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『兄に依存するブラコン妹』と噂を広められたのですが、否定したら全部ひっくり返りました

作者: 汐乃 渚

本文

あぁ――もう、たくさんだわ。

ダンスが終わるなり、パートナーの姿が視界から消えた。

背後から伸びてきた腕が私の肩を掴み、体をくるりと反転させたのだ。

強引ではあったけれど、痛くはない。

それでも振りほどけない力加減に、嫌悪感が這い上がってくる。

ドレスの裾に隠れた足で踏ん張っていて良かった。

危うくこの闖入者の胸元へ、頭を押し付けるような構図になってしまうところだった。

見上げた先には、薄気味の悪い笑みを浮かべた兄の姿。

――ここだけ切り取れば、私たちはさぞ仲の良い兄妹に見えてしまうのだろう。

兄の婚約者は刺し貫くような視線をこちらへ向け、派手な化粧を施した顔を忌々しそうに歪めている。

逃げ場はないものかと辺りを見渡して、少し後悔する。

つい先ほどまで微笑ましげだった雰囲気は、一気に居心地の悪いものへと変わってしまっていた。

結局、またこうなってしまうのか……という、半ば諦めにも似た気持ち。

それを上塗りしていくように、拭い去ることのできない苛立ちが胸の奥からせり上がる。

デビュタントを迎えたばかりだというのに、私――リリアーナ・カファロ伯爵令嬢は『異常なほど兄に依存するブラコン』で『大好きな兄と、邪魔な兄の婚約者の間に割り込む厄介者』というのが周知の事実であるらしい。

その噂の根源は、兄の嘘と、その婚約者サマの悪意ある吹聴。

……どうして、私がこんな目に。

いくら考えたって、これっぽっちも納得できない。

***

クラウディオ・カファロとベアトリス・サンティが婚約したのは数年前のこと。

同じ伯爵家同士、嫡男と末娘の組み合わせは完璧だった。

――たった一つ、相性が最悪であることを除けば……の話。

兄のクラウディオは与えられた責務は最低限こなすものの、そうでないときはいつまでも遊びまわっているような自由人。

その婚約者であるベアトリスは、浪費を愛し傲慢を絵に描いたような王都の令嬢。

ある意味、ピッタリの組み合わせではあるのかもしれない。

けれどそんな兄たちに挟まれた私は、本当にいい迷惑!

