軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第274話:トロトロ卵の秘訣と、無言のカメラマン

「……よし、録画ボタン押すぞ」

「(こくこくっ!)」

俺の問いかけに、凛は声を出さずに全力で首を縦に振った。

彼女の両手には、手持ちカメラ代わりのスマホがしっかりと構えられている。

翔さんからのアドバイスは『二人の声が入っても、あとで編集で消せるから気にしなくていい』というものだった。

しかし、それを聞いた凛は「なら、最初から私がいっさい声を出さなければ、朝陽くんの編集の手間が省ける!」という斜め上の結論に至り、現在『絶対に声を出さないカメラマン』として俺の斜め後ろにスタンバイしているのだった。

三脚に固定したスマホの録画開始ボタンをタップし、俺はエプロン姿でカメラ(の少し下にある、手書きのカンペ)に向かって口を開いた。

「はい、こんにちは。A&Rキッチンです。記念すべき第一回目の今回は、絶対に失敗しない、お店みたいな『トロトロ親子丼』を作っていきたいと思います」

初めての撮影で、どうしても声が少し硬くなってしまう。

(大丈夫か、これ……?)と内心焦りながらチラリと視線を横に向けると、カメラマンの凛が、無言のまま親指をグッと立てて『いいね!』というジェスチャーを送ってくれていた。

(……ふっ。なんだよそれ)

その健気で可愛らしい姿に、ガチガチだった肩の力がフッと抜けるのを感じた。

俺は自然な笑顔を取り戻し、まな板の上の食材へと手を出した。

「まずは鶏モモ肉と玉ねぎを切っていきます。次に、割り下を作っておきましょう。ボウルに、出汁、醤油、みりん、砂糖を合わせておきます。……あ、詳しい分量はこの辺にテロップで出しておきますね」

俺は動画の編集を想定して、何もない空間を指差してみせた。

カメラマンの凛が、画面が揺れないように気をつけながら、コクコクと頷いてくれる。

「下準備が終わったら、いよいよ火にかけていきます。……ここからが、一つ目のポイントです」

フライパンを火にかけ、薄く油を引く。

「親子丼って、出汁の中に鶏肉を入れて煮込むイメージがあると思うんですが……実は、皮目を先にフライパンでサッと焼いておくと、香ばしさが出て格段に美味しくなります。」

俺が台本通りの合図を出すと、凛がスッと手持ちカメラをフライパンの近くへ寄せた。

熱したフライパンに鶏肉の皮目が触れた瞬間。

『ジューーーッ!』という食欲をそそる派手な音とともに、パチパチと脂が爆ぜ、鶏肉の焼ける香ばしい匂いがキッチンに一気に立ち上った。

「(……こくり)」

ふと、俺の耳にだけ、ごくりと喉を鳴らす小さな音が届いた。

横目で凛を見ると、スマホの画面越しに鶏肉をガン見しながら、必死に食欲と戦っているのがわかる。

俺は笑いそうになるのを必死に堪えながら、解説を続けた。

「鶏肉に香ばしい焼き色がついたら、切っておいた玉ねぎを加えます」

鶏肉の旨みと脂を吸わせるように、玉ねぎをサッと炒め合わせる。

「玉ねぎが少ししんなりしてきたら、さっき合わせておいた割り下を入れます」

フライパンに調味料が入ると、今度は醤油と砂糖が熱せられた、あの甘辛くてたまらない匂いが湯気となって立ち上る。

凛が少しだけ身を乗り出すようにして、鍋のグツグツ煮立つ様子を一番美味しそうな角度で撮影してくれているのがわかった。

さすがはプロのイラストレーター、見せ方をわかっている。

「全体が煮立ってきたら、いよいよ卵の出番です。卵は絶対に混ぜすぎないこと。白身を箸で切るように、数回軽く混ぜるだけで十分です。そして、最大のポイントがここです」

俺は溶き卵の入ったボウルを持ち上げた。

「卵は、二回に分けて入れます。」

カメラマンの凛が、またコクッと頷く。

「最初に入れるのは、全体の三分の二くらい。これで、まず具材をまとめます」

グツグツと煮立つ甘辛い出汁の中に、黄金色の卵を回し入れる。

ふわぁっと卵が膨らみ、鶏肉と玉ねぎを優しく包み込んでいく。

「最初の卵が半熟になったら、残りの卵を全部入れます。そして――すぐに火を止めて、蓋をします。」

カチャリ、とコンロの火を消し、フライパンに蓋をする。

「あとは余熱だけで火を通します。こうすることで、卵に火が入りすぎず、お店みたいなトロトロの親子丼になります。じゃあ、30秒ほど待ちますね」

沈黙の30秒間。

凛は相変わらず無言だが、その目は蓋の隙間から漏れる出汁の匂いに釘付けになっている。

もう完全に「早く食べたい」という顔だ。

「……はい、いい頃合いだと思います。開けますよ」

パカッ、と蓋を開けた瞬間。

ふわぁっと広がる白い湯気の中から、出汁をたっぷり吸い込んだ鶏肉と、キラキラと輝くような半熟トロトロの卵が姿を現した。

「(……っ!)」

凛の口が声にならない歓声を上げている。

俺はどんぶりに熱々のご飯を盛り、その上にフライパンからスライドさせるように、親子丼の具を乗せた。

最後に、彩りと香りのアクセントとして、刻んだ三つ葉を中央に添える。

「完成です。以上、A&Rキッチンでした」

俺がそう締めくくり、三脚のスマホの録画停止ボタンをタップした。

そして、小さく息を吐いてから宣言する。

「……はい、カット! 撮影終了!」

その言葉を聞いた瞬間。

無言の行から解放された凛が、堰を切ったように大きな声を上げた。

「あぁぁ〜っ! すっごくいい匂い! 鶏肉焼いてる時の音とか、最後の蓋を開けた瞬間の湯気とか、もう反則だよぉ……っ!」

スマホをテーブルに置き、目をキラキラさせて完成した親子丼を見つめる凛。

さっきまでプロのカメラマンみたいな真剣な顔をしていたのに、今はもう完全に、お腹を空かせた年相応の女の子の顔に戻っていた。

「ははっ、ずっと無言で頷いてるの、見てて面白かったぞ。カメラマン、お疲れ様。すごく助かった」

「えへへ、頑張ったよ! もうお腹ペコペコ……早く、早く食べよっ!」

俺の腕を引いて急かす彼女の「ふにゃっ」とした笑顔を見て、俺は改めて、このチャンネルを始めて良かったなと心から思うのだった。