軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第367話:深夜の攻防戦と、温もりの行方

夕暮れの公園から実家へ帰宅した俺たちを待っていたのは、再びの豪華な食卓だった。

「ほれ、カニはまだたくさんあるからな! 遠慮せずにどんどん食べなさい!」

「はいっ、いただきます!」

お昼に食べきれなかった、身がぎっしりと詰まった極太のタラバガニ。

そこに、おばあちゃん特製の、少し甘めの醤油ベースのお出汁がしっかりと効いたお雑煮が加わる。

焼いたお餅がとろりと溶け出し、鶏肉や三つ葉の旨味と絡み合って、冷えた体を芯から温めてくれた。

お腹がいっぱいになるまでごちそうを堪能した後は、順番にお風呂をいただいた。

一番風呂はおじいちゃん、次におばあちゃんと凛が入り、最後に俺が湯船に浸かって一日の疲れを癒やした。

夜の9時。

俺はあてがわれた客間に戻り、畳の上で一人、軽くストレッチをしていた。

すると、壁一枚を隔てた隣の部屋から、パタパタという軽い足音が近づいてきて、俺の部屋のふすまがスッと開いた。

「……朝陽くん、起きてる?」

「お、凛。どうした?」

お風呂上がりの凛は、少し大きめのスウェット姿で、ほんのりと頬を上気させていた。

首元からは、いつもより少しだけ大人っぽい、おばあちゃん家特有の石鹸の香りが漂ってくる。

「ううん、用はないんだけど……ちょっとだけ、一緒にいてもいいかなって」

「もちろんいいぞ。こっちおいで」

俺が手招きすると、凛は嬉しそうにはにかんで、俺の隣にちょこんと座り込んだ。

二人で並んで座り、ふくらはぎや太ももの筋肉をゆっくりと伸ばしていく。

コンコン。

その時、廊下側から控えめなノックの音が聞こえた。

「入るわよ〜」

スッとふすまが開き、ひょっこりとおばあちゃんが顔を出した。

「あ、おばあちゃん」

「あらあら、二人で体操? それが健康の秘訣かしら? とってもいいわねえ」

仲良く並んでストレッチをしている俺たちを見て、おばあちゃんは目を細めて優しく微笑んだ。

「おじいちゃんも私も、もう自室に戻って寝るからね。あとは二人で、好きに過ごしてちょうだいね。……おやすみなさい」

「はい、おやすみなさい」

おばあちゃんがパタンとふすまを閉めると、部屋の中には再び二人きりの静かな空間が訪れた。

(……好きに過ごしてちょうだい、か)

