作品タイトル不明
第366話:乙女の秘密と、夕暮れの思い出巡り
初詣の賑わいを楽しみ、俺たちは凛の実家へと帰宅した。
「ふぅ、やっぱり少し歩き疲れちゃった。朝陽くん、私ちょっと着替えてくるね」
「ああ、ゆっくりでいいぞ」
着崩れを直すのと、リラックスするためだろう。凛は奥の部屋へと向かっていった。
一人リビングでお茶を飲みながら、俺はふと考える。
(……本当は、あの着物姿の写真、一枚くらい撮らせてほしかったな)
だが、あんなに綺麗な晴れ姿を前にして「写真撮らせて」などとスマホを向ける余裕は、俺には到底なかった。
まあいい。あの息を呑むような美しさは、俺の目にしっかりと焼き付いているのだから。
しばらくすると、ふすまが開いて凛が戻ってきた。
着物から一転、少しゆったりとした萌え袖の白いニットに、動きやすいロングスカートという、いつものリラックスした私服姿だ。
これはこれで、見慣れた安心感があっててたまらなく可愛い。
「お待たせ。……って、そういえば」
凛はコテンと首を傾げ、ポンと手を打った。
「私、まだ朝陽くんに家の中の案内してなかったよね。お手洗いとか、場所わからないでしょ?」
「あ、確かに。ずっとリビングにいたからな」
「じゃあ、私が案内するね」
そのやり取りを聞いていたおじいちゃんとおばあちゃんも、「ゆっくり見ておいで」と笑顔で送り出してくれた。
凛の実家は、昔ながらの立派な日本家屋だ。
ピカピカに磨き上げられた長い板張りの廊下を歩くと、大きなガラス戸の向こうに、綺麗に手入れされた中庭が見える縁側があった。
「うわ、すげえ。時代劇に出てきそうな立派な庭だな」
「ふふっ、おじいちゃんの趣味なんだよ。……えっと、こっちがお手洗いで、その奥がお風呂場ね」
凛の案内に従って、家の中の構造を頭に入れていく。
そして、廊下の一番奥の突き当たりにある二つの部屋の前にやってきた。
「ここが、私の部屋なんだけど……」
凛はそう言うと、手前のふすまの前にバッと両手を広げて立ちはだかった。
「今はちょっと散らかってるから、絶対に開けちゃダメだからね!」
「わ、わかってるよ。勝手に見たりしないって」
「ほんと? 絶〜っ対だからね!」
実家特有の恥じらいなのだろう。普段の大人びた『氷の令嬢』の姿からは想像もつかないくらい、必死に部屋を守ろうとする姿が微笑ましい。
「で、朝陽くんの部屋はここね。私の部屋のすぐ隣」
凛が隣のふすまをカラカラと開ける。
そこは綺麗な畳の敷かれた客間で、すでにシーツのかかったふかふかの客用布団が敷かれていた。
おそらく、おばあちゃんが俺たちの外出中に用意してくれたのだろう。
「……そっか。今夜は、壁一枚隔てて隣同士なんだな」
「っ……うん」
俺が何気なく呟いた言葉に、凛がピクッと肩を揺らし、少しだけ顔を赤らめた。
俺も言ってからその事実の破壊力に気づき、急に心臓の音がうるさくなり始める。
アパートでも隣同士の部屋とはいえ、こんなに静かな日本家屋で、壁一枚のすぐそばに彼女が寝ていると思うと……なんだか妙にドキドキしてしまった。
「夕飯まで、まだ少し時間があるな」
客間を出た後、俺は時計を見て提案した。
「もしよかったら、凛が育ったこの町を、もう少し見てみたいな。凛がよく行ってた場所とか、あるか?」
「うん、あるよ! 歩いていける距離に、すごく見晴らしのいい公園があるの」
「よし、じゃあちょっと散歩に行こうか」
リビングに戻り、おじいちゃんたちに「晩ご飯まで、1時間ほど近所を散歩してきます」と伝えた。
「おう、行ってこい!」
おじいちゃんは快く頷いてくれたが、すぐに真剣な顔つきになった。
「だが、もうすぐ暗くなるから十分に気をつけるんだぞ! 車の通る道は端を歩いて、もし何かあったら、絶対にすぐ連絡するんだぞ!」
「あはは、おじいちゃん過保護すぎ。遠くに行くわけじゃないんだから大丈夫だよ」
苦笑いする凛と一緒に、俺も「気をつけて行ってきます」と頭を下げて実家を後にした。
凛の案内で歩くこと約十五分。
少し小高い丘を登った先にある、自然豊かな広い公園に到着した。
「わぁ……ちょうどいい時間だね」
凛がパァッと顔を輝かせて駆け寄った先。公園の展望台からは、凛が育ったのどかな町が一望できた。
空は美しい茜色に染まり、夕日が町の屋根や遠くの山々を黄金色に照らし出している。
冷たい冬の空気が、その景色をより一層澄んだものにしていた。
「綺麗だな……」
「うん。私、小さい頃からここの景色が大好きなの。嫌なことがあった時も、ここに来ると心がすーっと落ち着いて……」
夕日の光を浴びて、柔らかく微笑む凛。
その横顔を眺めていると、俺の口から自然と、素直な本音がこぼれ落ちていた。
「……本当に、良いところだな」
「えっ?」
「こんなどこか温かくて、綺麗な場所で育ったから……凛はそんなに優しくて、素敵な人になったんだな」
アパートの隣の部屋で倒れていた彼女を拾ってから、今日までの半年間。
不器用で、私生活はだらしないけれど、誰よりも優しくて、一生懸命で、俺のご飯を世界一美味しそうに食べてくれる彼女。
そんな彼女のルーツが、この温かい町と、あの優しい祖父母にあるのだと実感して、俺は心からそう思ったのだ。
「――――っ」
俺の言葉を聞いた凛は、目を見開いて固まった。
そして、ぽすんっ、と音がしそうな勢いで、その端正な顔が夕日よりも真っ赤に染まっていく。
「も、もう……っ!」
凛は両手で顔を覆い、しゃがみこんでしまった。
「……朝陽くんの、ばか」
「えっ、俺なんか変なこと言ったか?」
「変じゃないけど……そういうこと、さらっと真顔で言うところがずるいの! 」
指の隙間からこちらをジト目で睨みつけてくるが、その声は完全に照れ隠しで潤んでいた。
「……帰ろっか。おじいちゃんたち、待ってるし」
「あ、ああ」
立ち上がった凛は、まだ少し赤い顔を隠すようにプイッとそっぽを向きながら、俺のコートの袖をちょこんと摘んできた。
冷たい風が吹く夕暮れの帰り道。袖を引かれるその小さな力がたまらなく愛おしくて、俺は自然と緩む頬をそのままに、彼女の歩幅に合わせてゆっくりと丘を下っていった。