兄は話の合わない婚約者と過ごす時間が、堪え難いほど苦痛だったらしい。

なんとも卑劣なことに、いつしか出先で切り上げて帰ったり、約束をすっぽかす口実として、妹である私の名前を引き合いに出すようになっていた。

『リリアーナが具合悪そうにしてたんだ』

『リリアーナに土産を買って帰らなきゃ』

『リリアーナが出かけるのを嫌がって離してくれないんだ』

『その日はリリアーナに付き合ってやることになってる』

……などなど。

どれもこれも、ぜーんぶ口先から出た嘘ばかり。

婚約者より妹を優先する兄など、一体どこの世界にいるというのか。

妹想いの兄。

そのほとんど幻想に近い存在の可能性を、否定するつもりはない。

――だけど間違いなく、 クラウディオ(私の兄) は違う。

デビュタント前の私があまり邸を出ないのをいいことに、『兄離れできない我儘な妹』に仕立て上げ。

さも自分は『どれだけ振り回されても妹を大切にする兄』らしく振る舞う。

そうしてクラウディオは清々したような顔で昼寝に帰ってきたり、男友達と遊び倒すのだ。

ベアトリスははじめて会ったときから、私を見下しているのが丸わかりだった。

「――ベアトリス様、はじめまして。妹のリリアーナと申します」

「ふぅん、貴女が私の 義妹(いもうと) になるの。森によく馴染みそうな色をしたドレスがとてもお似合いね」

「…………、お褒めに与り光栄です」

「背伸びして難しい言葉を使わなくてもいいのよ。まだ勉強中なんでしょう? 王都で同じ年ごろのお友達ができるといいわね」

初対面からして、印象最悪。

何て嫌な女なんだろうという感想は、結局覆ることはなかった。

ベアトリスは クラウディオ(未来の夫) の前でくらいは、取り繕っているものかと思っていたのだけど……。

兄によれば、それはとんでもない見込み違いだという。

曰く、自分の自慢話しかしない。

曰く、贈り物の催促が鬱陶しい。

曰く、まだ結婚もしていないのに、家のことにあれこれ口を出してくる。

やれ邸の内装をどうしたいとか、領地で南国の果物を栽培すべきだとか、新しい事業に投資をするべきだとか……そんな感じの内容らしい。

賢い令嬢の言うことならともかく、残念ながらベアトリスにそのような知恵などない。

ただの我儘の延長にしては、度が過ぎる。

そのくせ私への嫌味や嫌がらせの才能は惜しみなく発揮するし、他人の些細な失敗などを吹聴して回るのが大の得意ときた。

あれはもう、生き甲斐と言い換えてもいいかもしれない。

そんなベアトリス相手に、「リリアーナが待ってるから!」なんて言えばどうなるか……考えるまでもない。

当然そんなことを口にした瞬間に、烈火の如く怒り狂うに決まってる。

婚約者という立場なのだから、程度はさておき当然の反応でもある。

けれど兄は、変なところで図太いらしい。

激昂したベアトリスの罵声を右から左に流しては、また新しい嘘の口実を作ってその場を後にする。

――そうして火の粉は、全て私のもとへ降り注ぐのだ。

本当にッ……! いい迷惑ったら!!!

当たり前のことだけど、兄には私を引き合いに出さないように何度も伝えている。

いい加減にしてと懇願したのも、一度や二度ではない。

「もうお帰りですか? 今日はベアトリス様との約束の日じゃ……。お兄さま、まさかまた私の名前を出したりしていないですよね!?」

「そう怒るなよ。機嫌が悪いのはベアトリスだけで十分だ」

「それは、お兄さまがあの方ときちんと向き合おうとしないから……! こんなことを続けて、結婚した後はどうするつもりですか!?」

「まだ先の話だ。そのときまでにはどうにかするさ」

「……ともかく、逃げ出す口実に私を使うのはやめてくださいね!!」

「まあまあ、寂しいこと言うなよ~」

何よりも嫌なのが、私にだって予定があるというのに、時折兄がアリバイづくりのために乱入してくることだ。

婚約者同士の問題に、周囲を巻き込むのは本当にやめてほしい。

ベアトリスにも、全て兄の虚言だと説明はした。

私の名誉のためでもある。

けれど既に彼女の中で私は『いつまでも兄に甘えるどうしようもないブラコン』で『カファロ伯爵家のお荷物』ということになっているらしく、理解してもらうことはできなかった。