祖父母公認の夜更かしタイム。

実家というアウェーな環境のせいか、あるいは隣にいるお風呂上がりの無防備な彼女のせいか。

いつもと同じように過ごしているはずなのに、なんだか妙にドキドキしてしまう。

その後は、二人で一つのスマホ画面を覗き込みながら、動画投稿サイトで動物の癒やし動画や、お笑いの切り抜きなどを見てのんびりと過ごした。

肩と肩が触れ合う距離。

時折、凛が面白がって俺の腕に寄りかかってくるたびに、俺の心臓は密かに警鐘を鳴らし続けていた。

「……ふぁ」

時計の針が夜の10時を回った頃、凛が小さく欠伸をした。

昨晩の年越しで夜更かしをした上に、今日は慣れない着物で歩き回ったのだ。無理もない。

「そろそろ寝るか。凛、限界だろ」

「ん……うん。そうだね」

「ほら、隣の部屋なんだから。ちゃんと自分の布団で寝るんだぞ」

「わかってるよぉ。……おやすみ、朝陽くん」

名残惜しそうにしながらも、凛は自分の部屋へと帰っていった。

「……よし」

俺も部屋の電気を消し、敷かれたばかりのふかふかの布団に潜り込んだ。

静まり返った日本家屋。

遠くでかすかに虫の音が聞こえるくらいで、本当に平和な夜だ。

目を閉じ、ゆっくりと意識を手放そうとした――その時だった。

スッ……。

隣の部屋との境目にあるふすまが、音もなく数センチだけ開いた。

「……?」

暗闇の中、わずかな隙間からスルスルと入り込んできた小さな影。

その影は、一切の躊躇いなく俺の布団の端をめくり、そのままもぐりこんできた。

「……っ!? な、なんで戻ってきたんだよ!」

突然胸元に飛び込んできた柔らかい感触に、俺は飛び起きそうになるのを必死に堪え、声を押し殺して叫んだ。

「だって……」

布団の中から、少しだけ潤んだ上目遣いで凛が俺を見上げてくる。

「……一人じゃ、眠れないんだもん」

「いやいやいや! 眠れないからって、ここは凛の実家だぞ!?」

「でもぉ……昨日まで、ずっと朝陽くんの匂いがする場所で寝てたから……」

甘えるように俺のパジャマの胸元をきゅっと掴み、すりすりと額を押し付けてくる氷の令嬢。

俺の脳内で、理性のストッパーが悲鳴を上げている。

俺は健全な男子高校生だ。こんな無防備な大好きな彼女に潜り込まれて、平常心でいられるわけがない。

だが、ここで流されるわけにはいかない。

「……いくらなんでも、おじいちゃんたちのいる実家で一緒に寝るのはさすがにマズイって。俺が信用を失うだろ?」

「うぅ……でも……」

「……わかった。凜、抱き枕はあるか?」

「あるよ!」

「持ってきなさい」

俺は部屋の隅に置いてあった自分の荷物を漁った。

そして、今日の日中に俺が着ていた少し厚手のセーターを取り出し、凜が自室から持ってきた抱き枕にすっぽりと被せた。

「はい、これあげるから。今日はこれで我慢して、自分の部屋で一人で寝なさい」

俺が抱き枕を手渡すと、凛はしぶしぶといった様子でそれを受け取った。

ぎゅっと抱きしめ、セーターに顔を埋める。

「……ん。朝陽くんの匂いがする……」

少しだけ表情を緩め、満足そうにコクンと頷く凛。

「……わかった。今日はこれで我慢する。おやすみなさい……」

トボトボとした足取りで、凛は座布団を抱き抱えたまま、隣の自分の部屋へと帰っていった。

パタン、とふすまが閉まる音を聞いて、俺はようやく深く息を吐き出した。

「……心臓が持たないっての」

なんとか理性を守り切った俺は、どっと押し寄せた疲労感と共に、今度こそ深い眠りへと落ちていった。

チュン、チュン……。

「……ん」

翌朝。

目を覚ますと、見慣れない木目の天井が視界に入った。

「……ああ、そっか。凛の実家だったな」

昨晩の深夜の攻防戦を思い出し、少しだけ苦笑いしながら布団から抜け出す。

洗面所で顔を洗い、身支度を整えてキッチンへと向かった。

「おはようございます、おばあ様」

「あら、朝陽くん。おはよう。よく眠れたかしら?」

エプロン姿のおばあちゃんが、まな板でトントントンと軽快な音を立てて野菜を刻んでいた。

鍋からは、お味噌汁のいい匂いが漂っている。

「はい、ぐっすり眠れました。……あの、俺も何か手伝いますよ。」

俺は袖を捲り上げようとした。

しかし、おばあちゃんは優しく微笑んで首を振った。

「いいのいいの。朝陽くんは大事なお客さんなんだから、あっちでゆっくりお茶でも飲んで待っててちょうだい。もうすぐできるからね」

「あ、はい……ありがとうございます」

せっかくの好意を無下にするのも悪いと思い、俺は大人しくダイニングテーブルに座って温かいお茶をすすることにした。

それから10分ほど経ち、朝食の準備が完全に整った。

しかし。

「……凛のやつ、まだ起きてこないな」

壁の時計は、すでに午前8時半を指している。

おじいちゃんは庭の手入れに出ているらしく、ダイニングには俺とおばあちゃんの二人だけだ。

「困ったわねえ。凛ったら、昔から朝が弱くて。ちょっと様子を見てきてもらってもいいかしら?」

「あ、はい。わかりました」

俺は立ち上がり、廊下の奥にある凛の部屋へと向かった。

しかし、部屋の前まで来てハッと立ち止まる。

(……そういえば昨日、『部屋は散らかってるから絶対に入っちゃダメ』って念を押されてたな)

不用意に開けて、もし本当に見られたくないものがあったらマズイ。

俺が少し困って立ち尽くしていると、後ろからおばあちゃんがやってきた。

「どうしたの? 私が開けるわよ。……凛ー、朝よー」

おばあちゃんが、容赦無くカラカラとふすまを開け放つ。

「…………あれ?」

しかし、部屋の中を見ておばあちゃんが首を傾げた。

俺も後ろからこっそりと覗き込むが……なんと、そこには誰の姿もなかった。

綺麗に畳まれた布団と、俺のセーターを着せられた座布団がポツンと転がっているだけだ。

「あら? どこに行ったのかしら。お手洗いにもいなかったし……」

不思議そうに呟くおばあちゃんの横で、俺は背筋にツツーッと冷たい汗が流れるのを感じた。

まさか。いや、でも。

嫌な予感、というよりも、もはや確信に近い何かを抱きながら、俺は恐る恐る、隣にある自分の客間のふすまをスッ……と開けた。

「……すぅ……すぅ……」

そこには。

俺が先ほどまで寝ていた、まだ微かに温もりが残る布団の中にすっぽりと潜り込み。

幸せそうにふにゃぁっと顔をだらしなく緩めながら、スヤスヤと気持ちよさそうに二度寝を満喫している『氷の令嬢』の姿があった。

(……俺の残り香で寝るんかい!!)

朝から限界突破している彼女の甘えん坊っぷりに、俺は心の中で、今日一番の特大のツッコミを入れざるを得なかった。