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【書籍化進行中】夫婦という名の協力者、敵は令嬢

作者: にゃみ3

本文

「こんにちは、公爵夫人。せっかくの楽しいピクニックですのに、おひとりで何をされているのですか? こっちに来て、皆さんと一緒にお喋りしましょうよ!」

「せっかくのお誘いは有難いのですが、遠慮しておきますわ。令嬢たちの楽しい時間をお邪魔できませんもの」

「そんなことを仰らないでください、私、前々から夫人とお近づきになりたいと思っていたんです」

黒い渦がうごめいている社交界で、私、セレスティア・フォン・アルベルン公爵夫人はとても不安定な立ち位置に居た。

社交界に君臨するレディーは、社交界デビューを迎えたばかりの令嬢、新婚ホヤホヤの若き夫人、歳を重ねた経験ある貴婦人の、三つの派閥に別れている。

私は、このどれにも当てはまらない存在だった。

齢十二歳にして公爵夫人になった私は、社交界において異質な存在だから仕方ないといえば仕方ないのかもしれないけれど。

今まで私は、本当によくやって来たと思う。

これまでの六年間がどれほど孤独で、どれほど険しい道のりであったか……思い返すだけで頭が痛くなる。

夫の父であり、私にとっては義父に当たるアルベルン前公爵は、四十にも満たぬ若さで病に倒れる前、最後の父親の務めとして息子に結婚相手を用意した。

そう、その結婚相手こそが当時十二歳だった私。

貧乏男爵家の娘に生まれた私は、両親によって数十枚の金貨と引き換えに、アルベルン公爵家に売られた。

当主が居なくなったアルベルン公爵家の溢れんばかりの財産を狙い、公子に近づく者を排除するため、私という駒が用意されたのだ。

売られた存在だとはいえ、おかげで私は両親からの暴力を受け続ける日々を抜け出せ、何不自由のない暮らしを送れたのだから前公爵には感謝しかない。

しかし、そんな私個人の事情を他者が知る由もなく、周囲の人々、特に同い年の少女たちからはどれだけ妬まれ恨まれ、嫌われたことか。

「さあ、一緒に来てください。皆さんとてもお優しい方ですから、きっと楽しいですよ!」

「あっ、ちょっと!」

はつらつとした可憐な少女アリシア・ペルー伯爵令嬢。

人気の少ない庭園の片隅でひっそりと身を潜めていた私の手をためらいもなく引き寄せると、そのまま笑顔で歩を進めた。

可愛らしい微笑みとは裏腹に、瞳の奥ではアメジスト色の野心がギラリと光っている。

「皆さん、アルベルン夫人をお連れしましたわ」

「アリシア嬢、ですから私は……」

華奢な体をしているくせに、どうしてこんなにも腕力があるのだろう?

アリシア嬢に半ば引きずられるように連れてこられた先には、数名の令嬢たちが円卓を囲んで座っていた。

彼女たちは私に気付いた瞬間、ぴたりと会話を止め、視線だけをこちらへ向ける。

ほらね、私が居るだけでみんな迷惑がるのよ。

分かったのなら、その手を離してほしいんだけど?