どれほど言葉を尽くしても、全部言い訳に聞こえてしまうらしい。

「クラウディオにどれだけ甘えれば気が済むの!? あの人の面倒見がいいことにつけ込んで、私との時間を邪魔してばかり!!」

「ですから、そのようなことは私の意志ではないと……! 全部、兄が勝手に言ってるだけなんです!!」

「そんなことを言って、次にもまた同じようなことをするんじゃない! ふん……。本当に、いい度胸してるわ」

「私も迷惑しているんです! 私だって、婚約者と一緒にいたのに邪魔されたり――」

「それは貴女がいつまでも兄離れできていないからよ! ……せいぜい、ご自分の婚約者に見限られないようにすることね」

そっくりそのまま言い返してやりたかったけれど、兄たちの仲をこれ以上悪化させたくはなかった。

……少なくとも、 私のせい(・・・・) で関係が壊れたなどと言いがかりをつけられてはたまらない。

頼るべき両親は、領地に留まっていた。

相談の手紙も、懇願の手紙も送った。

けれどどれだけ私が必死に手紙をしたためても――遠く離れた地にいる両親には、状況を把握しかねたのだろう。

もしかすると、兄妹喧嘩がこじれたくらいに思っていたのかもしれない。

それとも、ただ兄が冗談で妹をからかっているようにでも考えたのか。

兄とその婚約者の不仲を伝えたところで、伝聞では判断のしようもない。

婚約破棄の可能性など考えたくもないだろうし、政略結婚なのだから多少のすれ違いくらいはよくあること。

結局……両親へ訴えたところで、兄の行いが改められることはなかった。

兄の虚言は、周囲へ拭い去れないイメージを植え付けた。

そしてベアトリスは、それを憎々しげに方々へ吹聴して回ったに違いない。

――もう、私にはどうしようもなかった。

***

私の肩を引き寄せた兄は、今夜も婚約者に対する義務をほっぽり出そうとしているのだろう。

調子を合わせろという、無言の圧力が肩を通じて伝わってくる。

対する眼前のベアトリスからは、憤り混じりの殺気のようなものまで感じられる。

どうせ、ベアトリスが兄にまたなにか我儘でも言ったのだろう。

持ってこさせたグラスの飲み物が間違っていたとか。

今日のために贈った宝石に、文句でも付けたのか。

なんにせよ、下らないことには違いない。

「いやぁ、次のダンスは妹と踊ってやらなくちゃ。家を出る前に頼まれてたんだ。リリアーナはまだ夜会に慣れていないし……まあ、可愛い我儘だよ」

兄が白々しく口を開いた。

吐き出されたのは、やはり紛れもない嘘だった。

顔は見えないけれど、人の良さそうなヘラヘラとした薄ら笑いを浮かべているのだろう。

適当に一曲踊って、私に頼まれものをしたとでも言いながら遊びへ行くつもりなのが丸わかりだ。

「リリアーナさん……心細いのはわかりますが、いつまでもクラウディオに頼るのはお止めになって。貴女ももう立派な淑女なのだから、兄離れしなくては」

ベアトリスの纏う雰囲気は禍々しかったけれど、普段と違って彼女の口調は柔らかな令嬢らしいものだった。

私をたしなめるような声音には、拭い去れない非難の色が混じっている。

こうして被害者ぶっては私の悪評を広めてきたのだろう。

今は夜会の最中だ。

私にはどうしようもない噂のせいで、既に肩身の狭い立場に追いやられていた。

それなのに兄は当然のように私を万能の盾のごとくベアトリスへ差し出し、彼女は噂を誇張しながら私を責め立てる。

――どうして、私を巻き込むの?

――どうして、私が我慢しなければいけないの?

――こんなことを、いつまで続けるの?

湧き上がる苛立ちは、むしろ私の思考をクリアにしていった。

そうだ、今は夜会の最中。

私はもう、邸に閉じこもっていた子供じゃない。

悪評が広まりきっているのなら――私が何をしたって、これ以上悪くなりようがないじゃない。

「うわっ!?」

「きゃあ!」

間抜けな声に顔を上げれば、みっともなく床へ転がった兄と、一歩引いたところでこわばった表情を浮かべるベアトリスの姿があった。

嫌がってもがいたところで、肩を掴んでいる兄の腕を振りほどける気はしなかった。

だから、勢いよく姿勢を下げた。

急に私の体勢が変わったので、兄は私を引き寄せておけず……前へ放り出されたのだった。

混乱した兄が私を見上げたところで、大きく口を開く。

誰も、聞き間違えることのないように。

私の言葉が、気持ちが、伝わるように。

「お兄さま、私をダシにするのはやめてください」

キッパリとした私の言葉に、兄が息を呑んだ。

これまでの嘘は、その場に私がいなかったから通っていたに過ぎない。

そのことを、今更になってようやく思い出したらしい。

「お兄さまと約束などしておりません。押し付けがましい気遣いも要りません。迷惑です」

立ち上がった兄の顔が、サッと青くなる。

私が反抗しないとでも思っていたの?

散々私の評判を貶めておいて、自分のときは口を噤んでくれるとでも?

