軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

29.変化の兆し、それぞれの小さな一歩

不安を抱えながら迎えた週末。

今週も、グレンとミアが公爵邸を訪れてくれた。

温室にはすでに、私とグレンの鉢が運び込まれている。

ミアは自分の鉢を両手で抱え、慎重に歩を進めてきた。

置かれた二つの鉢を並べてのぞき込むと、どちらも順調に育っているように見える。

私とグレンのシュプラウトは、淡い緑光をまとって呼吸のように脈動し、人の姿を思わせる輪郭を整えつつあった。

ミアの鉢も少し茎が細いものの、葉は瑞々しく張り、形はきちんと人型に近づいている。

──だが、学園のすべてがこうではない。

授業で目にした他の鉢の中には、成長が進んでも人型を取れず、ねじれた枝葉ばかりが広がるものもあった。

思い出すのは、レオニールの鉢。

人型の形を成してはいたが、膨れすぎた胴体に、ひしゃげたような手足。

あの歪な姿は、健全な成長とは言い難い。

胸の奥に、じわりと不安が広がる。

けれど今ここで思い詰めても仕方がない。

私は気を取り直し、ミアへと視線を向けた。

「ミア、最近はどう? ……殿下がまた、おかしな態度を取ったりしていない?」

問いかけに、ミアはサンドイッチを抱えた時のような仕草で胸に鉢を守るようにしながら、小さく首を傾げた。

「いえ……むしろ、最近は殿下の元気がないような気がして……」

「元気が、ない?」

その言葉に、私は思わず身を乗り出した。

詳しく聞こうとした矢先──

「──姉さま!」

慌ただしい足音とともに、温室の扉が勢いよく開かれた。

息を切らし、駆け込んできたエミリオは、私の前で立ち止まると顔を上げる。

いつもの軽薄な笑みはどこにもなく、必死に訴えかけてくる瞳だけがそこにあった。

「小鳥が……怪我をしてしまったんだ。僕が餌をやっていた子で……大切な、友達なんだ……」

──大切な、友達。

軽口ばかり叩いて、何も考えていないように見せていた義弟の口から、そんな真剣な言葉が出てくるなんて。

私は思わず目を見開いた。

エミリオは両手を震わせながら続ける。

「傷だらけで、羽をばたつかせて……やっと僕の部屋まで来て……そのまま、ぐったり倒れたんだ。動かすのも怖くて……だから、まだ僕の部屋に……」

声は途切れ途切れで、今にも泣き出しそうだった。

彼に、こんな顔があったなんて。

「……エミリオ」

名前を呼ぶだけで精一杯だった私の横で、おずおずとした声が上がった。

「あの……」

ミアが両手を胸の前で握りしめ、一歩踏み出す。

けれど、その瞳には迷いよりも決意が宿っていた。

「私なら……治療できると思います」

エミリオの瞳が大きく揺れる。

「本当に……? お願いできる!?」

次の瞬間には、彼はミアの手を取っていた。

「ちょっ、待ちなさいエミリオ──」

思わず止めかけた私の胸に、ひとつの不安がよぎる。

男女が二人きりで義弟の部屋に……不用意すぎるのではないか。

軽率に見られては、ミアの評判にも関わる。

けれど、振り返った彼女の表情は、怯えとは無縁だった。

「大丈夫です、ノエリアさま!」

その声は澄み切っていて、少しも揺れていない。

以前は人目を気にして戸惑うことが多かった少女が、いまは自分の意思で踏み出している。

──成長したのだ、と感じさせる堂々とした姿。

……それにしても、やけに自信満々ね。

何を根拠に、あそこまで言い切れるのかしら。

小鳥を案じるエミリオと、その隣でしっかりと歩むミアの後ろ姿を見送りながら、私は胸の奥に温かな驚きと、かすかな疑問を覚えていた。

慌ただしく二人が去っていくと、温室には静けさが漂う。

残されたのは、私とグレン、それから静かに脈動を刻む二つの鉢だけ。

──ちょうど良いわ。

この機会に、渡しておきたいものがある。

「グレン」

私は椅子の横に置いてあった小袋を手に取った。

重みを確かめながら差し出す。

「観察記録用紙の使用料よ。今週分の印刷を購買に卸した分から、あなたの取り分を計算してあるわ」

「えっ……」

驚いたように目を見開き、彼は両手を慌てて振った。

「い、いえ! 僕は、ただ自分が見やすいようにまとめただけで……こんな、お金をいただくなんて──」

「受け取って」

私は静かに言葉を重ねる。

「今回は大金にはならないわ。育成課程は一学期だけだから、売上も限られているもの。でも……来年も同じ課程が実施される予定だと聞いているの。それに、二学期には別の育成課程も検討されているそうよ。あなたの工夫は、これから先も役立つはず」

グレンは小袋を見つめ、言葉を失っていた。

やがて、戸惑いの中に小さな光が宿る。

「……僕の……工夫が……」

「そう。これは正当な報酬よ。あなたがいたから、学園全体が助かっているの」

その言葉に、彼はしばらく唇を噛みしめていた。

けれどついに観念したように、両手で小袋を受け取る。

「……ありがとうございます。僕にとっては……こんなに嬉しいことはありません」

伏せられた視線の奥で、彼の耳が赤く染まっていく。

恥じらいとも、静かな誇りともつかない色。

私は思わず、そっと笑みを浮かべた。

──これでいい。

私が望んだのは、彼が胸を張って「自分にもできることがある」と思えるようになること。

それが叶い始めているのなら、十分だわ。

彼はいつも自分を低く見積もっている。

謙虚すぎて、努力さえも「大したことではない」と口にしてしまう。

本当は、誰よりも誠実で、確かな力を持っているというのに。

だからこそ──もっと自分を認めてほしい。

他人から評価されるだけではなく、自分自身で「僕はこれでいい」と思えるようになってほしい。

その日が来るまで、私はきっと何度でも彼に伝えるのだろう。

──あなたは素晴らしいのだと。

そう思ったとき、ふと彼の瞳が揺れた。

まだためらいを抱えながらも、何かを打ち明けようとする気配が、静かに滲んでいた。