作品タイトル不明
第347話:知らない街のお散歩デート
おばさん夫婦への帰省の連絡を済ませ、俺たちの乗る電車はさらに海沿いの街へと進んでいく。
心がすっと軽くなった俺は、今度は凛の方へと話を振った。
「そういえば、凛の年末年始はどうするんだ?」
「うーん……去年はお仕事があったのと、ちょっと気まずかったから帰らなかったんだけど、今年はお正月のご挨拶だけ、1日か2日だけ帰ろうかなって思ってる」
「そっか。ご両親も喜ぶだろうな」
俺がそう言うと、凛は少しだけ気まずそうに視線を落とした。
「あ、ううん……お父さんとお母さんは、今年の年末年始は帰って来られないんだって。だからこの間、クリスマスの1週間前にこっちに帰ってきてたんだよ」
「あっ、そうだったのか。ごめん……」
「ううん、全然いいんだよ。……ただ、ちょっと心配なことがあって」
「心配なこと?」
凛は少しだけ困ったように眉を下げ、苦笑いを浮かべた。
「おばあちゃんは私の一番の理解者だから、朝陽くんのことも話せば絶対に分かってくれると思うんだけど……おじいちゃんには、私に彼氏ができたこと、まだ言ってないんだよね」
「ああ……なるほど」
「うちのおじいちゃん、すっごく過保護なの。私がイラストレーターのお仕事をするって決めた時も、『将来が安定しないから』ってずっと反対してたし……」
「そっか。まあ、凛の将来を本気で心配してるからこそ、なのかもしれないけどな」
「うん……。もし私が朝陽くんと同棲ギリギリの生活をしてるなんて知ったら……ショックで寝込んじゃうかもしれないし、最悪、木刀とか持って威嚇しに来るかも……」
「木刀!? そ、それは……」
俺は思わず頬を引きつらせた。
確かに、こんなに可愛くて自慢の孫娘に彼氏ができたとなれば、おじいちゃんとしては気が気じゃないだろう。
いつかご挨拶に行く時は、俺も相当な覚悟と気合いを入れて臨まないといけないな。
「あははっ、大丈夫だよ。朝陽くんのご飯はすっごく美味しいから、一口食べてもらえれば、おじいちゃんも絶対に『孫を任せられる!』って納得してくれるはず!」
えへん、と謎に胸を張る凛。
彼女の中では『俺の料理=最強の交渉カード』になっているらしい。
(……どうだろうな……)
相手は溺愛する孫娘を奪っていく憎き男(俺)だ。
料理だけで許してもらえるかはかなり怪しい。
そんなことを考えながら、俺はふと、ある記憶を頭の片隅に思い浮かべていた。
(……そういえば。クリスマスプレゼントを買いに行った時、電車で意気投合したあの『気のいいおじいさん』も、今日行く市場によく行くって言ってたな)
豪快に笑う、孫想いの優しいおじいさん。
今日はあの市場にいるのだろうか。もし偶然会えたら、少し挨拶くらいはしたいな。
そんな俺の呑気な考えが、まさか隣で悩んでいる凛の『過保護なおじいちゃん』本人に直結しているだなんて、この時の俺は知る由もなかった。
「わぁ……っ! 風、つめたーい!」
目的の駅に降り立つと、凛がパァッと顔を輝かせた直後、海から吹き付ける強い冬風にブルッと身を震わせた。
「ほら言わんこっちゃない。マフラー、ちゃんと上まで締めろって」
俺は凛の前に立ち、風除けになりながら彼女の白いマフラーをキュッと結び直してやった。
少し赤くなった鼻先が、なんだか小動物みたいで可愛い。
「んふふ、ありがと。……あ、潮の匂いがするっ!」
「そうだな。ここから市場までは少し歩くけど、大丈夫か?」
「平気! 朝陽くん、手貸して?」
駅のロータリーを歩き出すと、凛が自然な動作で俺の右手に自分の左手を重ね、ギュッと指を絡ませてきた。
「知らない街をこうやって歩くの、新鮮で楽しいね」
「ああ。……でも、手冷たくないか? 俺のコートのポケットに入れるか?」
「ううん、このままがいい。朝陽くんの手、あったかくて安心するから」
「俺はカイロ扱いかよ」
「えへへ、カイロよりずっといいよ」
嬉しそうに俺の腕にすり寄りながら、繋いだ手をぶんぶんと揺らす凛。
普段の学生服とも、家でのだらしないパジャマ姿とも違う、大人っぽく『キレイめ』にまとめられた私服姿の彼女と手を繋いで歩いていると、すれ違う人たちがチラチラと振り返るのがわかる。
(みんな、俺の自慢の彼女を見て驚いてるな)
そんな少しの優越感と、俺だけに見せてくれるこの無邪気な笑顔の特別感を噛み締めながら、俺たちは海沿いの道をのんびりと歩いていった。
潮の香りが一段と強くなり、やがて視界の先に、巨大なアーケードと無数ののぼり旗が見えてきた。
「へぇ……らっしゃい! 新鮮なカニ、安いよー!」
「そこのお兄さん、お姉さん! 今日はマグロがいいの入ってるよ!」
巨大な市場の入り口に足を踏み入れた瞬間、四方八方から飛び交う威勢のいい掛け声と、活気あふれる熱気に、俺たちは思わず足を止めた。
年末ということもあって市場内は活気に満ち溢れているが、朝早くのピーク時間は過ぎているため、歩きやすくてちょうどいい混み具合だ。
「わぁ……っ!」
隣で手を繋いでいる凛から、感嘆の息が漏れる。
所狭しと並ぶ新鮮な海鮮の数々。
氷の上にズラリと並べられた色鮮やかな真っ赤なカニや、特大のエビ。
丸々と太った立派な魚たちが、店先の裸電球に照らされてキラキラと輝いている。
普段スーパーの鮮魚コーナーくらいしか見たことがない凛にとって、目に映るもの全てが圧倒的なスケールだった。
「すごい、すごいよ朝陽くん! あっちにはすっごく大きなお魚がいる! カニも真っ赤!」
「ははっ、本当にすごい活気だな」
「あ! ねぇ見て、あそこの貝、すっごくトゲトゲしてる!」
「あれはサザエだな。網で焼いて醤油を垂らすと、香ばしくてめちゃくちゃ美味いぞ」
「うわぁ……食べたい! あ、あっちのエビもすっごく大きいっ!」
目をキラキラと輝かせ、あっちをキョロキョロ、こっちを指差してはぴょんぴょんと跳ねる凛。
学校では『氷の令嬢』として近寄りがたいオーラを放っている彼女が、今は完全に無邪気にはしゃいでいる。
「どこから見たらいいか迷っちゃうね! 明日の海鮮、どれにしようかな……!」
「時間はたっぷりあるから、焦らなくていいぞ。ほら、はぐれないようにちゃんと手、繋いどけよ」
俺が繋いでいた手に少しだけ力を込めると、凛は弾かれたように顔を上げ、花が咲いたような極上の笑顔を向けた。
「うんっ!」
はしゃぐ彼女の手をしっかりと引きながら、俺たちは威勢のいい声が飛び交う市場の奥へと、ゆっくり足を踏み入れていった。