軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

480 光る目

四百八十

慌ただしく始まったミラの朝だったが、その後は至って平穏であった。

マイカはぼんやりしたままだったため、ミラの状況については終始気づかないまま。残る四人が目を覚ましたのは、その騒動から二十分は経ってからである。

よって、ミラが窓で用を足したという事実は誰に知られる事もなく闇に葬られたわけだ。

(後で緊急時に使えるトイレを探しておくとしようか……)

船室のある区画と違って、機関部や操舵室、観測室などといった場所には、それぞれに個別のトイレが存在していない。代わりに区画ごとの共用トイレが配置されているという形だ。

もしもまた今回のような非常事態になったら、直ぐに船室を飛び出して各所の共用トイレを利用するのが一番だろう。

そう思い付いたミラは、今の船室から一番近いところにある共用トイレを把握しておこうと決める。

「じゃあいこっか」

「うむ、行くとしよう」

何だかんだでアノーテ達の支度も整った事で、少し遅くなったがこれから朝食だ。

ミラ達は、揃って食堂室に向かった。

その途中、マイカが思い出したように、そういえば急かされた気がするが大丈夫だったか、などという言葉を口にした。寝ぼけ気味であったが、何となくミラが慌てていた様子を覚えていたようだ。

「うむ、まあそこまで緊急ではなかったからのぅ、問題なしじゃよ」

色々詮索されるわけにはいかないと考えたミラは、そのようにはぐらかしながら、それでも一つだけ言っておきたいとしてアントワネットの事に触れた。トイレで寝るんじゃあないと。

「あー、何度言ったら……」

「もう、ミラさんにまで迷惑かけて」

「いや、だってさ。あの場所が一番安心するから。もしもの時とか」

どうやら常習犯のようだ。マノンとユズハが、またやったのかと呆れたように言えば、アントワネットがまったく反省した様子もなく弁明だけを口にする。

もしもの時。思いっきり酔っている時であれば、アントワネットの言う通りトイレにいるのが最も安心で安全といえるだろう。

だがそれは、他にも使えるトイレがある場合だ。一つしかないトイレを占拠されるばかりか、そのまま眠りこけられては他が迷惑するというものである。

やんややんやと責められるアントワネット。そんな彼女が救いを求めるように視線を送ってくるが、何よりも今日一番の被害を被ったミラは、「いっそ、酒を控えればよいのではないか」と、アントワネットにとっても最も酷な言葉を告げるのだった。

(ふむ、次があったとしたら、このルートじゃな……)

船室から行きやすい共用トイレの場所を把握したミラは、そのルートを頭に入れながら、アノーテ達と他愛のない会話で盛り上がっていた。

好きな食べ物や嫌いな食べ物といった、それこそ至って普通の会話だ。

そうして食堂室に到着したら、今日の気分だとこれといったように各々で注文する。その間にも、他のメンバー達と朝の挨拶をしたり何気ない言葉を交わしたりする。

それからミラ達は、食堂室にて大きなテーブルを囲み朝食を摂った。少し遅い時間のはずながら、見回すとそこそこの人数が揃っている。全員、朝はルーズ気味なのだろうかと思えるような状況だ。

(しかしまあ、なんというか……わざわざ食堂で食事をするなぞ律儀なものじゃな)

そんな様子を眺めながら、ふと思うミラ。

ここにいるのは全員がアイテムボックスを所有する元プレイヤーである。そのため初めから大量の出来立て料理を収納しておけば、わざわざ食堂などを使う必要もなく、好きな時間に好きなところで食べられるのだ。

