作品タイトル不明
24.戦うつもりじゃなかった(1)
やあ精が出るね。
見てくれ、来訪される皇太子殿下が、褒美に酒を振る舞われたんだ。
勤務中に呑むのはまずいだろうけど、匂いだけでも嗅いでごらん――。
優美な顔を笑ませ、門前の太監たちに気さくに 小甕(こがめ) を差し出した自誠は、彼らが次々と気絶するのを見届けると、手際よく両手足を縛り、目に付かぬ茂み脇に転がした。
「悪いね」
麗しい顔は、穏やかに微笑んだままだ。
少し離れたところから内務府を見張っていた太監たちも、すでに同様の方法で無力化した。
総出で皇太子の来訪を迎えなくてはならない時分のわりに、ずいぶんと厳重な警備である。
さらなる刺客もありえるか、と、自誠は気を引き締め、脇に差した刀に手を置き直した。
(今日はもう、存分に暴れられる)
これまで、武官として振る舞い続けるために極力ことを荒立てずにいたが、「皇太子」が後宮にやってくる今日を限りに、この偽装も限界を迎えるだろう。
逆に言えば、もう怪しまれるのを気にしなくてもいい。
周囲の気配に注意しながら、素早く内務府の最奥に近付く。
目算通り、中はもぬけの殻だった。
広大な 庫房(こぼう) や太監の詰め所を通り抜け、上等な調度品に溢れた空間へと踏み込む。
太監長・ 袁氏(えんし) の執務室だ。
扉脇にも、見張りの小姓が隠れていた。
酒で気を引くのも難しいため、可哀想だが、脇を殴って気絶させる。
すべてを淡々とこなし、自誠はとうとう、奥の文机までたどり着いた。
「さて」
実を言えば、この内務府も、この五年の間に検めはしていた。
毒物、金子、隠し扉、呪術具、恫喝の証拠。
そうしたものがないかをつぶさに確かめ、いずれも空振りに終わっていたのだ。
ここには、清廉潔白な勤務ぶりを表すような品しかありはしなかった。
だが、 金璽(きんじ) を標的に絞った今となっては、話が違う。
自誠は、金璽や金印がずらりと並んだ一角に向かうと、それらを念入りにたしかめた。
どれも上等な漆箱に入れられ、紐も折り目正しく掛けられている。
一つ一つ開けてみれば、印面は朱のかけらひとつ残らずきれいに拭われ、手入れされていた。
真っ先に、最も大きく、金で作られているものを検めたが、それは太監長自身の金印であった。
小ぶりなものまで次々と開封していくが、烏を操るにふさわしい文面を記した金璽は見つからない。
(……いや)
だが自誠は、ふと、 鈕(ちゅう) もない、武骨で大ぶりな銀印に目を留めた。
印面はさほど大きくないのに、持ち手部分がやけに太い。
側面にうっすらと細い線を見て取った彼は、はっとしてそれを手に取り、傾けた。
掌に感じる、中のなにかが動く音。
はたして、側面の線に爪を立てると、銀印は二つに割れ、中から小さな金印が現れた。
繊細な 鈕(ちゅう) は 烏(からす) の意匠。
そして――古めかしい文字で刻まれているのは、「大天華国皇帝より烏に命ず」というほどの一文。
「……見つけた」
興奮を押し殺し、金璽を握りしめる。
素早く手巾に包んで懐にしまい込むと、彼はついで、偽装の銀印を収めていた漆箱を検めた。
皇帝に代わり烏に「罰」を命じていたなら、そのやりとりの記録や、標的を恫喝するための書状などもどこかにあるはずだ。
銀印と同じく、この漆箱になんらかの偽装の仕掛けを施している可能性もある。
だが、器用な指先が、箱の底面に違和感を感じ取ったそのとき。
「なにをしておいでですか、郭武官殿」
背後から声を掛けられた。
振り向けば、年若い太監である。
まるで磨かれた黒曜石のように鋭い瞳で、真っすぐこちらを射抜く相手に、自誠は悠然と笑みを浮かべてみせた。
「やあ。実は太監長に忘れ物を取ってくるように頼まれてしまってね」
「忘れ物、ですか」
「そう。ほら、この――」
自誠は忘れ物を探るようなそぶりをすると、次の瞬間、目にも留まらぬ速さで、懐から取り出した 匕首(あいくち) を投げつけた。
ビュ……ッ!
