軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

82 ミスラの受肉

私は思わず、息を呑んだ。

突然私達の目の前に現れたのは、教皇アスティラにそっくりの女性だった。

でも、私の知る彼女とはあまりに雰囲気が違っている。姿形は同一人物と言っていいぐらいに、そっくりなのに。

……この人は、いったい。

「……先生、そちらの女性は……?」

「アスティラだ」

「……アスティラ……?」

私はまた、戸惑った。

彼女は教皇アスティラと同じ姿を持ち、同じ名前を持つ女性。

「……あ、どうも……アスティラです。はじめまして、可愛いお嬢さん。……いきなりですけど、すごいドレスですね、それ……?」

私達の前でアスティラと名乗った女性は、私の顔を見て柔らかく微笑んだ。

「アスティラ、こっちはリーンだ。彼女は俺たちの仲間だ」

「……失礼しました。リンネブルグ・クレイスと申します。今は冒険者の通り名として、リーンと名乗っておりますので、そう呼んで頂ければと」

「へえ、リーンさんというんですね。それで、そっちのかっこいい男の子は……? ……なぜだか、妙に他人という気がしませんが」

「……お母……様……? いや、そんな筈は……貴女は、いったい」

ティレンスも彼女を前にして困惑している様子だった。

無理もない。私も同じ気持ちだった。

彼女は教皇に瓜二つ……同一人物としか思えないほどに同じような容姿をした人物だった。

でもこの人は、あの教皇とはやはり全く違う人だと感じる。

この女性は今、私達と距離をとって睨みつけるような視線を向けるあの教皇とは対照的に、そばに立つだけで安心するような柔らかな笑みを浮かべている。

ティレンスは彼女に見つめられ、戸惑いながらも応えた。

「失礼……僕は、ティレンスといいます」

「そうですか。ティレンス。いい名前ですね……やっぱり他人という気がしないんですが、なんででしょう……?」

そうして彼らが互いに見つめ合い言葉を交わす間、ノール先生は先ほどからずっと『黒い剣』を油断なく聖ミスラへと向けていた。

先生に片手を砕かれた聖ミスラと教皇も、そこから動こうとしなかった。先生の出方を伺い、警戒しているようだった。

「……先生は、今までどちらへ?」

「実は俺もよくわかっていないんだが……どうやら、俺たちはあの青い石の中にいたらしい」

「……あの 核(コア) の中に、ですか……?」

「ああ。それで、あいつが急に逃げたんでな。追ってきた」

「………………逃げた?」

私には先生の話がすぐには理解出来なかった。

先生は今まで、迷宮の 核(コア) の中にいたという。

人が迷宮の 核(コア) の中に入る?

……そんな話、聞いたこともない。

それに…… 逃げた(・・・) 、とは……?

……誰が……誰から……?

「本当に……驚きましたね。どうやってあそこから出られたのでしょう」

私が戸惑っていると、しばらく動きを見せなかった教皇が口を開いた。

「……どうやって、か……? お前らが出て行った後、なんだかモヤモヤした場所を見つけてとにかくこの剣で叩いたら出られたが……何故かは俺にもわからないぞ」

「そうですか……本当に出鱈目ですね。その剣も、貴方も。まさか、ここまで簡単に追ってこられるとは……まだ少し、甘く見ていたようです。反省しなければなりません」

すると、ゆっくりと骸骨の手が教皇を掴み、眼前へと持ち上げた。

「ひとまず────この身体だけでも、よしとしましょうか。これだけでも、幾らかは力になるはずです」

ティレンスは教皇が骸骨に持ち上げられたまま纏う灼熱の炎で焼かれる様子を、立ち尽くしたまま眺めていた。

「……お母、様……?」

「……ティレンス。私は少し先にこの御方の 血(・) と 肉(・) となります。貴方もすぐに、こちらに来るといいですよ。とても、幸せなことなのですよ。これこそがミスラ教国における至高の『救い』なのですから」