それでいながら、決まった時間に食堂で作り食堂で食べる。これを律儀と言わず、なんと言おう。

だがミラは、そんな疑問を抱きながらも何となくは理解していた。

いってみれば、味気ないのだ。だからこそ、わざわざ食堂に集まるわけだ。

「あ、昼は海軍カレーだって!」

「やった!」

今日分の献立を確認していたマイカが嬉しそうに言えば、アノーテが目いっぱいの笑顔を浮かべる。

「ほぅ、それは楽しみじゃのぅ!」

そしてミラもまた、同じように喜んだ。

きっとこういうところなのだろう。だからこそ、この船には食堂があるのだろう。全てアイテムボックスだけで済まさないのは、そういった人間味のようなものを大切にしているからなのだろう。

他にも楽しく言葉を交わす船員達を見やりながら、実に納得のいく理由だと一人で存分に理解した気になるミラだった。

朝食が済んだ後、ミラ達のみならず船員のほとんどが甲板に上がっていた。

アストロが言うに、もう暫くで幽霊船の目撃地点に到着するとの事だ。

「ふーむ、見たところ平穏そのものじゃな」

船首の向かう先を見据えながら呟くミラ。もう目的地は見える範囲との事だが、快晴の空の下に広がる海原は見渡す限りに平和そのものだ。噂にある霧もなければ、船影すらもない。幽霊船の気配など皆無であった。

そうこうしつつ、いよいよ目撃地点のど真ん中に到着した。

「見当たらないなぁ」

「見当たらないねぇ」

双眼鏡を用いて周辺を観測していたアントワネットとマノンが呟く。

同様に他の船員達も隈なく目を凝らしているが、何かを見つけたという声は上がってこない。

「せめて、ちょっとした痕跡とか……船の一部とかでも剥がれて落ちていたらいいのに」

身を乗り出して海面に視線を走らせるアノーテ。彼女いわく、マナを宿した何かしらの物証があれば、専用の術具を使って同じ波長を持つものを追跡出来るのだそうだ。

(ほぅ、あれと同種のようなものか。そういえば警邏局のお下がりだなんだと言うておったな)

ミラは、そのような術具について思い当たる節があった。

いつぞやに怪盗ファジーダイスを追っていた探偵、ウォルフ所長が持っていた『ロックオンM弐型』である。

警邏局というのは、日之本委員会が運営にかかわる警邏機構の部署の一つであり、特別に開発された様々な術具を業務で用いる事で有名だ。

だからこそというべきか、アノーテに見せてもらったその術具は、ウォルフ所長が持っていたものより更に数歩は進化した最新式であった。

話によると、今回の幽霊船調査においては、かなり多種多様な策が用意されているとの事だ。

そして部屋ごとに分けられたチームが、それぞれの策を担っているという。

アノーテ達の策は、この世のあらゆるものにマナは宿っている、という説に基づいたものらしい。

事実、石だろうと樹だろうと、観測出来るあらゆるものからマナは検出されていた。それならば、幽霊船だって同じだろう。という考えで動いているのが、アノーテ達というわけだ。

「ふーむ、何もないのぅ」

そういう事ならばと痕跡を探すミラ。今回は飛び入りのようなものであるため、ミラにはこれといった役割は振られていない。だが、参加するからには何かしたいというものだ。

よってミラは出来る範囲で手伝った。観測範囲を広げるという事で方々に散っていくところ、アノーテに付いていく。

そこで団員一号を召喚し怪しいものがないか調べさせ、ポポットワイズを召喚して空から全体を観測した。

専門家を投入出来るミラの調査能力は、何だかんだで相当なものだ。

それでも、今のところは特に何も発見出来ず。ただただ時間が過ぎていくばかりだった。

「小生の勘にも、いまいちビビッと来ませんですにゃ」

何かと何もない虚空を見つめる事のある猫。そんな行動に、もしかしたらそこに幽霊が、と恐れ戦いた者もいるだろう。そんな猫の代表的存在であるケット・シーの団員一号ですら、これといった気配は感じられないという。

