軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

アルバートの思惑

「あの時の約束に縋ってここまで来てしまった私がこんなことを言う資格なんてないけれど…‥」

「ミラベルは約束を守っただけだろ?」

(約束を守ったのではなくあの時の言葉を盾にしただけ。アルバートの好意につけ込んでいるのだから、やっていることはリカルドと変わらないわ)

人の気持ちを利用している時点で同じ。そう考えると自分の厚かましい行動が恥ずかしくなってくる。

(それでも、私にはもうアルバートにお願いするしか方法がないのよ)

「お金の貸与と仕事の紹介をお願いしているだけでも恥知らずだとは思っているわ。だからせめて、あなたの好意に胡座をかくことはしたくないの。アルバート商会の商会長の秘書だなんて、やりたい人がたくさんいるでしょう?」

「たしかに、希望者を募ればいるだろうな」

「それなら希望する方々の中から優秀な人を雇うべきよ」

(少なくとも私よりも有能な人はたくさんいるでしょうから)

「でも俺はミラベルが良い」

「アルバート!」

咎めるようなミラベルの呼びかけもどこ吹く風とばかりに聞き流し、アルバートはソファから立ち上がりすぐそばまでくるとミラベルの隣に座った。

「それに、罪悪感を感じているのなら願ったりだ」

「どういうこと?」

(罪悪感があれば何を見聞きしても裏切ることはないとか、そういうことだろうか)

そんなことを思うミラベルの栗色の髪を一房手に取ると、アルバートがその手を口元に持っていき軽く口付けた。少し頭を下げたアルバートが視線を上げ彼の金茶色の瞳がミラベルをヒタリと捕える。

アルバートの瞳は虹彩が薄くどことなく猫科の猛獣を思わせる。わずかに細められた瞳が視線を捕らえて離さず、ミラベルはまるで獲物になった気分だった。

「……!」

学生時代には気づかなかった匂い立つような色気を感じ無意識に頬が赤くなるのを止めることができなかった。

「罪悪感を感じているミラベルは俺のことが気になるだろう? 俺は目的のためなら何でも利用する。それこそミラベルの心を得るために利用できるものなら何でも、な」

チュッと軽いリップ音を立てて再度口付けを落とすと、アルバートはミラベルの髪から手を離した。

「俺は商人だからな。隙を見せたら食いつくだけだ」

綺麗に微笑んだアルバートは言っていることと表情がまったく合っていない。

「秘書としてそばにいてもらえば口説く機会が格段に増えるだろう?」

「それは、私の能力は必要ないからそばで侍っていればいいということ?」

もしアルバートがそういうつもりならば、それはミラベルにとっては屈辱だった。人の好意という寄る辺ないものに縋って生きるのも真っ平だ。ミラベルはこれからは自分自身の足で立って生きていきたいのだから。

「まさか。ただ侍るだけの女なんていらない」

「それならどういうことかしら?」

「ミラベルの能力を買っている。だから邸宅でも商会でも俺の秘書をして欲しい。さっきのはただの宣言さ」

「宣言?」

「ミラベルの罪悪感につけ込んででも振り向かせてみせるってことだ。だから、ミラベルは俺に悪いなんて思う必要はない」

それだけ言うとアルバートは立ち上がって執務机へと向かう。そして数枚の書類を手にミラベルの向かい側のソファに座った。

「これが契約書だ。給与に見合う以上の働きをすれば昇給や特別手当も出るが、逆に働きが足りていなければ減給もあり得る。そこら辺はきちんと評価するつもりだ」

『よく読んで納得がいったらサインを』

そう言われてミラベルは書類に目を通していく。

渡された契約書は細かなこともすべて文章として記載されていた。子爵夫人として多くの使用人と契約を結んできたミラベルにはその契約書がどれだけ緻密に書き記されているのかが理解できる。

たいていの貴族の家が使用している契約書はわりと大雑把な物が多い。実際子爵家では昔からの書式を変えていなかったこともあり、従事する業務内容に関しても細かくは記載していなかった。

(かなりよくできた契約書だわ)

基本給の額から勤務日数に勤務時間、業務内容、時間外業務が発生した場合の割増率、さらには年に何日か有給での休みが認められている。

(衣食住を保証してくれるのは大きいわね)

いわゆる福利厚生の部分に当たるのだろう。制服がわりの衣服、そして食堂などの利用を認める食の部分、ミラベルが住むところがないことを考慮したのか住居まで。これほどありがたい内容で雇ってくれるところは他にはないと思えた。

これからの自分の価値を決める物だから、ミラベルは最初から最後まで契約書をしっかりと読んだ。そしていつの間にか応接机の上に置かれていた羽ペンを手にすると契約書の所定の位置にサインをする。

「よし。これで契約成立だ。仕事には今日から入れるか?」

ミラベルがサインした契約書を大事そうに執務机の引き出しにしまい、アルバートが確認してくる。

「ええ、もちろんよ」

ミラベルはそう答えた。

「じゃあまずは簡単な業務内容から説明しよう」

他の誰かに頼むことなく雇い主であるアルバートが自ら説明を始める。ミラベルはアルバートにお願いして紙とペンを用意してもらうと説明された内容を可能な限り書き留めた。

そうやって勤務日初日は過ぎていったわけだが。

ミラベルは一日が終わって気づくことになる。最初に聞いた時には断るつもりだった仕事をいつの間にか承諾していたことに。

(私はアルバートの秘書業務を断るはずだったのでは?)

そう思っても時すでに遅し。すでに契約は結ばれてしまっている。

つくづくアルバートは優秀な商人なのだと、ミラベルは己の身をもって理解したのだった。