軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第1話

王妃主催の夜会は、いつも通り華やかだった。

広間には、王妃が好むゆるやかな舞曲が流れている。

燭台の光を受けて、金糸の刺繍や大粒の宝石がきらめく輪がある。

その一方で、深い藍や葡萄色、古い家紋を織り込んだ装いの輪もある。

華やかな色がいくつも重なり、落ち着いた色がその隙間を締め、遠目には美しい夜会だった。

だが近くで見れば、その色合いは決してなめらかに混ざってはいない。

言葉は交わされるが、その間には薄い膜のような距離があった。

王妃は広間の中央近くに立ち、その光景を静かに見渡していた。

口元には笑みがあるが、まなざしは冷えていた。

王妃は杯を侍従に預けると、ゆるやかに歩き出した。

向かった先は、古い家紋をまとった夫人たちの輪だった。

その中の一人が、王妃に気づいてわずかに顎を引く。

ほんの一瞬、視線が交わった。

それだけで、夫人は扇を口元に寄せ、隣の夫人へ声を落とした。

「そういえば、エルヴァン公爵令嬢は療養だとか」

別の夫人が、さも何気ない顔で頷く。

「ええ。少し感情的になられたと伺いましたわ」

「まあ、お若い方ですのに」

「若い方は、時に熱くなりやすいものですものね」

王妃は扇をゆるやかに開き、静かに目を伏せた。

「時には、静かな場所で心を休めることも必要なのでしょう」

その一言で、周囲に同調の空気が広がった。

誰も、あからさまには言わない。

だが、言外のものは十分に伝わる。

はずだった。

「ほう?」

太い声が、妙に明るく割って入った。

視線が向いた先には、ヴァルディス男爵がいた。

大商会を率いていた頃の気安さがまだ抜けきらぬのか、男爵は手にした杯を軽く揺らしながら、不思議そうに首を傾げている。

「わしは、ずいぶん違う話を聞いておりますな」

一瞬、その場の空気が止まった。

夫人の一人が、愛想よく笑う。

「まあ、どのようなお話ですの?」

「クラリス嬢のことです。この間、うちで夜会を開いたんですがな」

ヴァルディス男爵は、悪びれもなく答えた。

「いやあ、最初はもっと気楽な集まりでよいと思っておったんですわ。娘も友人を呼びたいと言っておりましたし、うまい酒と料理を出せば十分かと」

軽く肩をすくめる。

「ところがクラリス嬢に、きっぱり言われまして。

『夜会は、思いつきで開くものではありませんわ』とな」

近くで小さな笑いが起きた。

男爵は気を悪くした様子もなく、むしろ楽しげに頷く。

「いやもう、その通りでした。わしら商人は、人を集めれば話が進むと思いがちですがな。貴族の夜会は、ただ集めればよいというものではないらしい」

「クラリス様が、助言を?」

誰かが興味深そうに尋ねる。

「ええ。招待状の出し方から、どなたとどなたを近づけるかまで、ずいぶん見てくださいました」

男爵は感心したように息を吐く。

「それがまた、見事でしてな。近づければ話が進む家、逆に離しておいた方がよい家。わしらには分からんことばかりでした」

何人かの貴族が、わずかに眉を動かした。

「おかげで、あの夜は一度も空気が荒れんかった。誰も不快な顔をせんし、話したい相手とは自然に話せる。いやあ、あれは勉強になりましたな」

「まあ」

「しかもですぞ。侯爵家とは染料の話が進みましたし、伯爵家からは倉庫の共同利用の打診まで来た」

男爵は指を折るように数える。

「東の穀物の件も、思わぬ相手から話がつきそうでしてな。あの夜ひとつで、ずいぶん実りがあったんです」

夫人の一人が、扇の陰で小さく笑った。

「けれど……少し感情の起伏がお強いとも伺いましたわ」

男爵は目を瞬かせた。

「感情の起伏?」

本当に意味が分からない、という顔だった。

「わしから見れば、あれほど頭が回って筋の通ったご令嬢はおりませんな」

広間の一角が、静まり返る。

男爵はようやく周囲の空気に気づいたように、少し首を傾げた。

「おや。何かおかしなことを申しましたかな?」

王妃は扇を手にしたまま、静かに微笑んでいた。

「いいえ……ヴァルディス男爵は、ずいぶんクラリス嬢を高く買っておられるのね」

「ええ、もちろんですとも。

娘の友人ですからな。ああいう方が近くにおられるなら、若い方々も心強いでしょう」

王妃の笑みは崩れなかった。

だが、扇を閉じる音だけが、わずかに硬かった。

夫人たちは互いに視線を交わす。

先ほどまで浮いていた軽い笑いは、もうどこにもない。

王妃は再び扇を取り、ゆるやかに開いた。

「……クラリス嬢も、思いのほか人望がおありなのね」

「ええ、ええ。あの娘はええですぞ。

ああいう、筋を通す方は好きでしてな」

「そう……」

王妃は微笑んだまま、扇で口元を隠す。

けれどその瞳だけは、静かに冷えていた。

昼休みの談話室は、いつもより少しだけざわついていた。

令嬢たちが扇を揺らしながら、ひそやかに囁き合っている。

「ねえ、聞きまして? クラリス様、療養中だとか」

「ええ。でもヴァルディス男爵家の夜会には関わっておられたらしいですわ」

「まあ……では、療養というのは建前ですの?」

「さあ。けれど、あの夜会はずいぶん評判がよかったそうよ」

「男爵様がたいそう褒めておいでだったとか」

噂はどれも断片的で、はっきりした形を持たない。

それでも、人の口を渡るには十分だった。

その少し離れた席で、カレンは頬杖をつきながら紅茶を飲んでいた。

やがて一人の令嬢が、わざとらしく明るい声を上げる。

「カレン様」

カレンは顔だけを向けた。

「……何」

「ヴァルディス男爵家の夜会のお話、きっとご存じなのでしょう?」

別の令嬢も身を乗り出す。

「クラリス様、実際にはどのようなご様子でしたの?」

「療養中というお話と、あまりに違いますでしょう?」

カレンはしばらく相手の顔を見ていた。

それから、短く言った。

「知らない」

「え……?」

「でも、ご実家の夜会で――」

「知らないって言ったけど」

淡々とした声だった。

それでも諦めきれないのか、一人が遠慮がちに笑う。

「まあ、そんなはずありませんでしょう? だってお父様があれほど――」

カレンはカップを置いた。

ことり、と小さな音がした。

「父が何をしゃべったかは、父の話でしょ。

私は知らない」

令嬢たちは気まずそうに視線を交わした。

それでも、なおも引き下がれない者がいる。

「でも……噂になっておりますのよ?」

「心配にもなりますし」

カレンはそこで初めて、はっきりと相手を見た。

「心配してる顔には見えない」

その一言で、数人が息を呑んだ。

カレンは立ち上がる。

「あなたたち、よっぽど暇なんだね」

それだけ言って、彼女は談話室を出ていった。

誰かが小さく息をついた。

「……感じが悪いわ」

けれどその声にも、先ほどまでの勢いはなかった。

窓の外では、春の薄い光が中庭の石畳に落ちている。

談話室の空気だけが、まだ少し冷えたままだった。