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悪役令嬢の飼い猫になったようです

作者: 関谷 れい

本文

「申し訳ない、ベロニカ。君との婚約を解消して、聖女様との結婚をすすめたいと思うんだ」

伯爵令嬢であるベロニカは、婚約者であるアルフォンソからの急な申し出に、ただ頷きひとつだけで了承した。

長年ベロニカの婚約者という立ち位置にいた、アルフォンソ。

二人は同じ伯爵という階級の令息令嬢で、首都にある貴族の別宅が集まるエリアでは屋敷が隣に位置し、幼馴染でもある関係だ。

表情を崩すことなく「話はそれだけかしら? どうぞ二人で、お幸せに」と言い放ったベロニカは、寄り添うふたりの傍を通り過ぎて舞踏会を抜け出すと、そのまま淡々と馬車に乗って、帰宅した。

――というのが、どうやらベロニカが昨日自室でボロボロと泣きじゃくっていた、理由らしい。

「うわあん、ベル! 私、アルフォンソから婚約破棄を言い渡されてしまったわ! アルフォンソの奥さんになることだけが、私の夢だったのに!」

ベロニカは私をぎゅうぎゅうと抱き締めながら、えぐえぐと嗚咽を漏らす。

いつもならその手からするりと抜け出すのだけど……今日くらいは、仕方がない。

とってもうざったいけれど、我慢してあげる。

だって私は……「今の私」は、ベロニカの飼い猫なのだから。

***

さて皆さま、ごきげんよう。

身体が弱く、病院のベッドから離れることのない人生を送っていた私、短い生を終えて異世界に転生しました。

因みに実は獣人です、なんてオチはない。

いやね、確かに病院の中庭で餌付けされた猫を見て、猫は自由で良いなぁ、とかのんびりと思ってたよ?

でもさ、本当に猫に転生させることないじゃない?

前世で徳を積み損なったからなの?

いや動けない身体で、どんな徳を積めっていうのよ。

そんな私、生まれた時は二人の兄妹と揉みくちゃになりながらミルクを飲むのに精一杯で、自分が転生したことも猫だということも、理解していなかった。

母は家猫ではなく、とある屋敷の広すぎる裏庭をテリトリーにしていた、野良猫だった。

そして、子どもたちが物心がつくころ……多分、生後四か月くらいで、私たちに生きる術を教えはじめた。

つまり、餌の取り方だ。

そしてその餌を見た私は、「無理」と確信した。

同時に自分の前世が人間であったことを思い出した。

獲って来た獲物を食べることができない私に、母はぎりぎりまでミルクを与えてくれたが、ある日人間が近付いた気配を察知して、兄妹と共に姿を消した。

母猫との思い出は、そこまでだ。

「あら、子猫。そういえば、アルフォンソが最近、部屋で猫を飼いはじめたと言っていたわね……」

屋敷の裏庭で今にも息絶えそうな私を拾ってくれたのが、ベロニカ・テドル、当時十七歳。

美しい赤毛に、黒曜石のような瞳。

少しキツイ印象を与えるけれども、スタイル抜群の美女であることは間違いない。

だから、前世の記憶を取り戻した私の、彼女の初対面時の印象は、病院のベッドで散々読んでいたWEB小説の影響でまさに「悪役令嬢」だった。

私を拾ったベロニカは伯爵令嬢であるにもかかわらず、前世の私と同じく孤独だった。

両親はベロニカより十歳下の妹に夢中。

理由は、皇太子と同年代のため、皇太子妃候補になれるかもしれないからだ。

最初に生まれた娘ということで、ベロニカはなんでも完璧を求められて育った。

良い成績を修めても、「そんなの当たり前」ですまされ、ちょうど釣り合いのとれるアルフォンソと婚約してからはさらに、両親の関心がベロニカに向くことはなかった。

自分の仕える主人たちがそんな態度であるのだから、当然使用人たちの態度も溺愛されている妹とは違うものになる。

私を拾ったベロニカに、使用人たちは冷たく接した。

「そんな汚いの、捨てて来てくださいよ」

「屋敷で飼うとか、本気ですか?」

「病気でもうつったら、どうするんですか」

どうやらこの世界で猫は、外で餌を与えて可愛がるだけのものであり、家猫という概念が定着していないらしいのだ。

それでもベロニカは、私を捨てなかった。

恐らく、自分の大好きな婚約者と、同じことをしたかったのだろう。

「アルフォンソがね、もし部屋で飼うなら、首に鈴をつけると良いと教えてくれて」

そう言いながら、私に可愛らしい音を奏でる首輪をつけて、面倒を見てくれた。

***

さて、なぜ猫でまだ生後一年も経っていない私が、そんなベロニカの過去まで知っているのか、という話だが。

私には情報源が、みっつほどあった。

ひとつめ。

どんな世界であっても、女が二人三人集まれば、そこは井戸端と化すのである。

夜のナースステーションで繰り広げられる会話も、かなり面白かった。

やれどの先生が医院長の娘と結婚するだの、やれどの看護師さんと看護師さんが、なんとか先生を奪い合っているだの、どこの患者さんの身内は全然見舞いにこないだの、どこの患者さんの見舞いに来る人は毎回美味しい差し入れを持ってくるだの。