人気の少ないところで嫌味の一つでも言ってくるかと思えば、こんなところに連れてきて一体何がしたいのよ……。

適当に挨拶だけして、すぐに戻ろうと考えた時だった。

「ごきげんよう、アルベルン公爵夫人。さあ、どうぞ夫人はこちらのお席にお座り下さい!」

「ごきげんよう、セレスティア様。アルベルンの公爵夫人とご一緒できるなんて光栄ですわ〜」

「夫人、私のことをお覚えていらっしゃいますか? 前に一度、両親と共にご挨拶したことがあるのですよ」

これは一体全体どういうことなのだろうか。

普段、私が現れると気まずそうに口を噤む令嬢たちは、今、ニコニコと穏やかな笑みを浮かべて積極的に私を仲間内に入れようとしている。

私が戸惑う間にも、彼女たちは楽しげに会話を弾ませていた。

あの家の令息が素敵だとか、あそこの家の令息と婚約したいだとか……私にはさっぱり共感できない話題ばかりだったけれど。

それでも、人に囲まれて紅茶を飲むことが中々に悪くないと思えてしまうほど温かい雰囲気だった。

もしも、私も彼女たちのように優しい両親のもとで、普通の令嬢として育っていたのなら……私にも、こんなふうに当たり前のように笑い合える友人ができていたのだろうか。

そんなバカげた想像をしてしまうほど。

「皆さん、その辺にしましょう。公爵夫人が退屈されていますわ」

「あ……申し訳ございません、夫人」

「私ったら、つい……」

「退屈だなんて。皆さんのお話は新鮮で聞いていてとても楽しいです」

柄にもなく曖昧な感傷に浸りかけていた私の思考を断ち切ったのは、対面に座るアリシア嬢の声だった。

彼女はずっと、まるで私の一挙一動を観察するように視線を外さず、そのアメジスト色の瞳をギラギラと輝かせている。

笑みを浮かべてはいるけれど、そこに宿っているのは柔らかさではなく、鋭利な刃物のような敵意。

「私は夫人のお話が聞きたいですわ」

「私の話ですか? 皆さんに楽しんでいただけるような話題が思いつかないのですが……」

「嫌ですわ、今まで皆さんがされていた話と同じ話をすれば良いのです。夫人には素敵な旦那様がいらっしゃるのですから」

「夫の話……ですか?」

「ええ! ローレンス・フォン・アルベルン公爵様に憧れないレディーなどおりませんもの。公爵様の話を是非ともお聞きしたいですわ!」

その時になって、ようやく私は察した。

彼女たちの目的がはっきりしていたこと。

そして、アリシア嬢一人だけでなく、敵意はなくとも私に興味もなければ情もない彼女たちは、アリシア嬢の味方だったということを。

「まず、公爵様の好きなタイプを教えていただきたいですわ」

「はい?」

「実は私、公爵様とお近づきになりたいのです。お願いです、夫人。今度私をアルベルン公爵邸に招待していただけませんか?」

口元に手を持っていき、照れくさそうに頬を赤く染めて上目遣いで私を見る、アリシア嬢。

はあ、これは何とも可愛らしいこと……。

年頃らしい恋する少女の顔。

こんなにも可愛らしい顔をされたら、誰でもコロッと恋に落ちちゃいそうね。

「さあ、どうでしょう。夫の好みを全て把握しているわけではありませんので」

「え~? ですが夫人は、ローレンス様とご結婚されてから六年も経つのでしょう? それなのに夫の好みの女性のタイプすら知らないのですか?」

「ええ、アリシア嬢の言うとおりです」

「私だったら夫の好みのタイプを聞かれても、それは私だと言い切れますけれど……」

甲高い声を響かせるアリシア嬢に、私は呆れてどうしようもなかった。

もちろん、幼いお嬢様に失礼なことを言われ続けるのにも腹が立ったが、先ほどまで紳士たちの話をしていた令嬢たちが冷ややかな目で口元に笑みを浮かべていることに呆れて仕方なかったのだ。

つまり、彼女たちはアリシアと共に仕組んだ共犯者だったということ。

本当、社交界にいるお嬢様たちっていうのは、なんというか……。

「アリシア嬢はまだお若いですから、たった一つの過ちで判断を誤らないようにしてください」

「夫人、まさか私に説教をされているのですか?」

「そう捉えられてしまったのでしたら、仕方ないですね」

「アハハ! 私、夫人と話していると、まるでお母様と話している気分になるんです。夫人と私は同い年だっていうのに、まるで私よりもずっと歳が上みたいに、偉そうにお話しするものですから!」

どうやら悪意を隠すつもりはないらしい。

ニコッと明るい笑みを浮かべながら、なんとも失礼な言葉を並べる彼女には呆れることしか出来ない。つまり私が何を言っても、もう無駄だということ。

チラリと横に視線を向けて夫の姿を確認する。

夫はシャンパンの入ったグラスを片手に、名家の当主たちと談笑していた。

彼は自分のやるべき仕事をしっかりとこなしている。ならば私も、アルベルン公爵夫人の名に恥じないように頑張らなくてはならない。

痛む頭に耐えながら、私はゆっくりと瞬きをしてアリシア嬢を見つめた。

「夫人は、十二歳で運良く公爵夫人の座についたのですよね? なぜ、アルベルン前公爵様は夫人のような男爵家の小娘なんかを選ばれたのでしょうか? うーん、もしや病で気でも触れてしまわれたのかしら?」

