作品タイトル不明
第348話:市場の買い出しと、まさかの遭遇
「らっしゃいらっしゃい! そこのお兄ちゃんたち、今日はホタテがいいの入ってるよ!」
威勢のいい声に誘われて足を止めたのは、店先に巨大な貝類をズラリと並べた海鮮問屋だった。
氷の上に並べられた殻付きのホタテは、俺の手のひらよりも一回り以上大きい。
「うわぁ……すごい。こんなにおっきなホタテ、初めて見た……」
隣で凛が、目を丸くして感嘆の声を漏らす。
スーパーで見かけるパック詰めのものとは比べ物にならないサイズ感と肉厚っぷりだ。
「これ、明日の焼肉でホットプレートで焼いたら絶対美味いな。殻から身を綺麗に外して、バター醤油を絡めてさ」
「っ……! た、食べる! 絶対美味しいっ!」
俺の言葉に、凛がゴクリと喉を鳴らして激しく同意した。
想像しただけでたまらなくなったらしい。
俺は苦笑しながら、店のおじさんに声をかけた。
「すみません、このホタテ、五つもらえますか」
「あいよ! 兄ちゃん、 彼女さんがすっげえ可愛いから、特別におまけで一つデカいの入れとくわ!」
「えっ、いいんですか? ありがとうございます」
「へへっ、ありがと、おじさん!」
おじさんの粋な計らいに、凛が花が咲いたような笑顔でお礼を言う。
その後も俺たちは、活気あふれる市場の通りを歩きながら、テンポよく明日の買い出しを進めていった。
ホタテの次は、同じくホットプレートで焼くための立派なイカを数杯。
そして最後に、凛が「大きくてカッコいい!」と謎のテンションで指差した、特大の有頭エビをパックで購入する。
「よし。海鮮はこのくらいで十分だな。代々木たちも満足するだろ」
「うんっ。すっごく豪華な焼肉パーティーになりそう!」
両手いっぱいのビニール袋を提げた俺は、市場の隅にある資材売り場へと向かった。
そこで中型の発泡スチロールの箱と、ガムテープを一つ購入する。
「えっと、ここに買ったお魚たちを入れて……」
「ああ。そこに市場の無料の氷を詰めて、上からガムテープで隙間なくぴっちりと塞ぐんだ。こうすれば、電車の中は暖房が効いてても冷え冷えのままだし、水漏れの心配もないからな」
俺が手際よく発泡スチロールの箱を組み立て、氷と一緒に海鮮をパッキングしていくと、凛は隣で「おおーっ」と感心したように拍手をした。
「朝陽くん、業者さんみたいで手際がいいね。かっこいい」
「ただの箱詰めだろ。……よし、完成。これなら夜まで大丈夫だ」
しっかりとガムテープで封をした白い箱を小脇に抱え、俺たちは再び市場のメインストリートへと戻った。
「あらかた買い出しも終わったし、あとは……」
「あ! ねぇ朝陽くん、見て見て!」
俺の言葉を遮るように、凛がとある鮮魚店の前でピタッと足を止めた。
彼女の視線の先には、発泡スチロールのトロ箱の中で氷の上に寝かされている、まだ全く捌かれていない丸々とした巨大な魚の姿があった。
「うわぁ……あのお魚、すごく美味しそう」
「……」
キラキラとした瞳で、丸太のような生魚を見つめて「美味しそう」と呟く凛。
俺は思わずジト目で彼女の横顔を見つめた。
「……凛。お前、水族館に行っても、泳いでるアジやマグロを見て『美味しそう』って言うタイプだろ」
「えっ!? ど、どうしてわかったの!?」
「わかるわ。今、完全に食いしん坊の目をしてたぞ」
俺が呆れたようにツッコミを入れると、凛は「うぅ……」と恥ずかしそうに頬を赤くして、俺のコートの袖をちょこんと引っ張った。
「だ、だって……お魚見てたら、朝陽くんがそれをお刺身とか煮付けにしてくれて、二人で一緒に食べてる風景が頭に浮かんじゃうんだもん……。だから美味しそうだなって……」
「っ……」
上目遣いでそんなことを言われては、こちらの理性が危ない。
俺の料理込みで『美味しそう』と変換されていたとは。
相変わらず、無自覚にクリティカルヒットを放ってくる彼女の破壊力は凄まじかった。
「……反則、それ」
「えへへ。……ねぇ朝陽くん、お腹空いちゃった」
「俺も空いた。……よし、それじゃあいよいよ、お待ちかねの海鮮丼を食べに行こうか」
「うんっ!!」
俺たちは顔を見合わせて笑い合い、市場の奥にあるという食堂エリアへと歩き出そうとした。
――その時だった。
「おっ、そこの兄ちゃん!」
背後から、不意に野太い声が響いた。
市場の喧騒の中でもよく通る、どこか聞き覚えのある豪快な声。
「……ん?」
呼ばれたような気がして、俺が振り返った先。
そこには、仕立てのいい上質なコートを羽織った、ダンディで恰幅のいいおじいさんの姿があった。
「おー! やっぱりそうだ! 朝陽君、こないだは電車で世話んなったな!」
ガハハと豪快に笑いながら近づいてくるその顔を見て、俺はパッと表情を明るくした。
間違いない。
クリスマスプレゼントを買いに行った日、電車の中で知り合った気のいいおっちゃん(源蔵さん)だ。
「あっ、お久しぶりです! この市場によく買い出しに来るって仰ってたから、もしかしたら会えないかなって思ってたんですよ。奇遇ですね!」
俺は嬉しくなって笑顔で挨拶を返した。
源蔵さんも「いやぁ、まさか本当に行きつけの市場で会うとはなぁ!」と嬉しそうに目を細めている。
――しかし。
和やかな空気が流れていたのは、俺と源蔵さんの間だけだった。
「…………」
「…………」
ふと隣を見ると、凛が目を見開いたまま、完全にフリーズしていた。
それだけではない。さっきまで豪快に笑っていた源蔵さんも、俺の隣に立つ凛の顔を見た瞬間、まるで雷にでも打たれたかのように口を開けたまま固まっている。
(……え? なんだ、この空気……)
周囲の喧騒が、そこだけスッと遠のいたような異様な沈黙。
やがて、数秒の硬直の後。
凛が、信じられないものを見るような目で、震える声でぽつりと呟いた。
「……おじい、ちゃん……?」
その一言が、俺の脳内に木霊する。
おじいちゃん。
凛のおじいちゃん。
ついさっき電車の中で聞いたばかりの、凛の『過保護なおじいちゃん』。
(――おじい、ちゃん……!?)
俺の頭の中で、全ての点と点が一瞬にして繋がった。
(おいおいおい……まさか、そういうことか!? 凛の過保護で、木刀を持って威嚇してくるかもしれないおじいちゃんって、このおっちゃんのことか!?)
手の中に持っていた発泡スチロールの箱が、急に鉛のように重く感じられた。
背筋を冷たい汗がツーッと伝い落ちていくのを感じながら、俺は顔面蒼白のまま、目の前で固まる凛と源蔵さんを交互に見比べることしかできなかった。