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王妃殿下は愚痴の聞き役

作者: 瀬嵐しるん

本文

その夜。

王城で開かれた夜会は、いつになく騒めいていた。

それもそのはず。

今年こそは王太子が選ばれ、そしてその婚約者が選定されるというのがもっぱらの噂だからだ。

現在、この王国の二人の王子、第一王子リューク、第二王子フスターフがともにまだ婚約者が決まっていない。

二人とも同じ王妃腹の年子で、彼等を指導した学者の見解ではどちらも将来の王となるのに不足はないとのこと。

しかも、二人は仲も悪くない。

よほどの横槍を入れる者がなければ、王位争いで貴族派閥が分断されることはないというのが大方の見方だ。

そして、王太子妃候補の本命とされる令嬢は二人いた。

「やはり緊張しますわ」

「お嬢様、いつも通りになされば大丈夫ですから」

侍女に宥められても、なかなか緊張が緩められない令嬢はヴェイケル公爵家次女エフェリーネ。

社交界にデビューしたばかりの十五歳だが、この王国の婚約者を持たない令嬢の中では最高の身分を誇る。

彼女は身分におごることなく努力を惜しまない姿勢を評価され、皆に好感を持たれていた。

彼女の教養や立ち居振る舞いは身分に相応しい、いやそれ以上だと認められるところ。

領地運営に長けた父や兄、祖父のお陰で潤沢な教育資金を得られたことは否めないが、本人の努力がなければ結果は出ないのだ。

エフェリーネ最大の資質は、その真面目さである。

しかし、真面目が過ぎて家庭教師の叱咤激励を真に受け、時々ストレスに感じることもあった。

ストレスの原因と言えば、母と祖母もそうなのだ。

彼女たちは公爵家の夫人に相応しい堂々たる淑女で、いつでも自信満々。

その淑女像は、エフェリーネからみれば目標としてあまりにも遠かった。

努力は惜しまないけれども、その成果にはまだ自信が持てない。

ふといろいろなことを思い出してしまい、少し落ち込みそうになったところで、近くの話し声が耳に入ってきた。

「ねえねえ、ご覧になった? 今夜の隠居令嬢の装い」

「ええ、見ましたわ。いつもながら古臭いこと」

「侯爵家のご令嬢ともなれば、流行の最先端を行くべきではなくて?」

「本当に、何を考えていらっしゃるのかしら」

声の方に目をやれば、令嬢の一団が姦しく囀っている。

彼女たちとうっかり目が合ったので、エフェリーネは軽く会釈をした。

「エフェリーネ様よ。なんて素敵なドレス。

可愛らしくも美しい、あの方によくお似合いだわ」

「やはり、王太子妃候補筆頭なだけあるわね」

「隠居令嬢とは大違い」

ライバルを貶され、自身を褒められてもエフェリーネは少しも気分が上がらない。

むしろ、勘違いの中傷に気が滅入ってしまう。

彼女たちが言う隠居令嬢とは、レインデルス侯爵家長女フローチェのことである。

フローチェはエフェリーネの一歳年上で、十六歳の正真正銘若い令嬢だ。

しかし、なぜか隠居令嬢という呼び名で通っていた。

王太子妃候補は身分的にも年齢的にも、エフェリーネとフローチェの一騎打ち、というのが大方の見解だ。

二人の間に表立って割り入ろうとするほど気概のある令嬢は、今のところ出現していない。

どちらとも話が進まなかった場合の対処を練ったり、王太子にならなかった方と縁を結ぶ機会を窺うのがせいぜいだった。

エフェリーネから見て、フローチェは申し分のない才色兼備の令嬢だ。

以前、一緒になった詩の会での暗唱ひとつとっても、あまりにも素晴らしかったし、自ら書いたという一編も感嘆するしかなかった。

うっかり幽玄の彼方に誘われ、一瞬、帰ってこられなくなりそうなくらいに。

そんな優秀な彼女だが、どうやら王太子妃になりたいとは思っていないように見えた。

そして、第一王子のリュークはフローチェのことを気に入っているような気がする。

お茶会で見かけるたび、彼の視線の先にはたいていフローチェがいたのだ。

