作品タイトル不明
第342話:彼氏の理性と、ベランダのハプニング
27日の朝。
冬特有の、少し冷たくて澄んだ空気が部屋を包んでいる。
俺は温かい羽毛布団の中で目を覚まし……そして、朝から吹き飛びそうになる理性を必死に繋ぎ止めていた。
「……すぅ、すぅ……」
俺の腕の中。パジャマ姿の凛が、俺の胸元に顔を埋めるようにしてぴったりとくっついて眠っている。
俺のパジャマの裾をぎゅっと握りしめる小さな手。
首元をくすぐる規則正しい温かい吐息や、胸越しにトクトクと伝わってくる小さな鼓動。それに、パジャマから香る俺と同じ柔軟剤の匂いが、彼女特有のふんわりとした柔らかい香りと混ざり合って、否応なく脳を強烈に刺激してくる。
(……ダメだ。毎朝これじゃあ、俺の理性がもたない……っ!)
付き合って一ヶ月半。
こうして同じベッドで寝るのにも、少しずつ慣れてきたつもりだった。
しかし、クリスマスにあの展望スペースでキスを交わしてからというもの、俺の中で凛に対する『彼女』としての意識が、とんでもなく跳ね上がってしまっているのだ。
腕の中にすっぽりと収まる華奢な体。
無防備すぎる寝顔。
そして、ほんのり桜色をした柔らかい唇――。
「……んぅ……あさひ、くん……?」
俺が一人で限界まで顔を赤くして悶絶していると、不意に凛がモゾモゾと身をよじり、潤んだ瞳をゆっくりと開いた。
「……おはよぉ……」
寝ぼけ眼のまま、ふにゃりと笑ってさらにすり寄ってくる凛。
俺は心臓が口から飛び出そうになるのを必死に堪え、なんとかポーカーフェイスを装った。
「お、おはよう。……よし、今日から大掃除、気合い入れて頑張ろうな!」
「……んふふ。うんっ、お掃除がんばる……」
これ以上布団の中にいたら俺の心臓が爆発してしまう。
俺は逃げるようにベッドから抜け出し、冷たい水でバシャバシャと顔を洗って、無理やり気合いを入れた。
朝食を済ませ、俺たちは早速、水回りの大掃除に取り掛かった。
「凛、洗面台の方、お願いできるか? 俺はキッチンの換気扇周りとコンロをやるから」
「はーい! 任せて!」
腕まくりをして気合い十分の凛に洗面所を任せ、俺は油汚れ用の強力な洗剤とスポンジを手に、キッチンと格闘を始めた。
換気扇のフィルターを外し、五徳をつけ置き洗いする。
しばらくすると、洗面所の方から「こっちはピカピカになったよー!」と明るい声が聞こえてきた。
「おう、サンキュ! こっちももうすぐ終わる」
別々の作業をしていても、同じ空間で生活を整えているという実感。
なんだか、本当に夫婦にでもなったかのような穏やかな空気が流れていて、油汚れを落とす手も自然と軽くなった。
水回りの掃除を終え、次に取り掛かったのは『布団干し』だ。
今日は雲ひとつない冬晴れで、絶好の洗濯日和だった。
「わっ、この羽毛布団、結構重いね……」
「無理すんなよ。俺がやるから」
「ううん、私も手伝う!」
シーツを洗濯機に放り込み、俺たちは分厚い冬用の羽毛布団を抱えてベランダへと出た。
凛が布団の端を持ち、ベランダの柵にバサッと掛けようと、精一杯背伸びをする。
しかし彼女にとって、冬用の羽毛布団は予想以上に重かったらしい。
「よい、しょっ……あ」
布団を柵の向こう側へ押し出そうとした瞬間。
その重みに引っ張られるようにして、凛の体が大きく後ろへと傾いた。
「あっ……!」
「っと、危ねぇ!」
咄嗟に手を伸ばし、後ろに倒れてきた凛の腰と肩を、ガッチリと両腕でホールドして抱きとめる。
ふわりと、朝よりも強い柔軟剤の匂いが鼻先を掠めた。
「……っ」
俺の腕の中に、彼女の背中がぴったりと密着する。
朝の理性の限界のせいで、普段のスキンシップ以上に彼女の柔らかさを強烈に意識してしまい、俺の心臓は再びドクン、ドクンと爆音を鳴らし始めた。
「あ、危なかったぁ……ありがと、朝陽くん……」
凛はホッと息をつき、それから、背中越しに伝わる俺の心音に気づいたのか、ピタッと動きを止めた。
振り返った凛の顔は、耳の先まで真っ赤に染まっている。
「……あの、朝陽くん……心臓、すっごい音、してる……」
「…………っ!!」
その言葉に、俺は弾かれたようにパッと腕を離した。
熱湯にでも触れたかのように焦ってしまったが、それでも凛が転ばないように、最後はそっと肩に手を添えて立たせる。
俺は誤魔化すように明後日の方向を向きながら咳払いをした。
「……ふ、布団、やっぱり重かっただろ。貸せ、俺がやる」
「う、うん……お願い、します……」
お互いに視線を逸らし、顔を真っ赤にしたまま、俺は逃げるように布団をバサバサと整えた。
「お風呂場もキッチンも、すごく綺麗になったね」
「ああ。ピカピカだとやっぱり気持ちいいな」
午前中のタスクを全て終え、俺たちはリビングのダイニングテーブルで遅めのお昼ご飯を食べていた。
メニューは、冷蔵庫の余り物を総動員した、『ねぎ塩豚チャーハン』と『ふんわり卵の中華スープ』だ。
強火で一気に炒めたチャーハンは、お米の一粒一粒がパラパラに仕上がっている。
豚バラ肉の香ばしい脂の甘みと、ごま油の食欲をそそる香り、そしてたっぷりのネギの風味が、大掃除で疲れた体にガツンと響く。
鶏ガラスープの素で作った中華スープには、溶き卵をふんわりと散らし、仕上げに白ごまを振ってある。
「……ん〜っ! チャーハン、すっごくパラパラ! 豚肉の旨味がご飯にしっかり回ってて、すっごく美味しいっ!」
「たくさん動いたからな。しっかり食って、午後に備えようぜ」
「うんっ! スープも卵がふわふわで、ごま油の香りが最高……はふっ、幸せぇ……」
レンゲを持つ手を止めず、満面の笑みでチャーハンを頬張る凛。
学校で『氷の令嬢』と呼ばれている彼女が、俺の作ったご飯を食べてこんなにだらしない笑顔を見せている。
「午後は、窓拭きとリビングの片付けだな」
「うん! 美味しいご飯食べたから、午後も元気いっぱい頑張れるよ!」
ピカピカになった部屋で、大好きな彼女と食べる温かいご飯。
年末の忙しない空気の中でも、俺たちの部屋には、極上の平和で甘い日常が流れていた。