軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

265 七日の名

* * *

エコ・リーフレットはゴトゴトと揺れる馬車の中で一人横になっていた。

馬車は一体何処へ向かっているのか。「ヘカトの森」という場所であることはわかっているが、その道のりや距離は未だ不明だ。

アッホスの町を出発してから、どれほどの時間が経過しただろう。二日か、それとも三日か。馬は不眠不休で走り続けている。

移動中、エコはずっと眠っていた。特に眠気があったわけではないが、眠る以外にこれといってやることもなかった。

眠ろうと思えばいくらでも眠れる。起きていようと思えばいくらでも起きていられる。精霊界とはそういう場所である。

「……?」

急に、馬車が停止した。

暫く中で待っていても、再び動き出す気配はない。

――到着した。そう察知したエコは、ゆっくりと馬車から降りる。

そこは既に森の中だった。辛うじて道とわかるものは、まさにエコが降りた場所で途切れている。

この道の途切れた先が、ヘカトの森――僅かでも足を踏み入れたら二度と帰ることはできないと言われている魔境だ。

「あ」

馬車がUターンして帰っていく。

退路は断たれた。もう前進するよりない。

「……ちょっと、こういうもりは、しらないかも」

置き去りにされたエコは、背丈の何十倍もある巨大な木々を見上げて、暫し立ち尽くした。

まるで一軒家のような太さの幹の大木が何千本何万本と生い茂っている様は、見る者全てを圧倒する。これを目の前にしたエコの無力感は、凄まじいものがあった。

敵意を持った魔物や人間が出てこようと、大抵は苦もなく倒せる。それが巨大なゴレムだったとしても、金色の龍だったとしても、タイトル戦出場者だったとしても、彼女には一人で倒せる自信があった。

しかし……森は倒せない。

精霊界における自然、その壮大なスケールを前に、エコはただただ気圧されるよりなかった。

「まあ、いくけどね」

気を取り直し、森に向かって独り言つ。

エコにとって、セカンドの指示は絶対だった。

彼女は作戦を好む。彼女のそう長くない人生の中で、彼女自身の立てた作戦で上手くいった試しはないが、彼の立てた作戦で上手くいかなかった試しがない。

あのどうしようもない境遇に、歯車が勢い良く空転するだけの日々に、突如として差し伸べられた手。それは後から考えれば、彼の作戦だった。しかし、見事に、ものの見事に、歯車は噛み合うようになり、彼女のペダルに心地好い重さが戻った。

エコはしてやられたのだ。彼の口車に乗せられ、彼の作戦通り、彼の仲間となったのである。

その後もそうだ。彼の立てた作戦の通りに動けば、彼女は活躍し、彼女は役に立ち、彼女は生き甲斐を感じ、彼女は嬉しくて堪らなくなる。

人の役に立てるということが、こんなにも気持ちの良いことなのかと、初めて知ることができた。

だから、彼女は彼に作戦を強請り、作戦に従う。そうしておけば間違いないと学んだのだ。それが、彼と出会ってから覚えた、彼女の人生の教訓だ。

「……なんか、すごいあるいたきがする」

ゆえに、エコは、歩む足を止めなかった。

彼女がヘカトの森へと入ってから、既に 丸二日(・・・) が経過している。

その間、彼女はずっと歩き続けた。

どうして一歩たりとも足を止めなかったのか?

簡単だ。彼女の中に、歩みを止めるという考えは一切ない。何故なら、それは聞いていた作戦と違うから。歩みを止めたら作戦通りにいかないから。ただそれだけの理由である。

この森を進んだ最奥にいる水の大精霊ヘカトを訪ねること。それが今回の作戦だった。

セカンドがそう言ったのだから、この先に必ずヘカトはいるのだ。何日かかろうが、歩いていけば必ずヘカトに会えるのだ。エコは、そう信じて疑わない。

ゆえに、三日経っても、五日経っても、森の中を歩き続けた。

心の中でセカンドの名を呼び続ければ、彼女は何日だって耐えられるのである。

……そして、七日が経過した頃。

一匹の カエル(・・・) が、なんの前触れもなく、エコの目の前に現れた。

「およっ?」

違和感を覚えたエコは、首を傾げつつも、じっとそのカエルを観察する。

観察作戦――随分と前にセカンドから教わったことだ。初めてのダンジョンや狩り場では、一にも二にも観察。気になったものは即観察。行動の前にまず観察。五分以上は必ず観察。これは彼女にとっての鉄則であり、ランカーの鉄則でもあった。

いつだって現場の最前線を行くランカーたちは、自分の中である程度の攻略情報が安定するまでは、決して迂闊な真似はしないのだ。ゆえに誰よりも深く広く観察する。培った知識と経験を総動員し、ライバルたちを出し抜くため、目を皿のようにして観察し、攻略法を編み出すのだ。