……というわけで、私はペチャクチャおしゃべりの止まらない使用人たちから、ベロニカの生い立ちやその立場をあっさりと収集することができたのである。

因みに、最初は私を毛嫌いしていた使用人たちも、風呂は嫌がらず悪戯をすることもなくめちゃくちゃ良い子の私をそのうちいて当たり前の存在として認知してくれるようになった。

そりゃ前世が人間だもの、たなびく真っ白なシーツに手出しはしないよ。

少しうずうずするけどね。

そしてふたつめの情報源。

それは、ベロニカ本人だった。

ベロニカは、 猫(わたし) の前でだけ、饒舌だ。

恐らく、ほかに友だちがいないからだろう。

猫しか話せる相手がいないのかと不憫に思っていたベロニカだが、幼馴染かつ婚約者でもあるアルフォンソは別だった。

悪役令嬢らしく彼と会う時はツンデレのツンだったけれども、アルフォンソはそんなベロニカを可愛らしいと思っているような、包容力のある素敵な男性だった。

十八歳で彼のところへ嫁ぐ日を指折り数えて待っていたくらいに、ベロニカは誰にでも分け隔てなく優しい彼のことが、大好きだった。

なのに、突然の婚約破棄。

その場では一切の動揺も涙も見せず、ただ伯爵令嬢であるという矜持だけを胸に帰宅したベロニカは、私の前でわんわん泣いた。

多分、一年分くらい泣いた。

私は仕方なくその泣き腫らした顔をペロペロと舐め、彼女が疲れて寝てしまうまで傍にいると、三つ目の情報源のところへ向かった。

***

『ちょっと、おたくのアルフォンソがうちのベロニカに婚約破棄をつきつけたらしいのだけど。いったい、どういうことよ!?』

『やあ、久しぶり、ベル。元気にしてたかい?』

私が激怒しているのに気づかないわけもないのに、ニコニコと笑みを浮かべて私の来訪を歓迎する、おっとりとした雄猫。

そう、アルフォンソが飼っている家猫のオッドだ。

同じ家猫と言っても、私とは明らかに格が違う。

私は野良猫時代を経た、ごく平凡な真っ黒な猫である。

対してオッドは、右目が金色、左目が青のオッドアイに、長毛の美しい白い毛並み。

恐らく血統書付きだろう、貴族がそのまま猫になったような猫。

耳は大きく立ってて、四肢が細くて、頭部は小さめで、鼻筋は真っ直ぐという、とにかく美猫。

そりゃアルフォンソも家猫として飼うはずだわ、と初対面の時に納得した。

同じ経験をしたくて私を拾ったベロニカに、頭が良いはずなのに大丈夫なのだろうかこの子、と心配したくらいだ。

そんなオッドは飼い主に似て、私が野良猫だったと話しても『僕はあまり外に出して貰えないから、羨ましいな』と笑って返事をするような、誰に対しても優しい、性格も良い猫だ。

因みに、彼はその長い尻尾が少し曲がっている、という理由で処分されそうになったところを、アルフォンソに助けられたという過去があったらしく、主人に対して恩を感じていて、猫の癖にかなり忠実だ。

見た目も性格も良くてなんだか胡散臭い猫なのだけど、今のところ喧嘩をしたことは一度もない。

オッドが全然、怒らないからだ。

『私は元気だけど、ベロニカが元気じゃないの! アルフォンソのせいよ、どうしてくれるのよ!』

きゃんきゃんと犬のように叫ぶ私に近付いたオッドは、まぁまぁ、というように身体を擦り付ける。

『アルフォンソにも、事情があるんだよ』

『どんな事情?』

鼻と鼻でキスをしながら、私はオッドの瞳をさり気なく見た。

うん、やっぱり宝石みたいで綺麗。

少しだけ落ち着いた私がその場に座ると、オッドは私の毛づくろいを始める。

耳の後ろや首回りを舐められ、喉が鳴った。

その辺、自分じゃできないからね。

『アルフォンソにも、妹がいるだろう?』

『うん、三歳年下だっけ?』

『そう。その妹の体調がね、良くないんだ』

オッド曰く、アルフォンソの両親は、信仰心の強い妹のために神殿に行き、体調不良の原因を探った。

すると、聖女が身を寄せている神殿が、妹を聖女の力で治して欲しいのならば、代わりに聖女を嫁に迎え入れろ、と言ってきたらしい。

皇太子はまだ十歳にも満たず、公爵家には身重の嫁がいる。

侯爵家は神殿とは仲が良くはなく、聖女の結婚相手とするにはアルフォンソの家門はかなり魅力的なのだそうだ。

そう、ベロニカさえいなければ。

『ベロニカなんて、その妹のために、毎週末神殿に行ってお祈りを捧げているのに』

めちゃくちゃ行儀の良い私をバスケットの中に入れ、一緒に移動してくれる時がある。

毎週末に行く神殿は、その中のひとつ。

けどね、猫って、人間には見えないものが視えるからさ。

私はあまり、というかかなり、神殿が好きじゃなかった。

あそこは神殿というより、むしろ魔王城だ。

『アルフォンソはさ、あの聖女がヤバイって気づいてるの?』

神殿で見掛けたことのある聖女だが、背中にわんさか黒い靄を背負っているのだ。

死者の怨念とか、そういった類のものね。

『大丈夫だよ、わかってる。ベロニカと婚約破棄をしたところを聖女に見せつけたのは、ベロニカにまで手を出される前に、自分が彼女をなんとも思っていないことをわからせるためだから』

