軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

庭マニア公認のハーブティー

「そうだ、お茶、淹れましょうか。庭のハーブしかないですけど」

「ぜひ」

「三島さんも、いかがですか?」

「……いただきます。見てるだけというのも、もったいないので」

「ちょっと待っててください。今日のために、道具持ってきたんです」

石のベンチの横。さっき置いた手提げ袋から道具を取り出す。

小さなケトルと、折りたたみの五徳みたいなスタンド。紙コップが三つと、固形燃料の小さな缶。

C-7でハーブティーを飲みながら過ごしたいと、前から思っていた。

だから今日、二人をこの庭の「最初のお客さん」としてもてなせることに、胸が少しだけ高鳴っていた。

ハーブの列に戻る。

バジ太郎の葉を三人分。バジばあの、香りが強いほうの枝先を少し多めに。

ミン三郎の若い葉をひと握り。レモンバームを数枝、タイムを指先でひとつまみずつ。

三人分を頭の中で割り算しながら、いつもの「自分用」よりも少しだけ丁寧に、葉を選んで摘んでいく。

石のベンチの横に戻る。

折りたたみスタンドを広げ、その下に固形燃料の缶を置く。

缶のフタを外し、ライターで火をつける。ぼう、と静かな音がして、青い炎が灯る。

その上にケトルを乗せると、途端に「キャンプ場の匂い」がした。

固形燃料の、少し甘いような独特の匂いと、ケトルの金属が温まっていく匂い。C-7の土とハーブの匂いの中に、その層が一枚重なる。

ケトルに水を入れる。

底から小さな気泡が立ち始め、やがて「コトコト」という音に変わる。さっきまで静かだったC-7に、小さな台所の音が生まれた。

ケトルを火から外し、蓋を開けて、さっき摘んだバジル、ミント、レモンバーム、タイムを入れる。

バジルの青い香りと、ミントの清涼感。レモンバームの明るい柑橘の香りに、タイムの少し大人っぽい香りを、三人分のバランスを見ながら配分する。

湯の上でハーブがひらいていくたびに、香りが一段階ずつ濃くなっていく。

「2分くらい待ちましょう」

腕時計をちらっと見て時間を測りながら、炎が弱まりすぎないように、土の流れで風だけを少し抑える。

ケトルの底で、まだかすかに「コトコト」と音がしている。

真っ白な紙コップを三つ、石のベンチに並べた。

透き通った黄緑色のティーを注ぐと、それぞれのカップの底に、光を孕んだ小さな池が生まれた。

いつもは一つ、たまに二つ。白、白、白、と三つ並んだ輪を見るだけで、胸の奥が少しだけ温かくなった。

「せっかく来てくれたので。味は保証しませんけど……ここのハーブは、たぶん世界でここにしかないので」

口にすると、なんだか大層なことを言った気がして少し照れくさくなる。

GreenThumbさんは、その安っぽい紙コップを、壊れやすい卵でも扱うような手つきで、大きな両手でそっと包み込んだ。

三島さんも、その熱を確かめるように、自分のコップを両手で受け取る。

傍らでは、役目を終えようとしている固形燃料の青い炎が、名残惜しそうに小さく揺れていた。

GreenThumbさんは、カップの中の揺れる黄緑色を、祈りでも捧げるように見つめてから——

ゆっくりと、それを口に運んだ。

唇が縁に触れ、熱い液体が舌の上を滑る。

その瞬間、C-7からすべての「音」が剥ぎ取られた気がした。

紙コップを保持する大きな手が、時間の止まった彫像のように固定される。驚いたわけでも、拒絶したわけでもない。ただ、全身の神経がその「一口」へと収束し、他のすべてが背後に消えてしまったような、あまりに深い沈黙。

