軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

80 回想

【第2部3章】

クライドには、子供の頃を思い出す度に、必ず浮かんでくる光景がある。

『このガキ。たったこれだけの情報を奪うのに、いつまで時間を掛けるつもりだ?』

『……っ』

骨が折れている痛みの中、命からがら逃げ出してきたクライドは、浅い呼吸を繰り返していた。

『お前を金で買ってやった恩も忘れて、ヘマしやがって。お前がちんたらすればするほど、俺たちまで危なくなるだろうが。分かってんのか?』

『う……!』

床に蹲ったクライドの体を、男が靴の先で転がす。

激痛の中でも悲鳴が出ないよう、必死に歯を食いしばっている中で、男たちはクライドを見下ろしながら軽口を叩いた。

『まあいい。これは難攻不落と言われた国の、王族どもが隠していた魔術書の写しだぜ? 取引先を吟味すれば、高値で売れる』

『子供ってのは得だよなあ、標的共の口も軽くなる。万が一バレてもこうやって、殺されずに半殺しで済むことも多い』

『ははっ。とはいっても、殺されるときは殺されるけどな』

石造りの殺風景な部屋に、何がおかしいのか理解できない笑い声が響く。そんな中、男のひとりが声を上げた。

『っと。おい、誰か来たぞ!』

『やべえな、ずらかれ!』

『待て待て、このガキはどうするんだよ!? 見つかったら余計なことを吐くかもしれねえぞ』

『知るか、だったらお前が連れて逃げろ!』

痛みで意識が遠のく中、そんな会話が聞こえたようにも思う。

足音が遠ざかり、見捨てられたのだとはっきり理解しても、起き上がる気力すら湧かなかった。

(……あの魔術書の写しが、本物の内容を少し変えた偽物だったと知ったら、あいつらはどんな顔をするだろうな……)

そんな風に思いながら、くちびるだけで笑うことも出来ない。

誰かの気配が近付いてくる中、いまにも気を失いそうだ。

あの国からの追手だろうか。あるいは、クライドを買った男たちを捕らえに来た、この国の騎士だろうか。

いずれにせよクライドも捕まって、殺されてしまうのだ。

すべてを諦めていたそのとき、体に温かな力が流れ込んできた。

『……?』

開けることの出来なかった目を、開けられるようになっている。

視界に映っていたのは、クライドを心配そうに覗き込んでいる、クライドよりも数歳は幼いであろう少女の姿だった。

『大丈夫ですか……!?』

その女の子は、淡い水色の瞳を持っている。

髪はふわふわと波打って、それはクライドと同じ赤色だった。傷だらけというほどではないが、纏っているドレスは古びていて、何処か貧しい身なりをしている。

『……君、は』

『あ! ごめんなさい、おしゃべりはしなくても大丈夫です……! もうすこし、じっとしていてください……!!』

女の子の手から生まれた柔らかな光が、クライドの体に染み込んでいった。痛みが消え、体が軽くなり、どんどん傷が塞がっていくのが分かる。

(これは、治癒魔術……?)

治癒に関する魔術を使えるのは、世界に存在する魔術師たちの中でも、ほんの一握りの女性だけだ。

少しの治癒が扱えるだけでも、彼女たちはあちこちで重用される。

ましてや目の前のこの女の子は、骨が折れていたクライドの体を完璧に治してみせたのだ。それがどれほど凄いことなのか、この年齢のクライドも理解していた。

『もう、痛いところはありませんか?』

『……うん』

少女に手伝ってもらいながら、クライドは身を起こす。

『もう、大丈夫だ』

『!』

そう答えると、彼女は満面の笑みを浮かべ、心の底から安堵したように呟いた。

『よかったあ……!』

『――――!』

優しい言葉をもらえたことなど、生まれて初めてではなかったのだ。

魔術が使えるクライドの仕事は、あちこちから秘密を盗むことだった。それが出来るからこそ誰かに買われて、今日まで生きながらえたのだ。

子供の顔を利用したクライドは、潜入先で可愛がられた。

手軽な愛情を向けてくれた人たちを油断させ、時には見つかって殴られ、殺されかける。

そんな日々の中、善人たちに付け入るためわざと怪我をして、同情を買ったこともあった。

存在しない家族の代わりに、そうやって心配してくれた人たちから、大切な秘密を得てきたのだ。

そのことに罪悪感を持つ時期など、幼いながらに過ぎ去っていた。

だというのに、『演じていないそのままのクライドを心配してくれた』というだけで、その少女の笑顔が焼き付いて離れない。

『君も、怪我をしているのに』

『あ! 私、自分を治すの、あんまり上手じゃなくて……』

そう言って恥ずかしそうに俯いた、その顔がとても愛らしかった。それなのにあちこちにある痣が、とても痛ましい。

『君の、名前は?』

『私ですか? はい! 私は、シャ……』

言葉を途中で止めた見えた女の子は、その口を慌てて手で塞ぐ。

『……ろ。ろ、ろ、ロッティ、です!』

『ロッティ……』

自分も名乗ろうとしたクライドは、けれどもすぐに思い直した。この名前を知っているだけで、彼女に迷惑が掛かるかもしれないのだ。

『君は、どうしてこんなところに?』

『わたし、いつもはお勉強と魔術のれんしゅうをしているのです! あっちにある、おっきな教会で!』

少女の小さな指が、この部屋の北側の壁を指差す。この廃屋は森の中にあって、遠くに教会の屋根が見えるのを思い出した。

『いっぱい練習しているのですよ! もっとじょうずになって、おっきくなって……そうしたら、私』

淡い水色の瞳をきらきらと輝かせ、赤い髪の彼女は笑った。

『戦争に行くんです!』

***

酒場の片隅にある椅子に掛けて、クライドは目を閉じていた。

(まったく、忌々しい)

あの少女のことを考えるのは、ほんの時々に留められていたはずだ。

一時期は浮かんでくる思い出に苦しみ、記憶を封じられればと願ったほどだが、成長するにつれて制御できるようになっていた。

(それなのに、近頃どうしてこうも彼女を思い出すのかと、不思議だったが……)

クライドはゆっくり目を開けると、グラスを手にしたまま振り返る。それと同時に、たおやかで蠱惑的な女性の声が聞こえてきた。

「宿への伝言をありがとう。クライド、だったかしら?」

「……ようやくあなたにお越しいただけて、嬉しく思いますよ」

クライドは、そこに立っている彼女を見て微笑む。

「愛しのシャーロット。あなたは今宵も、美しい」

「……ふふ」

今回の『標的』であるシャーロットの瞳の色は、思い出の少女と同じ色をしているのだ。