作品タイトル不明
第326話:深夜のカマンベールと、冬休み前夜
カチッ。
マウスのクリック音と共に、パソコンの画面に『送信完了』の文字が表示された。
「……終わっ、たぁ……」
12月22日、20時。
学校から帰ってきてからずっと自室のデスクで作業をしていた凛は、魂が抜けたような声を上げて、へなへなと机に突っ伏した。
今日で今年の学校の授業はすべて終了し、明日からは待ちに待った冬休み。
そして何より、凛が抱えていたイラストの仕事の〆切が、たった今無事に終わったのだ。
すべては、明日からのクリスマス休みを、一切の不安なく俺と二人でゆっくり過ごすため。
学校と仕事の二重生活を限界まで頑張り抜いた彼女は今、完全にスイッチが切れ、スライムのように溶けきっている。
「お疲れ様、凛。よく頑張ったな」
「あさひくぅん……私、がんばった……」
部屋に入ってきた俺の顔を見るなり、凛は潤んだ瞳で両手を伸ばしてきた。
俺は苦笑しながらその体を抱き起こし、あらかじめ作っておいた遅めの晩御飯と、温かいお風呂で彼女の体をしっかりと労った。
「んぅ……あ、そこ……すごく、気持ちいい……」
お風呂上がり。
リビングのソファにうつ伏せになった凛の背中を、俺は時間をかけて念入りに揉みほぐしていた。
肩甲骨の周りや、首の付け根。
ペンを握り続けて凝り固まった筋肉を、親指でゆっくりと押し流していく。
ただでさえお風呂上がりでポカポカしているところに、マッサージと特大の達成感が合わさり、凛の体は完全に骨抜きになっていた。
普段学校で見せている『氷の令嬢』の面影など、ここには1ミリも存在しない。
「よし、だいぶほぐれたな。……ちょっと待ってろ」
「ん……?」
とろとろになった凛をソファに残し、俺はキッチンへと向かった。
そして数分後。ローテーブルにコトッと置かれたお皿を見て、凛の目がパチリと見開かれた。
「わぁ……いい匂い……!」
今日のご褒美(という名の夜更かしのお供)は、丸ごと一個のカマンベールチーズを使った『お手軽チーズフォンデュ』だ。
上の皮を丸く切り取ってレンジとトースターで加熱されたカマンベールは、中身がとろとろのマグマのように溶け出している。
その周りには、カリッと香ばしく焼いたバゲットと、ボイルしたブロッコリー、そしてパリッと皮が弾けるウインナーを添えた。
「ほら、チーズが固まらないうちに食べてみろ」
「うんっ……!」
凛が身を乗り出し、フォークに刺したバゲットを、熱々のチーズの海へダイブさせる。
たっぷりと絡んだチーズを糸を引きながら持ち上げ、ふーふーと冷ましてからパクリと口に入れた。
「……ふぁ」
サクッとしたバゲットの食感の後に、濃厚でクリーミーなチーズの塩気が口いっぱいに広がる。
限界まで疲れた体に染み渡る圧倒的なカロリーの暴力に、凛は両手で頬を押さえ、これ以上ないほど幸せそうな笑顔を浮かべた。
「おいひい……! 〆切明けの体に、チーズの濃厚さが染み渡るぅ……っ」
「熱いウインナーにチーズ絡めるのも、背徳感があって美味いぞ」
「やる! 絶対美味しいやつだ、それ……!」
深夜のチーズという罪悪感を、明日からお休みだという解放感が軽く凌駕していく。
「そういえば、明日の予定だけど」
俺もウインナーを頬張りながら、ノートとペンを手元に引き寄せた。
「まずは、駅前のショッピングモールに行こ! クリスマスのキラキラした空気、二人で味わいたいな」
「そうだな。で、その帰りにスーパー寄って、24日のチキンとケーキの材料を買わないと」
「あ、帰りにDVDも借りたい! 明後日、お家でゆっくり観るやつ」
「了解。……結構な大荷物になりそうだから、大きめのエコバッグ持っていかないとな」
「ふふっ。おっきいネギとか大根がはみ出ないようにしないとね」
特別感のあるショッピングモールと、日常感あふれるスーパーでの買い出し。
そんなリアルで生活感のある予定を二人で立てている時間が、たまらなく愛おしくて温かい。
「よし、明日の予定はバッチリだ。……そろそろ寝るか」
「うんっ」
空になったお皿を片付け、俺たちは洗面所に並んでシャカシャカと歯を磨いた。
口をゆすぎ終え、洗面所の電気を消す。
ドアを開け、部屋の電気を消して、自分のベッドの布団をめくる。
「……よっこらせ、と」
「えへへ。お邪魔してまーす」
「……」
俺が布団に入った瞬間、凛が当然のような顔をして潜り込んでいた。
「お前……いつの間に移動したんだよ」
「歯磨きが終わった瞬間、光の速さで朝陽くんのベッドにダイブしたの」
一切の悪びれもなく、俺のパジャマの裾をぎゅっと握りしめてくる令嬢。
夜中にこっそり忍び込んでくるプロセスすら省略するようになった常習犯に、俺は呆れたように息を吐きながらも、その柔らかい体をそっと抱き寄せた。
「……たく。まあ、今日くらいは思いっきり甘やかしてやるか。お疲れ様、凛」
「ん……朝陽くん大好き」
腕の中にすっぽりと収まった凛の頭を撫でてやると、彼女は安心しきったように目を閉じ、すぐに規則正しい寝息を立て始めた。
明日からの、二人きりの甘い冬休み。
その始まりを告げるように、俺たちは温かいベッドの中で幸せな眠りについたのだった。