「はい? その言葉は聞き捨てなりません。限度を越しています」

「まあ、突然低い声を出されるなんて怖いですわぁ」

「……せっかくの楽しい時間を邪魔してしまったようですね。そろそろ失礼しますわ。それと、アリシア嬢。今日のこと、私は簡単に水に流すつもりはありませんので」

「光栄ですわ、夫人」

気まずそうに視線を逸らす令嬢たちの中で、アリシア嬢ただ一人だけが自信満々に笑みを浮かべる。

たかが伯爵家の娘の彼女に、一体何がここまで自信を与えるのだろう。

この世の全てが自分の思い通りだと信じて疑わないその自信は、ほんの少しだけ羨ましいと思ってしまう。

私は立ち上がると、速やかにその場を去った。

歳がそう変わらないのに、公爵夫人という座についた私が妬ましいのだろうか? そうなのだとすれば、くだらない考えはよして欲しいものだ。

これから先の人生が、苦労という言葉では片付けられないほど苦しく辛いものだと知っていたら、売られて公爵邸にやって来たばかりの私は今すぐにでも逃げ出していたことだろう。

公爵と公爵夫人の座が空いた王国一の公爵家。

たった一人の跡継ぎである、幼い公子。

誰もが憧れる夫人の座を手に入れた私が、どれだけ危険にさらされたと思う?

前公爵の遺言状通りに私を公爵夫人にさせないために貴族たちがとった行動は、たった十二歳の幼い少女の命を狙うことだったのよ。

私がどんな思いでこれまで必死にやって来たかは、両親に大切に守られて生きてきた貴女たちには理解し得ない。

そして、理解してほしいとも思わないわ。

私たちは生きてきた世界がまるで違うのだから。

。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

カチ、カチ、カチ――。

執務室に響く時計の針の音が、今夜に限ってひどく耳につく。

「ふう……」

ようやく書類の山に区切りをつけ、私は手にしていたペンをそっと机に置いた。

くだらない王室主催のピクニックから一人帰宅した私は、屋敷に戻るなりドレスを着替えると、そのまま執務室にこもって仕事に没頭した。

アルベルン公爵家という大きな存在の女主人になったばかりの頃、家を守るために行わなくてはならない仕事があまりに難しくて、右も左も分からず、それでも誰かに頼ることもできず、泣きながらペンを動かし続けた日々が懐かしい。

今となっては、悩み事を抱えると仕事に明け暮れて心を落ち着かせるという悪い習慣がついてしまった。

少し風に当たろうと思い、蝋燭台を片手に執務室を出てベランダへ向かう。

その途中、柔らかい白金の髪が視界の端で揺れた。

「ローレンス? どうしてここで寝ているの?」

一瞬見間違いかと思ったが、どれだけ目を擦っても姿は消えない。

リビングの横長のソファーに、夫が体を預けて眠っていた。名を呼ぶと、ゆっくりと青い瞳がこちらを向く。

酔っているのか、目がぼーっとしていて頬が若干赤らんでいるように見える。

「お前が僕を置いて先に帰ってしまうからだろ」

「だからってこんな所で寝るなんて、アルベルン公爵らしからぬ行為よ。分かったら早く寝室に行って」

「お前も一緒に?」

「はあ……冗談言ってないで早く寝て。ただでさえお酒に弱いくせに、夜更かしまでしたら明日が辛いわよ」

私はローレンスの手を無理やり引いて立たせ、そのまま寝室に向かって足を進める。

すると、私に手を引かれて黙って後ろをついて来ていたローレンスが声を開いた。

「何かあったの、セレスティア」

「うん? なにが」

「お前が執務室に籠って時間も忘れて仕事に明け暮れる時は、何か悩みがある時だから」

「あはは、さすがは旦那様とでも言うべき? まあ……少しだけ面倒なことがあったのよ。でも、もう何でもないから気にしないで」

「僕に言えないことなのか?」

「そんなんじゃないわよ、バカな私の夫。……そうねえ、そんなに私が心配ならプレゼントでも贈ってちょうだい。この世のレディー誰もが憧れる豪華なものを沢山」

「分かった」

「ちょっと……本気にしないでよ、ただの冗談なんだから」

「冗談でも何でもないだろ。この世にあるものは、全部お前のものなんだから。財産だって全部使い切ったって構わない。お前が言ったんじゃないか、この世の全てを握るのは、この僕だって。僕が持っているものは全部お前のものだよ」

私の傲慢な夫は、呑気に欠伸をしながら、なんてことのないようにそう言ってみせた。

……ちょっと感動してしまった自分を殴ってやりたい。

父親の死に悲しんで不貞腐れていた幼い少年は、もうここにはいない。というより、少し自信満々になりすぎてしまったくらいかも?