第一王子はどこか茫洋とした人物で、器の大きさは感じるのだが、どうにも掴みどころがない。

どこか、あの隠居令嬢フローチェと似通った空気を感じることがある。

きっと二人はお似合いだ。

たとえその身が王宮内のソファの上にあろうとも、広い知識の海へ自由に船出していくような、そんな人たちではなかろうか。

現実逃避のような想像に浸りかけた時、侍女に声をかけられた。

「お嬢様」

気が付けば、夜会会場の入り口に差し掛かっていた。

侍女とは、一旦ここで別れなければならない。

「こちらは、いつものお薬です」

「ありがとう」

礼を言って受け取り、ドレスに巧妙に隠されたポケットにしまう。

もちろん、怪しいクスリでは無く、身体に優しい胃薬だった。

会場に入って見回すと、やや奥まった場所にあるソファコーナーにフローチェの姿が見えた。

相変わらずドレスはクラシカル。

しかし、品よく上質で完璧な逸品だ。

いつもながら馴染んでいるな、と思う。

あのソファコーナーは上位貴族の年配の婦人向けに設けれらたものだ。

フローチェは祖母の付き添いに請われて、幼いころから年配夫人たちの茶会に出ていたと聞く。

主に伯爵家以上の高位貴族夫人が集う会である。

王城には女性の文官は存在するものの、議会に出席できるのは男性の貴族家当主のみ。

だが、女性に発言権が無いわけではない。

高位貴族夫人の茶会は裏議会と称されることもあり、そこで話題に上ったものや意見の主流については、国王陛下でさえ気にかけていると言われていた。

当然、エフェリーネの母や祖母も参加することがある。

その話を聞く限り、たいへんに文化的で格調高い集まりのようだ。

異国の織物が紹介され、後にこの国で流行したなどという話はいくつもある。

幼い頃から、その茶会で磨かれたフローチェのセンス。

今夜の装いも、小物まで抜かりなく隙が無い。

もはや、ヴィンテージの目利きである。

だいたい、現在の流行なら調べれば分かるし、お金さえあれば手に入れることも容易い。

しかし、ヴィンテージファッションは一つの歴史だ。

デザインだけではなく、素材の来歴から時代背景など、様々な知識が無ければ着こなせないものだ。

想いを馳せるうちに夜会は進み、そろそろダンスが始まる時間になった。

王族の座から歩み出た第一王子リュークは皆が目を凝らす中、エフェリーネに近づいてくる。

「ヴェイケル公爵令嬢、私と踊っていただけますか?」

「喜んで」

フロアの中心には二組の男女。

フローチェの相手は第二王子のフスターフだ。

まだ婚約者が決まっていない者同士を、身分の順番に組み合わせただけのパートナーである。

一曲を無事に踊り終え、相手をとりかえて二曲目を踊った。

会場は拍手に包まれて、その後、ダンスを踊りたい男女が少しずつフロアに集まっていく。

その人波を避けるように、最初の二組はフロアから出た。

「君たちに、少し話があるんだけど、いいかな?」

第一王子に直接頼まれて、断れる令嬢はいない。

エフェリーネは二曲目のパートナーであった第二王子フスターフのエスコートで控室に案内された。

「君たちも知っての通り、この夜会を手始めに、私たちの婚約者を本格的に決めることになる」

二人の令嬢は頷いた。

「いろんな思惑があるし、要らない干渉をされることもあるかもしれない。

そういうのは正直やっかいで、出来れば避けたいんだ」

再び令嬢たちが頷くのを確認して、第一王子は続けた。

「というわけで、私たちの本心を知ってもらうべく、ここへご足労願った次第だ。

間に人を介すると、時間がかかるし話が曲がるからね」

言うが早いか、リューク第一王子は真顔になって隠居令嬢フローチェの前に跪いた。

「レインデルス侯爵令嬢、私の婚約者候補になっていただけませんか?」

フローチェは驚きもせず、少し首を傾げた後、冷静に言葉を返した。

「殿下のことは好ましく思いますけれど万一、王太子妃になってしまったら忙しくて嫌ですわ。

どうしても、と仰るなら隠居するまでの期限を決めていただけますか?