ベアトリスが嫌な女であることは否定しない。

けれど彼女を相手にするのは、婚約者である兄の務めだ。

「なっ、何を言い出すんだリリアーナ。そんなに照れなくたっていいじゃないか」

「まだ言いますか……。私のことを『兄に依存するブラコン』だなどと嘘を吐く人が兄だなんて、ただ不快なだけです」

「ぐっ……」

歯噛みする兄を睨みつけていると、隣から頼もしい声が降ってきた。

「お 義兄(にい) さん、勝手にリリアーナを連れていかれたら困ります。彼女は大切な 僕の婚約者(・・・・・) なんですから」

「ネイサン……!」

胸が温かくなって、思わず彼の名前を呼ぶ。

ネイサン・ヴィエリ。

彼こそ、私の愛しい婚約者。

先ほど兄のせいで引き離された、今夜のパートナーでもあった。

隣に立った彼は、優しく私の手を取った。

そこから、彼の慈しむような温かな気持が伝わってくる。

見上げれば、柔らかな笑みを浮かべる彼と目が合う。

それだけで、体じゅうを支配していた苛立ちが、波のように引いていく。

こんな醜態を晒している中でも、隣で支えてくれるかけがえのない存在。

彼が私の婚約者でよかったと、心から思う。

「――あなたたち、どうしたっていうの? 何もそんなにクラウディオを悪く言わなくてもいいじゃない」

私たちの穏やかな空気を打ち破ったのは、ベアトリスだった。

思いがけない彼女の言葉に、私は目を瞬かせる。

「……ベアトリス様がそんなことをおっしゃるのは意外ですね。貴女も被害者ではないですか」

「被害者だなんて……リリアーナさんは、何か勘違いされているのね」

浮かんでくる困惑に、私とネイサンは首を傾げる。

ベアトリスがいまだに兄を庇う理由がわからなかった。

転がされた兄を助け起こす素振りもなく、彼女は今も一歩離れた場所に立っていた。

口ぶりほど、盲目的な様子はない。

――そうか。

どうしていつも、ベアトリスが兄を引き留めないのか疑問だったけれど……。

人目のある所で、我儘な妹を理由に立ち去ろうとする婚約者。

それに目くじらを立てていたのでは、狭量だと責められるのは彼女だっただろう。

引き留めれば、彼女の方が縋っているように見えてしまう。

『婚約者の妹より優先されていない』のと『婚約者の妹が邪魔をしてくる』のでは、他者から見られたときの心象が全く違う。

なんとも卑怯で卑劣な、兄のやり口。

自分のための言い訳に嘘を吐き、さも『仕方ない』という顔をして、婚約者も妹も――ときには妹の婚約者まで困らせる。

ただ遊びまわりたいというだけで周囲を巻き込んで、後はお構いなし。

そしてベアトリスは……決して、都合良く兄の嘘に騙されていたわけではなかった。

きっと、薄々は気づいていた。

気付いていながらも……私一人を悪者にするのが、彼女にとっても都合が良かったに違いない。

『婚約者に避けられている』などという事実は――彼女の矜持が許すはずもないのだから。

自分の婚約者にきちんと向き合っていなかったのは、ベアトリスも同じだったのだ。

だけどもう私は、この人たちに付き合うつもりはない。

振り回されてなんて、やらない。

この先、ネイサンまで巻き込ませるつもりもない。

再び湧き上がってきた嫌悪感を押し込めて、にこやかな笑みを浮かべる。

それだけで、ベアトリスはややたじろいだ。

「先ほどベアトリス様がおっしゃったように、私はもう立派な淑女です。兄が側にいなくても心細くありません。――私には、それよりもずっと頼りになる婚約者がいますので」

ネイサンの手を、ギュッと握る。

彼もまた、優しく握り返してくれた。

私にとって、これほど心強いことはない。

「勘違いではありません。なので、ご心配いただかなくて結構です」

「そ、そう……」

まさか、つい先ほどの自分の言葉を否定はできるはずもない。

ベアトリスは狼狽えたように頷くしかないようだった。

私は、ベアトリスの横で気まずそうにしている兄へ視線を移す。

「『妹と踊ってやらなくちゃ』……でしたか? 今宵、私には 私のパートナー(・・・・・・・) がおりますので、お兄さまもどうぞご自分のパートナーとお過ごしください」

