軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

第6話 血の決断

夜の帳が下りた王都郊外にあるロイド侯爵家別邸の薔薇園は、むせ返るような大輪の香りと、冷たい月光に支配されていた。

東屋のテーブルには、深紅のワインが二つのグラスに注がれ、怪しくきらめいている。

「――まさか貴方から呼ばれる日が来るとはね。お待たせしたかな、パトリシア様」

低く、どこか耳に心地よく響く声と共に、影の中から一人の男が姿を現した。

オリビエ・ラヴァル。現ラヴァル伯爵家当主であり、夫ウィリアムの二歳上の実兄。

弟のウィリアムが甘く整った優男なら、オリビエは鋭い彫りの深い貌に、すべてを見透かすような冷徹な黒い瞳を持つ男だった。彼は、弟の見合いの席でパトリシアに出会って以来、決して表には出さないものの、彼女へ対する仄暗い執着をその瞳の奥に宿し続けてきた。

「夜分遅い呼び出しに応じていただき、感謝いたします、オリビエ様」

パトリシアは毅然と背筋を伸ばし、女侯爵としての礼を尽くした。

オリビエはふっと薄い唇を吊り上げ、差し出された椅子の端に腰を下ろす。

「君からの誘いだ。たとえ世界の果てであっても私は駆けつけたよ。……それで、緊急の用件とは何かな? 我が愚弟が、君にずいぶんと不自由を強いているようだが」

オリビエの言葉には、すでにウィリアムへの侮蔑が含まれていた。パトリシアは感情を交えず、淡々と、しかし明確に事実を告げた。

「ウィリアム様が、市井から隠し子と愛人を連れ帰りました。私との結婚生活の裏で、四年前から囲っていたようです。そして本日、その三歳の男児をロイド侯爵家の『嫡子』にすると息巻いておいででした」

一瞬、オリビエの顔から笑みが消え、獣のような凶暴な光がその瞳に宿った。

「……あの無能め。己の立場も弁えず、侍女上がりの女といまだに繋がっていたばかりか、女侯爵たる君の誇りを踏みにじり、名門ロイド家の血を穢そうというのか」

オリビエの怒りは本物だった。彼は昔から、何の責任も背負わず「愛」だの「慈悲」だのと甘えたことを抜かす弟を嫌悪していた。そして何より、自分が喉から手が出るほど欲しかったパトリシアという至宝を手に入れながら、それを泥で汚した弟への激しい憎悪が、彼の拳を固く握らせていた。

「驚かないのですね」

「ラヴァル家での奴の行いを知っていれば、予想はつくさ。あいつは昔から『可哀想な僕の理解者』に弱い。……それで、パトリシア様。貴方はどうするつもりだ? あの男をラヴァル家に突き返すか? それとも、泣き寝入りしてその濁った血を継がせるか?」

「どちらも選びません」

パトリシアは静かにワイングラスを傾け、オリビエの黒い瞳を真っ向から見据えた。

「ロイド侯爵家の血は、私が守ります。あの男の血は、一滴たりともこの家に遺しません。……そこで、オリビエ様。貴方に『提案』がございます」

「ほう?」

「私と……子を成していただきたいのです」

夜の静寂の中に、パトリシアの凛とした声が響いた。

オリビエの呼吸が、微かに止まった。驚き、そして、すぐに脳裏を駆け巡ったであろう甘美な背徳感に、彼の目が見開かれる。

「……それは、私に『托卵』をせよ、ということか? 弟の妻である君が、私の子を宿し、ロイド家の跡継ぎとして育てる、と」

「はい。ウィリアム様は貴方の実弟。産まれてくる子供の髪や瞳の色が、オリビエ様に似ていても社交界は何の疑いも持たないでしょう。夫を嫌悪し、世間体を守り、そして何より侯爵家を存続させるために、これ以上の適任はおりません」

パトリシアの口調は、まるで領地取引の契約を交わすかのように冷徹で、合理的だった。そこに愛などひとかけらもない。あるのは純粋な復讐と、家門への義務。

オリビエは低く笑い始めた。その笑いは次第に深くなり、歓喜を孕んで薔薇園に溶けていく。

「くはは……っ、最高だ。あの愚弟は、自分がすべてを手に入れた気でいるが、まさか自分の妻も、家門も、未来も、この私に奪われることになるとは夢にも思うまい」

オリビエは身を乗り出し、パトリシアの端正な顔を見つめた。

「良いだろう、その契約、喜んで乗ろう。だが、条件はどうする? まさか毎日私の元へ通うわけにもいかないだろう」

「条件は厳格に定めます」

パトリシアは懐から一枚の書面を取り出した。

「期間は当面、半年間。月に一度、私が指定する『最も子を授かりやすい日』にのみ、我が侯爵家が持つ郊外の別邸へお越しください。そこで、閨を共にしていただきます。もし半年が過ぎ、月に一度の機会を重ねても授かる気配がない場合には、私はこの計画を諦め、別の手段を講じます。……いかがですか?」

月に一度。わずか六回の機会。

それは、パトリシアにとっても自らの身体をかけた危険な賭けであり、同時にオリビエに主導権を握らせないための防壁でもあった。

オリビエは書面に目を落とし、その冷徹な条件にむしろ歪んだ興奮を覚えた。彼はパトリシアの前に跪き、彼女の白い手を取ると、その甲に深く、刻みつけるようなキスをした。

「承知した、我が愛しい女侯爵。この秘密は、墓場まで持っていこう。神に感謝するよ。長兄が死んだあの日、私が君の婚約者になれなかった絶望が、まさかこんな最高の形で報われるとは」

パトリシアは、その手の甲に残る熱を感じながらも、心は凍てついたままだった。

オリビエが自分に向ける仄暗い情熱を知りながら、それすらも冷酷に利用する。

「では、最初の『その日』に、お呼びいたします」

契約は成立した。

ウィリアムが離れで、バレリーとシリルと共に「偽りの幸福」に浸っているその裏で。

本邸の薔薇園では、彼のすべてを根こそぎ奪い去る、真実の背徳が産声を上げようとしていた。