期限までの長さによっては、考えてみてもいいですわ」

実は本物の隠居令嬢だったわ、とエフェリーネは妙に感心してしまった。

しかし、第一王子はさらに上を行く。

「私も出来れば王太子は遠慮したいと思っているよ。

あんなもの、大変なだけでたいして旨味はないし。

私が決められるものではないけれど、なるべく裏工作をする。

うまいこと王太子の立場を躱せたら婚姻してくれるかな?」

「そうですわね。王太子になられないのでしたら……」

やったね、とばかりリュークは弟を振り返ってウィンクした。

「次は僕の番だね」

やっぱり、第一王子殿下はフローチェ様がお好きなのだ。

再確認したエフェリーネは、もしかするとフスターフ第二王子も続けてフローチェに跪くのではないかとふと思った。

ところが彼は迷わず自分の前に来た。

「ヴェイケル公爵令嬢、私とお付き合いしてもらえませんか?」

「あの?」

戸惑うエフェリーネに、彼はどんどん心中を吐露する。

「本心をぶっちゃける場だから言ってしまうけれど、私は今、猛烈に話し相手を欲しているんだ。

身分的にも知性的にも、君は申し分ない。

ただ、二人で度々会うことになると当然、周りは婚約云々と騒ぎ立てるだろう。

それをあまり気にしないでくれるというなら、まずは友人として時々話せないかな?」

エフェリーネは一瞬キョトンとしたが、やがて、なるほどと納得した。

公爵家の令嬢である自分も、心許せる相手は少ない。

まして王子殿下であれば、もっと気遣いが必要になるだろう。

何気ない話をしたい相手、してもいい相手として自分は望まれたのだ。

「わたしでよろしければ」

「ありがとう」

うんうん上首尾だとばかり、第一王子はにこやかに締める。

「さ、話はまとまった。

あまり籠っていると変な疑いをかけられるから、この辺で夜会に戻ろうか」

翌週のこと。

エフェリーネは早速、第二王子フスターフに呼ばれた。

王子宮の中庭で、護衛やメイドに囲まれてのお茶会である。

「……兄上やフローチェ嬢を見てると思うんだ。

私なんか、王城に籠って働くぐらいでしか役に立てないんじゃないかって」

「ちょっと、わかります」

彼等には勝てない。

「興味さえあれば、どこへでも飛んでいきそうな方々と歩調を合わせるのは、難しいかと」

「そうだね。

無理しないで慎重に、着実に進むべきだ」

「大賛成ですわ」

話し相手に望まれたこともあり、エフェリーネも気楽に話が出来る。

そうして二人の距離は縮まっていった。

「……私だって、それなりには頑張れるんだが、根回しや裏工作は兄上には敵わない。

もう、その辺は兄上に任せて、私は取り残された部分を拾って表面を整えることに徹したほうがたいてい上手く行くんだ」

話の内容は、愚痴が多い。

その心情が理解できるエフェリーネは、第二王子と会うたびに自分の気持ちが少しずつ変わっていくのを感じていた。

最初はただ彼の気持ちを和らげるために話を聞くだけでいいと思っていたのだが、だんだんと何か力になれないか考えるようになっていく。

「ごめんね、エフェリーネ、愚痴ばかりで。

けれど、君と話した後はとても気が楽になる。

側近からも、その後の執務がはかどるからお茶会の機会を増やした方がいいと言われた」

「まあ、少しでもお役に立てているなら嬉しいです」

「少しどころではないな」

「わたしも、殿下にお会いした後は気持ちが軽くなるようです」

「そうなのか?」

「わたしは……今まで周囲に見上げるしかないような、尊敬したり畏怖したりするような存在しかいなくて。

殿下の愚痴の聞き役として、頼っていただけるのがとても嬉しくて」

「エフェリーネ」

「申し訳ございません。

殿下のお辛い気持ちを利用しているようで本当に気が引けるのですけど、それが偽らざる本心なのです」

「じゃあ、これからも会ってもらえるのかな?

その……婚約者にも、なってもらえると嬉しいのだが」

「ええ、お受けしますわ」

こうして二人は正式に婚約を結んだのである。

やがて、エフェリーネは思い切ってある提案をした。

「フスターフ殿下は、そろそろ愚痴を言うのは少しだけ控えませんか?」

「……う、やっぱり嫌になったかい?

