軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

再会 ⑥

「ゴーレムってものは自分の意志で動くものだと考えていたけど、言われてみれば意志を持たせる必要はないよね」

「・・・やっぱり、そういうものなんですね」

相槌を打ちながら、「自分の意志」という言葉に、つい、首が傾いでしまう。

レイクスさんの解釈は、AIのような自律行動を“自我”と考えているんじゃないかな。

自律行動と自我は似て異なるものじゃない?

AI搭載型のロボットを疑似生命として捉えるか、ただのプログラムと捉えるかのロボット論争に発展しそうだから、あんまり考えたくないな。

疑似生命だなんて言い出したら、必要な用途に使えなくなるじゃん。

そのうち「ロボットかわいそう」とか幼稚な感情論に結びつける連中が湧き出して、技術の発達を阻害するんだろう。

ロボット論争で言えば私は後者だよ。

この辺りを考え始めると「熊かわいそう」とか「家畜かわいそう」とか言い出す人たちのことまで考えてしまいそうだから止めよう。

少なくとも、ゴーレムに「意志を持たせる必要はない」と結論したレイクスさんと私が、ロボット論争で戦う必要がないことだけはハッキリした。

「伝承では“創造者の命令に従う命なき巨人”と伝わっているだけなんだけどね。多くの術式研究者が伝承を再現しようと挑戦して再現できなかったものがゴーレムだよ」

「・・・へぇ」

世界が違っても技術者の考えることは同じなんだなぁ。

何に使おうとしたのか作る目的が違うのかも知れないけど、やろうとしたことは同じなんだろう。

「人間と同じように思考させる思考させる手段はもちろん、人間の体と同じように動かそうとすると術式が複雑になり過ぎて実現は不可能だと言われていたものがゴーレムなんだよね」

「はぁ。術式だけでゴーレムの各部を動かすんですか? それは難しそうですね」

私が同意を返したことで満足したのか、レイクスさんの興味は“目の前の現実”にシフトしたみたいだね。

歩き続けている土人形を興味深そうに観察し始める。

「それって、魔素だけで“操っている”のかな?」

「操る? ああ。そうですね。そうなります」

魔力の手で掌握してパペットみたいに動かしているだけで、魔力の手そのものが私の意志に従っている魔力に過ぎないからね。

「魔素で物を動かす? 使っているのは魔素の制御技術だけなのか・・・。興味深いね」

「・・・コツは必要ですけど、訓練すれば誰にでも出来ることだと思いますよ」

私の答えを聞いたレイクスさんが首を振る。

「いやいや。高度な魔素の制御は誰にでも出来ることじゃないからね?」

「・・・そういうものなんですか」

そうかなぁ?

魔法というものが究極的には“イメージの具現化”だとするなら、どうイメージするか、だよね。

「例えば、ヒト族が好んで使う詠唱術式だって魔素の振る舞いを定義して術式の発動を手助けするものだけど、定義したからといって誰にでも発動できるものじゃない。言葉に魔力を籠めることが出来て初めて発動するんだよ」

「・・・言葉に魔素を籠める?」

それは考えていなかった概念だな。

“呪文に魔力を籠める”ってことだよね?

それって“言霊”?

これは面白い情報を聞いたね。

私は詠唱術式の呪文を“イメージを助けるもの”と考えていたけど、実際には言葉に魔力を籠めて居たらしい。

いやいや、待てよ?

だったら呪文と発生する現象に関連性が無くても良いってことにならない?

今まで聞いたことの有る呪文は発生する現象と直結するものだったよね。

だったら私の理解も間違っていたわけじゃないと思うんだよね。

白は白、黒は黒と考えるのが間違ってる?

世の中には様々な色が有って、白や黒だけじゃなくグレーも存在する。

もしかして、レイクスさんの解釈も私の解釈も間違って居ないんじゃない?

詠唱術式の呪文が言霊って解釈には衝撃を受けたけど、心の中に「有り得る」と納得している私が居る。

決めつけは良くないな。

お母様は「魔法術式は自由なものだ」と言っていた。

私もお母様の解釈を支持している。

解釈の違いに相反するものが無い以上、私の解釈にレイクスさんの解釈を融合させることによって魔法を教えやすくなるかも知れない。

「・・・良いね。試してみよう」

「んん? 試す?」

耳、良いな! 私の呟きを耳聡く拾ったレイクスさんが首を傾げる。

「・・・ウォーレス領に魔法を教える学校を作る予定なんですよ。そこで教える技術として活かせないかと」

「“がっこう”? 教えるってことは、学び舎のことかな?」

「・・・そうそう。学び舎です。魔法術師を増やして神教会に対抗しようと考えています」

古い言い方だけど意味は合ってる。

現代日本人と長く生きるエルフ族のジェネレーションギャップやカルチャーギャップを埋められる存在といえば勇者が居るから、知っていても不思議は無いよね。

ただ、対魔族大戦期―――、日本で言えば戦国時代に“学び舎”なんて概念や言葉が有ったとは思えないから、もっと後の時代の日本人とエルフ族の接点がどこかで有ったんじゃないかな。