軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第20話

クラリスは、踵を返した。

深紅のドレスが翻り、

彼女が歩き出すと、

人の流れが、自然と左右に割れていく。

まっすぐに、

ルシアンの前へ出る。

一瞬だけ視線を合わせ、

そのまま、迷いなく腕を取った。

「お待たせしましたわ。殿下♡」

(……あ)

腕を取られた瞬間、

ルシアンはようやく理解した。

(回収された……)

抵抗する余地はない。

空気ごと、そう決まっていた。

(……逃げ場を、完全に塞がれたな)

そのとき――

クラリスが、ふと足を止めた。

視線だけが、

ゆっくりと横へ流れる。

そこにいたのは、

立ち尽くしたままのクラーラだった。

笑みは、消えない。

瞳だけが、ひやりと冷える。

その視線に、

クラーラは思わず息を呑んだ。

次の瞬間、

クラリスは何事もなかったかのように

ルシアンへ顔を戻す。

腕を取ったまま、

唇を耳元へ寄せた。

「……少し、疲れましたの」

ルシアンは、

思わず肩を強張らせる。

(……それ、今言う?)

「殿下……

このあと、少しだけ

お付き合いいただけますか」

周囲には、

恋人同士の甘い一幕にしか見えなかった。

けれど、

ルシアンだけははっきり理解している。

(……決定事項だ)

クラリスは、

クラーラへ向けて会釈した。

――勝ち誇った微笑で。

そのまま、

腕を取ったまま向きを変える。

ルシアンは、

一瞬だけ振り返り、

クラーラと視線を合わせる。

そして、

すぐに前を向いた。

クラリスに導かれるまま、

歩き出す。

クラーラだけが、

その場に取り残されていた。

夜会用に用意された、

第二王子の休憩室だった。

人目は避けられるが、

完全に閉じられているわけではない。

公と私の境目にある、静かな空間。

「……ふぅ」

クラリスは軽く息を吐き、

ソファに腰を下ろした。

深紅のドレスが、

静かに布を落ち着かせる。

「殿下も、お座りになって」

ルシアンが腰を下ろしたのを確かめてから、

クラリスは扇を膝に置く。

何でもない話題のように切り出す。

「……ところで」

少しだけ視線を落とし、続ける。

「殿下は、

クラーラ様と

お知り合いですの?」

ルシアンは、目を瞬いた。

「……知り合い、ではある」

言葉を選ぶ間が、

わずかに長くなる。

「……幼い頃に、

顔を合わせる機会があったというか……

その……今のような形ではなくて……」

クラリスは口を挟まない。

「特別な関係だった、

というわけでは……」

――言い終えてから、

ルシアン自身が気づいた。

(……言い切れてない)

逃げたつもりはない。

誠実に話したつもりだった。

それでも、

曖昧さだけが残った。

クラリスは、

小さく息を吐いてから顔を上げ、ルシアンを見る。

「……それは、過去のお話ですよね」

静かな声だった。

「今は――

殿下は、わたくしの婚約者ですわ」

きっぱりと言い切る。

ルシアンは、

視線を逸らすことができなかった。

(……逃げられない)

そのときになって、

ようやく気づく。

クラリスが、

自分の袖を掴んでいることに。

遅れて、

記憶が胸をかすめた――

王宮の隅。

誰もいない場所で、

一人きりで泣いていたクラリス。

王太子との婚約が終わった夜だった。

(……同じだ)

ルシアンは、

何も言わなかった。

――けれど。

ほんのわずかに、

ルシアンは体の向きを変えた。

肩が、

クラリスの方へ寄る程度の距離。

クラリスは、それに気づく。

「……」

掴んでいた指先が、

ほんの少しだけ緩んだ。

夜会の音楽とざわめきが、

遠くから、かすかに流れてくる。

けれど、この休憩室の中だけは、

静かなままだった。

王妃は、夜会の余韻がまだ残る時刻に、

静かな私室で報告を聞いていた。

燭台の火は低く、

窓は閉じられている。

「――以上が、

今宵の夜会における一連の流れにございます」

侍従は、言葉を選びながら頭を垂れた。

王妃は表情を変えない。

ただ、黙って聞いている。

「……なお」

侍従が、ほんの一瞬だけ間を置いた。

「第二王子殿下は、

その直前まで、

クラーラ様と親しげに

言葉を交わしておられました」

王妃の指先が、

わずかに止まる。

「公爵令嬢は、

それをご覧になった直後に、

前へ出られたように見受けられます」

王妃は、

扇を閉じたまま、

ゆっくりと息を吐いた。

「……なるほど」

声に、感情はない。

王妃は、

静かに思考を組み上げていく。

(第二王子は流されやすく、

クラーラはその隙となる。

そして――)

視線を、

閉ざされた窓へと向ける。

(クラリス・エルヴァン)

頭は切れる。

格もある。

場を読む力も、十分。

だが――

(感情で動き、

婚約者を巡れば前に出る。

王家の空気すら、

己の判断で動かしかねない)

王妃は、ふっと微笑んだ。

「……使いにくい女ね」

侍従へ、静かに視線を送る。

「今夜は、もう下がっていいわ」

一礼して、侍従が退く。

部屋には、

王妃一人だけが残された。

王妃は、

卓に置かれた席次表を手に取る。

「一晩、置きましょう」

誰に言うでもなく、呟く。

「明日から――

配置を、考え直すわ」