軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

決別

応接室を出ると、ミラベルは自身の部屋だった場所に寄り小さなトランクを一つだけ手に取った。離婚届を出した時点ですでに自分の荷物はまとめてある。

リカルドがマリエッタと会えというからまだここに留まっていただけで、ミラベルとしては少しでも早くヒュラス邸から離れたかったのだ。

リカルドと結婚して以降、二人の間に夫婦としての実態が無いことに気づいてもこの邸宅の使用人は女主人としてミラベルに仕えてくれた。リカルドが多少人の心の機微に疎くても執事が優秀なおかげで今まで大きな問題がなかったのはミラベルにとっても僥倖だったのだろう。

ミラベルはもう戻ることはないという決意でヒュラス邸の扉を出る。すると目の前のエントランスに見事な栗毛の馬を二頭従えた馬車が待機していた。

「ミラベル様、今まで主人を支えてくださりありがとうございました」

馬車の脇に執事が立っている。その隣に御者もまた一緒に並んでおり、二人は丁寧にお辞儀をしてくれた。

もはやヒュラス家の女主人ではなくなったから呼び方が『奥様』ではなく『ミラベル様』になっている。しかしその呼び方でもたしかな親しみがあった。

その声に、ミラベルが努力してきたこの五年間が無駄ではなかったのだと思えて一瞬胸が詰まる思いがした。

「こちらこそ、今までお世話になったわ。あなたたちがいなかったら私は今日まで頑張ってはこれなかったでしょう」

それはミラベルの本音だった。

リカルドから白い結婚を突きつけられ、幸せな花嫁になる夢を壊されても絶望から立ち上がれたのは執事を筆頭とした使用人たちが支えてくれたから。

ミラベルはもはやリカルドとは今後いっさい会いたくないと思うが、使用人たちに対してはもう会えなくなると思うと少しの寂しさを感じた。

「ミラベル様の今後の幸せを祈っております」

それは執事の精一杯の餞の言葉なのだろう。

「もう行くわね。みんなも、どうかお元気で」

多くの思いを呑み込んで、ミラベルはそれだけを告げた。

リカルドがそんな気が利くとは思えないから馬車を手配してくれたのは執事の采配なのだろう。ミラベルは近くの乗り合い馬車のところまで歩いていくつもりでいたが、さすがに貴族の女性がトランクを抱えて一人で歩くのは目立つため助かった。

「街の乗り合い馬車のところまでお願いするわ」

「あの、リュミエ家までお送りするよう命じられているのですが……」

「実家へ戻る前にせっかくだから領都のお店を見て回りたいのよ。その後はリュミエ家の馬車を呼んでいるから大丈夫よ」

困惑したような御者の言葉にミラベルが答える。

リュミエ領とヒュラス領は隣同士であり、一日あれば行き来可能とはいえ今後はそう気軽にこちらへ来ることはできないだろう。御者はそう納得したのか、それ以上何も言わずに馬車を走らせ始めた。

リカルドもヒュラス家の使用人たちも、離婚したミラベルはリュミエ家に戻ると思っている。だから誰もミラベルの行き先をわざわざ確認しなかった。

しかし、もう何年も前に婚姻で家を離れ、さらには現当主とは親子ではなく叔父と姪であることを考えればミラベルが実家へ戻れないとは思わないのだろうか。

もちろん叔父はミラベルが戻ってきたとしても追い出すようなことはしないだろう。しかし必ず自分の身の振り方を考えなければならない時がくる。

貴族の女性が離婚した場合、ある意味平民以上に難しい立場に置かれることが多い。実家に戻ったところで行き先は誰かの後妻に出されるか、嫁げる先がなければ修道院へ入れられる。少なくとも未婚の令嬢であった頃のように過ごせる女性は稀だ。それこそ相当な高位貴族の出であり、親子関係が良好な場合くらいだろう。それであっても、兄弟が家を継ぐ頃にはどこかへ出されるのが普通だった。

(そんなことにも気づかないくらいリカルドは私に興味が無いということね)

車窓から流れる景色を眺めながらミラベルはそう思う。

思えばヒュラス邸から街へ向かうこの道もリカルドと一緒に何度も通った思い出のある道だ。しかし今、ミラベルは過去と決別する覚悟で馬車の揺れに身を任せている。

(私の想いはすべてここへ置いていくわ)

ずっとリカルドへの想いに囚われ続けてきたけれど、馬車がヒュラス邸から離れるごとにミラベルの心も解き放たれていく。

これからは自分のためだけに生きていくのだ。