「新しい視点ならって思ったけど、難しいかぁ……」

人の目では、これまで何も発見出来なかったが、それ以外の目ならばどうか。そう期待していたのだろう、団員一号を抱きかかえるアノーテは残念そうに肩を落とす。

「海だけなのー」

空から探すポポットワイズも、これといった痕跡は見つけられなかったようだ。見渡す限り、この一帯には海以外何もないという。

「折角ここまできたのじゃから、何かしら見つけたいものじゃのぅ」

船のへりから身を乗り出したミラは、遠見の無形術なども駆使して海面から空までを一望する。

けれど、これだけ多くの目があるにもかかわらず何もない海だ。ちょっと見回した程度で何か新たな発見があるはずもなかった。

念のため団員一号を船首に配置し、ポポットワイズには観測を続けてもらう中、ミラもまた遠見の無形術などを駆使して海原の監視を続けている。

「うーむ、何とも風が涼しい──」

潮風が吹き付ける甲板。潮の匂いを感じながら照り付ける太陽に目を細めたミラは、それでいて次の瞬間に「──いや、寒いのぅ!」と震えて叫んだ。

甲板にて、様々な術具や機材を用意しては、熱意を滾らせていく船員達。騒がしくも観測に励む活気に満ちたその様子から、どことなく暑苦しさすら感じたものだが、今いるここは冬の海のど真ん中だ。

少し強めに風が吹けば、凍てつくかのような寒気が全身を奔り抜けていく。

「もう少し、何か着た方がよさそうじゃな……」

身体の芯まで伝わってくるような寒さに震えながら、何かないかとアイテムボックスを探るミラ。

今現在、ミラが着ているのは冬仕様の魔導ローブセットであるため、それなりの防寒効果は発揮されていた。

けれど、この底冷えするような寒さはどこからか。ミラはペガサスで空を飛ぶときに使っていたコートでも羽織ろうかと思いながら、ふと気づく。

特に寒さを感じるのは、下半身だと。

「……この場合は、こっちじゃな!」

魔導ローブセットは、ばっちりと冬仕様だ。けれどリリィ達の強い拘りなのだろうか、それでいてがっつりミニスカートであるため潮風の冷たさはそこから上ってきていた。

その原因を見抜いたミラは手にしたコートを戻すなり、代わりに厚手の黒タイツを取り出した。以前パンツ隠しとして貰った中にあったうちの一着だ。

「これさえあれば、どうにかなるじゃろう」

夏の間は蒸れて汗ばみどうしようもなかった厚手の黒タイツ。けれどこれだけ寒い環境ならば、むしろその保温性が強みになるはずだ。

思えば、こうなる事を見越して、この厚手の黒タイツも加えてくれていたのかもしれない。

そう確信したミラは、直ぐにでも冷え切った下半身をどうにかするべく、いそいそとその場で靴を脱いだ。今ならば誰もが観測に夢中だ。ここで着替えても気づかれないため、怒られる心配もないというものである。