やがて、喉仏が一度だけ、ごくり、と重く動いた。

飲み込んだ。

GreenThumbさんの銀色の瞳が、ゆっくりと見開かれる。

整った顔立ちが、込み上げる何かを必死に堪えるように、わずかに強張った。

水銀の表面に、細く、しかし決定的な波紋が静かに広がっていった。

それはさっき庭に入ったときの衝撃とは違う。痛みに似た鋭さも、拒絶の震えもない。

ただ、荒野に雨が染み込むように、深いところから、じわじわと体温を塗り替えていく種類の揺れだった。

彼はそのまま、長いあいだ動かなかった。

彫りの深い双眸が、熱を帯びたように潤んでいく。

ケトルの底で鳴るかすかな「コトコト」という余韻と、死にかけの炎が爆ぜる極小の音だけが、真空に近いC-7の空気をわずかに震わせていた。

一滴、涙がこぼれた。

それは頬を伝うよりも先に、長い銀色のまつ毛に重く溜まり、耐えきれなくなった結晶のように滑り落ちた。

完成された彫刻のような横顔を、一本の光の筋がゆっくりと、静かに下っていく。

顎の先でいったん止まり、それから紙コップの縁の内側へ、音もなく吸い込まれていった。

二滴目、三滴目。

嗚咽も、吐息さえも漏らさない。ただ、目の奥から溢れるものが、静謐な軌道をなぞって流れ続ける。

拭おうとも、隠そうともしなかった。その涙はあまりに清らかで、大人の男の絶望と救済が同時に溢れ出したかのような、不思議な威厳すらあった。

コップを持つ手が金縛りにあったように動かないのは、溢れる雫すらも、今の彼には必要な熱だからだろうか。

どちらともつかない沈黙の中、GreenThumbさんは、自分の流したものが黄緑色の池を乱していく様を、ただじっと、銀色の目で見つめていた。

その涙が、悲しみによるものなのか、あるいはそれ以外の何かによるものなのか、俺には到底計り知れなかった。

190近い大男が、小さな紙コップを抱えたまま、静かに無防備に泣いている。

「GreenThumbさん、大丈夫……ですか?」

覗き込むようにして、顔を仰いだ。

190近い巨躯を、170の俺が見上げている。その圧倒的な体格差も、本来彼が纏っているはずの峻烈な覇気も、今のこの距離では霧のように霧散していた。

三島さんも、痛ましさに胸を突かれたような顔で身を乗り出す。彼の手の中にあるカップからは、ハーブの清涼感と、消えゆく炎の焦げた匂いが静かに揺れていた。

やがて、GreenThumbさんの視線が、ゆっくりと俺を捉えた。

涙の膜に滲んだ銀色の瞳は、ひどく脆そうで、それでいて嵐の後の湖のように凪いでいた。

「……美味い」

声がかすれていた。

「ちゃんと、美味い」

自分自身に言い聞かせるような、熱を帯びた独り言だった。

「そんなに美味しかったですか? 庭のハーブだから新鮮なだけだと思いますけど」

困惑混じりにそう返すと、彼は笑った。

ずっと厳しい戦場にいた男が、ようやく安息の地を見つけたときのような、どこか幼さの残る、あまりに綺麗な微笑み。

涙の跡が残るその顔は、ハッとするほど整っていて、同時に泣きたくなるほど寂しげだった。

「……久しぶりに、味がした」

「味がした?」

「ああ。味がした」

噛みしめるみたいに、もう一度繰り返した。

それだけ言って、もう一口飲んだ。目を閉じて、長く息を吐いていた。

三島さんが、自分の紙コップを一口含み、その喉が小さく跳ねる。

「……これは、確かに、ただのハーブティーじゃないですね」

三島さんの声は低く抑えられていたが、そこには隠しようのない震撼が混じっていた。

彼は少し離れた場所へ立ち直ると、腕を組み、込み上げる感情を押し殺すようにビジネスライクな鉄面皮を張り直す。

「……本当に、味がしているんですね」

その呟きは、俺に言ったのか、独り言なのかわからなかった。

GreenThumbさんは、庭に30分いた。

ハーブティーを飲み終わったあと、石のベンチに腰を下ろして、庭を見ていた。

何もしない。何も言わない。ただ、12畳の中で風と匂いと音が入れ替わっていくのを、黙って追いかけていた。

カケルが、ためらいがちにGreenThumbさんの足元へ降りてきた。

チビケルが少し遅れてその横に来る。二羽とも、革靴のつま先のすぐ横に座り込んだ。

初対面の人間を、C-7が「庭の一部」として完全に受け入れた瞬間だった。

ラベ四郎の香りが、ゆっくりと濃くなる。

夕方のC-7は、昼間より香りがよく立つ。薄紫の空気が冷えて、ラベンダーの甘さが地面から少し浮いたあたりに溜まる。石のベンチの高さ。ちょうどGreenThumbさんの鼻のあたりだ。

GreenThumbさんの目が、だんだん細くなっていった。

瞬きの間隔が伸び、肩から力が抜けて、背もたれに預ける角度が少しずつ深くなる。さっきまで上がりっぱなしだった肩が、ようやく「自分自身の重さ」を思い出したみたいに下りていく。