そりゃ嫌だよね? 無能な私が有能な兄と比べて、愚痴るのだから」

第一王子は、話を聞いただけではまるで斜め上のような提案で、しっかり結果を出す。

あれと比べては、ほとんどの人間が無能と言われても反論できないだろう。

「そうではありません」

「え?」

「第一王子殿下と比べれば、わたしたちは平凡ですもの。

平凡なりに前へ進みましょう」

「前へ?」

「王太子を引き受けて、第一王子殿下に恩を売ればいいと思うのです」

「は?」

「第一王子殿下が企画や裏工作が得意なら、やっていただけばいいんです。

王太子ともなれば表向きの仕事だけでも、とても忙しいでしょう。

使える手駒はいくらあってもいいんですから」

「兄上を手駒扱い?」

「ご本人が表に出たくないと仰るなら、裏で活躍していただけばいいのです」

「確かに」

「それで多分、丸く収まりますわ」

「君は……王太子妃として、私の隣にいてくれるのか?」

「わたしでよろしければ。

殿下の愚痴をたくさんうかがって、妃として自信をつけますわ」

「君にとって私の価値は、愚痴を言うことなのか?」

「それは、今後の殿下次第です」

エフェリーネは明るく笑い、第二王子は彼女の笑顔に見とれた。

「……というわけでお二人には、裏で活躍していただきたいのです」

第一王子とフローチェを誘った四人での茶会で、エフェリーネはそう切り出した。

「暗躍して欲しい!? 素敵な誘い文句だな。

それなら楽しく王族の責務を果たせそうだ」

上機嫌な第一王子だが、フローチェは慎重だ。

「活躍となれば忙しいのではありませんか?」

「活躍していただきたい分野の中には、外交も含まれますわ。

お好きな外国に行き放題ですわよ」

ここがフローチェへのアピールポイントとばかり、エフェリーネは力を込める。

「好きな外国に行き放題……」

「私自身の魅力で婚姻を決めたかったけれど、ここで外遊のおまけがつくのも悪くはないかな」

「そうですわね。外遊付きなら即決してもいいですわ」

第一王子リュークもエフェリーネを援護してくれた。

自分が介入する前にまとまってしまった話にフスターフは目を丸くしたが、振り向いたエフェリーネと目が合えば笑顔で頷く。

すぐに国王陛下に報告と説明を行い、半月後には議会の承認も得て話は本決まりとなった。

エフェリーネが十八歳になるのを待って、王太子となったフスターフとの婚姻が成った。

そして翌年には無事、第一子を宿したのである。

王太子夫妻はどんなに忙しくても、お茶を飲みながら会話する時間だけは毎日とるようにした。

「君は今、幸せ?」

夫に訊ねられた妻は迷いなく答える。

「幸せですわ。

王家に嫁ぐなら自分の幸福なんて、感じられなくても仕方ないと思っていましたのに」

忙しい毎日ではあるけれど、周囲の人々が協力してくれる。

第一王子は自由気ままに外国へ赴いているように見えて、結果的には国に役立つ情報を持ち帰ったり、時には素早く商談をまとめてきたり。

一緒に出掛けていくフローチェは文化交流を得意とし、珍しいものを持ち帰ったり、時には外国の商店を誘致したり。

磨かれたセンスで選ばれたものは、どれもこれも評判を呼んでいる。

その活躍と共に、隠居令嬢の象徴とされたドレスはレトロ趣味として認知され、もう馬鹿にする者はいない。

「不満があるとすれば最近、貴方があまり愚痴を言わなくなりました」

「君が妻になってくれたから……

いつでも相談できると思うと、もう少し頑張れそうな気がするんだ。

それに、君はもう一人だけの身体じゃないし」

隣り合って座るソファ。

夫に肩を抱かれながら、エフェリーネは自分の膨らんだお腹をそっとなでた。

「無事に生まれたら、子供の前でかっこいいだけのお父様ではだめですよ。

強いところも弱いところもちゃんと見せましょう」

「私にかっこいいところがある?」

「たくさんありますとも。

時には泣きたいような気持ちを堪えて国民の前に立つあなたを、わたしはとても尊敬しております」

やがて時が過ぎ、王太子フスターフは即位した。

彼の世は王国史の中でも特に安定して栄えた時代と評される。

これほどいろいろなものが巧くかみ合った時代は、他の国を含めた大陸中でも例が無いと、後世の歴史家たちは記した。

そしてまた国を内側から護った国王夫妻と共に、外側から見守るような仕事を成した兄夫妻も大いに評価されたのであった。