作品タイトル不明
第317話:君の街で見つけた音色と、冬月の表札
電車がゆっくりと減速し、目的地の駅のホームに滑り込んだ。
プシュー、とドアが開く音がする。
「おっと……」
お爺さんがよいしょと立ち上がり、足元の大きなクーラーボックスを持ち上げようとした時だ。
一瞬、お爺さんの顔がわずかに歪み、無意識のうちに空いている方の手でトントンと腰のあたりを叩く仕草が見えた。
(……腰、痛めてるのかな)
クーラーボックスには、氷と大きな魚が詰まっているはずだ。長旅の疲れもあるだろうし、あの重さを無理して運ばせるわけにはいかない。
俺の生来のお節介焼き、いや、オカン気質が黙っていられなかった。
「あ、貸してください。俺が持ちますよ」
「えっ? いやいや兄ちゃん、電車で席を譲ってもらっただけでもありがたいのに、そんなわけには……」
「いいんですよ。ほら、足元気をつけて」
俺は半ば強引にクーラーボックスの取っ手を引き受け、一緒にホームへと降り立った。
ずしりとした重みが腕に伝わってくるが、日頃から重い買い出し袋を両手に提げている俺にとっては、持てない重さではない。
改札を抜け、駅前のロータリーに出る。
「兄ちゃん、本当にすまないねぇ。俺はここからバスに乗るんだが……」
「あれ、俺もあそこのバス停からです。ちょうど同じ方向みたいですね」
「おお、そうかい! そりゃ奇遇だな」
偶然にも乗るバスの路線が同じだったため、俺はそのままクーラーボックスを持ってバスに乗り込んだ。
バスに揺られている間も、お爺さんは「いやぁ、助かるよ」と何度も感謝の言葉を口にしてくれた。
やがて、目的の停留所に到着し、二人でバスを降りる。
俺が向かう予定のオルゴール工房は、ここから歩いて行ける距離だ。
「それじゃあ兄ちゃん、俺はこっちだから……」
「家まで持ちますよ。ここから歩きですか?」
「ええっ!? いやいや、さすがにそこまで甘えるわけには……!」
「遠慮しないでください。乗りかかった船ですし、腰、少し痛いんでしょう? せっかくの美味しい魚、ご家族に元気な顔で食べさせてあげなきゃダメですよ」
俺が笑いながらそう言うと、お爺さんは目を丸くした後、降参したように「はははっ」と豪快に笑った。
「まいったな。兄ちゃんには敵わんわ。……それじゃあ、家の前まで頼めるかい?」
「はい、お任せください」
お爺さんの案内で静かな住宅街を十分ほど歩くと、やがて立派な黒い板塀と、大きな門構えを持つ日本家屋が見えてきた。
庭の木々も手入れが行き届いており、どこか風格を感じさせる佇まいだ。
「うわぁ……すごく立派な家ですね」
「ははっ、まあな。これでも細々と家業をやってるもんで、家だけは無駄にでかいんだよ。……よし、ここでいいぞ。本当に助かった、ありがとうな」
お爺さんはクーラーボックスを受け取ると、深く頭を下げてくれた。
「いえ、俺も楽しい道中でした。ご家族との食事、楽しんでくださいね」
「ああ。……そういえば兄ちゃん、名前はなんて言うんだ? 俺は 源蔵(げんぞう) ってもんだ」
「瀬戸、朝陽と申します」
俺が名乗ると、源蔵さんは「朝陽か、いい名前だな」と嬉しそうに目を細めた。
「朝陽くん。今日は本当にありがとな。……また何か縁があったら、どこかで会えるかもしれんな!」
「はい。源蔵さんも、腰お大事に」
大きく手を振る源蔵さんに見送られながら、俺はその立派な日本家屋を後にした。
ふと、歩き出しながら振り返り、門柱に掲げられた木彫りの表札が目に入った。
『冬月』
そこには、凛と同じ苗字が達筆な字で刻まれていた。
(冬月、か。……凛と同じだな。この辺りは、冬月って苗字が多いのかな)
