作品タイトル不明
カイルからの手紙
シェリィが庭師小屋に着いたのは、公爵邸を脱出してから三十分ほど経ってからだった。
やっと庭師小屋の建物が見えてきた頃、シェリィは今晩中にコレッタに会うことは諦めていた。
流石にコレッタも長くは待てなかっただろう、と。
だが裏門の前に停まっている深緑色の馬車を見て、はたと足が止まる。
同時に馬車の扉がバタンと開き、中から飛び出してきて水溜りを蹴散らしながら走ってくるのは、コレッタだった。
「待ってたわ! やっと帰ってきた!」
シェリィに飛びついたコレッタは、シェリィの服や髪を見て、血相を変えた。
「やだ、雨でびしょびしょじゃない! 早く中に入って、着替えなくちゃ」
「待っていてくれたの、コレッタ。ありがとう」
「馬車をもう一台呼んで、母には先に帰ってもらったわ。貴女が不在なのにここで待つ理由を、あの一筋縄ではいかない母を適当にごまかすの、大変だったんだから。それにしても、貴女ったら酷い目にあったわね。バードに貴女が抑えつけられているのを見た時は、心臓が口から飛び出るかと思ったわ!」
馬車でずっと待たせてしまって、申し訳ない。そう思って急いで鍵を開けねばと思うものの、シェリィはその前に念のため玄関扉の隣に取り付けられている、郵便ポストの中を確認した。
シェリィについてくるコレッタの後を、彼女の使い魔がぴったりとつけてきて、コレッタが濡れないように傘を差し出している。
つまみを握って赤い金属製ポストの中を覗き込むシェリィの腕を、コレッタが引っ張る。
「何してるの! 郵便物のチェックなんて後にしなさいよ。これ以上体が冷えたら、貴女肺炎になっちゃうわよ!」
だがシェリィはポストの中の封筒に気がつくや否や、満面の笑顔になって小さく叫んだ。
取り出した封筒を両手で胸に抱え、コレッタに訴える。
「ついにきたわ! ゴダイバ帝国から……、カイルからの手紙よ!」
「カイル? そういや貴女の使い魔はどこにいるのよ。主人の貴女を放って、優雅に帝国旅行でもしているの?」
「カイルは人間だったのよ」
「はい? 今、なんて?」
「話せば長くなるわ。お茶を淹れるから、中に入って」
マティアスにもらった紅茶がまだ残っている。
シェリィはあのいわくつきの紅茶にまた出番がきたことを、素直に嬉しいと思った。
濡れた服から簡素なワンピースに着替えたシェリィは、髪にタオルを巻きつけたまま、コレッタとテーブルを囲んだ。
シェリィが白いポットから紅茶をカップに注ぎ、待ちきれない様子でコレッタが質問を繰り出す。
「もしかして侍女に変身していた貴女の正体に気がついたバードが、逃してくれたの?」
「ううん、バードは私を宝物庫の近くで彼が捕まえた時から、私だと気がついていたみたい」
紅茶を飲もうとカップを持ち上げかけていたコレッタが、カップをガチャリとソーサーに戻す。
「あの侍女が『変身した貴女』だと、バードが気づいていたの? それなのに、元々主人だった貴女を公爵に差し出したってこと⁉︎」
「うん。バードにとっては今、アンジーが第一なのよ……。でも、バードに言われて執事が魔石を確認しに来て、私の正体に気づいてくれたのよ」
「執事が逃してくれたの?」
「そうよ。だから、間接的にはバードのお陰ということになるかしら」
「そんなのは結果論だわ。あいつは本当に、見損なったわ! バードのクソ野郎!」
プリプリと怒ってから、コレッタが紅茶を飲み出す。
温かい紅茶と芳醇な風味に心を落ち着けられたのか、ほぅと小さく息を吐いてから、コレッタがテーブルの上の便箋に視線を落とす。
「それで、使い魔のカイルが人間だったっていうのは、どういうことなの?」
「そのままの通りよ。私、妖精の召喚術に成功したつもりだったんだけど、召喚術には失敗していたみたい。その代わり、別の術が発動したらしくて、カイルの意識だけを呼んでしまっていたみたいなの」
話の展開についていけないコレッタが、紅茶の湯気越しにシェリィを無言で見つめ返す。
「ん? つまり……?」
「カイルに私たちが 触(さわ) れなかったのは、彼が召喚された使い魔じゃなかったからよ。彼は妖精じゃなくて、ゴダイバ帝国の騎士の一人で、私が無理やり魂だけを呼び寄せてしまっていたのよ」
「ええっ? そんな魔術は聞いたことがないわ」
信じがたい、といった様子でコレッタは曖昧に首を左右に振った。
「なんだかよくわからないけれど、ゴダイバ帝国の帝都の消印がついたその手紙がここにあるということは、カイルが今帝国にいるのだけは確かなようね」