「お母様、いったい、何を────?」

立ち尽くすティレンスの前で────聖ミスラは、 教皇(彼の母親) を顎のない口の中へと放り込んだ。

「────────え?」

途端に辺りに膨大な量の瘴気が立ち昇った。

同時に聖ミスラの全身の骨から『血』が流れ、僅かに『肉』が纏わり付いていくのが見えた。

『────ア゛── ア゛──ア゛ァ゛────』

大地を揺らす地響きのような呻き声は、あの怪物の出来かけの喉から発されているらしかった。

目の前に現れた皮膚のない巨大な人型の異形から、意識が飛びそうなほどに強大な魔力の高まりを感じる。

私は再び、身動きができなくなった。

あれはもう、魔物という範疇すら超えている。

まともに人が対峙する事は決して敵わない、何か。

先程まで感じていた僅かな安堵が一気に絶望へと塗り替えられた。

瞬間────

轟音。

何かが迷宮の 核(コア) があるこの空間の天井に激突し、突き破って行ったのを感じた。

一瞬のことで、反応すらできなかった。

どうやら、目の前の骸骨が突然、地面に手を突っ込み、強引に何かを跳ね上げたようだった。

一連の動作が、まったく何も見えなかった。

今、何が飛ばされたのかすら、わからない。

その事実に私は再び戦慄しながら、必死に冷静になって辺りを見回すと、一人、周囲から居なくなっている人物がいるのに気が付いた。

それは────

「…………ノール、先生……?」

周囲に、先程までここにいたはずの先生の姿がなかった。

ここから、居なくなった人物。

それはノール先生だった。

────しまった。

あれは、ずっとこの機を伺っていたのだ。

一番の脅威である先生をこの場から排除する機会を。

残るは、私たち。

あれにとっては────ただの獲物に過ぎないであろう、私達だけ。

私は再び恐怖に脚が震えた。

でも、その肉をわずかに得た骸骨は、私たちには見向きもせず天を仰ぐような姿勢のままで、不気味な低い音を発した。

『ア゛────ア゛ァ゛。コレ、ハ────何ト、イ゛ヴ、美味────ア゛、イ゛、イ゛ィ゛────』

その地響きのような音は、あの怪物の 喉(・) から発されている 声(・) だった。

『ヴァ、ヴ────ヴヴァ、ヴ、美味ァ゛────イ゛────ヴ、ヴァ────ア゛、ヴァ、ヴ────ヴヴァ────ヴ、美味ァ゛──ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛!!!!!』

────それはまるで歓喜の舞を踊るかのように。

────或いはただ、怒り狂っているかのように。

その怪物(聖ミスラ) は手当たり次第に辺りの岩盤を殴りつけ、砕いた。

一度に千の爆発が起きたように硬い迷宮の壁が爆散し至る所に大穴が開く。その衝撃で崩壊した上階から落下する無数の瓦礫に気を留めるでもなく、それは私達を見下ろし、またあの低い『音』を出した。

『────ディ。ティ。ディレンズ。

リンネブルグ────やヴァり、貴方タチ、ヴァ。まダ、トッテ゛、とっテ、おグことにしマす。ココ、で、終わらぜデシマ、ヴの、は。勿体な、ナイ゛、ナ゛イ゛ィ゛────ィ゛イ゛ィ゛』

魂の奥深くから凍てつかされるような悍しい声が迷宮に響いた。

出来かけの血走った眼球が、二つ、こちらを見下ろしている。

『……ア゛。ア゛ァ────スバ、ら、ディ、い。

この血。この血、ヴァ。ハ。すば。素晴らジい。

想像以上でシた────エルフの血ガ、これホドまデに美味デ滋養に富ムものダトは。すぐに、デモ、口にシタい、とこロ、でスガ……残念なガら、モウ複製資源ハ、残ッテいまセンカラね。いタダくのハ、もっト 増ヤシて(・・・・) かラが、いい、デ、しょう。これだけデ、終わラセるのハ────本当ニ、勿体ナ、ナ゛、ナ゛ない────ダカら、とっテ。とっ、て。デモ、本当ニ、美、味────ア゛ア゛。ア゛ア゛────美味ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァア゛イ゛ァ──── ア゛ア゛ア゛ア゛ァ』