「私の男に手を出そうとする愚か者が居て、ちょっとムカついたの。ねえ、ローレンス。もしも私がその子に酷いことをしてしまっても、あなたは私の味方でいてくれる?」

「お前を不快にさせる人間は、誰であろうと殺してしまえばいいよ。お前の味方は、この世で僕一人だけだ。何があっても、お前がたとえ神にすら見放され、決して許されることのない罪を犯してしまったとしても。僕だけはずっとお前の味方だ」

「あははっ、それは何とも頼りがいのある旦那様ね」

ローレンスの言うとおりだ。

私たちの味方は、私たちお互いだけ。

誰も味方の居ない寂しい幼少期を過ごし、何かが足りないまま大人になってしまった私たちは、互いだけを信じてこれまで生きてきたのだ。

それは今までも、この先も変わることは決してない。

『いつまでも不貞腐れてないで。私だって、公爵様が亡くなってしまわれて悲しいわ』

『お前が父上の何を知ってるって言うんだ! なぜ父上がお前をこの家に置いたのかは知らないが、どうせお前も公爵家の財産目当てなんだろ! 金ならいくらでもくれてやるから、俺のことはもう放っておいてくれよ……!』

『そうね、あなたの言うとおり私は公爵様のことをちっとも知らないわ。私の父は本当にどうしようもないクズだったから、父親が亡くなって悲しい気持ちを理解してあげることもできない。だけどね、これから私たちは一心同体なの。この大きな公爵家を守るための、夫婦という名の協力者。私たち以外は全員敵なのよ。皆が欲に目をくらませて、この家を乗っ取ろうと必死になる。だから、しっかりしてよ旦那様!』

『……セレスティア?』

『あなたがしっかりしてくれなきゃ、妻の私が困るって言ってるのよ、バカ。どれだけ苦しくても、悲しくても、寂しくても、私たちはもうお互いしかいないの。私たちには自分を守ってくれる親はもう居ないんだから、子供のままではいられないの。大人にならなければいけないのよ……』