と、少しばかり一般的な女子とは違った心配をしつつ、いざそれを履こうとした時だった。

「でかい波がくるぞ。掴まれ!」

不意に誰かのそんな声が甲板に響いたではないか。

「む!?」

その声にいち早く反応したミラ。けれど残念ながら対応する事は出来なかった。厚手の黒タイツにつま先を突っ込もうとして片足を上げた状態だったからだ。

直後、調査船が大きな波のうねりに乗り上げた。そうして大きく船体が揺れたかと思えば、今度は逆方向へと大きく甲板が傾く。

「おっと──と!?」

大自然の力を前に、ミラはどうにも出来なかった。中途半端な体勢だったためどこにも掴まれず、踏ん張る事も難しい。

その結果、大きく揺られてバランスを崩してしまう。

「──おぉぉぉ!?」

するとどうだ。ミラの身体が船のへりを越えて、そのまま大海原へ、ぽーんと投げ出されていったではないか。

「ちょっ……ミラちゃん!」

海に落ちていくミラ。その瞬間を目撃したアノーテが叫び駆け出す。

もしも他の船員だったならば、慌てなどしなかったであろう。誰もが海に投げ出されたとしても問題ないような者達ばかりだからだ。

けれど彼女にとってミラは出会ったばかりであるため、そのあたりの判断がまだ出来ない状態だった。

だからこそ、反射的に動いた。彼女もまた相当な腕前なのだろう。大きく揺れる甲板をものともせずに駆け抜けて飛び出す。

「いやはや、びっくりしたのぅ」

とはいえ、ミラの事である。その程度でどうにかなるようなものではない。《空闊歩》でひょいひょいと宙を蹴り、何事もなく甲板に戻った。

「え? ちょ!?」

これに慌てたのは、アノーテだ。考える間もなく動いたため、その無事を確認出来たのは勢いよく船のへりを飛び越える瞬間だったからだ。

まさに、入れ違い状態である。

「ぬりゃー!」

普通ならば、そのまま海にどぼんしていたであろう。けれどアノーテの反応速度は、それこそ実力者を窺わせるそれであった。ミラの無事を確認するなり宙で身を翻し、ぎりぎりのところで船のへりに掴まる事に成功したのだ。

とはいえ相当にギリギリだったようで、落下を逃れてぶら下がるアノーテの顔には、どれだけ慌てたかありありとわかるくらいの安堵が浮かんでいた。

「いやはや……何かすまんかった」

その様子を見れば、彼女がどうしようとしていたのかは直ぐにわかる。

ちょっとした不注意で心配をかけてしまったようだ。そう気づいたミラは手にした黒タイツを一度しまってから、甲板より身を乗り出してアノーテに手を伸ばす。

その時だ。

「おおぅ!? なんじゃあれは……!?」

アノーテの手を掴むと自然に真下の海面が見えるのだが、そこに何とも不気味な光が蠢いていたのだ。

底の見えない黒々とした海の中に何がいるというのか。しかも無数の光は、目のように二つ並んで動く。

「え? 何あれ待って! 怖い怖い! ミラちゃん早く上げてー!」

それはまるで、ミラ達が落ちてくるのを誰かが待ち構えているかのように見えた。

もしも今、そこに落ちたらどうなってしまうのか。悪い想像しか浮かばない光景を前にして、アノーテは慌てながら早くと懇願する。

「お、おお。そうじゃな!」

思わず観察してしまったが、確かにまずはアノーテが先である。そう思い出したようにして、ミラは彼女を「よっこいしょ!」と甲板に引き上げた。

それが終わったら、また即座に海面を見やる。知る限り海の魔物に、先ほどのようなものは存在しない。では、いったい何だったのか。

その正体を探るべく目を凝らすミラ。少し遅れてアノーテもまた船のへりから海面を覗き込んだ。だが僅かな瞬間にどこへいったのか。そこにあった光は幻のように消え去っていた。

「む……いったいどこへ」

「あれれ?」

あまりにも一瞬の出来事だったが、きっとまだ遠くへは行っていないはずだと考えたミラは、即座に《生体感知》で近くを探る。

けれど海だけあって色々と生息しているため、どうにもこれだと見分けがつかない。

加えて、ここは幽霊船が目撃された海域でもある。もしも先ほどのがそれに関連する何かであったならば、相手は生者ではない。であれば《生体感知》では見つけようがないというものだ。

よって、これは専門家を送り込んだ方が早いと判断したミラは、セルキーのフィーを召喚した。

「何それ可愛い……」

お気に入りの雨がっぱを羽織りご機嫌そうなフィー。その愛らしい姿がアノーテの可愛いセンサーを直撃したようだ。海面よりもフィーを見つめ始めた。

「──というわけじゃ。では、調査を頼むぞ!」

ミラは色々と事情を説明した後、フィーに海中の捜索を頼んだ。

「ピィ!」

雨がっぱを翻し、ぴしっと了解のポーズをとったフィーは、意気揚々と海に飛び込んでいった。その脇でアノーテは、ああ、もういってしまったと項垂れていた。