作品タイトル不明
第363話:元日の朝と、賑やかなお正月
チュン、チュン……。
窓の外から聞こえる微かな鳥の鳴き声と、カーテンの隙間から差し込む冬の柔らかい日差しで、俺はゆっくりと目を覚ました。
スマホの画面を確認すると、時刻は午前8時半を少し回ったところ。いつもよりかなり遅めの起床だ。
「……んっ」
腕の中から、小さく寝返りを打つ気配がした。
視線を落とすと、俺の胸元にすっぽりと顔を埋めるようにして、凛がスヤスヤと規則正しい寝息を立てている。
「……あけましておめでとう、凛」
誰に聞かせるでもなく、小さく呟く。
年が明けて、新しい一年が始まっても、こうして腕の中に大好きな彼女がいて、穏やかな朝を迎えられる。
それこそが、何よりも一番の『特別』なんだと、じんわりとした温かい気持ちが胸に広がった。
しばらくその無防備な寝顔を堪能した後、俺はそっとベッドから抜け出し、朝ご飯の準備に取り掛かった。
「ん〜……おはよぉ、朝陽くん……」
「おはよう、凛。よく眠れたか?」
パジャマ姿のまま、目をこすりながらリビングにやってきた凛。
テーブルの上には、昨日スーパーで買ってきた食材を使った、簡単なお正月風の朝ご飯が並んでいた。
フルセットの豪華なお節料理ではないが、紅白のかまぼこ、黄金色の甘い伊達巻、少し奮発して買った厚切りのハム。
そして、お出汁の香りがふわりと漂う、熱々のお雑煮。
「いただきます」
「うんっ、いただきます!」
向かい合って座り、箸を伸ばす。
凛はさっそく伊達巻を口に運び、ふにゃりと幸せそうに頬を緩めた。
「ん〜っ、甘くて美味しい! いつもと変わらない朝ご飯の風景だけど、こういうのがあると、やっぱりお正月って感じがしていいね」
「だな。お昼には実家でごちそうが待ってるだろうから、朝はこれくらいでちょうどいいだろ」
二人でニコニコと笑い合いながら、温かいお雑煮をすする。
特別なイベントがなくても、ただこうして向かい合って美味しいものを食べるだけで、十分に幸せな元日の朝だった。
午前10時。
身支度を整えた俺たちは、アパートを出発して電車に乗り込んだ。
「わぁ……電車、全然人がいないね」
「元日の午前中なんて、みんな家で寝てるか、お節を食べてる時間だからな」
いつもは学生や通勤客で混雑する車両も、今日ばかりはガラガラだった。
俺たちは横に並んで座席に腰を下ろす。
暖房の効いた車内と、電車の心地よい揺れ。
昨晩夜更かしをしたせいか、隣に座る凛の頭が徐々にコクン、コクンと揺れ始めた。
「……眠いのか?」
「んっ……ちょっとだけ……」
「着くまでまだ時間あるし、寝てていいぞ。ほら」
俺が自分の右肩をポンと叩くと、凛は「……えへへ、ありがとう」と嬉しそうに微笑み、俺の肩にコテンと頭を預けてきた。
シャンプーの甘い香りがふわりと漂う。
俺は彼女が起きないように姿勢をまっすぐに保ちながら、流れていく冬の景色をのんびりと眺めていた。
お昼の12時頃。
目的の駅に到着し、改札を抜けると、ロータリーのすぐ近くで二人の人物が笑顔で手を振っていた。
「おーい、凛! 朝陽くん!」
「おじいちゃん、おばあちゃん! あけましておめでとう!」
凛がパッと花が咲いたような笑顔で駆け寄っていく。
俺もその後を追いかけ、二人の前でピシッと背筋を伸ばして深く頭を下げた。
「あけましておめでとうございます。昨年は大変お世話になりました。本年も、どうぞよろしくお願いいたします」
ハキハキとした声で、高校生らしからぬ完璧な新年の挨拶をする。
一見地味に見られがちな俺だが、親代わりとして家事全般をこなしてきた経験上、こういう大人に対する礼儀作法はしっかりと身についているのだ。
「おお、朝陽くん! あけましておめでとう。相変わらず、本当にしっかりした良い子じゃな!」
「あけましておめでとうございます、瀬戸さん。さあ、外は寒いから、早く車に乗りなさいな」
おじいちゃんは俺の肩をバンバンと嬉しそうに叩き、おばあちゃんも目を細めて優しく微笑んでくれた。
車に揺られること十数分。凛の実家に到着し、リビングへと案内された俺は、目の前に広がる光景に思わず言葉を失った。
「な、なんだこれ……」
広いテーブルの上には、俺が今まで見たこともないようなごちそうが、これでもかと所狭しと並べられていたのだ。
お皿からはみ出すほど巨大なタラバガニの脚、大ぶりのエビの塩焼き、そして色鮮やかで豪華な三段重のお節料理。
「ふふふっ、どうじゃ朝陽くん!」
驚いて固まる俺を見て、おじいちゃんが豪快に笑い声を上げた。
「今年の正月は、凛が朝陽くんを連れてきてくれるから賑やかになりそうじゃと思ってな! 気合を入れて、市場で一番いいやつを仕入れてきたんじゃ!」
「おじいちゃんったら、朝からずっとそわそわして、準備ばかりしてたんですよ」
呆れたように笑うおばあちゃんの後ろで、おじいちゃんが「さあさあ、遠慮せずにいっぱい食べなさい!」と胸を張る。
「あ、ありがとうございます……! すっごく美味しそうです」
俺は圧倒されながらも、その温かい歓迎の空気に、自然と笑顔をこぼしていた。
どうやら、今年の元日は、俺の胃袋にとっても最高のスタートになりそうだった。