作品タイトル不明
なんちゃって貴族令嬢の嗜み 1
夏休みまで残り一ヶ月を切ったある日、私はソファの上で分厚い本を手にのたうち回っていた。
「あああ、もう全っ然頭に入ってこない……入場の仕方なんて練習したの、卒業式くらいしか経験ないよ……」
そう、実はもうすぐ王家主催の舞踏会──私達の代の貴族令息子女のデビュタントが行われる。
この国は他国とシステムが違って特別なしきたりも多いらしく、同級生は男女問わずみんな一緒に参加することになるそうだ。
それでも社交界というのは、学園内とは全く違う。ランクではなく身分至上主義のため、友人だからと言って人前で砕けた態度でいることは許されないんだとか。
特に王子は、この国の王子様なのだ。社交の場で失礼な言動は絶対にできないため、ヴィリーも気を付けなければと話していた。
そもそも私はレーネの身体に染み付いていた感覚に頼り切っていただけで、マナーなどの基本的なことも完璧ではないため、学ぶことが多い。
「……よし、頑張ろう」
気合を入れ直し、寝転がったまま再びデビュタントに関する本を開く。
驚くほど覚えることが多く、「こんなのどうでもよくない?」みたいな部分まで細かい決まりがあるのはきっと、国王夫妻──王子のご両親も参加されるからだ。
大事な友人のご両親でもあるわけだし、絶対に粗相はできない。
「あれ、まだ勉強してたんだ」
「あ、ユリウス」
暑くて廊下に続く部屋のドアを開けっぱなしにしていたところ、ユリウスが中へ入ってきた。
ソファで寝転がって本を読んでいる私を見ても、由緒ある伯爵家の令息、生粋の貴族であるユリウスは表情ひとつ変えない。
むしろこちらへ来て、偉いねと頭を撫でてくれる。
いたたまれなくなって身体を起こしたものの、こんな風に受け入れてくれる相手なんて、きっと他にいないだろうと思った。
「私、ユリウスじゃないとだめかも」
「いきなり告白? 俺もレーネじゃないとだめだよ」
告白直後は目すら合わせられなかった私もようやく慣れてきて、これまで通りの距離感であれば普通に話ができるようになっている。
ユリウスは口角を上げて足を組むと、「はい」とこちらへ銀色の箱を差し出した。
「休憩中にでも食べて」
私のために買ったお菓子らしく、かわいらしい缶に入ったクッキーなんだとか。
「わあ、すっごくかわいい! ありがとう」
「この間、手紙を入れるものを探してるって言ってたよね? 今、女の子達の間でそういう缶に入れるのが流行ってるんだって」
先日、伯爵の書斎から回収したルカからの手紙を大切にしまっておく入れ物がほしいと、何気なく話していたのを覚えてくれていたらしい。
早速用意してくれるなんてと、胸を打たれる。どこまでもユリウスは私に甘くて優しくて、もらってばかりだと申し訳なくなった。
「近くで見てもすっごくキラキラして……ってもしかしてこれ、本物の宝石?」
「そうだよ」
「ク、クッキー缶に……宝石……?」
貴族令嬢がクッキー缶を再利用なんて、やけに庶民的で可愛い流行りだなとは思ったけれど、まさかそんな高級アイテムに変身していたとは。
クッキー1枚何万円なんだろうと思いながらも、ありがたくいただいておく。
「あのね、ユリウス。今後は高いプレゼントをくれなくて大丈夫だよ。気持ちだけで嬉しいし」
そう、実は昨日もドレスやアクセサリーなどが、山のように届いたのだ。
もちろん全て最高級品で、おもちゃかと思うくらいの大きさの宝石の眩しさに、目を開けていられなかったほどだった。
「俺が贈りたいだけだから気にしないで。これからまだまだ届くし」
「ええっ」
注文済みのものが数えきれないほどあるらしく、とんでもない貢ぎ方をされている。
これほどの美形に貢ぐ側になるどころか、貢がれる側になる日が来るとは思わなかった。嬉しい気持ちはあるものの、このままでは申し訳なさで死んでしまうと話したところ、ユリウスは首を左右に振った。