今思い返してみても、あの頃の私たちは本当に子供だった。

精神的な話ではなく、事実、本当に子供だったのだ。

私は十二歳、ローレンスは十三歳。お互い、まだ親の愛情が必要だったのに。踏み潰されないため、必死に抗って生きるしかなかった。

「お前が言ったんじゃないか、セレスティア。夫婦は一心同体だと。僕たちは夫婦であり、協力者だ。お前が何か罪を犯したのなら、その時は喜んで共犯者になろう」

足りないものを補うこともできず、二人揃って必死に生きてきた。

それが全てなの。他人に理解されようがされまいが、どうだっていい。私たちは、お互いだけが心から信頼できる味方なのだから。

。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

「こうして、アルベルン公爵夫人が我が家のパーティーに参加してくださるなんて光栄ですわ。何せ、王室主催の宴会くらいでしかお目にかかれないものですから」

「あまりこういった集まりが得意ではありませんの。ですが、ダリア侯爵夫人からの招待でしたらいつでも駆けつけますわ」

今宵、私はダリア侯爵邸で開かれたパーティーに参加していた。

主催者であるリリー・ダリア侯爵夫人は、私の母とさほど年の変わらぬ、経験豊富な貴婦人だ。社交界においても発言力があり、その一言一言が軽んじられることはない。

彼女のほかにも、五人ほどの貴婦人たちが円卓を囲むように席に着いている。皆、私の倍以上の時を生きてきた夫人たちだ。

私はシャンパングラスを手に取りながら、半ば聞き役に徹し、彼女たちの会話に耳を傾けていた。

すると、私の正面に腰を下ろしていたダリア侯爵夫人が、少し躊躇うように視線を彷徨わせた後、おずおずと声をかけてきた。

「あのう、ところで公爵夫人?」

「はい? 何でしょう」

「……よろしいのですか? その、あれは……」

言葉を濁しつつ、ダリア侯爵夫人は扇子を口元に添え、ちらりと目だけを動かした。

それに倣うように、私を含め、その場に居合わせた貴婦人全員が自然と彼女の視線の先を追う。

そこに居たのは、二人の紳士と一人の令嬢。

どちらも見覚えのある顔だった。

『アルベルン公爵様にお会いできるなんて光栄です』

『ああ、貴女は……』

『ペルー伯爵家の娘、アリシアですわ』

そう、ダリア侯爵夫人の視線の先に居たのは、あのアリシア嬢と、夫のローレンスだった。

『私、実は前々から公爵様に憧れておりましたの。こうしてご挨拶できるなんて、とっても嬉しいですわ♡』

はにかむように頬を染めたアリシア嬢が、魅惑的な紫色の瞳をまっすぐローレンスへと向ける。

恋情を隠そうともしない、その熱を帯びた視線は実に愛らしいものだった。

中身に目を瞑れば、アリシア嬢は本当に愛らしいご令嬢だ。その美貌なら、縁談の話が途切れることもないだろう。事実、今この瞬間も会場に居並ぶ令息たちの視線は彼女へと引き寄せられている。

それなのに、どうしてそこまでローレンスに執着するのか。

私が言えたことではないが、まだ若い身で地位や名誉、財産の釣り合いばかりを考えながら結婚相手を探すだなんて、貴族の娘というのも、つくづく難儀な生き物だと思う。

ダリア侯爵邸の大広間は、少し変わった造りをしており、私たちは会場の二階席部分に設けられた一角に置かれたソファに腰掛け、その光景を見下ろしていた。

「公爵夫人も参加されていると分かっているはずですのに、あんな下品な……」

不愉快そうに眉をひそめたのは、今宵のパーティーの主催者にして主役である、ダリア侯爵夫人だった。

仲睦まじいオシドリ夫婦として知られる彼女だが、若い頃は侯爵の浮気癖に随分と心を痛めたと聞いたことがある。

目の前の光景を、かつての自分と重ねているのだろう。

「アリシア嬢ですか……まあ、夫は交友関係の広い方ですから。ペルー伯爵とも共に仕事をされていたことがあったそうなので、ご令嬢とも挨拶されているのかと」

「挨拶? それにしては距離が近すぎるのではありませんこと?」

「うーん……まあ、あのくらいでしたら可愛らしいものですから」

「その物言いですと、何か他にも無礼を働かれたのですか?」

「それは……」

私は言葉を濁し、ほんの一拍、間を置いた。

私はこの瞬間をずっと待っていた。

普段なら避けて通るこの面倒な社交界にも顔を出し、退屈極まりない貴婦人たちの世間話にも辛抱強く付き合った。

全ては、生意気な小娘と同じやり方で彼女に身の丈を弁えさせるために。

「実は以前、お義父さまは生前、頭がおかしくなっていたから私を公爵家に迎え入れたと言われてしまって……グスンッ、ごめんなさい、私ったら。前公爵さまは、私のことを実の娘のように可愛がってくれたものですから……」

私はそう言うと、わざとらしく手のひらで顔を覆う。

えーん、私はこの世で最も可哀想な女よ! 悲しくってたまらないの!

頭の中で無理やりそう言い聞かせる。そんな努力の甲斐あって、どうにか零れ落ちた涙が指の隙間から頬を伝った。

「ああ、アルベルン公爵夫人……」

「泣いてはいけませんよ、夫人。せっかくお綺麗なお顔ですのに、目が腫れてしまいます」

「そうですよ、しっかりなさってください。公爵夫人に非は何一つないではありませんか」

私は首を左右に振り、震える声で言葉を重ねる。

「そう言ってくださるのは皆さんだけですわ……。仮にも公爵家の夫人が言ってはいけないことだと分かってはいるのですが、情けなくて腹が立ってしまうのです。お義父さまを侮辱されたことも、それに言い返すことができない自分にも……」

我ながら、実に名演技だと思う。

こぼれ落ちる涙を指先でそっと拭いながら言葉を紡ぎ、眉尻を下げたまま貴婦人たちを順に見つめた。

「お可哀相に……若くして公爵夫人というお立場に就かれてから、本当にご苦労が多かったことでしょう」

「グスッ、否定はできませんわね。本来ならもっと皆さんとお話ししてみたかったのですが……何せ、右も左も分からないものですから。皆さんとこうしてお話しするのをずっと楽しみにしていたんです」

