軽量なろうリーダー

作品タイトル不明

205 メリッサとラシードの契約書

「……この展開は、ラシード坊ちゃまの筋書き通りでございますかな?」

「まさか。こんなにメチャクチャになるとは夢にも思わなかったよ」

とある屋敷の窓から廃墟同然となった街を眺める初老の男性が、ラシードに静かに微笑みかけた。

「では、ラシード坊ちゃま……もとい、ラシード様はよほどの強運の持ち主、ということになりますな」

「ま、そうなるね。今回ばかりは運だけさ」

ラシードはそう言って笑顔で肩を竦めると、初老の男性にねぎらいの声をかけた。

「長年のお勤め、ご苦労だったね、ワイズ。君って案外口が堅いタイプの人間だったんだね」

「二君に仕えず、という諺もございます。我々、アサシンギルドの者は『強きに従う』がモットーでございます故」

「その口上で騙した奴が他に何人いるのやら」

二人は互いに目を見合わせ、微笑んだ。

「『サレンツァ家』のご親族の皆様がラシード様を『当主』として認めることを条件に 和解(・・) を申し出ていらっしゃいます。いかがなされますか?」

「どうやら奴ら、未だに自分たちの立ち位置をわかっていないらしい。事前の通告に対して良い返事をくれた大叔父様と大叔母様を除いて、残りの奴らには「これからは対等な 商売敵(ライバル) 同士だね」とだけ伝えて」

「かしこまりました。では、ご親族の皆様にはそのようにお返事を致します。それと、メリッサ 様(・) は今、別室に外していただいておりますが。そろそろお呼び戻しになられますかな?」

「……メリッサ、様?」

初老の男の言葉に、ラシードは意外そうな表情で顔を上げた。

「彼女、たしか君の配下じゃなかったっけ」

「左様でございます。立場としては、『暗殺者ギルド』の長たる私の部下のそのまた部下の部下ですな」

「なら、なんでそんな呼び方を」

「……例の件、そろそろお伝えになるのでしょう?」

人の良さそうな笑顔を向けたワイズに、ソファにゆったりと優雅に座りカップを持ち上げていたラシードの手が止まり、小さくため息を吐く。

「まぁ。そのつもり、だったんだけど……ね?」

「おや。大事な交渉を前に【神商】ラシードともあろうお方が尻込みを?」

「そりゃあ、こればっかりは金で買えるモノじゃないからね」

「これはこれは。私が耳にした中で、最もラシード様らしからぬお言葉。もっと昔のようにガンガン強気で行かれませぬと。不安な時ほど、踏ん張り時! ファイト! ですぞ」

「……ねえ。君って、そんなに喋る奴だっけ?」

「この地で長年、血みどろの騒乱を目にしてきた者の一人として、今後の国の安寧を願っているまでにございます。自然と、応援に熱も籠ろうというもの……とはいえ。心を落ち着かせていただく為、邪魔者は早々に退散した方が良さそうですな」

初老の男はニコリと微笑み、ラシードの前で上品に咳払いをすると、

「 ご武運を(・・・・) 」

そう言って霧のように姿を消した。

ラシードは小さく肩を竦め、ため息をつく。

「……全く。そんな下世話な話題、どこから伝わった? 大方、ワイズの『目』と『耳』になりそうな奴の目星はついてるけど。あいつらには近々、相応のお仕置きを────」

「ラシード様」

独り言を呟くラシードの背後から声をかけたのはメリッサだった。

ラシードは内心、ドキリとしながら厚めの書類を抱えたメリッサにいつもの余裕めいた笑顔で振り返る。

「ああ、メリッサ。どうかした?」

「先程いただいた、この新しい『 契約書(・・・) 』の件で、少しお尋ねしたいことが」

「何か、不備でもあった? 君と改めて契約するにあたって、なるべく良い条件になるように気を遣ったつもりだったんだけど」

「いえ。今の所、契約書として不備と見られる箇所は見当たりませんが……いくつか不可解な点が」

「至って、普通の契約書だと思ったけど」

「……複数の条項で不自然なぐらい、私に有利な条件が設定されています。それに契約書の様式自体、これではまるで、商業自治区における一般的な 婚姻(・・) 契約だとしか思えないのですが」

