軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

精霊種 ⑳

「ますい、というのは?」

「痺れて感覚が無くなるんだ。―――“嗅ぐだけで”ってのは?」

ケイナちゃんに用語解説をしたテツさんが、次の説明を求めて私へ顔を振り向けてくる。

「・・・使い方次第では、全身が麻痺状態になって意識を失うんだよ。嗅がせるのを止めて囲いの中へ戻しておけば、翌朝には回復してるけどね」

「まさに全身麻酔か。それでモルモット代わりに使えるわけだな」

「・・・そういうこと」

いち早く理解してくれたっぽいテツさんに頷き返す。

日本語の理解に意欲的なケイナちゃんが、説明を求めてテツさんへ視線を向ける。

「もるもっと?」

「実験用のネズミだな。人間を実験に使えない場合に、人間の代わりにするんだ」

「・・・そうやって麻酔が効いている内に、傷を付けて治癒魔法の練習台に使うの」

食肉以外にシカをどう使うのかを理解して、みんなが納得顔で頷いている。

その実験に使ったシカの肉を国外への輸出に回していることは、またドン引きされるかも知れないから黙っておこうかな。

でもまあ、健康被害のクレームも噂も届いていないから大丈夫でしょ。

レイクスさんの感想は違った方向へ向いたようで、興味津々に囲いの底を覗き込む。

「毒を嗅がされても大人しくしてるんだねぇ」

「目の前で群れているのに攻撃して来ませんし、仲間が殺されているのに逃げることもないのは、どういうことなのでしょう?」

本当にねぇ。

背伸びして囲いの底を覗き込んだケイナちゃんも首を傾げている。

野生動物と変わらないように見えるのに、野生動物の生態とは根底的な部分でズレているように感じる。

そのくせ、獣道に障害物を置いたりと誘導すれば、ワナにはしっかり掛かるんだよね。

“障害物を避ける”ということは警戒心がないってわけでも無さそうだし、こうして覗き込んでいる私たちの方へ耳も向けてきている。

耳を向けてくるってことは警戒している証拠だし、普通のシカと同じ本能も持っているように思うんだけど、魔獣は本当によく分からない。

囲いの底へ目を向けたテツさんの眉間に少し力が入っている。

「だが、コイツらが特別大人しいってわけでは無さそうだぞ」

「・・・危険を感じるってことかな?」

テツさんの野生の勘―――、“危険物センサー”を通した見解なのだろうと予想すれば、テツさんも頷き返して来る。

「ああ。敵意はこっちに向いちゃいねえが、危険は危険だな」

テツさんの本能は、しっかりと危険を告げているらしい。

“敵意が向いていない”という感覚は理解できなくもないな。

赤信号を無視して暴走してくる自動車を見掛けて危険を感じても、その暴走車の進路が自分へ向いていなければ、飛び退くほどの危険を感じるわけではないだろう。

でも、“危険物”はそこに存在している。

テツさんが言っているのは、そういう危険レベルの違いを指しているのだと察せられる。

今この瞬間にも攻撃して来たっておかしくはないのに攻撃してこない?

その理由は何なんだろう。

「・・・20メテルぐらいで攻撃範囲から外れるのかな」

「攻撃範囲ですか?」

どういうこと? と首を傾げるケイナちゃんに説明を試みる。

「・・・生き物ってね。個体差は有るけど、危険を感じる一定範囲内に接近されると攻撃的になるんだよ」

「ああ。パーソナルスペースだな」

英語? 和製英語? で言われても、身バレの可能性が有るからリアクションできないんだけど、心の中では「そうそう。それだよ」と頷く。

「ぱーそなる?」

「“対人距離”―――、いや。“個体距離”と言った方が良いのか。例えば、初めて会った名前も知らねえ奴が、すぐ傍に近付いて来たら警戒するだろ?」

私に代わって解説してくれているテツさんに向かってケイナちゃんが首を傾げた。

「テツさんは初めて会ったとき、すぐ傍まで近付いて来ましたけど」

「「ええぇ・・・?」」

ケイナちゃんの証言にルナリアと私の声が重なった。

不審者?

どう見ても1桁年齢にしか見えない幼女のパーソナルスペースに、会ったこともないオジサンが無遠慮に踏み込んで行くなんて事案じゃん。

状況を想像してドン引きした私たちの反応にテツさんが顔色を変える。

「ちょっ、ケイナ!? いやいやいや! ケイナたちが犬っコロの群れに襲われてるところへ割り込んだだけだから、誤解すんなよ!?」

「ええ~?」

「・・・ホントにぃ~?」

ジトッと湿度を帯びた疑いの目を向ければ、テツさんが抵抗を強める。

「本当だっつーの! 変態を見るような目は止めろ!」

「本当ですよ。大怪我を負って意識が無い兄様を背負って、郷まで送り届けてくれました」

クスクスと笑いながらケイナちゃんがテツさんを擁護する。

なんだ。もうからかうのは止めちゃうのか。

私たちもケイナちゃんがからかっていることぐらいは分かってたけどね。

テツさんは子供好きっぽいし、娘のヒナちゃんと近い年齢のケイナちゃんにおかしな感情は向けないでしょ。

その一方、ケイナちゃんは颯爽と命の危機から救ってくれたテツさんに好意を寄せていると。

「・・・ふーん。そんな感じの出会いか」

「誤解されたら社会的に死ぬじゃねえか。勘弁してくれ」

ルナリアと2人でニマニマと笑っていると、テツさんはげんなりした表情で首を振った。

マイペースにシカの観察を続けていたレイクスさんが、何かに気付いたように私たちへ顔を振り向けてくる。