私は穏やかに、そして少し寂しげに目を伏せながら言葉を紡ぐ。

「皆さまが何を仰いたいのか、言葉にされなくとも分かりますわ。ご心配頂きありがとうございます。ですが、私は大丈夫です。どうかお気になさらず、私は夫を信じていますから」

私と彼女たちの間には、親子ほどの年の差がある。

だからこそ、それを逆手に取るのだ。

彼女たちは社交界を生き抜いてきた女狐であると同時に、母親でもあった。

そんな彼女たちを味方に付ける最も確実な方法は、こうして弱り切った少女になり切ること。自身の娘と、私を、重ねさせること。

レディーたちの社交界には、私が属する派閥など存在しない。

だからといって、私を露骨に仲間外れにできる者も誰一人としていなかった。

本来、王国の社交界で中心に居るべきなのは、私だ。

それほどまでにアルベルン公爵家の力は圧倒的だった。

仲間になることはできずとも、共通の敵を作り、一時的に手を組むことはできる。

これは、いつだったか亡くなられたアルベルン前公爵が私に授けてくれた知恵の一つだ。

。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

「セレスティア、ずっと探していたんだぞ。何処に行っていたんだ?」

ダリア侯爵夫人たちに挨拶をして、その場を去ると、私は夫の元へ向かった。

「私も私で公爵夫人としての仕事をこなしていたの。これからは、ちゃんと社交界にも顔を出すわ」

「お前がそう言うなら止めないが、無理はするなよ」

「分かってるわ。ふう……それより、お酒ばかりしか並んでいなかったんだけど、フルーツティーがどこに置いてあるか知ってる? 泣いたら喉が渇いちゃって」

「は? 誰かに泣かされたのか」

「急に怖い顔しないで、ただの嘘泣きよ。ほら、いつものクールでカッコイイ公爵様に戻ってちょうだい。せっかくのハンサムなお顔が台無しですよ、ローレンス?」

悪戯気にそう言って笑うと、ローレンスは『なぜ嘘泣きだなんて馬鹿な真似を?』とでも言いたげな顔をした。

六年もの間、彼の一番の傍に居たんだもの。

口にしなくたって、考えていることくらい簡単に分かる。

「あら、知らなかった? あなたの妻は卑怯なやり方が得意なのよ」

。*⑅୨୧┈┈┈┈┈┈┈┈┈୨୧⑅*。

「ちょっと、夫人! 一体どういうことですか!」

春の陽光に満ちた庭園に、甲高い声が不釣り合いに響き渡った。

「ごきげんよう、アリシア嬢。とても良いお天気ですね、こういう時は遊船でもしたいところです。よろしければ一緒にいかが?」

「誰が貴女なんかと……! ふざけるのもいい加減にしてください!」

「あら、私はそんなつもりは無かったのだけれど。ところで、事前に連絡もなしに訪ねて来られるなんて何か急用でもありますの?」

「な、なんて白々しい……私の悪名を広めたのは貴女でしょう?! そうでなければ、突然訪ねてきた私を快く迎え入れるはずがないじゃない!」

「何のことを仰っているのか、まるで分かりませんわ」

「嘘を吐かないでください! そうじゃなければ、一体誰が……」

「ダリア侯爵夫人のパーティーでのことかしら? この前のお茶会でのことかしら。それともメイドたちに話したこと? 衣装室、サロン、宝石商……どこで会った人かしら。まったく分かりませんわね」

「は……?」

信じられないとでも言いたげに口をぽかんと開けたアリシア嬢は、その場で固まってしまった。

怒りも困惑も行き場を失ったその表情は何ともマヌケなものだ。

私、別に嘘は言っていないのよ?

だって、本当にどの件をきっかけに貴女の性根の悪さが明るみに出たのか分からないんだもの。

それに、私が口にしたのは先日の出来事だけ。

身分も年も下のか弱き令嬢を虐めていたとか、婚約者のいる令息と恋仲になっていたとか……そんな噂を耳にして、私だって心底驚いたのだから。

火のないところに煙は立たないとは言うけれど、まさかここまで業火のように燃え広がるなんて!