「リリアーナ、お前っ……!」

「彼女には僕がついていますので、お義兄さんはどうぞご心配なく」

兄が何かに気付いたようだけど、もう遅い。

ネイサンにそっと抱き寄せられ、私は今日一番の笑みを浮かべてみせた。

「ベアトリス様とのお邪魔はいたしません。――さあ、次の曲が始まりますよ」

呆然と立ち尽くす兄とベアトリスをダンスフロアに置いたまま、私とネイサンはそそくさと休憩エリアへ移動した。

遠巻きに見られはしたけれど、表立って私たちを責めるような人はいなかった。

***

「ネイサン、巻き込んでごめんなさい」

「いいんだ。僕だって、いつも君との時間を邪魔されて困ってたし」

「流石にこれでもう、同じようなことはしてこないでしょ。……はぁ~、清々した!」

晴れやかな気持ちで、グラスに注がれた飲み物で喉を潤す。

これまでの鬱憤を、全てぶつけられたわけではない。

それでも……もう兄の思い通りにはなるものかと行動を起こせたので、今は満足だった。

広まりきった噂は、そのうち擦り切れるのを待つしかない。

「うーん、でもなんか……雲行きが怪しい、かも?」

「え?」

困ったようなネイサンの視線の先を振り仰ぐ。

ダンスフロアから伝わってくる喧騒の、さらにその奥。

「……あっきれた。あの人たち、一曲くらいおとなしく踊ることもできないの?」

「もう少し理性的に見えたんだけど……。今まで抑えてたものが爆発しちゃったのかな」

「人を散々子供扱いしておいて、バッカみたい。大人になれてないのはどっちよ」

一度気付いてしまえば、嫌でも聞こえてくる。

周囲のざわめきにも負けないほどの怒声を発しているのは、聞き慣れた男女のものだった。

『――いい加減、その口を閉じたらどうだ!』

『何よ、私が悪いっていうの!?』

『ああ、そうだよ! 口を開けば文句ばかり……四六時中ギャアギャアと喚かれたんじゃ、誰だって嫌になる!!』

『貴方こそ、自分のこと棚に上げて……! よくも私にそんなこと言えたわね!!』

『なんだと!?』

『何よ!?』

「……あ、両家の親に引き離された」

「あのままじゃ、いつか手が出る勢いだったから仕方ない」

「これ以上、醜態を晒されても困るものね」

「君のことも探してるみたいだ。僕もロビーまで送るよ」

「ネイサン……本当にありがとう」

優しい笑みに促されて、差し出された手を握る。

もう彼と離れなくてはならないのかと思うと寂しかったけれど、それ以上に憂鬱なのは帰りの馬車だった。

案の定、兄は私に食って掛かった。

「お前が悪いんだぞ、リリアーナ。お前のせいであんな目に――」

「いい加減にしないかクラウディオ! 元をたどれば、全て身から出た錆だろうがッ!!」

吠えるような父の怒声。

そして……ゴン! と兄の頭に、父がゲンコツを落とす鈍い音が響いた。

いい気味だと思ったけれど、やっぱり痛そうだった。

私のデビュタントに合わせて王都へやってきていた両親は、先々で私の噂を耳にし、ようやく娘の置かれた状況を把握したらしかった。

そして、今夜の夜会での騒動。

私からの手紙に書かれていた内容は、決して勘違いや誇張ではなかった。

両親がそれを理解したころには、全てが遅すぎた。

***

それからのこと。

あの夜会での騒動について、私にお咎めはなかった。

当然といえば当然のことだけど……なんだか据わりが悪いのも事実。

両親からは、手紙を本気に取り合わなかったことを謝られた。

そして……ベアトリスのお父様であるサンティ伯爵にも、頭を下げられた。

元はといえば兄のくだらない嘘が招いたことではあったけれど、取り返しようのないほどに私の悪い噂を広めたのはベアトリスだったからだ。

ベアトリスは、謹慎を言い渡されたという。

彼女が反省して態度を改められなければ……いつ社交界に戻れるのかは、サンティ伯爵の判断次第。

少なくとも、今シーズンは邸から出すつもりはないそうだ。

噂好きは言わずもがな、着飾って出かけるのが大好きだったベアトリスにとって、相当辛い処分に違いない。

――結局、兄とベアトリスの婚約は白紙となった。

相性が悪くても、それぞれがきちんと向き合えばうまくいくのではないだろうか……というのは、私の甘い幻想だったらしい。

両家が納得したうえで下した決断だった。

夜会での醜態を目にすれば、そう判断されたのも仕方ない。

私が思っていた以上に、あの人たちの関係は修復できないほどに拗れていた。

幸いだったのは、遊び歩いていた兄が不貞を働いたり、借金を作ったりしていなかったことだろう。

……そう。

私の思っていた以上に、事態は深刻だった。

そのことを思い知れば、私はまだまだ子供だったのだと実感する。

兄は今回のことで両親を激怒させた上、最低限はこなしていたと思っていた仕事すら酷いものだったという。

これから先は、父に付いてたっぷり再教育が施されるそうだ。

処分はそれだけにとどまらず――兄はカファロ伯爵家の跡取りの座から外された。

結婚を控えた婚約者との仲を深めるために与えられた期間、王都のタウンハウスとデビュタントを控えた妹を任された結果がアレだったのだから、厳しすぎる判断というわけでもないのだろう。

