軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第176話:本気と、私のヒーロー

『――間もなく、本日の最終プログラム。色別対抗リレーがスタートします』

グラウンドに響き渡る放送と共に、全校生徒のボルテージが最高潮に達した。

今年の体育祭は、赤組と白組の点数が拮抗しており、この最終種目で勝敗が決まるという劇的な展開を迎えていた。

私は、応援席の最前列にあるフェンスを両手で強く握りしめ、トラックを見つめていた。

赤と白、それぞれの代表選手たちがバトンゾーンに散らばっていく。

私の視線の先には、アンカーの直前を任された赤組の走者――朝陽くんの姿があった。

パンッ! という乾いたピストルの音と共に、第一走者が一斉に飛び出した。

「いけええええっ!」

「白組逃げ切れー!」

割れんばかりの歓声がグラウンドを揺らす。

レースは序盤から、陸上部のエースを要する白組が優勢だった。スムーズなバトンパスと圧倒的なスピードで、ぐんぐんと後続を引き離していく。

対する赤組は、中盤のバトンパスでわずかなもたつきが生じてしまい、朝陽くんにバトンが回る手前で、白組とは絶望的とも言えるほどの距離が開いてしまっていた。

「あー……今年の赤組はもう厳しいかもな」

「あの差じゃ、いくらなんでもひっくり返せないだろ。白の勝ちだな」

応援席のあちこちから、諦め混じりの声が聞こえてくる。隣にいる陽菜も「凛、これはちょっとキツいかもね……」と心配そうに眉を下げた。

それでも、私はフェンスから手を離さなかった。

バトンゾーンで静かに前を見据える彼の姿から、目を逸らすことができなかった。

(朝陽くんは、諦めてなんかない)

木陰で「次は俺の番だ。ちゃんと見とけよ」と言った彼の真っ直ぐな瞳を思い出す。

彼なら絶対にやってくれる。根拠のない、でも絶対的な確信が私の中にあった。

トラックの向こう側から、赤組の走者が必死の形相でバトンゾーンへ駆け込んでくる。

前を走る白組のランナーは、すでにバトンを渡し終え、次の走者がコーナーへと差し掛かろうとしていた。

その差は、ざっと見積もっても数メートル。短距離走において、この差は致命的だ。

朝陽くんは、後ろを振り返りながらゆっくりと助走を始めた。

「頼む、瀬戸っ!」

「おうっ!」

赤のバトンが、朝陽くんの手の中にしっかりと収まる。

その瞬間だった。

(……空気が、変わった)

バトンを受け取った朝陽くんの纏う空気が、一変したのが遠目からでもはっきりと分かった。

普段の学校生活で見せる、少し猫背で気怠げな姿勢。裏方のサポーターとして、決して自分から前に出ようとしなかった彼の姿は、そこには微塵もなかった。

アスリートのように深く沈み込んだ前傾姿勢から、地面を爆発的な力で蹴り上げる。

腕を力強く振り、無駄のない美しいフォームで、彼が一直線に加速した。

「えっ……?」

隣の陽菜が、信じられないものを見たというように息を呑む音が聞こえた。

陽菜だけではない。グラウンドの空気が、彼の走りに惹きつけられるように、一瞬だけシンと静まり返ったような錯覚に陥った。

朝陽くんの走りは、素人の私が見ても圧倒的に美しかった。

しなやかでストライドが広く、地面を叩くたびに風を切り裂いていく。その姿は、まるで解き放たれた獣のようだった。

みるみるうちに、絶望的だった白組のランナーとの距離が縮まっていく。

「おい……! あの赤組の奴、誰だ!?」

「瀬戸!? あいつ、あんなに足速かったのかよ!!」

「うそだろ、あの差を縮めてるぞ!!」

静まり返っていたグラウンドが、一転して地鳴りのような驚愕のどよめきと大歓声に包まれた。

「いけえええ瀬戸!!」「刺せ刺せ!!」

劣勢だった赤組の応援席が、息を吹き返したように爆発的に盛り上がる。

(かっこいい……!)

周囲のどよめきを聞きながら、私の心臓は早鐘のように打ち鳴らされていた。

胸の奥がギュッと締め付けられて、息をするのも忘れるくらい、彼の姿に釘付けになっていた。

あの、誰もが驚くほど速くて、強くて、かっこいい人。

私のために早起きしてお弁当を作ってくれて、私が怪我をしたら真っ先に駆けつけてくれる、優しくて不器用な人。

(私の好きな人は、本当はこんなにかっこいいんだ)

普段、彼がわざと隠している本当の凄さを知っているのは私だけだという優越感。

そして、有言実行で私に「かっこいいところ」を見せてくれているという事実が、抗えないほどのときめきとなって、私の全身を駆け巡っていた。

最終コーナーを抜け、ホームストレートに入る。

朝陽くんの猛烈な追い上げにより、数メートルあった差はほとんどなくなっていた。

「いけぇぇぇぇっ!!」

全校生徒の絶叫がこだまする中、朝陽くんはついに白組のランナーの背中に追いついた。

そのまま横に並びかける。抜き去るには距離が足りないかもしれない。けれど、絶望的だった差を完全にゼロにし、白組と完全に肩を並べたのだ。

「頼んだぞっ!!」

白組とほぼ同時。完全に並んだ状態で、朝陽くんは赤組のアンカーへと、完璧なタイミングでバトンを託した。

「うおおおおおおおおっ!!」

凄まじい追い上げを見せた朝陽くんに、グラウンド全体から拍手と歓声が沸き起こる。

バトンを渡し終え、勢いを殺しながら数歩走った後、朝陽くんは膝に両手をついて、大きく肩を上下させて荒い息を吐いた。

やり切った。その背中がそう語っていた。

そして、朝陽くんはゆっくりと顔を上げると、応援席の最前列にいる私の方を、真っ直ぐに見つめてきた。

距離はあるけれど、彼が少しだけ口角を上げて笑ったのが分かった。

『どうだ、約束通りだろ』

彼の瞳が、私にそう語りかけているような気がした。

「……うん。すっごくかっこよかったよ」

歓声にかき消されて彼には届かないと分かっていても、私は自然とそう呟いていた。

(今日、絶対に……この想いを伝える)

アンカーがデッドヒートを繰り広げるトラックを見つめながら、私はフェンスを握る手にぐっと力を込めた。

彼が見せてくれた、最高にかっこいい姿。

私の中にあったわずかな迷いや不安は、彼の走りが全て吹き飛ばしてくれた。

赤組のアンカーがトップでゴールテープを切り、勝利の歓喜が爆発するグラウンド。

その中心で汗を拭う私のヒーローの姿を胸に焼き付けながら、私は放課後の告白に向けて、これ以上ないほど強固な決意を固めていた。