軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第223話:アポなし訪問と、冷や汗の交際報告

「……よし、今だ」

真っ暗な二〇二号室。凛のベッドの上で、俺は自分の体に回された細い腕と足を、本当にミリ単位で慎重に解いていた。

時刻は深夜二時を過ぎたところだ。

凛が寝入ってから、かれこれ二時間が経過している。

「寝かしつけたら帰る」という約束だったのだが、現実はそう甘くなかった。

寝ぼけた凛は、少しでも俺が離れようとすると「んん……」と不満げに唸り、さらに強い力で抱きついてくるのだ。

本気を出して引き剥がせば抜け出せたはずだ。

でも、暗闇の中で自分にすり寄ってくる彼女の温もりが心地よくて、「あと五分だけ……」と自分に言い訳をしているうちに、気づけばこんな時間になっていた。

「……ふぅ。抜け出すだけで一苦労だな」

ようやくベッドから降りて、布団をかけ直してやる。

昨日のハプニングで真っ赤になっていたのが嘘のように、今の凛は安らかな寝息を立てている。

こんな顔を見せられたら、二時間拘束されたことなんてどうでもよくなってしまう。

俺は足音を忍ばせて彼女の部屋を後にし、隣の自分の部屋へ戻った。

台所へ向かい、炊飯器に二合の米をセットしてタイマーを合わせる。

その後自分のベッドに潜り込むと、服に残っていた凛のシャンプーの香りがふわりと鼻をかすめ、俺はそのまま深い眠りに落ちた。

翌朝、午前七時。

窓から差し込む朝日で、俺は自然と目を覚ました。

寝不足のはずなのに、不思議と体は軽い。

凛と付き合い始めてから、なんだか毎日が充実していて目覚めも良くなった気がする。

大きく伸びをしてベッドを出て、パジャマから長袖のTシャツとスウェットに着替えた。

洗面所で歯を磨きながら鏡を見る。

昨日、クラスの男子たちを睨みつけた時、俺はどんな顔をしていたのだろう。

台所へ戻り、ご飯が炊き上がるのを待ちながら味噌汁の出汁の準備をしようとした、その時だった。

『ピンポーン』

静かな部屋に、インターホンの音が鳴り響いた。

「……こんな朝早くに誰だ?」

時計を見る。まだ七時十分。

土曜日の朝に訪ねてくる人間なんて心当たりがない。

凛なら合鍵で入ってくるだろうし、そもそもまだ夢の中のはずだ。

不審に思いながらモニターを確認して――俺の思考は完全に停止した。

画面に映っていたのは、上品なコートを着こなした一人の老婦人。

凛のおばあ様だった。

「ちょ、ちょっと待ってください! 今行きます!」

慌てて通話ボタンを押して返事をし、俺はサンダルを引っ掛けて一階のエントランスへと駆け下りた。

エントランスの自動ドアが開くと、そこにはモニター越しに見た通りの、気品溢れるおばあ様が立っていた。

「朝早くにごめんなさいね、瀬戸さん」

「い、いえ! とんでもないです。どうされたんですか?」

「今日はね、この近くで友人と会う約束があって。少し早めに出て、凛と瀬戸さんの顔を見ようと思って寄ったの。アポなしでごめんなさいね」

おばあ様は申し訳なさそうに微笑む。

「そうだったんですね。……ただ、凛は多分まだ寝ていると思うので、よろしければ一旦僕の部屋へお越しいただけますか?」

「あら、お邪魔してもよろしいかしら?」

「もちろんです。どうぞ」

俺はおばあ様を二〇一号室へ案内した。

昨日、凛と晩御飯を食べた後の片付けをきっちり済ませておいて本当に良かった。

「お邪魔しますね。……相変わらず、綺麗にされているわね」

「ありがとうございます。お茶を淹れますので、ソファにかけてお待ちください」

急須でお茶を淹れながら、俺は内心少しだけ緊張していた。

おばあ様はソファに腰を下ろし、俺が出したお茶を一口飲んでから、ふっと表情を和らげて口を開いた。

「実はね、昨日、学校から連絡があったのよ。凛の担任の先生から」

「あ……」

やはり、昨日のことは保護者の耳にも入っていたか。

「凛が男子生徒に腕を掴まれたこと、それを瀬戸さんが守ってくれたこと。……それから、お二人がとても仲が良いようだと聞いたわ」

「……はい」

「担任の先生は瀬戸さんの過去のことも知っているからか、少し心配されていたようね。だから、『瀬戸さんのことはよく知っていますし、家族ぐるみで仲良くさせていただいています』って答えておいたわ。」

おばあ様の言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。

俺の過去を知った上で、こうして真っ直ぐに信頼を寄せてくれることがたまらなく嬉しかった。

「守ってくれて、本当にありがとう。凛の怪我は大丈夫かしら?」

「はい、赤くなった程度で、昨日の夜にはもう引いていました。仕事にも支障はないと言っていたので、問題ないと思います」

「そう、なら良かったわ。瀬戸さんも周りから色々言われて大変だったでしょう? でも、ああいうのはどうせ僻みなんだから、気にしない方がいいわよ」

優しいフォローに、俺は深く頷いた。

さて、ここからが本題だ。

昨日、凛がおばあ様にどこまで話しているのか分からない。

だったら、俺の口からちゃんと伝えておくべきだろう。

「あの……おばあ様」

「なぁに?」

「凛から聞いているかもしれませんが……俺たち、先週から正式にお付き合いをさせていただいています」

姿勢を正し、真っ直ぐに目を見て報告した。

すると、おばあ様はクスッと上品に笑った。

「ええ、凛から話は聞いてますよ。あの子ったら、それはもう嬉しそうに電話してきて。……不束な孫ですが、よろしくお願いしますね」

「……! ありがとうございます。俺の方こそ、直接の報告が遅くなってしまい申し訳ありませんでした」

「いいのよ。こうして直接聞けたのだから。……ふふ、次の連絡は結婚か、ひ孫の顔が見られる時かしらね?」

「ブフッ……!」

思わず吹き出しそうになるのを必死に堪える。

「そ、それは……善処します」と引きつった笑いで返すしかなかった。

どこまで本気でからかっているのか読めないのが怖い。

「……それで、瀬戸さん。お付き合いを始めてから、凛とはどうかしら?」

「はい。楽しく過ごさせていただいています」

「それは良かったわ。……まさかとは思うけれど、ちゃんと『節度』を持ったお付き合いをしているのかしら?」

ニコリと笑って投げかけられたその言葉に、俺の背筋が凍りついた。

(……節度)

昨日の夜の記憶がフラッシュバックする。

マッサージの時に見た谷間。

ドアを開けた瞬間に見た、水色の下着。

そして、その後二時間にわたる密着添い寝。

(バレたら……絶対にまずい……!)

俺はじわりと滲む冷や汗をごまかしながら、必死に取り繕った。

「……は、はい。あ、あの、距離感は、保っている……つもり……で、ありますっ」

「あら、声が震えているわよ?」

「い、いえ! 少し緊張しているだけですので!」

俺の必死の言い訳に、おばあ様は「ふふ、そうね。瀬戸さんなら安心だわ」と優しく微笑んでくれた。