作品タイトル不明
4. 辺境伯家、狂喜乱舞する
――魔獣だ。
それも、大型の四足獣が三頭も。
体長は各々、ゆうに二メートルを超えており、黒灰色の毛で全身を覆われていた。
見た目はオオカミに近いが、魔法耐性を持っている。
並の魔力攻撃では傷ひとつつかない、厄介な魔獣だった。
「左側に回れ!」
ロイドは短く指示を飛ばし、飛びかかってきた魔獣の爪を半身で躱した。
地面を抉る鈍い音。
踏み込みざまに剣を走らせ、魔獣の左前足を斬り落とす。
魔獣が耳障りな咆哮を上げ、痛みによってかその動きが荒くなる。
初動の鋭さを失い、だが足を一本失ってなお、倒れることなく地を蹴った。
その時だった。
後方に控えていた魔獣達が、きょろりと辺りを見回した。
濁った眼球が、ぴたりと一点で止まる。
視線の先にあるのは、護衛に囲まれた馬車。
その内側から、かすかに魔力の気配が漏れていた。
――レティシアだ。
二体の魔獣が、同時に向きを変えた。
ふわりと騎士達の頭上を越える。
「行き掛けの駄賃だな」
召喚時に魔力を奪われ、爪先に灯すほどしか残っていない。
レティシアは残されたわずかな魔力を、指先にそっと集めた。
わずかに窓を開き、隙間から糸のように細く長く、静かに伸ばしていく。
網状に張り巡らされたその糸は、闇に溶け落ち……次の瞬間、駆けてくる魔獣の身体に触れた。
魔獣の表皮には、内包した魔力を外へ逃がすための『放出点』がいくつもある。
レティシアはそこを塞ぐように、ひとつひとつ丁寧に糸を絡ませていく。
逃がせなくなった魔力が澱のように体内に溜まる。
ぐらり、と魔獣の身体が揺れた。
――次いで、もう一頭。
後ろ脚に傷がある。毛の隙間から、剥き出しになった肉が覗いていた。
今度は魔力の糸を、より細く、鋭く練る。そして筋肉の継ぎ目へ、音もなく差し込んだ。
魔獣が一歩踏み出した瞬間、ちり、と小さな音が鳴り、後ろ足がすとんと力を失った。
これでもう、大丈夫。
魔獣が動けなくなったことを確認すると、レティシアは何事もなかったように馬車の窓を閉めた。
一方ロイドは、突然動きの鈍くなった魔獣に歩み寄り、訝しげに首を傾けている。
不自然な変化を怪しんでいるのだろう。
だが、弱体化魔法の痕跡など、相応の魔法師でなければまず見破れない。
「レティ、待たせた。中の鍵を開けてくれ」
ほどなくして、ロイドが馬車に乗り込んできた。
「怪我はないな?」
「……ない」
あれだけ動いたのに、息を切らすどころか汗ひとつかいていない。
レティシアに異常がないことを確認すると、ロイドは馬車の扉を閉めた。
***
「ここが、俺の領地……辺境の街『ミネルヴァ』だ」
毛布にくるまれ、ロイドの膝上で寝息を立てていたレティシアは、ゆっくりと瞼を持ち上げた。
ミネルヴァなら知っている。
魔獣の森を挟んだ南側がトルティア王国、北側がレティシアの治める魔法国アストリアだ。
「今日からここが、お前の家だ」
興味深く見回しながら辺境伯邸にたどり着くと、夜にも拘わらず、ロイドを待つ使用人達が勢ぞろいで出迎えてくれる。
その時、屋敷の正面扉から勢いよく誰かが飛び出してきた。
「ロイドぉぉぉ! おかえりなさぁぁぁいッ!!」
ふくよかな女性が満面の笑みで両手を広げ、馬車に向かって駆けてくる。
その後ろから壮年の男性が、「待て、転ぶぞ」と小走りで追いかけてきた。
「父上、母上。ただいま戻りました」
「魔獣討伐で一ヶ月も家を空けるなんて……無事でよかったわ! ところでその子は、どなた?」
「……陛下から、急使が行ったはずですが」
「あら、何も来ていないわよ?」
レティシアの件は、国王から直々に連絡をすると言っていたのに。
ロイドの腕に収まったレティシアを目に留め、エルマの両手がそわそわと宙を泳ぐ。
「最近は魔獣達が知恵をつけて、辺境伯領を迂回するようになっちゃったから……もしかして、途中で食べられちゃったのかしらねぇ」
ほわほわと柔らかな口ぶりで告げるが、その内容は極めて過酷。
辺境伯領を取り巻く、魔獣被害の甚大さが窺える。
「で、誰なのかしら?」
「……陛下より、妻となる娘を賜りました」
「へっ?」
「――は!?」
身元は不明ですが、とロイドはすかさず言い添える。
事前の連絡もないまま、久しぶりに帰ってきた息子が、突然花嫁を連れてきた。
父母ともに固まるのは当然のことだ。
「妻ですって!?」
「はい」
国王から賜った相手ともなれば無下にもできない。
ロイドの両親に罪はなく、自分のことながら申し訳なくなってくる。
そんなレティシアの思いなど知る由もなく、母の視線が再びレティシアへと向けられた。
小さな小さな、可愛い花嫁。
黄金色の髪は空高く昇る太陽を思わせ、紫の瞳は、玉座に据えられた国宝級のアメジストのように、夜目にも眩しく輝いている。
召喚時のボロ布は小綺麗なドレスに代わり、悲しげに目を伏せる姿は、見る者の心を締め付けた。
皆がレティシアを見つめている。
何か言った方がいいのだろうか。
息を殺して様子を窺うが、どうにも居たたまれない。
だがその直後、屋敷が揺れるほどの歓声が上がった。
「お嫁さん!? ロイドにお嫁さんですって!?」
「ついにこの日が来たか……!」
今日はみんなで、祝杯だ!
狂喜乱舞するロイドの父母を筆頭に、完全なるお祭り騒ぎ。
そしてその様子を、ロイドはさも当たり前のように、平然と受け入れているのだ。
冷遇されることを覚悟していたのに、予想の斜め上を行く歓迎ぶり。
幼女を妻にしろと言われたことを疑問に思うどころか、警戒すらせず受け入れている。
なんだ……?
疑うとか、怒るとか、喜ぶ前にやるべきことがあるだろう!?
――誰も彼も、反応がおかしかった。
「よかった……本当によかったぁ……ッ!」
涙ぐみ、レティシアへと伸ばされた母エルマの手が、桜色の頬に触れる。
生まれてはじめての感触に、レティシアの肩がびくりと跳ねる。
目の端で、一人の使用人が泣き崩れた。
口元を押さえ、嗚咽を漏らしている者もいる。
え……?
そ、そこまで……!?
辺境伯ロイド・セシリオ。
人々からは、冷血将軍と恐れられている男。
実に信じがたいことだが、この理不尽な結婚を、彼らは本気で喜んでいるのだ。