作品タイトル不明
第183話:向かい合わせと、秋の君。
休日のショッピングモールのフードコートは、家族連れや学生たちでごった返していた。
なんとか二人用の小さなテーブルを確保した俺たちは、それぞれ好きなものを買って席に着いた。俺はハンバーガーのセット、凛はオムライスだ。
「いただきまーす!」
凛はスプーンでオムライスをすくい、美味しそうに頬張る。
向かい合ってご飯を食べるなんて、家では毎日やっていることだ。
なのに、外の賑やかな場所で向かい合っているというだけで、なんだかひどく落ち着かない。
俺がポテトをつまんでいると、凛がじっとこちらを見つめてきた。
「朝陽くん」
「ん?」
「そのポテト、一つちょうだい?」
そう言うなり、凛は身を乗り出して「あーん」と口を開けた。
俺は一瞬固まった。家の中ならまだしも、ここは人が大勢いるフードコートだ。
「お、おい……自分で取れよ」
「えー、手が汚れちゃうもん。ほら、あーん」
俺の葛藤などお構いなしに、凛は目をキラキラさせて口を開けたまま待っている。
(……これも『ガンガンいく』の一環かよ……)
周囲の目を気にしつつも、俺は観念してポテトを一つ指でつまみ、彼女の小さな口へと運んでやった。
「ぱくっ。……んー、美味しい! ありがと、朝陽くん」
嬉しそうに笑う凛の顔を見て、俺は顔から火が出そうだった。
さらに彼女は、俺のトレイに乗っていたメロンソーダのストローに自然な動作で口をつける。
「あ、これも美味しい。飲む?」
「……いや、いい」
今日の俺はどうかしている。
彼女の一挙手一投足に振り回され、付き合ってもいないのに、完全にカップルのような空気を醸し出している気がしてならなかった。
昼食を終えた後、「せっかく来たんだから」と、俺たちはモール内のアパレルショップを見て回ることになった。
「そういえば朝陽くん、そろそろ秋物の服欲しいって言ってなかった?」
「まあ、そうだな。もう少し種類が欲しいな」
「じゃあ、私が選んであげる! 朝陽くん専属のスタイリストにお任せあれ!」
凛は張り切った様子でメンズ服のコーナーへ向かい、真剣な顔でラックの服を吟味し始めた。
俺はその後ろ姿を眺めながら、手持ち無沙汰に待っていた。
前回はサポーターとして、凜に選んでもらったが、今回は違う。
好きな人に服を選んでもらうのが、こんなに嬉しいとは思わなかった。
「朝陽くん、これ着てみて!」
数分後、凛が持ってきたのは、少し深みのあるマスタード色のニットと、落ち着いたブラウンの細身のパンツだった。
「お、おう。分かった」
言われるがままに試着室に入り、着替えてみる。
鏡を見ると、普段の黒やグレーばかりの暗い格好とは違う、少し大人っぽくて柔らかい印象の自分がそこにはいた。
カーテンを開けて外に出ると、待っていた凛がパッと目を輝かせた。
「わぁ……! すっごく似合ってる! かっこいいよ、朝陽くん!」
「そ、そうか? なんか見慣れないから落ち着かないんだけど……」
「全然変じゃないよ。秋っぽくて、すごくいい! 絶対それがいい!」
手放しで大絶賛してくれる凛の笑顔を見て、俺の胸の奥で、小さくしぼんでいた自信の欠片がふわりと膨らむのを感じた。
大好きな女の子に「かっこいい」と言ってもらえることが、こんなにも嬉しいものだとは知らなかった。
「……じゃあ、これ買うよ」
「うんっ!」
俺はその服をレジへ持っていき、少しだけ背筋を伸ばして会計を済ませた。
買い物をすっかり終え、ショッピングモールを出る頃には、空はすでに茜色に染まっていた。
佐藤さんへのプレゼントの紙袋と、俺の新しい服の入った紙袋。
二つの荷物を手に提げ、俺たちはアパートへの帰路につく。
「今日、楽しかったね」
「ああ。佐藤さんのプレゼントも買えたしな」
「うん。……それに、朝陽くんとこうして出かけられて、嬉しかった」
夕日に照らされた凛の横顔は、言葉を失うほど綺麗だった。
今まで、周りの目を気にして日陰を歩くように生きてきた俺。
でも今日は、彼女の隣を歩くのが純粋に楽しかった。
アパートに帰り着き、いつものように俺が晩ご飯を作る。
出来上がった生姜焼きをテーブルに並べ、二人で「いただきます」と手を合わせる。
外でのデートも新鮮で楽しかったが、やっぱりこうして二人で食卓を囲むこの時間が、俺にとっては一番ホッとできる居場所だった。
夜。お風呂を済ませ、いつものマッサージとストレッチのルーティンを終える。
凛の部屋のベッドの脇で、俺は彼女の柔らかい髪をポンポンと撫でた。
「今日は一日、ありがとな」
「ううん。私の方こそ、一緒に選んでくれてありがとう。……おやすみなさい、朝陽くん」
「おやすみ、凛」
自室に戻り、ベッドに潜り込む。
暗闇の中で、今日買ったマスタード色のニットのことを思い出す。彼女が俺のために選んでくれて、「かっこいい」と褒めてくれた服。
(十一月一日。……凛の誕生日まで、あと一ヶ月ちょっと)
頭の中で、明確なカウントダウンが始まっていた。
あいつの隣に堂々と立てる、ふさわしい男になる。そして、あの日に俺からちゃんと告白するんだ。
今日少しだけ手に入れた自信の種をしっかりと胸に抱きながら、俺は初めてのデートの幸せな余韻とともに、静かな眠りについた。