「うん、そのつもりだったんだけど?」

怪訝な顔で首を傾げるメリッサと目を合わせると、ラシードは小さく咳払いをした。

「……それは、なんのご冗談で?」

「いやいや。冗談なんかじゃないよ。間違いでもない」

「では、尚更動機が解せません。この文書の意図するところは?」

「意図も何も、そのままなんだけど……まぁ、動機は単純に『一目惚れしたから』、かな」

「一目惚れ? 誰が、誰に」

「僕が、君に」

そう言ってまず自分を指差して、次いで自分に指を向けたラシードに目をパチクリさせるメリッサ。

「ラシード様が、私に? つまり……この文書と会話の双方が、何らかの暗号、ということでしょうか」

「いやいやいや。違う違う。暗号とかじゃないから」

「では一体、そのご発言はどういう意味として解釈すれば良いのでしょう?」

「そのままの意味、なんだけど。その様子だともっと説明が要りそうだね?」

「はい。できれば可能な限り、詳細に」

「はは。覚悟はしてたけど……参ったね」

ラシードは頭に手をやると、小さくため息をついた。

「まず、率直にいうと。最初に君がそこの扉から顔を出した時、この世にはこんなに綺麗な人が存在するんだな、って思った」

「………………はい?」

困惑の表情を浮かべたメリッサに、ラシードはひとつ咳払いをして続けた。

「……でね。初日にお茶を淹れてもらおうとした時、君は震える手で僕に毒を盛ろうとしていただろう? その時、なんて優しい子なんだろう、って思った」

「……優しい?」

「だって。当時の君は、家族を人質を取られているような身の上で見ず知らずの 他人(ぼく) の命を大事な人と天秤にかけて迷っていただろう? その後も部屋に入り込んだ蠍をそのまま窓から庭に逃したりしてて……本当に虫も殺せない性格の人なんて初めて見た」

返答に目をパチクリさせるメリッサに、ラシードは頭に手をやり、また小さくため息をついた。

「……待ってください。あの日、そんなことを?」

「ま、言って信じてもらえるとは思わなかったし、言わなかったんだけどね。当然、その優しすぎる性格のせいで暗殺の仕事はダメダメだったけど、その分、僕は安心して自分の家の仕事を任せられた。そして一緒に生活を続けていって、このままずっと自分のそばにいてくれたらいいのに、って考えるようになった。それからはあっという間さ。気づいたら夢中になっていた」

ラシードは静かに思案するメリッサの前で頬を掻いた。

「……となると。まさか、『一目惚れ』とは本当に字面通り?」

「だから、最初からそう言ってる」

二人はしばし無言で目を合わせていたが、沈黙に耐えきれなくなったラシードが小さく咳払いをする。

「……で、どう? おおよその経緯はわかってもらえたかな?」

「……いえ。まだ、皆目、理解が追いつきません。仮にそれが事実だとして、そもそも、なぜラシード様はシャウザを雇われたのでしょう? 彼は私を監視する役目だとばかり」

「概ね、君の認識で合っているけどね。でも、ちょっと違うかな。あいつは元から君の 身辺警護役(ボディガード) として雇ってたんだよ」

「私の? ラシード様ではなく?」

「もちろん、それだけの能力はあるから僕のも兼ねてもらったけどね。当時、僕の暗殺を失敗した君は元の雇い主から口封じの刺客をしこたま送られていた。だから、できるだけ腕の良い露払い役が必要だった。そいつがたまたまシャウザだった、ってだけ」

「では、彼が昼夜問わず、私をずっと見張っていたのは……?」

「君の身の回りをずっと警戒していたからだよ。要するに、あいつは君を護る役割だった」

メリッサは少し考え込んだ後、顔を上げた。

「……仮に、それが事実だとして。どうして、私に言ってくださらなかったのでしょう?」

「だって、当然だろう? 仲違いしている親族たちに僕の『想い人』が存在するなんて知れたら、格好の攻撃材料になる。当然、君への攻撃も増す。まあ、予め伝えても良かったかなとは思ってたんだけど……でも君、演技は苦手だろう?」

「それはまあ、そうですが」

「だから、僕が君に全てを打ち明ける前提として『 サレンツァ家(あいつら) 』に集まりすぎた金と権力を 崩す(・・) 必要があると思ってた。君に色々と一から説明するにはまず自分たちの身の安全を確保しないと、ってね。今回の件も、その延長線上さ」

話を聞いて俯いて思案していたメリッサは、再び顔を上げた。

「……まさか。ラシード様はそれだけの理由で『サレンツァ家』と敵対を?」

「まぁ、結局のところそうなるかなぁ。それまではあいつらなんてただの『どうでもいい奴ら』だったから。邪魔だなぁ、と思い始めたのは君が僕の家に来てからだ」

「では、ラシード様がこのお屋敷を出て『時忘れの都』に移られたのは……?」

「思い残すところもあったけど、背に腹は代えられないから。それに、僕は演技は得意な方だけど流石に長年続けているとボロが出ちゃうだろうと思って。実際、『時忘れの都』の幾人かの 従業員(スタッフ) にはバレていたみたいだしね。幸い、当人である君には隠し通せていたみたいだけど」

「────まさか」

思い当たるような言動をしていた部下二人の顔を思い浮かべたメリッサの前で、ラシードは改めて咳払いをした。

「もちろん、当時の僕では力不足もあったし、中央と距離を取る必要があった。で、機を窺っているうちに運よくクレイス王国からの強烈な『お客様』が来てくれたものだから、大いに便乗させてもらったってわけ」