まあ、地方に行けば特定の苗字が密集しているなんてことはよくある話だ。
俺は特に深く考えることもなく、「凛は今頃、実家でお昼ご飯でも食べてるかな」と彼女の顔を思い浮かべながら、再び歩き出した。
そこから、見知らぬ街の景色を楽しみながら一時間ほど歩いた。
潮の香りが混じった冬の冷たい風が、火照った身体に心地よい。
彼女が生まれ育った街の空気を肌で感じながら歩いていると、あっという間に目的の場所に到着した。
静かな通り沿いに建つ、木組みの温かみがある小さなお店。
ドアを開けると、カラン、と澄んだベルの音が鳴った。
店内には木のいい香りが漂い、いくつものオルゴールの優しい音色が微かに重なり合って耳に飛び込んでくる。
「いらっしゃいませ」
カウンターの奥から、穏やかな笑顔を浮かべたエプロン姿の店員さんが歩み寄ってきた。
「こんにちは。あの、プレゼントを探していまして」
「プレゼントですね。大切な方への贈り物でしょうか?」
「はい。えっと……11月の誕生石がついているオルゴールって、ありますか?」
俺が尋ねると、店員さんは「かしこまりました」と優しく頷き、ガラスケースの並ぶコーナーへと案内してくれた。
「11月の誕生石ですと、トパーズかシトリンになりますね。当店では、こちらのブルートパーズをあしらった木製のオルゴールが非常に人気でございます」
そう言って店員さんが見せてくれたのは、深いウォールナットの木材で作られた、手のひらサイズの美しいオルゴールだった。
蓋の中央には、透き通るような青い宝石――ブルートパーズが、冬の星空のように静かに輝いている。
(……これ、凛のイメージにぴったりだな)
『氷の令嬢』と呼ばれる彼女の涼やかな美しさと、俺の前でだけ見せてくれる温かさが、この木箱と青い宝石に詰まっているような気がした。
「すごく綺麗ですね……。あの、音色を聴いてみてもいいですか?」
「もちろんでございます」
店員さんは白手袋をはめた手で慎重にオルゴールを取り出し、底のゼンマイをゆっくりと巻いた。
カチ、カチ、という微かな金属音の後、蓋が開かれる。
ポロン、と。
まるで水滴が落ちたような、澄み切った、それでいてどこか温かみのある音が店内に響き渡った。
演奏されているのは、ゆったりとした優しいクラシックのメロディ。
一つ一つの音が空気に溶け込んでいくような、深い安らぎを感じる音色だった。
俺は目を閉じ、その音に耳を傾ける。
(凛はいつもイラストの仕事をして、疲れた顔をしてるからな……。これなら、寝る前に少しでもリラックスできるかもしれない)
俺のパーカーを着て、ベッドの上でこのオルゴールの音色を聴きながら、眠りに落ちていく凛の姿。
それを想像しただけで、俺の胸の奥まで温かいもので満たされていくようだった。
「……素晴らしい音色ですね。この街の静かで綺麗な空気が、そのまま音になったみたいです」
「ありがとうございます。職人が一つ一つ、聴く人の心を癒やせるようにと願いを込めて調整しておりますから」
店員さんの嬉しそうな笑顔を見て、俺は迷うことなく決断した。
「これにします。包んでいただけますか?」
「かしこまりました。心を込めてラッピングさせていただきますね」
数分後。
クリスマスらしい深い赤色のリボンが結ばれた小さな紙袋を受け取り、俺はお店を後にした。
「ありがとうございました。大切にします」
冷たい風の中を駅へと向かって歩く。
俺の右手には、彼女が生まれ育った街で見つけた、特別な音色。
(喜んでくれるといいな……)
クリスマスまで、あと少し。
俺は早く日曜日になってほしいと願いながら、プレゼントの入った紙袋を大切に抱え、帰路につくのだった。