ああ、怖い。やっぱり人の恨みは買わないに尽きるわね。

「ふざけないで! どうして私が男爵家の娘なんかに……!」

「あら、ついに本性を現したの。この女狐」

「なっ……! 女狐は貴女でしょう?!」

「まあ、別に否定はしないけれど。だけど、結局あなたは、自分の犯してきた罪が罰として自分に返って来ただけでしょ? 人のせいにしないでちょうだい。まったく、これからどうするの? 結婚適齢期をもうすぐ迎えるのに嫁ぎ先は見つかりそう? 社交界は身分も大事だけど、信用が一番大切だってことはあなたも当然知っているでしょ?」

「ふ……ふざけんじゃ、ふざけんじゃないわよ! このっ……!」

「セレスティア、ここに居たのか」

今にも私に飛び掛かりそうなほどの勢いで叫んだアリシア嬢の言葉を遮ったのは、この大きな公爵邸の持ち主、王国にたった一人の公爵、そして私の夫。ローレンス・フォン・アルベルンだった。

「ローレンス?」

「こっ、公爵様!」

予想外のローレンスの登場に、表情と声色を一瞬にして変えた天才的演技派令嬢のアリシア嬢は、私から離れると、夫に向かって走り出した。

「公爵様! 私、とても悲しいことがあって、良ければ相談に……」

「誰だか知らないが、妻との時間を邪魔しないで貰えるか?」

ローレンスは、彼女が腕に縋りつこうとしたその手を、迷いなく振り払った。

そして今までに見たことがないくらいの冷たい目で彼女を見下ろすと、氷のように冷たい声でそう言い放った。

「あ、わ、わたし……か、帰りますわ……!」

目に薄らと涙を浮かべ、震える声でそう言い残すと、アリシア嬢はドレスの裾を掴み、庭園から逃げるように立ち去っていった。

すっきりするかと思っていたけど、何だかおかしな気分だわ。

泣かせるつもりは無かったのだけれど……まあ、これで、もう二度と私に牙を剥いてくることはないでしょう。

お願いだから、もう誰も私に関わってこないで欲しい。

こうして一人一人相手にしていたら、時間がいくらあっても足りないわ。

「誰だか知らないだなんて嘘ばっかり。私に突っかかって来た令嬢が誰なのか調べろって執事長に無理強いしたらしいじゃない?」

「……ジェームズのやつ、あれだけ口止めしておいたのに……」

「あら、本当にそうだったの? 冗談で言ったつもりだったんだけど」

「…………」

視線を逸らして頬を赤く染める夫の姿は、中々に可愛いものだった。

私よりもずっと背が高くて、ガタイも良くて、王国に名を轟かせる公爵様に向かって「可愛い」だなんて、おかしいのかもしれないけれど。ふふっ。

「それで? 私に何か用があったんじゃないの?」

軽く首を傾げてそう尋ねると、ローレンスは一瞬だけ言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。

「ああ……お前に、これを渡そうと思って」

「プレゼント? 私、誕生日でも何でもないけど」

「特別な祝い事が無ければ贈ってはいけない決まりはないだろう」

そう言って、私の前に進み出たローレンスは、芝生の上に片膝をついた。

そして、私に向かって差し出してきたのはネックレスだった。

ただのネックレスではない。今までに見たことがないほど大粒のピンクダイヤモンドが、惜しげもなくあしらわれていた。

ただでさえ希少で高価な宝石なのに、これほどのサイズを一体どこで手に入れたのだろう……。

「お前のローズピンクの瞳とよく似ていると思ったんだが、そんなこともなかったな。セレスティアの目の方がずっと輝いている」

「あははっ! いつの間にか、私の夫はこんなロマンティックなことを言うようになっちゃって!」

からかうように言いながらも、胸の奥はじんわりと温かい。

夫から贈られるプレゼントは私の心を満たしてくれた。

ローレンスの優しさは宝石より、この世の何よりも価値があり、いつだって私を励ましてくれた。

「ありがとう。正直に言って、嬉しくてたまらないわ!」

私が笑顔を向けると、彼もまた微笑み、ゆっくりと立ち上がった。

しばらく他愛もない話を交わした後、私たちは屋敷へ戻るため、並んで芝生の上を歩き始めた。

足を進めるたび、自然と手と手が重なり、指が絡む。

世界で一人ぼっちだと涙を流していた子供の頃の私たちは、もうここにはいない。

あなたが居るから、私はとっても幸せよ。旦那様!