「気にする必要なんてないよ。それにレーネからの指輪、嬉しかったから」
その笑顔からは本当に嬉しかったというのが伝わってきて、胸が温かくなる。
ユリウスの左手で輝く指輪を見るたび、落ち着かなくてこそばゆい気持ちになった。
「それに俺が贈ったものばかりを身に付けて、囲まれているレーネを見ると気分がいいんだよね」
「そ、そうなんだ……?」
「うん」
無邪気な笑顔を向けられ、なんだか少し危ない気がしつつ、とりあえず少し控えてもらう約束をなんとか取り付ける。
ユリウスはやがて、閉じて膝の上に置いていたマナー本へ視線を向けた。
「そういえば、舞踏会のパートナーはもう決めたの?」
「ん? パートナー……?」
「うちの国は変わってるからね、デビュタントもパートナー同伴が普通なんだ」
「ええっ」
最近、クラスの男女が「一緒に行ってくれる?」みたいな会話をしたり、みんな浮き足立っているように見えたりしたのはそれが理由だったのかと、納得する。
マナーやダンスのことに頭がいっぱいで、全く知らなかった。この国に住んでいる人なら当たり前のことすぎて、わざわざ誰も口にしていなかったのかもしれない。
「まあ、パートナーとは言ってもその日限りの気楽なものなんだけどね」
「なるほど……」
よく分からないけれど、この国だけの妙なしきたりらしい。どうせこれもゲームのしょうもないイベントなのだろうと、すぐに察した。
とにかく私もデビュタントに参加する以上、誰かにパートナーをお願いしなければ。
「本当は俺がレーネをエスコートしたかったのにな」
「ユリウスは誰がパートナーだったの?」
「気になる?」
何気なく尋ねると、楽しげな笑みを浮かべたユリウスにそう尋ねられる。
気にならないと言えば嘘になるため、こくりと頷く。
「俺のこと、本当に好きなんだね」
ユリウスはさらに機嫌が良くなったようで、私の頬を指先でつつく。
「俺のパートナーはミレーヌだよ。俺達、昔からそういう時はお互いに利用してるから」
「そうなんだ」
「あからさまにホッとした顔して、かわいい」
ぎゅっと抱きしめられ、短い悲鳴が漏れる。まだこういった接触までは慣れていないため、心臓に悪い。
「レーネは誰にするの? ヨシダくんね」
「前半の質問の意味あった?」
ユリウスが絶大な信頼を置く吉田、流石すぎる。
ヴィリーでも可とは言われたけれど、ユリウスの誕生日パーティーまでダンスを一緒に練習した吉田となら舞踏会も安心だし、明日早速誘ってみることにした。
「舞踏会自体は俺も参加するから安心して」
「そうなんだ! 一緒に踊れたりする?」
「もちろん」
「本当? やった!」
こないだの誕生日にユリウスと一緒に踊ったのがとても嬉しくて楽しくて、またあんな機会があったらいいなと思っていたのだ。
憂鬱だったデビュタントも楽しみになってきて、思わず口元が緩む。
するとその瞬間ぎゅっと顔を掴まれたかと思うと、ユリウスの寸分の狂いもない美しい顔が目と鼻の先まで近づいていて、息を呑んだ。
このままくっついてしまうのではないかと慌てるのと同時に、ユリウスはぴたりと止まる。
「……あぶな」
「えっ?」
「キスしそうになっちゃった。あまりにもかわいくて」
「へ」
予想もしていなかった言葉に、口からは間の抜けた声が漏れる。きす、キス……と動きを止めた脳でなんとか理解しようとしていく。
やがて言葉の意味を呑み込んだ私は、じわじわと顔が熱くなっていくのを感じていた。
「な、ななな……な……」
「ごめんね。ゆっくり進むとか、好きって言ってくれるだけで嬉しいとか、嘘だったみたい」
「いや、あの待って」
「もう少しだけ頑張って我慢するけど、レーネちゃんも頑張ってほしいな」
つんと鼻先と鼻先を合わせたユリウスは、誰よりも綺麗に笑ってみせる。
至近距離でのやり取りや、キスしそうになった、という爆弾発言が頭から離れず、キャパオーバーになった私はそのままソファに倒れ込んだ。