刃は銀色の軌跡を描いて、まっすぐに相手の首を狙う。
だが、太監はわずかな動きでそれを躱し、素早く跳躍して自誠と距離を取った。
利き手とは反対の、死角にあたる場所へだ。
「ふうん。優男と評判の 皇太子(・・・) にしては、まともな太刀筋だ」
ビンッ、と音を立てて壁に突き刺さった匕首を無感動に眺め、青年は嘯く。
「目的のためとあらば躊躇なく人を殺そうとする姿勢は、評価しないでもない」
急襲されたというのに、不自然なほど悠然としている相手に、自誠は警戒の姿勢を取った。
「君も、太監というには、やけに 敏捷(びんしょう) な身のこなしだね」
刀に手をかけながら、目を細めて相手を検分する。
精悍な体つきの、長身の男。
鼻筋は通り、目元は涼しげで、美男と言っていい。
その割には、去勢した太監特有の中性的な雰囲気はなく、刃物のように鋭い印象だけがある。
無造作に立っているようで、どこにも隙がなかった。
「……見たことがない顔だ」
「そりゃ、妓女のように麗しいあんたのご尊顔に比べれば、印象度で劣る。悲しいな」
自虐のような口調でありながら、自誠を皇太子と知って妓女に例えるなど、不敬にもほどがある。
自誠は剣呑に目を細め、今少し相手の正体に踏み込んだ。
「いいや。太監の顔は全員記憶している。君はこれまで、どの部署でも見たことがない。確実にだ。太監長の用心棒かい?」
そして、問いかけの言葉と同時に、目にも止まらぬ速さで刀を引き抜き、その首元へと斬りかかった。
キン――ッ!
楽器のように澄んだ音が響き、自誠は、刀が弾かれたことを知る。
なんと、相手がなにげなく掴んでいるのは、文机から拾い上げた文鎮だった。
鈍器でもあるそれを、勢いよく叩きつけられそうになったところを、身をよじって躱す。
すると続けざまに拳、膝が襲い掛かり、埒が明かないと踏んだ自誠は、傍らの壺に飛び上がりざま、それを蹴り倒して相手の足場を封じた。
ガシャン!
激しい音を立てて砕ける壺に、青年は後ろに跳んで距離を取り、片方の眉を引き上げる。
「皇太子のわりに、行儀の悪い戦い方をする」
「物惜しみしない、王者らしい戦い方だと受け取ってくれないかな」
「俺たちの血税をなんだと思っているんだ」
「見た感じ、君は税を収めない類の人間のようだけどね」
軽口の応酬をしながらも、二人は荒々しく攻撃しあった。
技量のほどは拮抗、いや、太監姿の青年のほうが強いだろうか。
なにしろ彼は、脇に差した刀を抜きもせず、周囲に転がった文具や破片でしか応戦していない。
ふむ、と、やがて納得したように、青年は頷いた。
「 宇航(うこう) よりは強いな」
「君は、何者だ。僕を皇太子と断じるなら、その僕の問いには答えてしかるべきだ。太監長の手の者か?」
挑発するように問えば、青年――太監に扮した 礼央(りおう) は、興覚めしたように戦闘態勢を解いた。
「やめてくれ。あんな小物を主と仰ぐ趣味はない」
「では、誰を仰ぐ?」
刀を握る手を緩めぬまま、じり、と距離を詰める自誠の前で、礼央は悠々と、片手で天を指した。
「空を制する『烏』が仰いでいいのは、 太陽(こうてい) のみ」
「…………!」
自誠が目を見開く。
「では、……いや、若すぎる。ということは、君は――」
「ただし、好いた女のことならば、仰がずとも、慈しむ」