再び、聖ミスラは狂ったように地面を叩いた。

地面が揺れ、恐怖で身動きができなかった。

指ひとつ動かすことが、できない。

おそらく、あれは────笑っている。

あの怪物は、ただ嗤っただけで大地を砕き、揺らす。

やはりあれは、先ほどまでとは比べ物にならない。

────強大さも。

────邪悪さも。

────狂気も。

全てが、手に負えない存在となってしまった。

もはや、息をすることすら困難に感じる。

まるで神話の中の邪神と対峙しているかのような、現実離れした、力の差。

瞬時に、結界が張られた。

触れただけで弾け飛びそうな、途轍もない強さの結界。

それは檻だった。

あれにとっては獲物……いや、家畜でしかない私達を閉じ込めておくための檻。

『ア゛ナ。あなダ、タち、は────ここデ。待っデ、いテください。すぐニ、迎えにき、マス、かカ、ら』

怪物は檻の中に閉じ込められた私たちに、昏く響く声を掛けた。

『────ア゛。安心、しデ、クダさイ。貴方達、の、こドハ、ナル。なるべ、グ。傷ヅゲ、ダくヴァ、ありマ、せン。大事な、大事ナ──── これかラの(・・・・・) 楽しミ(・・・) ノ『種』ですカら。そこデ。大人、シグ。シデ、しデ、いデくだ、ザィ────ネ────エ゛ア゛、エ゛ア゛ア゛ア゛────』

その怪物はそう言って、檻に閉じ込められた私達を見つめ────

『本当ニ、楽し、ミ────ア゛ァ゛────ア゛ア゛ ァ゛、ア゛ア゛ア゛ ────楽し、ミ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛、エ゛エ゛ァ゛────エ゛エ゛ァ゛ア゛ア゛ア゛ア゛────ア゛ァ゛────!!』

────この世の物とも思えない音を立てて、嗤った。

轟音に迷宮が震え、内臓が揺さぶられる。

全身を揺らす振動が止むと、聖ミスラは先ほどノール先生を吹き飛ばした衝撃で開いた穴を強引に押し拡げながら、途轍もない速さで這い上がっていった。

「────────ッ」

そうして、怪物の気配が遠ざかり、音が離れたところで私はやっとひとつ、呼吸ができた。

そして、何回か息を吸ったところで自分の全身が滝のような冷や汗で濡れているのに気が付いた。

緊張で喉がカラカラに乾いている。

「……あの……リーンさん、と……ティレンスくん、でしたっけ……?」

不意に女性が私とティレンスに声をかけた。

「……ええと……アスティラ……教皇、猊下……?」

「あ、いえ、私はその教皇とかいうのじゃありませんよ……? 私は冒険者のアスティラです。っていうか、なんですかその教皇って……?」

「……すみません、ちゃんとお話をしたいのですが……どこからご説明したらいいものか」

「ふふ、いいですよ。私もここで貴方達とじっくりお話ししてみたいところなんですが……今はちょっと、そんなわけにもいきませんよね。すぐに彼を助けに行かないと」

「助けに……?」

彼女の言う彼とは……もしかして、ノール先生のこと?

でも、この状況でどうやって……?

「ええ。多分、助けがいると思うんです。あれ、前より強力になっちゃってますからね……えいっ!」

女性がそう言って手許の杖を振るうと、結界の檻に小さな亀裂が入り、もう一度軽く触れると今度は大きな穴が開いた。

「えっ……今、何を────?」

私とティレンスは呆気にとられ、女性の顔を見つめた。

「ふふ……私も、長く閉じ込められている間、何もしてなかったわけじゃないんですよ? あの骨の怪物にしてやられたのをこのアスティラさんが黙って見過ごすと思ったら、大間違いです……私、結構根に持つタイプですので。さあさあ、早く出てください!」

得意げに語る女性に従って私達が結界の檻の外に出ると、檻の穴はまた元どおりになったが、私達は無事に外に出ることができた。

「……とりあえず、これであれの目論見をひとつ邪魔できたみたいですから、ざまあみろって感じなんですがね。でも、これだけじゃ、まだまだ気が済みません。本当に、あの人……ノールに本気で目の前でぶちのめしてもらわないと」

そう言うと女性の周囲に風が巻き起こり、彼女の身体がふわりと宙に浮いた。

「……まさか、【 浮遊(フロート) 】……!?」

私は再び、目にしたものに驚かされた。

彼女が使った【 浮遊(フロート) 】は、風魔法の中でも最高難度の技術とされ、私も知識があるのみで、王国で体現しているのはオーケン先生のみという、奥義に類する技。

この女性は何でもない事のように使いこなしている。

……この女性は、一体?

