作品タイトル不明
アルバートの提案
翌日、ミラベルはヒュラス家から持ち出した数少ないドレスの一つに着替えて約束通りアルバートの商会を訪ねた。
「昨日はお世話になったわ」
商会長室に通されて早々に言ったミラベルの言葉にアルバートが苦笑する。
「食事には来なかったと聞いたが?」
その返答にアルバートが昨日の顛末をすでに知っているのだと気づいた。おそらく従業員の誰かにミラベルの様子を報告させたのだろう。
「食欲がなかっただけよ」
それはミラベルの強がりだった。たしかに食べなければ空腹で動けないほどではなかったが、お腹が減っていなかったわけではない。それでもそれを正直に言うのはなぜか気恥ずかしかったのだ。
「そうか。俺は今からお茶の時間だ。良ければつき合ってもらっても?」
そう言ったアルバートの目の前の応接テーブルにはサンドイッチを始めパイやタルトなどのペストリーが並んでいる。香り高い紅茶はダージリンだろうか。室内に香しい香りが漂っていた。
ミラベルが断るとは思っていないのか、たとえ断っても食べさせるつもりでいるのか、アルバートは返答を待たずにいくつかのサンドイッチを手ずから皿に取り分ける。
「……ありがとう。いただくわ」
最初断ろうと思ったミラベルは、しかしすぐにアルバートの気遣いに感謝して皿を受け取った。意地を張っても仕方ないのだと昨日学んだせいでもある。今のミラベルは体面を気にするよりも人の好意を素直に受け取るべきなのだ。
(これはきっと私のために用意してくれたのね)
ミラベルはそれが分からないほど鈍くはない。
おそらくミラベルが昨日食事をしなかったことを聞いたアルバートはミラベルがそのまま何も口にすることなく商会まで来ると予想していたのだろう。実際に近場で食事を調達しようと思っていたミラベルは、自身が金貨しか持っていないことに気づいて諦めた。
たとえ領都の大通りといえども平民が利用するような屋台や店では金貨など使えない。せいぜいが銀貨までだ。なぜならどの商品も銅貨で買える物であり、金貨など出したところでお釣りが用意されていないのだから。そのことに気づいていなかったミラベルは、何だかんだ言っても結局貴族婦人でしかなかった。
かといってこれからのことを考えればレストランへ入って無闇に散財することもできず、結局ここに至るまで何も口にすることなく来てしまったのである。
「美味しい……」
その呟きは心から出た言葉だった。
空腹だったからかそれとも商会の料理を担当するシェフの腕が良いからか、口にした食べ物はどれもとても美味だ。
そんなミラベルをアルバートが優しく見守っている。
「新しい食材を仕入れたら料理人が張り切りすぎてたくさん用意してしまったんだ。俺だけでは食べきれないから良ければもっと食べてくれ」
そうやってアルバートに促されるまま食事を進め、結局仕事の話ができたのはそれから一時間も経った後だった。
「さて、昨日の話だが……」
食後に出されたアッサムティーが入ったカップをソーサーに戻したところでアルバートが口火を切る。自然とミラベルの背筋が伸びた。
「ミラベルへ紹介する仕事はこれだ」
そう言ってアルバートが一枚の契約書をテーブルの上に置いた。
「侯爵家の秘書の仕事?」
「そうだ」
「でも侯爵家ともなれば家令や執事がいるでしょう? それに、そういった仕事は男性が担うものでは?」
「仕事先は侯爵家といえども分家に当たるところだからな。雇い主はまだ未婚のため一応侯爵の家名を名乗ってはいるが、実際は何の権限も無い。執事はいるが仕事の量が多く人手を必要としている」
たしかに書類に書かれている業務には多種多様な文言が並んでいる。それこそ主人のスケジュール管理や邸宅内の管理から始まって書類の作成などの事務的なものから雑務まで。
「秘書業務が男の仕事とは限らないだろう? 実際に当主夫人などは邸宅内の多くの業務を担っているのだから」
「それはそうだけれど……」
多くの場合主人に付き従う仕事は男性が担当するが、結婚している場合は夫人が取り仕切ることも多い。特に邸宅内の仕事ではそれが顕著だろう。
「でも未婚の貴族の男性が離婚した婦人をあえて雇うなんて考えられないわ」
それこそ愛人だと言われかねない。
「邸宅内の仕事だけを担うならそう言われることもあるかもしれないな」
「どういうこと?」
ミラベルの疑問に、アルバートは書類を一枚捲ることで答えた。
「……⁉︎」
一枚目の書類には主な業務内容が書かれていた。そして二枚目には雇い主の名前が。普通に考えれば一枚目に勤務先となる家の名があって然るべきところを逆になっていた理由がその名前を見てわかった。
「雇い主、テオ・アルバート⁉︎」
「そう。俺のことだな。ミラベルには邸宅の仕事と商会の仕事、どちらも手伝って欲しいと思っている」
ミラベルは仕事を与えてもらえるのであればどんなところでも頑張ろうと思っていた。貴族令嬢の家庭教師が一番だったが、それ以外だったとしてもアルバートからの紹介に異議を申し立てるつもりはまったくなかった。
しかしである。
「ダメよ、アルバート。あなたに迷惑をかけるわけにはいかないわ」
「迷惑だなんて思っていない。むしろミラベルに業務を担ってもらえるのであれば助かる」
アルバートは真剣だった。テーブルを挟んで向けられる視線には揺るぎない意志がうかがえる。
(いいえ、ダメなのよ。私は人の好意に胡坐をかきたくないの)
「困った時は頼ってくれと言っただろう?」
たしかに言われた。学園を卒業する時に。
それでも。
「こんなことを言うのは傲慢なのかもしれないけれど、もしあなたの気持ちが変わっていないのなら、私はその提案を受けることはできないわ」
マイナスに評価されて好意的に捉えられることのない離婚した女性。それを秘書に据えるともなればそこに何かしらの思いの存在を考えてしまうのは仕方のないことだ。
(アルバートが今でも私に好意を抱いてくれているとしたら……)
好意を搾取される辛さを誰よりも理解しているからこそ、ミラベルはその提案に頷くことはできなかった。