そんなランカーたちのトップであったセカンドの教えにとても忠実なエコは、しっかり五分以上カエルを観察し、一つの答えを出した。

このカエルは、なんの変哲もないアマガエルだ……と。

アマガエルは主に水辺の樹上に生息する。つまりは、水場が近いということ。水場が近いということは、人間の生活に適している場所があるということ。

大精霊が人間のように暮らしているかはわからないが、ようやく森からの反応が返ってきたような気がして、エコは嬉しくなった。

すると、そのカエルは、ぴょんぴょんと跳ねて進みながら、時折エコを誘うようにして振り返り、少しずつ森の奥へと進んでいく。

エコはそれをガン無視して、森の奥を目指した。

作戦会議でカエルなどという単語は聞いていない。観察のために足を止めたが、それ以上カエルの相手をしていては作戦から逸れてしまう。

今回の作戦は、森の最奥にいる水の大精霊ヘカトに会うことだ。カエルの後を付いていくことではない。

「――憐れ」

「ほ!?」

カエルを無視して数分後、唐突に森が喋り出した。

森全体が木々を震わせ喋っているように、何処からともなく女の声が聞こえてくる。

「何ゆえそこまで森を進む?」

森の声は、エコに問いかけた。

どうしてそこまでして森を進むのか。かれこれ七日だ。普通の人間の感覚では、真面でいられるような時間ではない。

「あなた、へかと!? あなたにあいたい!」

しかしエコは、至ってケロっとしている。

何故、こんなにケロっとしていられるのか。森の声は、疑問に思わざるを得ない。

「帰りなさい」

ヘカトに会いたいと答えたエコに対し、森の声は忠告するように口にした。

「やだ!」

元気いっぱいに拒否するエコ。

「…………」

沈黙する森の声。

そして再び、エコは歩き出す。

――この子は精神が強すぎる。森の声は、ここ七日間のエコの様子を見ていて、そのような印象を抱いた。

なんの疑いも持たず、弱音の一つも吐かず、取り乱さず、平常心で、七日間もヘカトの森をひたすら突き進める人間など、森の声の知る限り一人としていない。

何が彼女をそうさせるのか。彼女のその強さは何処から来るものなのか。森の声は、そこがとても気になっていた。

「何か信じるものがある?」

「あるよ!」

「それは自分か?」

「ちがうよ!」

「では他人か」

「そうだよ!」

「他人のために歩くのか」

「んーん、じぶんのため」

「自分のために他人を信じるのか」

「そうだよ!」

歩くエコに対して、森の声は質問を繰り返す。

しかし、質問の回答を聞けば聞くほど、疑問は深まっていった。

他人を信じて七日も森を歩き続けたが、それは自分のためにやっている……これが本当なら、エコの信念は「他人の指示に従うこと」となってしまう。

人間は誰しも己の信念に基づいて行動するものだと、森の声は知っていた。逆に、信念の無い生き方をしている者は、容易に折れてしまうとも。

エコの折れない様子から見るに、信念は本物だった。

であれば……自分のためとはいえ、他人を信じて七日間も元気に森を歩き続けられるものなのか? 結局、疑問はそこになる。

森の声は、気になった。異常に気になった。

過去、森の中へと足を踏み入れた者は数あれど、その誰とも似つかない強靭さを持つ人間――エコが、気になって仕方ない。

「――いいでしょう」

「!」

急に、森の空気が変わった。

視界が開けたかと思えば、見えてきたのは湧水が伝って流れるジメジメとした巨大な崖。エコは先端が見えないほどに高いその崖を見上げて「おー」と感嘆の声を漏らすと、それから視線をゆっくり目の前へと戻す。 声(・) のした方へ。

そこには、ぽっかりと大きな穴が開いていた。恐らく洞窟の入り口であろうその穴は、積み上げられた石で補強され、苔むした神社のような佇まいであった。どうやら声はその中からしているようだ。

「入りなさい」

再び声がする。ふと、エコにはそれが、鈴を転がすような声だと感じられた。

そして、確信する。声の主は、きっとヘカトだと。ラズベリーベルから、ヘカトは女性の精霊だと聞いていたからだ。

森は崖で行き止まり。そこに洞窟があるとすれば、その先こそが 最奥(・・) に相応しいだろう。エコは作戦通りだと判断し、洞窟の中へと勇ましく入っていく。

「ほらね?」

つい、独り言が溢れた。

上手くいったでしょ? という、自分への言葉。

この七日の間に、何分間か、何秒間か、セカンドを少しでも疑ってしまった自分への言葉だ。

「……やはり、貴女と私は、とても似ている。偶然とは思えないほどに」

洞窟の奥には、乳白色のドレスを身に纏った女性が一人で立っていた。彼女は何かを感じ取ったのか、エコを見つめてそう呟いた。

スラリとしたモデルのような体型だが、乳房と臀部は大きく主張しており、その立ち姿は同性のエコであっても思わず目を奪われるほどの美しさ。ドレスはボディラインが浮き出るような薄手のもので、首には金色の大きなネックレスが輝いている。