あれほど醜態を晒した挙句の婚約解消に、今から未来の伯爵夫人に相応しい婚約者を探すというのも難しい問題だった。

似た境遇となったベアトリスの今後も気になるけれど……彼女を受け入れてくれる嫁ぎ先が見つかるのを願うばかりだ。

とばっちりというべきか、仕方のないことというべきか。

後継者の座が空いたカファロ伯爵家に持ち上がったのは、ネイサンの婿入り。

ネイサンはヴィエリ侯爵家の三男。

後継者でない彼は私と結婚する際に、お父様であるヴィエリ侯爵の持つ爵位の一つである子爵位を貰って、王宮へ文官として出仕する予定だった。

いくらネイサンが優秀といっても、突然私と一緒にカファロ伯爵家を継ぐ可能性が降って湧いたのだから大変だ。

「全く……今度は私がネイサンに逃げられたら、一体どうするつもりなのかしら?」

「はは、そんなことで僕がリリアーナと離れるわけないじゃないか」

「だけど貴方まで後継者教育のために領地に連れてくるなんて、横暴すぎるわ!」

憤りながらティーカップの中身を飲み干す私に、ネイサンがなだめながらお菓子の皿を差し出した。

相変わらず、私の婚約者は優しくて頼りになる。

こんな素敵な人に、私が何をしてあげられるんだろうかと思うけれど……。

「頼られるのは嬉しいからそのままでいてほしい」なんて言われては、兄にネイサンの爪の垢を煎じて飲ませてやろうかと検討してしまうのも仕方ない。

そんなことを考えていると、温室の扉が開いた。

「お前たち~、俺にもお茶をくれえ」

「情けない声を出さないでくださいお兄さま。本当に情けない」

「まあまあ、お義兄さんにも休憩は必要だよ」

入ってきたのは、疲れた様子の兄。

ネイサンに勧められた椅子に座ると、今日も父にしごかれたのか、こめかみを揉んだり肩を回したりしている。

「ネイサンったら、優しいんだから……。お兄さま、休憩させてもらえるだけありがたいと思ってくださいね」

「へいへい、わーかってるよ。リリアーナは厳しいったら。それに比べてネイサンは優しーのな」

「いえ、お義兄さんには頑張って早く後継者に戻ってもらわないと、僕たちとしても心苦しいので」

「あ、そういう理由……」

ガックリと肩を落とす兄に、私とネイサンは顔を見合わせて笑う。

兄はあれからこっぴどく叱られたこともあり、これまでの自らの行いを心から反省して、私とネイサンの前で頭を下げた。

きちんとした謝罪を受け、これ以上ないほどの報いも受けたこともあり、私たちと兄の関係はほとんど元通りになった……はずだったのだけど。

つい兄への当たりが強くなってしまうのは仕方ない。

「誰のせいで私たちまでこんなところにいると思ってるんですか。早く私たちを王都に戻らせてください」

「お前たちには、本当に申し訳ないと思ってるよ。……だけど俺としても、お前たちに領地を継いでもらった方が安心なんだけどなー」

「ほら自分の責任を押し付けない! 全く情けないったら……」

「違うって! カファロ領のためにできる限りのことはするさ。だけどやっぱり、お前たちの方が適任だと思うんだ。ネイサンだって、どうせなら子爵より伯爵の方がいいだろ?」

話を振られたネイサンは、きょとんとした表情を浮かべた。

「僕としては、リリアーナがいてくれるならどちらでも……。ただやっぱり、カファロ領はお義兄さんが継いだ方がいいと思いますよ。僕も手伝えるところは手伝いますから」

「ネイサン、お前は本当にいい 義弟(おとうと) だな……!」

「ちょっとお兄さま、ネイサンに甘えるのはやめてください!!」

それからも私と兄の言い合いが続きそうになったところで、ネイサンが「はいはい」と割って入る。

「お義兄さん、もう十分休憩しましたね?」

「え、いや、まだ来たばっか……」

「気分転換できましたよね? そろそろリリアーナと二人っきりで過ごす時間に戻らせてください」

「あ、ウン。わかった……」

兄は頷くと、少ししょんぼりしながら温室を出ていった。

かわいそうに思わなくもないけど、自業自得でもある。

「さあリリアーナ、僕たちはお茶を続けようか」

「ふふっ、そうね」

――優しくて頼りになるけれど、一番怒らせてはいけないのはネイサンなのかもしれない。