「あれ……? 貴女、【 浮遊(これ) 】を知っているのですか? これ、教えても誰一人出来た人がいなかったんですが」

「……はい。でも、とても難しい風魔法技術だと伺っています。私も【魔聖】オーケンから見せていただいたのみです」

「えっ……オーケンがこれを……?」

教皇によく似た女性は、意外そうな顔をした。

「もしかして、オーケン先生をご存知なのですか……?」

「ふふ、知ってるも何も────」

女性はどこか楽しそうに微笑んだ。

「オーケンにこれを教えたの、 私(・) なんですよ。そうですか……あの時は「自分は絶対に使わないからそんな地味技いらない」とか、めちゃくちゃ負け惜しみ言ってたんですが。ちゃんと練習してできるようになったのですね……えらいえらい」

女性は満足そうな笑顔で頷いたが、その瞬間、頭上で激しい揺れが起こり無数の瓦礫が落下した。

「……なんて、のんびりお話ししてる場合じゃないですよね……? いいかげん、行きますね」

「お一人で、ですか?」

「ふふ……私、これでも結構、有名な冒険者だったんですよ? 修羅場は何度も潜ってきましたから……主に進んで無謀をやらかす誰かさんのせいでしたけど。貴方も彼のことは知ってるみたいですが……って! ……いけませんね、久々に人と会うと本当におしゃべりになってしまいます……気を引き締めないと」

女性は急に真面目な表情になり、身に纏う風に魔力を込めた。

すると、瞬時に激しい暴風が巻き起こり、身体ごと吹き飛ばされそうな風圧を感じたが────直後、その身体に感じる風が一瞬でなくなった。

そして、頭上のあちこちから落下してくる無数の瓦礫が空中でふわりと浮かび、私たちを避けるようにしてゆっくりと地面に降りていくのが視える。

────そうして、理解する。

この人も桁外れの人物だ。

そこで私が目にしたのは、凄まじいまでの『風』の制御技術だった。

彼女は巨大な建物を一撃で吹き飛ばすような暴風を体表面に集約して、まるで繊細な手指のように操っている。

私が得意とする風魔法も、彼女の前では児戯に過ぎないということがわかる。

そして、側にいるだけで感じる、【魔聖】オーケン先生すら及ばないのではないかと思えるとてつもない魔力量。

ノール先生と初めて会った時と同じぐらいに、存在すること自体が信じられない程の人物がそこにいた。

「では、行きます────あなたたちも出来るだけ安全な場所へ移動してくださいね」

彼女は突風のように上昇し、あっという間に私たちの視界から消えた。

「……私たちも急いで上に戻りましょう……ティレンス?」

私が声をかけても、ティレンスはしばらく女性が去った方向を見上げ、呆然と立ち尽くしていた。

「……待ってくれ、リーン。あの人は……もしかして、あの人は、僕の本当の────」

「……ティレンス。私たちは一刻も早く、他の方に危険を伝えて、避難させなければいけません。すみませんが、今は会話をしている時間はありません」

「────ああ、そうだな。すまない」

「それと、あの方のことは心配しなくても大丈夫だと思います……きっと、無事に再会できますよ」

「……それは……どういう意味だい……? 僕への慰めなら、ありがたいけど────」

────違う。

私が口にしたのは彼への慰めではない。

これは今、私の思うように動かない脚を言い含めるために必要な言葉だ。

私自身が再び、あの絶望的な存在に近づこうとしている恐怖を振り払うために、必要としている言葉。

……自分でもわかっている。

それは願望でしかないのだと。

でも────言わなければ、私は押しつぶされてしまいそうだった。

だから、思わず口にした。

あまりに楽観的な、私の願いでしかないことを。

「────上には今、ノール先生がいらっしゃるのですから。きっと、大丈夫です」

でも言葉にした途端、不思議と足が軽くなったような気がした。

────そうだ。

私は何を臆病風に吹かれていたのか。

まだ諦めてはいけない。

まだ、絶望するには早すぎる。

ここ、ミスラ教国にはあのノール先生がいるのだから。

決して、希望が潰えたわけではない。

それを知っている私が、ここで足を竦ませて立ち止まってなど、いられない。

「私たちはこんなところで立ち止まっていてはいけません。今、私たちにできることをしましょう」

「ああ────本当にその通りだね」

そうして私たちは、たった今走ってきた道を辿り、地上へ通じる道へと再び全力で走った。