少しだけ悔しそうな表情を浮かべるオッドを見れば、恐らくアルフォンソが自室で同じような表情をしていたのだろうことが伺えた。

妹の体調不良も、神殿や聖女の仕業だと考えているらしい。

元々信仰に熱心な子だったから、恐らく神殿に通っている時に毒のようなものを与えられたのだそうだ。

聖女が聖女となったのも、未知の感染病にかかった村を、次々と助けていったから。

自分たちで病を広めてはそれを治し、民衆の支持を得た。

『多分あと少しで、片がつくよ。ベロニカと婚約破棄をして、相手の気が緩んだところで、言い逃れできない証拠を一気に集めるらしいから』

『ふーん……ならいいけど』

『ベロニカとアルフォンソが結婚すれば、僕たちも一緒に住めるでしょう? 楽しみだねぇ』

私の尻尾に、オッドが自分の尻尾を絡める。

敵を油断させるためとはいえベロニカを泣かされた怒りがオッドに向いて、私はぺしぺしとそれを振り払いながらツンツンと答えた。

『婚約破棄を一方的にされたのだから、ベロニカがアルフォンソを許すとは限らないけどね』

『そうだよね、愛する人を守るためとはいえ、確かに酷い話だ』

うんうんと頷くオッドに、私は振っていた尻尾をピタリと止めた。

オッドは主人に忠実な猫なのに、こんなことを言うなんて、珍しい。

『ところで、ベル。君さ、そろそろ発情期なんじゃない? 帰りは送るから、絶対にしばらく、屋敷の外に出ちゃ駄目だよ』

『ええ、本当? 教えてくれてありがとう、オッド』

以前、初めての発情期で全く気付かずに外に出てしまい、何匹もの雄の野良猫に追い掛けられたので、軽くトラウマだ。

この辺一帯を縄張りにする野良猫のボスがいるのだけど、そのボスもオッドがいる時は絶対に近寄らないから、彼が傍にいれば安心できる。

オッドが怒ったところなんて見たことないから、きっとその麗しい見た目でボスも圧倒されるのだと思う。

美しいって、人間でも猫でも武器になるらしい。

それから数日後、使用人たちが、聖女が魔女裁判にかけられ処刑されたという話を、眉を顰めながら楽しそうにしているのを聞いた。

黒魔術の儀式を行う祭殿が見つかった神殿は取り壊しになるそうで、これからはその宗派の本元から人がやってきて、国王への謝罪やら何やらでしばらくドタバタするらしい。

ま、猫である私には関係のない話だ。

「ねえ聞いて、ベル! アルフォンソとの婚約破棄の話がね、なくなったのよ! それに、今回の騒動でアルフォンソが国王様から栄誉と褒賞を賜ったの。さすがアルフォンソだわ、私、とっても誇らしいわ」

アルフォンソに泣かされたことなんてすっかり忘れたかのように、瞳をキラキラしながら私に報告するベロニカ。

彼女(ベロニカ) が笑顔なら、それで 猫(わたし) は満足なのだ。

***

「ベル、ねえベル、起きて、私の話を聞いてちょうだい」

ベロニカの泣きそうな声で、私は薄目を開ける。

なぁに、私、眠いのだけど。

「ベル、私、あなたがいないと駄目なのよ」

そんなことを言いながら首元を撫でるベロニカの手を、私はペロリと舐めた。

ベロニカがアルフォンソと結婚して、二人の子どもも生まれて、もう十数年。

ベロニカの周りにはたくさんの人がいるけれども、相変わらず私とアルフォンソにしか、愚痴や本音を漏らすことができないらしい。

「大好きよ、ベル。私の親友」

でもね、そろそろ私の役目は終わることを、私もベロニカも、知っている。

愛しい夫のオッドは、私より少し早く旅立った。

そろそろ会いに行ってあげないと、拗ねてしまう。

だからね、悲しまないで、ベロニカ。

猫に転生した割には、愛するオッドと、たくさんの……本当にたくさんの、子どもや孫たち。

そしてベロニカに会えて、とても幸せで楽しい猫生だった。

ねえ、泣かないでってば、ベロニカ。

もし次に転生する機会があるなら、あなたが来るまで、待っていてあげるから。

だからね、次の生では。

一緒に人間に生まれ変わって、また出会いましょう。

閉じた瞼の裏に、私と手を繋ぐベロニカの姿が、見えた気がした。

そんな次の生まで少し、お別れだけど。

――大好きよ、私の親友。