自力で森を出ろと命じた上で置いて行くしか無い。
動けない負傷者の近くに居ては無傷の残存戦力にまで被害が拡大し兼ねない。
正騎士の肩書きを持つ負傷者たちも状況を正しく理解していて、達観した目で仲間たちを見送ろうとしている。
恐らく、「魔獣の腹に収まるぐらいなら」と、自決の最期を選ぶ者たちも居ることだろう。
無事な部下たちは魔獣の巣窟に愛馬を置いて行かなければならない状況に、愛馬の首を撫でて別れを告げている。
自身も騎士団に所属する部隊長個人としては、部下を見捨てる判断に忸怩たる思いは有るが、元より、この潜入侵攻部隊は公王閣下の直命で結成された、ウォーレス領が開拓に成功したという岩塩採掘場を公王国の手に奪い取るための決死隊なのだ。
公王国の存亡と名誉回復を賭けた大役を任された栄誉に、部隊の者たちは皆、己の命など棄てている。
「渡るぞ。全軍、前進せよ」
「はっ」
魔獣や魔物に捕捉されないためも有って、言葉少なく動き出した一群は、断崖に近い急傾斜の河岸に貼り付いて滑り降り始めた。