「やっと私の未知の術の効力が切れて、カイルの意識は体の中に戻ったの」
コレッタが遠慮がちに手を伸ばし、テーブル上の封筒を手に取り、ひっくり返す。封筒の裏には差出人の住所が書かれておらず、ただ「カイルより」としか書かれていない。
「カイルって、達筆ね。意外だわ。それで……聞きにくいんだけど、もしかして封筒の中は慰謝料の請求書か何かかしら……?」
カイルはきっとそんなことをしない、と思いながらシェリィは真紅の封蝋を撫でた。封蝋はニタリと笑うカバのもので、思わず小さな笑みがこぼれる。彼なりにシェリィが喜びそうな、可愛らしい封蝋を選んだつもりに違いない。
お茶目な封蝋をなるべく傷つけないよう気を遣って、封筒を開ける。
便箋は一枚しか入っておらず、封筒を触った感触から予想はしていたものの、カイルからの手紙が短いことにシェリィは正直なところ、がっかりした。
だがその簡潔な文面を読み進めていくうちに、一文字だったシェリィの口元がゆっくりと微笑んでいき、頬が薄紅色に変わっていく。
何か良いことが書いてあるのだと確信したコレッタが、行儀悪くテーブルに肘をつき、フフンと尋ねる。
「それで、一時貴女の使い魔だったけれど今は一般の帝国人に無事戻ったらしい、人間のカイルさんは、なんて?」
シェリィが嬉しそうに輝く目を便箋から上げる。
「聞いて! すごいことになっちゃった!」
「やっぱり慰謝料? それとも土下座の要求?」
「違うわよ! 私、反省してカイルをちゃんともてなしたんだから。ま、まぁ、なんていうか……彼を 拐(さら) っておいて、もてなしもない気がするけど」
コレッタがニヤつく口元を拳で押さえながら、意味ありげに言う。
「そうねぇ、彼が人間だったということはつまり……年頃の男女が、一つ屋根の下に数週間一緒にいたんですものね。触れないとはいえ、展開は一つだった……っていうところかしら⁉︎」
「からかわないで。そうじゃなくて、私達良い友達になったの。意外な経験が国境を超えて、友情を育んだというか」
恥ずかしそうに耳まで赤くなりながら、シェリィが便箋に再び視線を落とす。
「カイルが来週、ゴダイバ帝国からリンツ王国に来るんですって。王都のミラベル侯爵が彼の遠い親戚に当たる方で、侯爵邸のガーデンパーティに招待されたらしいわ」
「ミラベル家のパーティー? 大抵の招待状はうちにもくるけれど、ミラベル家の話は全然聞いていないわね。どうせうちは辺境伯だし、今回は誘われなかったのかしら」
「身内だけのパーティーなのかも。侯爵邸の花がちょうど見頃だから、カイルが私に声をかけてくれたらしいわ。パーティーに一緒に来ないか、って」
体を揺すってコレッタがくすくすと笑い出す。
「要するに、恋人としてパーティーにカップルで参加してくれ、ってことね!」
「恋人とは書かれてないわ。あくまで同伴者よ」
高速で首を左右に振るシェリィに向かって、コレッタが手をひらひらと振って一蹴する。
「パーティーに連れていく家族以外の異性といえば、恋人って決まってるでしょ! ここは気づいていても気づいていなくても、二つ返事で参加を伝えるべきね」
そこまで言ってから、コレッタが急に真顔になる。
「あ、でも返信先がわからないわね。カイルったら、封筒に自分の住所を書いていないじゃないの」
「私が参加を断るのを、想定していないんだと思うわ」
「まぁ、相変わらずねぇ彼」
そこまで言ってから、コレッタが思い出し笑いをして急にプッと噴き出す。
「今思えば、彼随分偉そうだったものね! 妖精じゃなくて人間で、しかもゴダイバ帝国の騎士だったっていう事実にはかなりの説得力があるかも」
手紙を最後の一文まで読み、シェリィが嬉しそうに目を細める。
「当日、うちに迎えにくる時刻までもう書いてあるわ。夜のパーティーみたい。ちょっとドキドキしちゃうわ」
「ふふっ。カイルったら強引ね。見かけ通りだけど。こんなに急なお誘い、逆にちょっとときめいちゃうわね」
「そ、そうかしら⁉︎」
「それに帝国の騎士ということは、意外と彼は裕福なのかもしれないし」
上半身を傾け、テーブルの上に身を乗り出すようにしてコレッタが思わせぶりに言う。
「ねぇシェリィ。これはとてもいいチャンスだわ。マティアス殿下のことなんて綺麗に忘れられるくらい、かっこいい恋人ができそうじゃないの!」
「そ、そそそんなんじゃないってば。帝国は遠いし。もう、コレッタったら」
困ったように眉を垂らして頭を振るシェリィだったが、口元が綻ぶのをどうしても抑えられないのか、彼女はコレッタがどう見ても嬉しそうだった。