しかし……おかしなことに彼女は、何故だか バケツ(・・・) を被っていた。

顔が全く見えない、美しい体をした女性。それは、端的に表して「変」だった。

「こんにちは! へんなひと?」

「……こんにちは。ワケあって、顔を隠している」

バケツの女は、暫しの沈黙の後に挨拶を返すと、そっとバケツに触れながらそう答えた。

「あなたがへかと?」

「はい」

「やっぱり!」

エコはバンザイして喜ぶと、てくてくとヘカトに近付く。

「待ちなさい。貴女に一つ、聞きたいことがある」

そんなエコを手で制したヘカトは、バケツで顔を隠したまま口を開いた。

「どうしてそこまで、心の底から 彼(・) を信じられる? 裏切られるとは、思わないの? 自分が、信用ならないの?」

「ぜんぜんひとつじゃないよね」

「……ごめんなさい、三つでもいいかしら」

「いいよ」

ヘカトからの、三つの質問。

エコは「うーん」と考えるポーズをとってから、五秒ほどですぐに語り始める。

「せかんどは、すっごいしんじてる。うらぎられないと、おもう。じぶんは、たまにしんじる」

「……以上?」

「いじょー!」

実に簡潔な回答だった。

しかし、これ以上なく、エコの気持ちを表していた。

「……彼は、永遠ではない。完璧でもない。必ず裏切られる時が来る。貴女は、それに耐えられる?」

依存している。ヘカトはそうとしか思えなかった。ゆえに、このように問いかけた。

もし、エコとヘカトが主従関係となるのならば、ヘカトにとっての不安点はそこなのだ。依存が強ければ強いほど、喪失した時のダメージは大きくなる。もしそうなった時、主従関係を結んでいたならば、行き着く先は共倒れだ。

「よっつめ……」

そんなヘカトの懸念とは裏腹に、エコはジト目でヘカトを見つめた。

「……ごめんなさい、これで最後」

「いいよ」

そして、やはりケロっとした顔で口にする。

「せかんど、いつかしぬし、だめなとこいっぱいある。あたししってる」

「では」

「たえられるよ。たえるのは、とくい」

「……得意」

「あと、かいふくも、とくい」

エコは誇らしげに胸を張った。

耐えることも、回復することも、どちらもセカンドに見つけてもらった特技だ。

自己を肯定する部分にも彼が関係しているのかと、ヘカトはいよいよ依存の見解を強める。

「彼には駄目なところが多いのならば、裏切られることもあったのでは。無闇に信じ続けるだけでは駄目だと、思ったことがあるのでは」

「ないよ。おもってない。でも、もし、そうなったら……」

エコはヘカトの問いをきっぱり否定すると、言葉を続けた。

「せかんどが、なんかうまいぐあいに、にがしてくれるはず」

「…………」

――ここまで、ここまで真っ直ぐな気持ちで、他人を信じられるものなのだろうか?

ヘカトは静かに衝撃を受けた。

彼が裏切るという仮定の話でさえ、彼女の中でそれを解決してくれる想定は彼だった。

神に心酔する狂信者でさえ、もっと疑いというものを知っている。

彼女をこうさせる彼とは、一体どのような男なのか。

彼をそうさせる彼女とは、一体どのような女なのか。

「……名前を聞かせて」

ヘカトの中で、じわじわと膨れていた興味が、ついに懸念を上回った。

「えこ・りーふれっと!」

元気良く、名前を口にする。

「エコ・リーフレット」

ヘカトはその名前を噛み締めるように呟くと、ゆっくりと一歩だけ踏み出して、エコへと近付いた。

それから、右手を前に伸ばし、エコの心臓の位置に指先を向ける。

「――エコ。さあ、真似をして」

「うん」

エコも同様に、ヘカトの心臓の位置へと右手を伸ばした。

「自己紹介をします。私はヘカト、水の大精霊。精霊になる前は、死霊だった。そして、死霊になる前は――」

同時に、触れ合う。

直後、エコの意識は暗転し……。

「 」

……瞬間、全てを理解した。

ヘカトが生き、死に、彷徨い、精霊となるまでの全てを。

命の源に触れれば、その者の内面を覗ける――そう、ヘカトの記憶を、まるでエコ自身が体験したかのような鮮明さで覗き見ることができたのだ。

ゆえに、エコは納得した。彼女が口にした「貴女と私は似ている」という言葉に。

明確な理由があった。納得に足る理由だった。

事の発端は、ヘカトが女学生だった頃にまで遡る――。