「なんだって?」
ひっそりとした独白に自誠が眉を寄せると、礼央は、まるで値踏みするような視線を寄越してきた。
「眉目秀麗、文武両道。自ら武官なんぞに扮する無謀さはあるが、勘もさほど悪くない。甘えた考えに溺れず、さっさと人に斬りかかれる冷徹さも認めよう。だが――」
そこで、彼は初めて目を細めてみせた。
「その冷徹さでもって、 あいつ(・・・) に躊躇いもなく、焼き印を入れさせたわけか」
「なにを――」
言っている、と自誠が言い切るよりも早く、礼央は窓に駆け寄り、大きく声を張った。
「曲者だ! 助けてくれ、太監長様の室に、曲者が!」
「なにをする!」
「 印璽(いんじ) を奪おうとする賊が入った! 太監たちよ、急ぎ内務府へ!」
肩を掴もうとする自誠をものともせず、礼央は火鉢横の油壺を相手の足元に叩きつける。
同時に、懐から取り出した火種をこすり、それを飛び散った油の中に放り投げた。
ぶわっ!
炎はまるで、調度品を、そして自誠の衣の裾を舐めるようにして燃え上がる。
放火犯は自身であるのに、礼央はぬけぬけと言い放った。
「賊が火を放った! 火事だ! 誰か、助けを!」
「くそ……っ」
遠くから、大量の足音が聞こえる。
やはり、袁氏はまだ駒を残していたのだ。
いや、出火して煙が立てば、せっかく内務府を離れた袁氏自身も戻ってきてしまうだろう。
自誠は迷いなく、剣で己の衣を切り捨てると、勢いよく床に転がって残りの炎を消す。
床に膝をついた自誠を、礼央は冷ややかに見下ろしていた。
「あんたに不足はないが、気に食わない。俺が跪くに値する相手かどうか、試させてもらおう。真に天の加護厚き皇太子なら、劣勢に追い込まれても撥ね退ける天運があるはずだ」
「……この僕の資質を測ると? 次代の頭領は、『烏』らしからず、ずいぶんと忠義を知らない御仁のようだ」
礼央をひと睨みしてから、自誠は窓に足をかけ、室を飛び出た。
証拠の金璽は手に入れたわけだから、あとは逃げるほかない。
「追え! あそこだ!」
「あれは……郭武官か!?」
煙に引かれて集まってきた太監たちが、続々と自誠を追いかけるのを見守りながら、礼央は肩を竦めた。
「むしろ、 らしい(・・・) と言うべきだ。烏は人を試す生き物だからな」
ついで、いよいよ広がりはじめた炎から、すいと漆箱を救い出す。
先ほどまで銀印が――いや、「烏」を動かす金璽が収まっていた箱だ。
「まったく、親父ときたら、こんなちっぽけな印で操られるとは。これだから宮仕えなんて」
うんざりした口調で箱を放り投げ、再び受け止める。
「……底を、探っていたか」
そこでふと、先ほどの自誠を思い出し、礼央はくるりと箱を引っ繰り返した。
裏社会では、物を隠せる調度品が人気のため、この手の細工は熟知している。
難なく、底に隠されていた紙の束を引っ張り出すと、礼央は眉を寄せた。
女の字だ。
家族に宛てた手紙と見える。
差し出し人は―― 姜(きょう) 楼蘭(ろうらん) 。
後宮では 祥嬪(しょうひん) と呼ばれる――珠麗の友人だった女だ。
「へえ?」
礼央は内容を一読すると、それを懐にしまった。
ひとまずは、皇太子の足掻きぶりを見届ける必要がある。
すっかり炎に包まれた室を悠然と横切り、礼央はその場を去った。