軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

音楽祭に向けて 1

「もう食べないのか? レーネ」

「その、食べたい気持ちは山々なんですけれども……」

アーノルドさんとの練習を終えて帰宅した頃には、夕食の時間になっていた。満身創痍で立つのがやっとな私はローザに着替えさせてもらい、なんとか食堂へとやってきたのだけれど。

猛特訓で酷使した手が痛くてぷるぷると震え、フォークを持つことすら辛いせいで食事をする手が止まってしまう。高級レストランのような料理をいつも元気に食べていた私の変わりように、流石の父も眉を寄せている。

『あれ? レーネちゃん、俺の話聞いてくれてた?』

『楽譜に書いてある音の鍵盤を、順番通りそのまま押すだけでいいんだよ。どうして違うことをするの?』

『この曲を作った人が聞いたら、泣いちゃうと思うな』

ふわっとかポコっとか言っていた、あの頃のアーノルドさんを返して欲しい。私ほどの強いメンタルの持ち主でなければ、間違いなく泣いていただろう。

どうやらレーネはピアノを嗜んだことがあるらしく、思ったよりも指は動いた。けれど、鬼コーチであるアーノルドさんが許してくれるラインまでは程遠い。

とは言え、この練習を続ければ、聞けるようになるだろうという確信はあった。

クラスのためにも、アーノルド師匠の指導に必死に食らいついていかなければ。けれどやっぱり、手は痛い。姿勢についても厳しく言われ、全身が疲れ果てている。

「実は音楽祭の練習で、手を痛めてしまいまして」

「あら、もしかしてヴァイオリンを弾くの?」

すると義母が珍しく、そんなことを尋ねてきた。

「いえ、ピアノを弾きます」

「そうだったのね。レーネのヴァイオリン、久しぶりに聴きたかったのだけれど……」

「えっ?」

「レーネは元々、ヴァイオリンが上手だったんだよ」

どういうことだろうと首を傾げる私に、向かいに座っていたユリウスが助け舟を出してくれる。

どうやらレーネにも特技はあったらしい。内気すぎる性格のため、人前で演奏することはほとんどなかったという。

「そうだったんだ……あいてて」

お腹はもちろん空いており、なんとか食事を再開しようとするも、手の甲がすぐに攣りそうになる。

そんな私を見ていた兄は、笑顔のまま口を開いた。

「俺が食べさせてあげようか」

「……なんて?」

「お兄様がそこまでする必要はないと思いますよ」

私の隣に座って静かに食事をしていたジェニーは、冷ややかな視線を向けてくる。その顔には「ピアノの練習を少ししただけで大袈裟だ」と書いてあった。

アーノルドさんの指導を受けたことがある人間にしか、この痛みは分からないだろう。私もきっとジェニーの立場ならば、同じことを思っていたに違いない。

「でも、手が痛くて食事を食べられないなんて可哀想だと思わない? 俺がダメならジェニーが食べさせてあげたら?」

「……それは」

ユリウスは一体、何を言い出しているのだろう。ジェニーがそんなことをするはずがないというのに。

けれど結局、仕方ないと言いたげなジェニーは小さく溜め息を吐き、治癒魔法をかけてくれた。痛いと言った時にかけてくれても良かったのではと思いつつ、笑顔でお礼を伝える。

もしかすると策士な兄は、この流れを狙っていたのかもしれない。私もユリウスも治癒魔法は使えず、光魔法と闇魔法に関しては、生まれつき使える人が決まっているという。

「ジェニーも音楽祭に出るんだよね?」

「はい、お兄様のために頑張ります」

「ありがとう。楽しみにしてるよ」

兄の言葉に、ジェニーは嬉しそうに頬を染める。

ご機嫌取りも忘れない兄はホストに向いていそうだと思いながら、痛みのなくなった手で私は元気に食事を再開した。

◇◇◇

夕食後、呼び出されてユリウスの部屋を訪れたところ、長い足を組んでソファに腰掛けている、威圧感たっぷりの兄の姿があった。

「で? 昼間のあれ、なに?」

「かくかくしかじかで……」

「俺、結構怒ってるからね? ちゃんと話して」

「スミマセン」

夕食時はいつも通りだったため安心していたものの、しっかり怒っていたらしい。

言われた通りソファに隣り合って座り、至近距離で昼間のラインハルトと抱き合っていた件についての釈明をした。

「……という訳でして」

「それは災難だったね。消毒してあげようか?」

「結構です」

自身の形の良い唇を指差し、とんでもないことを言う兄は今日もシスコンを拗らせている。同情はするものの抱き合う必要はなかったと、怒られてしまった。

「本当に嫌だから、もうしないで」

「……わ、分かった」

まっすぐにふたつの碧眼で見つめられ、思わず頷く。

兄妹間でここまで口を出すのはおかしい気はするけれど、お世話になっているユリウスが嫌がることはなるべくしたくない。いつか私に恋人ができた場合、大変なことになりそうだ。

「俺が他の女と抱き合ってたら、どう思う?」

「相手は物凄い美女なんだろうなって」

「レーネは本当に俺に興味がないんだね」

むしろ兄が女性と抱き合っていることに対して、どんな感想を抱くのが正解なのか教えてほしい。

再びユリウスは不機嫌になり始め、話題を変えるべく慌てて今日のスパルタ練習についての話を振る。

「アーノルドさんに、あんな一面があったなんて……」

「だから止めたほうがいいと思うって、俺は止めたのに。アーノルド、音楽にはうるさいんだよね」

ユリウスもヴァイオリンで音楽祭に出るらしい。兄には苦手なものなど存在しないのかもしれない。

先ほどまで練習していたのか、机の上にヴァイオリンケースが置いてあるのを見つけた。

「ねえ、少しだけ聞いてみたいな」

「いいよ。レーネのためなら」

そう言って微笑むと、ユリウスはすぐにケースからヴァイオリンを取り出し、一曲弾いてくれる。

「……わあ」

素人の私でも分かるくらいに上手いのはもちろん、その姿は思わずどきっとしてしまうくらいに綺麗だった。指先から伏せられた長い睫毛まで、何もかもが眩しくて見惚れてしまう。

ユリウス・ウェインライトという人を好きにならない女性は存在するのだろうかと、本気で思ったくらいだ。演奏を終えた兄は、興奮気味に拍手をする私を見てくすりと笑う。

「喜んでくれたなら良かった」

「本当に素敵だったよ! ユリウスはすごいね」

「コツさえ掴めばレーネも弾けるようになるよ」

やってみる? と尋ねられ、私はチャレンジしてみることにした。元のレーネが得意だったのなら、もしかすると意外と弾けてしまう可能性もある。

「左手はもっと下を持って、そうそう」

私のすぐ後ろに立ち、ユリウスは持ち方から教えてくれた。私自身はヴァイオリンに触れるのは初めてだけれど、なんだかしっくりくる気がする。

「ねえ、ここなんだけど」

そうして何気なく振り返った瞬間、私の手元を覗き込もうとしたユリウスとぶつかってしまった。

それも顔と顔、私の口とユリウスの頬が。美しい顔になんてことをしてしまったんだろうと、頭を抱えた。

「あ、ごめ──」

慌てて謝罪をしようとユリウスを見上げた私は、言葉を失ってしまう。口元を片手で覆っているユリウスの顔は、はっきりと分かるくらいに赤かった。