「……それで、ノール様にご自分の全財産を譲渡した、と?」

「大きめの博打だったけど、自分なりに勝算はあったからね。案の定、彼一人で面白いぐらいに商都を引っ掻き回してくれたし……とはいえ。流石の僕も、ちょっとばかり彼のスケールは見誤ったかな? まさか、ここまで派手な事態を招くことになるとは思わなかった……嬉しい誤算も含めて、 彼(ノール) については想定外だらけだよ」

ラシードは窓の外から見える砂に塗れた廃墟となった商都を眺め、肩を竦めながら苦笑した。

「君が 商都(ここ) に僕を追ってきてくれた時も、本当に嬉しかったんだよ。でも、同時にすごく焦ったよ。だって、あの瞬間に僕の長年の計画が全部パァになりかねなかったからね。表面上は余裕ぶってたけど、内心、ハラハラしてた。本当は、事が済むまで君をもっと安全な場所に置いて、全てが終わってから迎えに行くつもりだったから。そして折を見て、その『契約書』を渡して正面から頼み込むつもりだった。『できれば、これからも僕と一緒にいてください』ってね……ま、要約してしまえば、それだけがそこに込められた『意図』の全てだよ」

ラシードがそう言ってメリッサの手元の書類に目をやると、メリッサは初めて驚きの表情を浮かべた。

「……まさか、本当に? いつものように誰かを陥れる為の策略や、陰謀や、虚言や、思いつくままに並べ立てられた、詐欺同然の嘘八百ではなく────?」

「うん、そうだよ……って。僕の言動ってそんなに信用ない???」

「……ええ、まあ。これまでがこれまででしたので」

「そう言われると頷くしかないんだけど」

メリッサが無言で手元の紙束に目を戻すと、ラシードは大きく息を吐いた。

「もちろん、そこに記述されているのは僕の一方的な希望ばかりだ。だから、もし、君が不満に思えば今すぐこの場で破り捨ててもらっても構わない」

「……そうですか」

「なんなら契約を断った上で、君に有利な『財産分与の章』の部分だけ持ち帰ってもらっても平気だよ?」

そう言って、ラシードは笑った。

「さぁ、約束通り僕は洗いざらい全部吐いたよ。こんなに正直に話をしたのは、生まれて初めてかもしれないね。で、君からも一言、率直な感想をもらえると嬉しいんだけど」

「……私の感想、ですか」

メリッサはしばらく静かに考え込んでいたが、やがて小さく口を開くと端的に感想を言った。

「要するに────私は今まで、ラシード様の 掌(てのひら) の上でずっと 転がされていた(・・・・・・・) 、ということになるのでしょうね」

メリッサから返された言葉に思わず、ラシードは苦笑した。

「辛辣だね。でも、実際そうなると思う」

「それに。貴方が今おっしゃったことは矛盾だらけだと感じました」

「あれ、そうだったかな?」

「はい。……私 だけ(・・) を安全な場所に置き? …… 後から(・・・) 、説明するつもりだった? その関係性のどこが 対等(・・) と言えるのでしょう」

「確かにそこを突かれると痛いね」

「それに。『洗いざらい 正直に言った(・・・・・・) 』? それは本当ですか?」

「そのつもり、だったんだけど」

「では────」

メリッサはラシードの前で『契約書』を持ち上げた。

「これを今すぐ、ここで『破り捨てても構わない』?」

「ああ。そうだよ」

「『断っても平気』?」

「もちろん」

「だったら……何故、そんなに不安そうな 表情(かお) になるのでしょうか。声も、先ほどから震えていますが」

「はは、そう見える? 自分じゃ、よくわからないな」

にこやかに笑うラシードの肩は僅かに震え、手の甲には汗が浮かんでいる。

「貴方はいつもそうやって、嘘ばかり。大事な時ほど自分の本心を覆い隠し、偽ろうとする。それで、私はこれからどうやって貴方を信じたらいいのでしょう? ……私たちが互いに契約を結ぶ前提が破綻していると思います」

「全く、返す言葉もないね」

「ですから。この契約書は一旦、お返したいと思います」

メリッサは手にした『契約書』をラシードの前に置いた。

「……そうかい」

「その代わり────」

メリッサは棚から取り出した一枚の白い紙をそっとラシードの前に置くと、

「……私のことを、もう少し信じてもらえませんか? 私はそれ以外は望んでいませんし、これ以上、あなたのお荷物になることを望みません。あんな風に私にだけ有利な約束は要りません」

そう言って、一本のペンを差し出した。

「えっ? じゃあ」

「……断ろうなんて、思うわけないじゃないですか。大事なことですから、二人で話して決めましょう」

結局、二人はまっさらな紙に自分達の名前だけを書き記した。

その 契約(やくそく) は口頭でのみ取り交わされたが、その場に立会う者はおらず、居合わせたのは広い窓からにわかに差し込んだ光と穏やかな風に舞う砂塵のみ。

だが、柔らかな陽光の中で互いの顔を確かめ合う二人にとってはそれで十分、誓いの証たりうるようだった。