眠りそうだった。

190近い男が、12畳の庭の石のベンチで、グラスバード2羽を足元に従えて、ラベンダーの香りの中で、静かにまどろんでいた。

「GreenThumbさん」

声をかけると、ほんの一拍置いてから返事が返ってきた。

「……ああ。すまない」

ゆっくり目を開ける。少し赤い。泣いたせいなのか、眠気のせいなのか、判別がつかない赤さだった。

そろそろゲートの時間だ、と三島さんが腕時計をちらっと見る。

「今日のところは、そろそろ……」

「ああ」

GreenThumbさんは小さく頷いてから、もう一度、庭を見渡した。

「その前に、少しお持ち帰り、いかがですか」

「お持ち帰り?」

「はい。トマトと、ピーマンと……レモンとリンゴとブルーベリー、それからハーブも。ここで採れたやつ、よければ」

自分でも、少し慌てて言葉を継いでいた。

このまま何も渡さずに帰してしまうには、これまであまりにいろいろもらいすぎた気がした。

トマ次郎のところへ行き、よく熟れた実をいくつか選んで摘む。

ピーマンの列からは、艶のいい実だけを選んでハサミを入れる。

果樹の鉢に回り、レモンの枝から黄色い実を2つ、リンゴの小ぶりな実をいくつか、ブルーベリーの枝先から、色のそろった房だけを指先でつまんでいく。

バジ太郎とバジばあからは料理に使いやすい大きさの枝を数本。ミン三郎とレモンバームからも、香りのいいところを少しずつ。

石のベンチの横に戻り、さっきまでケトルやスタンドが入っていたビニール袋を広げる。

摘んだ野菜や果実を、種類ごとに小さな紙袋へ分け、それをさらに手提げの袋の中に重ねていく。

さっきまで道具が入っていた袋は、今は庭の色と匂いでいっぱいになっていく。

「ホテルだと思うので、調理は大変かもしれませんが……」

袋の口をきゅっと結びながら、続ける。

「こっちは、分析器や150万円に見合うような“お土産セット”ってわけじゃないですけど。もしよかったら」

自嘲にならないように、でも冗談に逃げないように、言葉の力加減を探る。

「安全性は、全部こちらで確認済みですから。正式にはサンプル扱いですけどね」

三島さんが、簡潔に補足した。

「……いいのか」

手提げ袋の持ち手を受け取りながら、GreenThumbさんが呟いた。

トマト、ピーマン、レモン、リンゴ、ブルーベリー、ハーブミックス。C-7の収穫物でいっぱいになった袋が、大きな手の中で不釣り合いなほど軽そうに見える。

「はい。ここから持って出られるものなんて、そんなに多くないですから。持って帰ってもらえたら、むしろ嬉しいです」

「……そうか」

短く答えてから、袋の中を一度覗き込む。

トマ次郎の赤、ピーマンの緑、レモンの黄色、リンゴの赤、ブルーベリーの濃い紺。庭の色が、一つの袋の中に詰め込まれている。

「また来てもいいか」

今度は、はっきりとこちらを見て言った。

さっきよりも、少しだけ低く、しかし迷いのない声だった。

「もちろん。いつでも」

「……明日も、配信の時間帯にお邪魔する」

その言葉に、胸のどこかが一瞬だけ、跳ねた。

今日限りの特別ゲストだと思っていた人が、「明日も」と当然のように言う。

「Same time. Same garden.(同じ時間に、同じ庭に)」

そう付け足してから、ふっと息を吐く。その吐息も、ラベンダーの層に混ざっていく。

そのままゲートへ向かうかと思った瞬間——

GreenThumbさんが、手提げ袋を片手に持ち替え、空いたほうの腕を大きく広げた。

許可を求める言葉はなかった。次の瞬間には、190近い体が、勢いよくこちらに近づいてきていた。

強く抱きしめられた。

逃げ場のない力だったけれど、乱暴ではない。

折れないギリギリのところを知っている人間の力の入れ方。支柱を折らずに押さえるときみたいな、全力と加減の境目。

顔が胸板に押しつけられて、息が一瞬だけ止まる。

でも、すぐに肩越しに、さっきまでと同じラベンダーの匂いがした。C-7の空気をまとった人間の匂い。

「ハル。ありがとう」

頭の上から、低い声が落ちてきた。

翻訳機を通した日本語なのに、その一言だけは、やけにまっすぐ刺さった。

どれくらいそうしていたのか分からない。

GreenThumbさんは、ゆっくりと腕の力を抜き、名残惜しそうに一度だけ肩を叩いてから、ようやく距離を取った。

「……すみません、びっくりしました」

そう言いながらも、自分の心臓の音が、C-7の静けさの中でやけに大きく響いている気がした。

「驚かせてしまったな」

GreenThumbさんが、少しだけいたずらを滲ませた声で微笑む。

心なしか目の下のクマが薄くなっている気がした。

GreenThumbさんがゲートのほうへ歩き出す。

片手に「庭の詰め合わせ」が入ったビニール袋を、まるで壊れやすい宝物を守る子供みたいに、大事に胸に抱えて。

途中で足を止め、彼はもう一度だけ庭全体をゆっくりと見渡した。

12畳の、小さな畑と果樹園付きの庭。

薄紫の夕暮れの中で、バジ太郎とバジばあが並んで揺れている。トマ次郎の赤い実がぼんやりと光っている。ラベ四郎の花が白く浮かび、その向こうでミン三郎の根が土の線を描いている。

ベンチのそばに残された紙コップの縁には、さっきの涙の跡が、薄く輪になって残っていた。

GreenThumbさんが去ったあと、C-7には俺と三島さんだけが残った。

「あの人、なんで泣いたんですかね」

自分でも、少し場違いな質問だと思いながら口にしていた。

「……わかりません」

三島さんは少し考えてから、首を横に振った。

「すごく美味しかったんでしょう」

「はい」

「きっと十分に元は取れてますよ。分析器も、150万円も」

三島さんが笑った。

今日初めて見る笑顔だったけれど、その笑い方はどこか、C-7の空気に似ていた。